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みえないものを、みる視点。

デザインリサーチトリップin鹿児島県阿久根市

2023年6月29日〜7月2日、上平研究室の学生たちと鹿児島県阿久根市に滞在してきた。ちょっと時間取れず遅くなったけども、現地で経験したこと、考えたことをまとめておきたい。

 

■きっかけ
打診があったのは2022年の夏頃。来年度の市の事業として、以前青果市場があった跡地を活用して観光拠点ともなるパブリックスペースをつくる計画があるという。阿久根で観光事業を運営している「まちの灯台 阿久根」代表の石川さんは、リノベーションのプロフェッショナルであり、その場所に息づくモノゴトの価値や人を発見するのがものすごく上手な人である。なにかつくるにしても、市の内側からの視点だけで決めるのではなく、せっかく地元出身の大学教員がいるのだから、都市部から大学生に実際に滞在してもらっていっしょに考えるなど、デザインプロセスを開く取り組みができるんじゃないか、と提言いただき市役所と繋いでくださったという次第。ちょうど10月に50歳組の運動会で帰省するタイミングでもあったので、運動会の翌日、阿久根市役所の市長室でミーティングがあった。僕としても故郷でコ・デザイン的な実践ができることはまたとない機会でもあり、二つ返事で「やりましょう」とお返事した。

 

阿久根旧港周辺

 

流入と流出のジレンマ
阿久根市は、鹿児島県内各地と同じように急速な過疎化と高齢化が進む。そもそも「市」とは、人口5万人以上というのが成立要件だそうだが、いつのまにか1万8千人台まで減っている。出生数もとうとう100人を切ってしまった。街が縮んでいく理由は、複合的な要因によるものだろう。基幹産業の漁業の衰退とか、新幹線の駅ができずにアクセスが悪化したこととか、その他色々。当たり前だが、地方に住むということは都市のような交通インフラが完備されてない中で、自力でなんとかしなきゃならないってことでもあり、現代的な生活スタイルとはそぐわない。そうして利便性を求めて地方から徐々に都市部に人々が流出していくのは、世界的に共通する問題である。


一方で、人々が吸い寄せられた側の街の姿を見てみるとどうだろう。大都市の郊外の道路沿いには、巨大な企業ロゴが入った派手な看板の下に、日本全国で共通する商品を持つチェーン店が立ち並ぶ。いわゆるロードサイドカルチャーである。どこでも安定して品物が共有されるが、そのかわりに売上のほとんどは胴元の企業へと流れる。結果的に日本中どこに行っても代わり映えしない、似た街並みが溢れることになる。人がたくさん住んでいる街だからと言って、そこにその街独自の文化が育つというわけではないし、幸せになれるわけでもないようだ。

 

このジレンマは、非常に興味深い。誰もがうすうすと気づいているからこそ、そんな退屈な日常から逃れようと、観光を求める。

 

山奥のそうめん流し「大野庵」にて



 

■何をリサーチするのか
そうしたコンビニエンスな都市生活は、デザインされた現実でもある。その街における人々のありかたは、施されたデザインの作用として作り出されているとも言える。その歪みを見て見ぬふりをするのではなく、真剣に考える時期に来ているのではないか。

何を持って豊かさとするかは、価値感のものさしの当て方次第で変わる。近隣にある人口の多い街よりも、条件の厳しい阿久根の方が、他にない素晴らしい体験をつくりだしている人が多いのは決して気のせいではない。刻々と姿を変えていく好きな街のために、自分の力で何ができるかを問い、自分事として立ち向かうための真剣さが明らかに違うのだ。

 

そうした街に構想されるべき、パブリックスペースとは?単なるハコモノだったり、飽きて消費されるアミューズメントのような、短絡的なアイデアが求められているはずがない。そこに存在する生態系や資源(リソース)は何か。そのポテンシャルを活かして何ができるのか。訪れた人々はいったい何に心を動かされるのか。市民はなにを誇り、その共有資源(コモンズ)をどう育てていくか。

 

それは都市生活とは別のものさしによる、阿久根市ならではのコンヴィヴィアルな生き方へと連れ出していくものに違いないし、それらを構想し、実現していく取り組みは、さまざまな立場の人が新しい価値を描き、対話するきっかけともなるだろう。それは阿久根の未来でありながら、同時に縮小し続ける日本の未来においてもまったく通じる問題でもある。

 

脇本海岸にて



 

■学生を集める
僕自身は長年阿久根市観光大使を務めていることもあり、地元に貢献できるならプライベートの時間削ってでもお手伝いする覚悟ではあった。が、最大の問題は話があった秋の時点では、来年度の研究室の学生が決まっていなかったこと。誰も来ない可能性だってある。4年生は時間あるように見えて、やることを見つければ意外と忙しいのだ。

 

募集説明会でもほんのちょっとしかプレゼンする時間なかったけれども、幸いなことに優秀な学生達がなんと10名(!)も参加表明してくれた。専修大は歴史ある私大だけあって、割と全国から学生集まっている。このプロジェクトに関心持ってくれた学生達は、阿久根市での経験を活かして、いずれ自分の関わる地域でデザインに取り組みたい、と熱意を持って言ってくれた。

 

ちなみに今年の4年生は、入学早々コロナ禍となり大学生活が大幅に制限された世代。だからこそ知らない街をフィールドワークして学ぶ経験は、他に代えがたい。自分の価値観を揺るがすほどの深い学びには、(オンラインにはない)身体性が欠かせない。

市役所の昼休み終わり、ラジオ体操の時間に遭遇



 

 

■研究チームをつくる
こうして4月から2023年度の活動が始まったが、計画の段取りを踏んでいくのはなかなか大変だった。すぐに現地に行けるわけでもない。そして研究者としては(受託)事業として求められている要件に応えるだけではなくて、アウトプットの可能性を広げるために複合的な研究プロジェクトとして成り立たせていく必要がある。

 

昨年度まで共同研究していたKDDI総合研究所の新井田統さんに相談したところ、リサーチツールのCoMADOの実験を兼ねてみようということに。新井田さんは重度の釣りキチだ。港町のパブリックスペースにおいて、魚や釣り人たちは独自のアクターとなりうる。

 

さらにどのように現場を見るか、どのように現場と関わるかを深めるために人類学者の水上優さん(合同会社メッシュワーク)をお招きした。人類学者はまさしくフィールドワークの専門家であり、デザインリサーチの取り組みを深めることや、学生達と行動を共にすることで視点を揺さぶる役割が期待できる。そこに新井田さんの部署に加わった新人の木村さんも同行することで、研究チームは計4名(上平は研究室の引率と一人二役)に。

研究者チーム

 

 

阿久根市役所にて
というわけで市内各地を短時間でいろいろ回ってきた。だいぶ長くなるので個別の詳細は割愛。(学生のフィールドノートを分担してまとめて冊子にする予定なので、もしPDFが見たい方はお問い合わせください)

阿久根市役所にて



個人的にとくに印象深かったのが、市長・副市長をはじめ、4つの部署が出席して行われた、阿久根市役所での会合。企画調整課の方によって学生向けに事業概要がプレゼンされたあと、学生たちから質疑が行われた。その際のそれぞれの学生達からの問いは素朴なものではあったけれども、素朴であるがゆえに改めて「市」の姿勢を問うものであり、返答する市の職員たちがお互いに部署間で確認しあい、立場を明確にした上で返答する必要に迫られていた。

 

どこの自治体でもそうだが、新しい政策を議論する場合、一見聞こえはいいけれども玉虫色でとらえどころのない言葉が飛び交いがちである。そしていざ実行する際には部署ごとの理屈や長年の慣習から「ことなかれ」的な判断が優先される。そうしたところに、今回は部外者として大学生が入ることで、あいまいに済ませている言葉の扱いや優先順位に対する姿勢が、鏡のように映し出されることになったように思う。若者たちが提示するであろう可能性を実現させるためには、部署間で連携しあう必要性が浮かびあがっていたし、市長、副市長と職員さんたちが合意形成する姿と、前向きに連携して事業を進めようとする姿勢が会議の中でもはっきりと感じられた。

 

こうした相互作用や変化を、内部の人間だけで生み出すことはなかなか難しい。さらに副市長によると、大学生の訪問を介して職員たちが市長の直接の想いを直接聞くことはかなり大きかったのではないか、とのこと。同じ市役所の中にいても組織のトップの考えを聞ける機会は多いわけでは無い。会議を通して関係者からそうした連携の姿勢が感じられただけでも、部外者の大学生を市役所まで連れて行った甲斐があったように思う。

 

■今後について
得たインプットをまとめ、秋には提案に行く予定。

もちろん提案は提案に過ぎないけれども、学生達のアイデアを市民のみなさんが見ることで自分の街の面白さを発見できるようなきっかけをつくれればいいな、と思う。

道の駅阿久根にて(この道は僕の通学路でもあった。こんな日が来るとはね)

スーパーセンターA-Zの醤油売り場にて絶句する学生たち

 

南日本新聞で記事にしてくださいました