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みえないものを、みる視点。

2016-12-01から1ヶ月間の記事一覧

主観的な感覚を計測する

某大学病院の小児病棟にて.ベッドからナースコールで呼び出して「痛い,痛い」と訴える子供の患者と看護師さんがこのスケールを用いてやりとりしているのを見て,たいへん興味深かった. 痛みってのは主観的な感覚で他者には理解しえない.それをおおまかに…

小さなデザインの重み

デザインと一言で言っても、大きく二つの方向性があるように思う。物事や人の行動の全体像を「広く」見渡しながら要所を繋いでいくような行為と、造形やUIのエレメントを「深く」吟味し、細部にこだわってチューニングしていくような行為である。 前者は"大…

ぼんやりと考え続ける

昨年度はヨーロッパ各国の文化を丁寧に見ることができた一方で、常に痛感しつづけたのが、「やっぱり自分はアジア人で、そのフィルタを通してしか世界を理解することはできない」ということだった。 北欧の国々は確かに先進的ではあったけれども、そこで仕事…

自分の経験が投影される「何か」

先月の11月18日のこと。研究室の学生が進めている立体インフォグラフィックスの実験を授業の中でやってみた。この取り組みには、単にインフォグラフィックスを立体化する、というのではなくて、見るだけの状態を越えて、作っていく過程を組み込むことで、あ…

人間—脱—中心設計

とあるきっかけがあり、ちょうど1年ほど前にデンマークで関わった高齢者の皆さんのことを思い出していた。Give&Takeプロジェクトのリビングラボに参加していた方々で、この人達は当初、何かをシェアしたがっていたわけでもなく、シェアリングエコノミーに興…

ブリコルールの創造性

自宅マンションは、子育て世帯がとても多いところなので、ゴミ捨て場には大量に粉ミルクの空き缶が捨てられている。掃除のおじさんたちは、その缶を再利用して掃除用具の収納をつくっている。同じブランドで揃えることで統一感を出しているのにセンスを感じ…

「デザイン観」は変化するか

「アクティブラーニング」と呼ばれる学習取り組みがだいぶ一般的になった。先生が話し、学生は黙って話を聞いて学ぶ、という一方通行型の学習観から切り替わり始めたのは、(たしか)90年頃。素朴な観点では、教える側は、「言えば聞く、聞けばわかる」と思…

近所で発見した参加型デザイン事例

先日、下の子がお気に入りの近所の小さな公園に行った。昨年の10月に作られたばかりの新しい公園である。 適当に遊ばせてベンチに座っていたら、おや、ベンチの背板にメッセージプレートが埋め込まれているのを発見。このベンチは寄付されたもので、どうやら…