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みえないものを、みる視点。

オリンピックのボランティアに見る「意欲」のデザイン

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今度の東京オリンピックでボランティアを募集しているという話が、悪い意味で話題になっている。

 

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会
大会ボランティア募集要項PDF

 

そんな専門性の高い仕事を無償でやらせるのか、という非現実的な計画に多くの人があきれ、ポジティブに捉える人は見たことがない。そしてあまりの人の集まらなさに「学徒動員」がかかるのではないかとも噂されている。僕もそんな風に思っていたところ、先日、うちの研究室の学生が興味深いことを呟いていた。

 

なるほど、不勉強で知らなかったが、そんな経緯で取り入れようという話になったのか。(一般教養の「オリンピックとスポーツ」という講義らしい>サンクス)

 

こちらのページに、2014年に行われたトークイベントでの英国在住で経験者の方の話がまとめられている。

 

www.jlgc.org.uk

ロンドン五輪では、ボランティアは「あなたたちがオリンピックを作る」という意味で、”Games Maker”と呼ばれていた。ボランティアのシャツは、期間中ロンドン市内の駅や会場など各地で見かけることができた。このようにボランティアが前面に出たことがロンドン五輪の一つの特徴であったと思う。

 

ここで語られていることを読むと、今の五輪ボランティアに対する捉え方とはまるで違っていることに驚かされる。なによりも「Games Maker」という敬意をもったネーミングや位置づけ方には、ちゃんと協力者達が主体性を発揮してハッピーになるような「意欲」をデザインしようという意図を感じさせるじゃないか。

 

興味が湧いてきたので、 ちょっとググってみた。

 

London 2012 Games Maker survey Towards Redefining Legacy

Tracey J. Dickson and Angela M Benson

(Games Makerに関する調査報告:レガシーの再定義に向けて)

に当時の協力者たちによる統計データがまとまっている。

他にもいろいろサイトを回ってみたが、ガーディアン誌のこの記事が面白かった。

www.theguardian.com

Games Makerという仕掛けは、"市民は冷淡で無関心で関与したがらないもの"という捉え方を最終的に壊すことになった。まったく逆に、彼らは、サポートや励まし、適切なオファーを出すことによって、すべての年齢のすべての人々が、ポジティブかつ幸せな方法で、最も驚異的なことをすることがができることを証明した。公共機関と地域コミュニティ組織はこのアプローチから早急に学ぶ必要がある。

 

見返りとなる何か:Games Maker達は、マグライトの照明からアディダスの衣服や靴に至るまで仕事のための高品質なツールを装備し、簡潔で適切な訓練を受けていた(記事上部の写真はそのトレーニングや活動を記録するワークブック)。何よりも、彼らは何か重要で不可欠な部分を担っていると感じされられ、仕事をうまくやることができたと自覚し、満足感を得ていた。 典型的な地域参加—例えばボランティアが最終的な仕事の成果をほとんど目にしないとか、よくてチェックボックスを記入したような感覚、ひどい場合には意味のないイライラだけがが残されるような経験ーと、なんと異なっていることか。 

 

ふむ・・。 既存のボランティアから意味の転換に成功したこのGames Makerの仕組みと今回のオリンピックボランティアのお役所的な募集の仕方を比較すると、本当に成功事例の上っ面だけを取り入れようとしたんだな、ということがわかって絶望的な気持ちになる。これが運営サイドに体験価値をデザインができる人がいるかいないかの違いなのだろう。コピーするにしても、そこに大事なこととして「人の気持ち」が見えていないことが明らかだ。逆に言うと、ロンドン五輪の運営組織はさすがである。

 

もうひとつ、一概に言える話ではないけれども、ロンドンは日本よりは他者同士の助け合いの土壌があるのかも知れないな。以前の記事で、ロンドン地下鉄でのアクセシビリティの悪さの体験を書いたことがある。

kmhr.hatenablog.com

あの整備の悪さは問題にならないのか・・・という話をイギリス人に会った時にしてみたところ、「うん、良い質問だ。ちなみにロンドンでは、ベビーカー押して移動する際は、通常はバスを使う。バスも発達しているからね。だからTUBEに乗るのはよっぽどそうしなきゃならない時だけになる。ではそういう時にバリアにどう対処するかというと、"みんなで持ち上げる"と言う方法でカバーしているんだ。イギリスの男はたちは誰もが、それこそ腕に入れ墨入れているガラの悪そうな兄貴まで、階段で困っている人がいたらみんな協力する。それでちゃんと回っているんだから、それほど問題無いだろう?」というようなことを教えてもらった。

 

全ての選択肢をアクセシブルにせず住み分けさせることと、どうしても必要なら他人同士で手助けしあうというソリューション。考えてみれば、人々が協力しあうマインドによってカバー出来るのなら、人工物化するという方法ばかりが最適解というわけではない。

 

今の日本で、こんな運用ができるだろうか・・・。外側の人に冷たい村社会(安心社会)的な伝統ふくめて、「他者とできるだけ関わらずに生きないと損する」ような風潮が強まりつつある中で、自然発生的な助け合いが起こることは、正直ちょっと望みにくい。 ホモ・サピエンスの本能としての利他性が消えたわけではないんだろうが、震災の後の頃に立ち上がったようななんとか助け合おうというパワーは、いつのまにか時間と共に薄れて心の奥底に引っ込んでしまっているようにも思える。だからこそそれを引き出すようなデザインは大事になるわけだ。

 

 

まとめると、

1)ロンドンオリンピックで成功したボランティアの仕組みを取り入れようとはしたが、協力者になろうとする人々の意欲をデザインしようとする視点が完全に欠落している。

2)報告書によるとロンドン五輪ではまんべんなく多くの年代が参加しているが、「我が国の場合、多くの人々は余暇が少ないため、ボランティアに参加出来るような人はシニア層ぐらいだろうか。それに時間を割くだけの「見返りとなる何か」はあるか。今のところない。

3)ボランティアはもともと「無償」という意味ではなく、「自発的」活動である。それを演出されると最高の体験となるが、強制されると最悪の体験となる。

 

東京ではロンドンの時よりも「意欲をデザインする」条件は厳しい。しかし、そこにロンドン五輪以上の優れたソリューションを出せるような運営組織と、それを受容できる国民がいれば、ここからウルトラCはありうる・・・かもしれない。

さてどうなるか?2年後はもうすぐだ。

 

 

看護師のためのグラフィックデザイン

データ整理しているときに、偶然懐かしいものを発掘した。10年前、看護師向けの専門雑誌で「看護師の方々にデザインの力を知ってもらう」という連載記事があって、僕にバトンがまわってきた時に作ったもの。見開き2ページを使って自由に考えるという企画だった。

 

この年のテーマは「手洗い」ポスターのリ・デザイン。病院で看護師達が見飽きているだろう題材が設定されていた。意外なことだが、忙しさのあまり手洗いを忘れてしまう看護師はけっこういるらしい。そこで看護師たちがふと目を止めて手洗いに新鮮な気づきがあるような思考実験的なコンテンツをつくれ、というものだった。

というわけで、ぼくが考えたのが「プロフェッショナルなマインド」に訴えるという作戦。ここで晒してみる。

 

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左ページにグラフィックが配置。(当時ポスターのデータは出版社のウェブサイトからダウンロードして印刷して使えるようになっていた)

 

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右ページにはデザインを解説するページ。

この時には埼玉で内科クリニックを開業している医者の従兄弟に会いに行って、病院を観察させてもらったことを思い出す。彼が目の前で手を洗う時の所作の美しさに感心して、それをそのままアイデアにした。

 

そして、このシリーズは割と評判になったらしく、「次年度も是非!」となった。次の年のテーマは・・・なんと「うがい」。(そして読者は一般向けに変更された)

 

うーん、これは難しい。マナーポスターという範疇では届けなくてはならないルーズな人にこそ届かないことが多いわけで、そこにメッセージ性込めても限界がある。

ということで、さらなる変化球を繰り出す作戦。

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100均で変えるものをつかって「うがいロボ」をつくるという図解を組み合わせたネタにした。もはや真面目に答える気がないのがバレバレだ。

 

 

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解説ページはたしかフォーマット指定あったのかな。

読み返してみると、いまとあんまり考え方変わっているわけではないんだなぁ。

忘れた頃に見てみると、自分で書いたことでありながらなかなか面白い。

 

 

当意即妙!

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5月末に出版された「ビデオによるリフレクション入門—実践の多義的創発を拓く」がめっぽう面白い.

 

以前にもちょっと書いたことのあるThe Reflective Practitioner( 邦訳「省察的実践とはなにか」)という名著があるのだけど,その本の解釈ををめぐって冒頭で佐伯先生が重要なことを指摘されていたので,ここでメモを公開しておく.

kmhr.hatenablog.com

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第1章リフレクションを考える(佐伯胖)より

では,「リフレクション」はどういうときに生まれるのだろうか.ショーンによると,それはあらかじめ準備してたときに生まれるというより,突然予期せぬことに直面して「当意即妙(thinking about your feet)」ができたとき,あるいは非常に緊迫した状態で「油断無く気を配る(keeping your wits about you)」ときなど,まさに行為の最中で(「考える」ヒマもなく)生まれることもある.ここでショーンが別のところで使っていることばを付け加えるなら,「うまくいった!」「これでよかった!」という「良さの実感(appreciation)」が伴っていることもあるだろう.
ショーンは,このような「うまくいった!」「まさにコレなんだ!」という「よさの実感(groove)」が生まれるのは,さまざまなところに気を配り,なにか「気にかかること」をみつけたときであり,突然ふと思いつくこともあるという.(P14)

 

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ここで出てきた,thinking about your feet,keeping your wits about you,grooveにはそれぞれ佐伯先生の注釈がついていて(7)(8)(9).


(7)thinking about your feet・・・佐藤・秋田訳も,柳沢・美輪監訳も「歩きながら考える」としているが共に誤訳.


(8)keeping your wits about you・・・佐藤・秋田訳では「自分についての智恵を持ち続ける」,柳沢・美輪監訳では「分別を持ちつづける」とあるが,ともに誤訳.


(9)groove・・・佐藤・秋田訳では「はまり所」,柳沢・美輪監訳では「自分の型」と訳されている.本来grooveというのは強いて訳せば「のっている」状態のこと.

 

と一刀両断.まあ「thinking about your feet」は自分でも文字通りに受け取るし,そう訳すよな・・・これは翻訳者に同情する.

それにしても,ここは「リフレクション」という概念の根幹にあたる部分である.「歩きながら考える」ではいまいち腹オチしなかったところ,たしかに「当意即妙」だとそのエッセンスがよく伝わってくる気がする.そんな仏教用語を対応させるとは,なるほどさすがに佐伯先生だと感動した.

 

当為即妙:即座に、場に適かなった機転を利かせること。気が利いていること。また、そのさま。▽「当意」はその場に応じて、素早く適切な対応をとったり工夫したりすること。仏教語の「当位即妙」(何事もそのままで真理や悟りに適っていること。また、その場の軽妙な適応)から。

 

 この本はとても易しいのに深い記述が山盛り.例えば6章の鼎談.

 

"ほとんどの「学習者中心」の学習者の捉え方はレディ風に言葉で言えば三人称化されている学習者なのね.つまり外から眺めたうえで「学習者を中心にしましょう」なんてことを言っているときは,結局学習者は他人ごとですよ.そして「学習者を中心に何々してあげましょう」という,それは本当は学び手の思いということに何ら配慮のないのだよね"(佐伯) P157 

 

学習者の視点の話しはそのままデザインのアプローチにも通じる話しだ.

 

 

トーク番組風グループインタビュー

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5月末から2年生のインタラクションデザイン基礎演習の最終課題「2020東京オリンピックパラリンピックのためのデザイン提案」が始まっている.昨年までのかわさきコンフィズリーからバージョンアップさせた新しい課題である.今学生達がリサーチに取り組んでいるところで,6/4(月)はインプットの一環としてちょっと変わった企画を行ってみた.

 

外国にルーツのある人々をお招きしていろいろ聞き込むという企画で,僕のクラスではアメリカ人のジョセフ(僕の向かいの研究室の言語学者),上海大からの長期留学中のLさん(履修生なのにステージにあげられている),ミャンマーからシー氏,ミャッ氏(スパイスワークス社)がゲストに来てくれた.学生達は班ごとに手分けして質問していくということで要するに彼らを囲んだグループインタビューなのだが,まあ普通にやってもかしこまってしまって,盛りあがらないことは明らかだろう.なによりぼくが面白くない.

 

そこで,メイン司会者の徹子役とサブ司会者の中居くん役をイメージして「徹子の部屋」風のトーク番組をみんなで運営する,という仕掛けを演出してみた.もちろんあの「トゥールル・・・」のオープニング曲つきである. 結果的にこの演出はなかなか盛りあがった.教科書通りのグループインタビューをやるのではなく,目的の聞き込みを深掘りしていくために,型を「崩してみる」,「知っているたとえを使う」という試みは大事だと改めて気付く.

 

まあ,写真でみてもショボイ記者会見でしかないな・・・.もっとソファとか花とか用意しないとビジュアルはそれっぽくはならない.

 

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ゲストへの質問項目は事前にカードを作ってみた.去年の視点万華鏡と同じようなプロセスでつくられている. 今年のデザインはSAのKさんによるもの.

 

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この日に来てくれたシー君は,僕が審査協力したミャンマーのコンペ,WIT AWARDのグランプリ受賞者.今回の訪問はその副賞のジャパンツアーの一環でもある.彼はこのコンペにおいてデザインで賞をもらったわけだけど,実はコンピュータサイエンスを学ぶ学生だという・・・.学生達に受賞作品と技術デモの二つを学生向けにプレゼンしてくれた.できる人はなんでもできるのだね.

 

「いま,情報デザインを学ぶこと / 教えることの意味」:都高情研での講演より

 6/2(土)の午後,東京都の情報の先生達によって組織されている東京都高等学校情報教育研究会(都高情研)の研究協議会にお招き頂いて,「いま,情報デザインを学ぶこと / 教えることの意味」という題目で講演をしてきた.

昨年度のAdobe MAX教育セッションで話したことに追加して,今年から科研で取り組む内容を併せてみた.スライドを公開しておきますので御関心のある方はご覧ください.

 

 

この日のスライドから2枚ほど抜粋して掲載.

 

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東京都は情報教育に関しては全国でもっとも進んでいるようで,本日参加してくださったのはその中でもエース級の先生方らしい.そんな場でタイミング良く自説を話す機会を頂けたのはありがたい.僕としてもとりあえず先生方に向けて喋りたいことは言えたし,研究の宣伝もできたので,先生方に感謝.

 

終わってみるといろいろ論理が繋がってないところや説明不足のアラが見えてくるのがつらいが,忘れないうちにまとめ直そう.この日の講演録は,スポンサーにもなってくださっているAdobeさんが映像コンテンツにするそうだけど,せっかく科研費も頂いているので,(上手く喋れなかったところにこっそり手を入れた上で)地方の先生方に小冊子して配布できるようにしようと思っている,問題は夏までにそれをやる時間があるかどうかだ.

 

「問いの技法(How Might We)」ワークショップ

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5月6日にYahoo! JAPANにて開催された第4回 Xデザインフォーラムにおいて、午前の部でショート・ワークショップを実施してきた。

約100名の参加者に7名のファシリテータという大規模なもので、なかなかヒヤヒヤだったが無事に終えることが出来た。参加者のみなさま、ありがとうございました。

 

今回の内容は、「問うこと」を問うのがテーマで、こういったメタ的な知識はこれからますます重要になってくると思うので、スライドを公開しておきたい。お手すきの時にでもご覧下さい。

 

ベースにしたのは、古くからd.schoolでデザイン思考のメソッドとして知られているHow Might We Question。

英語版PDF

日本語訳PDF(βver:上平訳)

 

それに1)今進めている「シン・デザインの教科書」プロジェクトの多様な領域、2)昔に行われていたコピーライティングの方法、を組み合わせてみた。

 

今頃HMWかと思われるかも知れないけれど、意外とここにはフォーカスが当たりにくく、ちゃんと考える機会は少ないものだ。またHMWは英語圏でできた方法のため、曖昧な日本語との相性は良くないということが欠点としてあげられる。我々自身が日本語とマッチした問い方の形式知を生み出していくことが課題と言える。

 

 

悲しい泥

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これは何に見えるだろうか?

泥?そう、なんてことのない乾いた泥である。

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実はこの泥、落下したツバメの巣である。

毎年うちの大学の棟にはツバメが巣をかけ、ある時期はとても賑やかになる。でも今年はヒナの声がしないなぁ、と思っていた。エレベータで乗り合わせた警備員さんによると、これまでつくっていたところに巣を作っていたところ、カラスに襲われて卵が食べられてしまったそう。

 

それでもツバメたちはめげずにカラスに見つかりにくい場所にこっそり新しい巣を作っていたのだ。僕はせっせと巣作りするツバメたちを見るのが毎朝の楽しみだった。彼らが巣作りに賭けている健気さを見ていただけに、悲しい。

 

前後の文脈を知ると、それまで見えなかった過酷な生存競争のドラマが浮かび上がってくる。我々にとっては情報が断片化すると「ただの泥」以上の意味を見出しにくい。

この散乱している泥も、休み明けには何事もない様に掃かれて無くなってしまうんだろうな、と思った。

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追記:また巣作りに再挑戦していた。たくましい。

 

 

 

ロルフ・ファステのハイブリッド的考え方:デザイン教育の系譜1

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Rolf Faste(1943-2003), Stanford University professor

 

自分が影響受けたことの系譜を記述する、という超個人的なシリーズを思いついたので、時間みつけて書いてみたいと思う。

 

初回はロルフ・ファステ教授。日本ではほとんど知られていないけれども、デザイン教育者として歴史に残る重要な人物である。ファステは、スタンフォード大工学部のプロダクトデザインプログラムのディレクターを長年務め(1984-2003)、在任中にがんで急逝した。ちなみにファステの前任はロバート・マッキム(ビジュアルシンキングの創始者)で、後任がデビッド・ケリー(IDEO Founder)である。

 

彼が中心となり、工学部の学生達の創造性を高めるために開発しつづけた教育は、単なるデザイナーの職能育成を飛び越えて、異なる領域と領域をつなぐ共通言語となり、非専門家のためのデザイン教育として体系化されていった。それらは、のちの時代にDesign Thinkingと呼ばれるものになる。異質なものを組み合わせてハイブリッド的に取り入れる斬新な教育の取り組みや、言葉にならないものを言語化していく論考は他に比類のないもので、僕は大きな衝撃を受けた。

 

例えば、デザインの学びの文脈で即興演劇を取り入れるというアイデアはファステによるもので、しかもそれを論文にして1992年に発表している。僕は彼の真似ごとをしているに過ぎない。

 

Rolf Faste, “The Use of Improvisational Drama Exercises in Engineering Design Education,” Cary A. Fisher, Ed., ASME Resource Guide to Innovation in Engineering Design, American Society of Mechanical Engineers, New York,

 

僕がファステを知ったのは今から10年以上前のこと。櫛勝彦先生(京都工繊大教授)の研究室を訪問した際に、まとめられたばかりの博士論文を頂いた。そこにはインプロを取り入れた身体的エクササイズと、それによってブレストの心的メカニズムを理解することの学習効果が論じられていた。櫛先生は、ちょうどファステが教えていた頃のスタンフォード大のMaster Programに留学されており、ファステから学んだ経験をリアリティたっぷりに書かれていた。僕はそれを食い入るように読んだ日のことをよく覚えている。

 

ファステは惜しくも60才という若さで亡くなってしまったが、彼の残した創造性教育の知見や教材などは、ファステ財団(息子さん達)によって丁寧にアーカイブ化されてウェブ上で無償公開されており、我々も自由に読むことが出来る。

 

www.fastefoundation.org

ファステの仕事の中で、最後の10年をかけて書いていたという未完の書籍「Zengineering」(禅×エンジニアリング)なんて、今聞いてもコンセプトが斬新すぎる。

Engineering applies known principles to assure our creations are functional and safe. Zen courageously moves beyond conventional understanding to engage life in real time. These two opposites are explored as an inextricable Yin/Yang pair. One promotes critical thinking, the other non-judgmental mindfulness. One values logic, the other sees past it. 

 

 Zengineering addresses the problem of what to do next, both as an individual or as a corporation. It is concerned with being creative about what to be creative about.

 

こんなレベルでこれまでにない組み合わせを探り、新しい概念を創造していたことは唸るしかないが、先人の叡智を引き継ぎながらちょっとでも前に進んでいきたいものである。

 

余談だが、藝大の須永先生は、1995年スタンフォード大で在外研究した際、ちょうど同じ時期に在外研究で留守にすることになったファステ教授の研究室を1年間まるまる貸してもらって研究していた・・・という嘘のような本当の話。須永先生の論文にはファステの部屋のスケッチがでてくる。

 

 

リスクを取らなきゃ創造はできない

先日のこと、カリキュラム改訂のための学部内の勉強会でうちの学部長が配布した参考資料がとても興味深かった。その資料は、全米カレッジ・大学協会(Association of American Colleges & Universities)が開発したVALUEルーブリックである。

 

ルーブリックとは学生が"何を学ぶのか"を示す評価規準と、"どこまで到達したか"のレベルを示す具体的な評価基準を示す評価指標のマトリックスのこと。

 

VALUEルーブリックは、全米の大学を代表する専門教職員が、学習の成果に関する各大学のルーブリックや関連文書を調査し、教職員からのフィードバックを参考にして作成されたものである。このルーブリックは、段階的達成レベルを示す能力指標により、各学習成果の原則的な基準を示すものである。このルーブリックは、各大学が学生の学習を評価し考察する目的で使用するものであり、成績をつけるために使用するものではない。

 

AAC&Uは全部で15個のルーブリックを開発したのだが、注目はその中のひとつ、「創造的思考(クリエイティブシンキング)に関するVALUEルーブリック」。

 

  

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上の図は学修評価・教育開発協議会によって日本語訳されたもの(PDF)

原文はこちら

 

日本語的に怪しいところが一部あるが、一番左側の列、クリエイティブシンキングを示す6つの評価基準のひとつとして、「リスクテイキング」(Taking Risk)が位置づけられているのが見える。

 

  最高レベルの創造的思考をするためには、各領域の制限要因について確固とした知識を持ちながらも、新たな、独自の、非典型的な方法でいろいろなものを再度結び付け直すことで、その境界を超え、新たな統合を発見して批評的にとらえ、解決法を生み出すために創造的なリスクテイキングを行い認めることが必要である。

 

 リスクテイキング」(Taking Risk):個人的リスク(困惑や拒否に対する不安)や、課題達成に失敗するリスク(課題の本来の制限を超越、新たな材料や形式を導入、論争となっているテーマを取り上げる、一般的でない考え方や解決法を擁護)を含む。

 

創造するということはこれまでにない組み合わせを探ることである。だからその活動を行うためには当然リスクはつきまとうものなのだけど、こうして学習の評価基準として明確に示されたものを見ると、なかなかハッとさせられる。

アメリカの高等教育では、結果を出したかどうかだけでなく、その以前に「失敗するリスクをとってでも、挑戦しようとしたかどうか」を奨励して、それをちゃんと学習の評価に含めているわけだ。

 

日本でも創造的思考に関する学びは強く求められている。そこでは我々にこんな評価指標(=それを「よし」とする社会的合意)をつくれるのかが問われていると言えるだろう。こうすればいい、というような安定したテーマややり方に安住し続けていないで、自分なりに新しく挑戦しようとするかどうか。育てる側は、創造性は伸ばしたいけどリスクは取りたくないとか虫の良いことを言ってないで、それにふさわしい環境を用意できるかどうか。

 

あなたは、若い人達や子供達が、「不安や失敗のリスクをとってでも挑戦しよう」としたことを褒めていますか?

 

 

科研費基盤Cに採択されました

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本年度の科学研究費助成事業の基盤研究Cに新規採択されました.題目は,「態度形成のプロセスに着目した 教育者向けデザイン学習プログラムの開発」.デザイン態度(Design Attitude)とはいったい何で,どのように形成されるのかを分析した上で,主に高校の先生達や企業内の教育担当者がデザイン(広く行き渡ったメソッドやプロセス以上の抽象的なこと)を学ぶためのプログラムを検討していく予定.また現場の教育者の方々の協力を得て、いっしょにデザインを進めていく.公費を使わせて頂く以上は国民のみなさまに還元できるように頑張る所存である.

 

これからあちこちに出かけてリサーチやディスカッションにお邪魔して考察を深めていくつもりなので、御関心お持ちの方,是非お声がけ下さい.

 

とりあえず昨年の不採択の雪辱ができたのと.同僚の若い世代の優秀な先生達と名前を並べることが出来て助かった.(僕の本務校の先生方の採択率はとても高くて,例えば昨年は全国7位.僕の不採択は率を下げて申し訳なかったのだ)

 

採択された題目見ていたら研究者仲間たちの研究をいくつか発見した.さすがにみんな先を考えていてとても興味深い.

水内先生の「アクターネットワークセオリーを用いたデザイン理論構築:脱人間中心デザインへ向けて」

原田先生の「当事者デザインを循環させるための社会実践型ラボラトリーのモデル構築」

など.一緒に研究会して深めたいものである.