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Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

省察的実践者の教育

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多くの人が知る"リフレクション"という言葉の理論的背景となった,ドナルド・ショーンによる記念碑的名著,The Reflective Practitioner. 邦訳としては「専門家の知恵-反省的実践家は行為しながら考える」(2001)が知られているが,この本は部分訳だったので前半と結論の概念部分しか収録されておらず,説得力のある事例研究は全部バッサリとカットされていた.そのカットされていた部分を含む全文訳として刊行されたのが右側の「省察的実践とは何か」(2007)である.結構なボリュームで400ページ超.

 

だが,実はこの本は前半部分に過ぎず,「対」となる後半の本がある(もともとは一冊の本として構想されていたらしい).前半でReflective Practitionerという概念を提示した上で,後半の書籍ではそういった人材をいかに育成していくかの理論がまとめられた.それがEducating the Refrective Practitionerである.あまり知られてないが最近ついに日本語訳が刊行された.左側の「省察的実践者の教育」(2017.2)がそれである.(なぜかamazonでの取り扱いがなく,僕は紀伊國屋書店ウェブストアで購入)

 

こちらは,さらなるボリュームで,500ページ超.こんな大著を読むのは日本語でもきついが,ざっと見てポイントが拾えるだけでも有り難い.届いたばかりでまだ読んでないのだけど,おお,目次読むだけでもこれは自分にとって(たぶん他のデザイン教育者にとっても)まちがいなく重要な本だ.

 

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メノンと同様に.デザインを学ぶ学生は,何かを探求しなくてはならないことは知っていても,それが何であるかを知らない.そのうえ,学生は〈行為の中で〉デザインを知るようになるという意味で,デザインを学ぼうと努める.しかし最初はデザインを見ても,学習することも認識することもできないでいる.そのため学生は自己矛盾に巻き込まれる.「何かを探求すること」は,探求する対象を認識する能力があることを意味するが,学生ははじめ探求の対象を認識するだけの能力が欠けている.教師も同じような逆説に巻き込まれる.彼は説明するための言葉をもっているにも関わらず,学生に何を知るべきか伝えることができない.というのは,学生がその時点では教師を理解しようとしないからである.(P117)

 

"それは私たち二人の間のある種の契約でなければならない.教師は挑戦に対してオープンでありつつ、彼の地位を守ることができなければならない.一方学生の方では,教師に提案の機会を与え,そしてその提案を試して見ることができるように疑惑を進んで一時停止しなくてはならない.もし学生の側で実際にコトにとりくむ前に十全な根拠付けや説明を要求したならば,それに取り組む効果があらかじめ回避されてしまったり,あるいは台無しになってしまうような,そうした学習のプログラム的な構想を教師の側が持っているということを進んで信じなくてはならない.よい学生は,疑惑を進んで一時的に停止することができる."(P129)

 

 ビビッときた方.この本の読書会やりましょう.