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みえないものを、みる視点。

2023年の終わりに

(鹿児島県阿久根新港脇の浜ん小浦にて  2023年10月29日)

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そういえば毎年の終わりにはまとめを書いていたのをすっかり忘れていた(ギリギリセーフ)。

2023年は鹿児島県阿久根市でのフィールドワークが2回できて、元気な学生たちと調査活動できたことは素晴らしいことだった。扉写真は、キャンプファイヤーをしたことがないというある学生の声に応えてやってみた、港付近の浜での焚き火。早くも懐かしい。1月に報告書提出と同時に学生たちともお別れで、毎度のことながら寂しいことである。

 

あとは、教務委員長の役職から外れたことでだいぶ余裕ができたにもかかわらず、思ったほど研究の時間取れなかったことが心残り。やはり何か犠牲にしなくてはならないようだ。いよいよ追い込まれてきた。来年は頑張ろう・・・。

 

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2023年の活動

 

1|学術活動

  1. 【学会発表】新井田統, 照井亮, 上平崇仁他, 「共創メディアとしてのお化け屋敷」電子情報通信学会メディアエクスペリエンス・バーチャル環境基礎研究会(MVE)(2023 3/15)
  2. 【学会発表】上平崇仁, 小柳リカ, 他, 「プロトタイピングにおける多層的対話と経験学習」第70回日本デザイン学会春季大会 ポスター発表(2023 6/24)
  3. 【ディスカッション】経済産業省「これからのデザイン政策を考える研究会」委員(2023 2/13)
  4. 【招待講演】上平崇仁,他「デザインの主体をひろげる-コ・デザインの可能性」公開シンポジウム「デザインの概念とその広がり-社会的理解をめざして」日本学術会議シンポジウム (2023 2/4)
  5. 【招待講演】上平崇仁「造形的な見方・考え方の意味を再解釈する―美術科の未来を見すえるためにー」筑波大学附属駒場中・高等学校第50回教育研究会/ 研究協議会(2023.11/18)
  6. 【アドバイザー】文部科学省令和5年度GIGAスクールにおける学びの充実「高等学校情報科等強化によるデジタル人材の供給体制整備支援事業」

2|執筆

  1. 寄稿「私的デザインの現在地」(編:吉竹遼)

    finders.me

  2. フィールドノート集「阿久根に投げ込まれた11の小石」(専修大学上平研究室)

    note.com

3|受託研究報告書

  1. 上平崇仁&上平研究室(受託研究)「鹿児島県阿久根市のパブリックスペースのためのデザインリサーチ」(阿久根市青果市場跡地活用事業)2023
  2. 上平崇仁(研究代表者)「態度形成のプロセスに着目した 教育者向けデザイン学習プログラムの開発」科研費基盤研究C (2018年―2023年)

 

4|特別講演 / トークイベント

  1. 【招待講演】上平崇仁,他「ハイブリッドな環境がもたらすデザイン・リサーチの地平」Xデザイン学校公開講座 (2023 1/5) 
  2. 【招待講演】上平崇仁,他「講演:Design withの多元性〜「ともにデザインする」とはどういうことか?〜」“くらし×医療” 共創事例カンファレンス 病院マーケティングJAPAN「くらし×医療」(2023 1/20)
  3. 【招待講演】上平崇仁「共創によるエコシステムを描く」トランジションリーダーズプログラム (経済産業省令和4年度「大企業等人材による新規事業創造促進事業(創造性リカレント教育を通じた新規事業創造促進事業)(2023 2/25)
  4. 【パネルディスカッション/招待審査員】日仏共同企画インクルーシブ・メイカソン FABRIKARIUM TOKYO 2023  日本科学未来館 (2023 5/6)
  5. 【特別講義】「コ・デザインを学ぶために」東京理科大学デザイン経営学科(北海道長万部町)5.12
  6. 【特別講義】「コ・デザインのアプローチが問いかけるもの」東京理科大学創域工学部(千葉県野田市) 5/23
  7. 【招待講演】上平崇仁「システミックデザインにおける〈ケア〉の役割 」システミックデザインと「地域共創」の交差点:シデゼミ3 株式会社ACTANT (2023 8/18) 
  8. 【企画 / パネルディスカッション】NHKセミナー「人間以外の存在とともにデザインする可能性」専修大学生田キャンパス,2023.11.29

 

5|展示会・イベント等

  1. 【展示会企画】上平研究室「不安定驟雨」専修大学生田キャンパス(2023/1/21)
  2. 【展示会企画】栗芝正臣、星野好晃、上平崇仁他『フィールドミュージアム展2022』  かわさき宙と緑の科学館(2023/1/15)

 

6|ワークショップ

  1. 「無理のない循環を再創造するためのサーキュラーデザイン」東海地域人材開発プログラム,FabCafe名古屋 (2023 3/3)
  2. 某社    DXのためのデザイン態度ワークショップ (2023 3)
  3. 某社    デザイン態度ワークショップ (2023 5)
  4. 栗原論ポートレイトワークショップin専修大学(2023.5)

 

 

7| メディア取材

  1. 「1Day 人材開発プログラム 終わりなき動詞=[デザイン(する)]を嗜み、循環型社会に備える」FabCafe名古屋

    fabcafe.com

  2. 土佐兄弟の「ダイガクドコイク」出演

    mainichi.jp

  3. 南日本新聞記事「活用策に若者の知恵―阿久根市青果市場跡地専修大生ら視察」

  4. 朝日新聞「(明日へのレッスン)第4週:キャンパス 誰もがデザイン、広がる可能性 上平崇仁さん」

    digital.asahi.com

  5. 三井住友銀行デザインチーム「産学連携を始めよう」

    note.com

  6. TD magazine「デザイン研究者に聞いてみた UXのタテ・ヨコ・ナナメ4」

    www.td-media.net

  7. FABRIKARIUM TOKYO

    vimeo.com

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今年見た風景

3月 埼玉県寄居町でコスプレまつりに出くわす

 

5月 ウポポイでアイヌ文化の調査 北海道白老町

 

8月 錦江湾に浮かぶ新島にて

 

10月 福井県鯖江市 森ハウスにて

 

10月  問いフェスにて東京湾

 

10月 南九州市頴娃町の釜蓋神社 研究室の学生たち

 

11月 NHKセミナー 小倉ヒラク氏と学生との対話

 

12月 共創学会にて日立駅に降り立つ

 

12月 中村俊輔引退試合 ニッパツ三ツ沢球技場

 

12月 慶応SFCの林さんの博士論文最終審査会にて(僕も副査を担当)


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みなさま2024年もどうぞよろしくおねがいします!

 

デザインリサーチトリップin鹿児島県阿久根市

2023年6月29日〜7月2日、上平研究室の学生たちと鹿児島県阿久根市に滞在してきた。ちょっと時間取れず遅くなったけども、現地で経験したこと、考えたことをまとめておきたい。

 

■きっかけ
打診があったのは2022年の夏頃。来年度の市の事業として、以前青果市場があった跡地を活用して観光拠点ともなるパブリックスペースをつくる計画があるという。阿久根で観光事業を運営している「まちの灯台 阿久根」代表の石川さんは、リノベーションのプロフェッショナルであり、その場所に息づくモノゴトの価値や人を発見するのがものすごく上手な人である。なにかつくるにしても、市の内側からの視点だけで決めるのではなく、せっかく地元出身の大学教員がいるのだから、都市部から大学生に実際に滞在してもらっていっしょに考えるなど、デザインプロセスを開く取り組みができるんじゃないか、と提言いただき市役所と繋いでくださったという次第。ちょうど10月に50歳組の運動会で帰省するタイミングでもあったので、運動会の翌日、阿久根市役所の市長室でミーティングがあった。僕としても故郷でコ・デザイン的な実践ができることはまたとない機会でもあり、二つ返事で「やりましょう」とお返事した。

 

阿久根旧港周辺

 

流入と流出のジレンマ
阿久根市は、鹿児島県内各地と同じように急速な過疎化と高齢化が進む。そもそも「市」とは、人口5万人以上というのが成立要件だそうだが、いつのまにか1万8千人台まで減っている。出生数もとうとう100人を切ってしまった。街が縮んでいく理由は、複合的な要因によるものだろう。基幹産業の漁業の衰退とか、新幹線の駅ができずにアクセスが悪化したこととか、その他色々。当たり前だが、地方に住むということは都市のような交通インフラが完備されてない中で、自力でなんとかしなきゃならないってことでもあり、現代的な生活スタイルとはそぐわない。そうして利便性を求めて地方から徐々に都市部に人々が流出していくのは、世界的に共通する問題である。


一方で、人々が吸い寄せられた側の街の姿を見てみるとどうだろう。大都市の郊外の道路沿いには、巨大な企業ロゴが入った派手な看板の下に、日本全国で共通する商品を持つチェーン店が立ち並ぶ。いわゆるロードサイドカルチャーである。どこでも安定して品物が共有されるが、そのかわりに売上のほとんどは胴元の企業へと流れる。結果的に日本中どこに行っても代わり映えしない、似た街並みが溢れることになる。人がたくさん住んでいる街だからと言って、そこにその街独自の文化が育つというわけではないし、幸せになれるわけでもないようだ。

 

このジレンマは、非常に興味深い。誰もがうすうすと気づいているからこそ、そんな退屈な日常から逃れようと、観光を求める。

 

山奥のそうめん流し「大野庵」にて



 

■何をリサーチするのか
そうしたコンビニエンスな都市生活は、デザインされた現実でもある。その街における人々のありかたは、施されたデザインの作用として作り出されているとも言える。その歪みを見て見ぬふりをするのではなく、真剣に考える時期に来ているのではないか。

何を持って豊かさとするかは、価値感のものさしの当て方次第で変わる。近隣にある人口の多い街よりも、条件の厳しい阿久根の方が、他にない素晴らしい体験をつくりだしている人が多いのは決して気のせいではない。刻々と姿を変えていく好きな街のために、自分の力で何ができるかを問い、自分事として立ち向かうための真剣さが明らかに違うのだ。

 

そうした街に構想されるべき、パブリックスペースとは?単なるハコモノだったり、飽きて消費されるアミューズメントのような、短絡的なアイデアが求められているはずがない。そこに存在する生態系や資源(リソース)は何か。そのポテンシャルを活かして何ができるのか。訪れた人々はいったい何に心を動かされるのか。市民はなにを誇り、その共有資源(コモンズ)をどう育てていくか。

 

それは都市生活とは別のものさしによる、阿久根市ならではのコンヴィヴィアルな生き方へと連れ出していくものに違いないし、それらを構想し、実現していく取り組みは、さまざまな立場の人が新しい価値を描き、対話するきっかけともなるだろう。それは阿久根の未来でありながら、同時に縮小し続ける日本の未来においてもまったく通じる問題でもある。

 

脇本海岸にて



 

■学生を集める
僕自身は長年阿久根市観光大使を務めていることもあり、地元に貢献できるならプライベートの時間削ってでもお手伝いする覚悟ではあった。が、最大の問題は話があった秋の時点では、来年度の研究室の学生が決まっていなかったこと。誰も来ない可能性だってある。4年生は時間あるように見えて、やることを見つければ意外と忙しいのだ。

 

募集説明会でもほんのちょっとしかプレゼンする時間なかったけれども、幸いなことに優秀な学生達がなんと10名(!)も参加表明してくれた。専修大は歴史ある私大だけあって、割と全国から学生集まっている。このプロジェクトに関心持ってくれた学生達は、阿久根市での経験を活かして、いずれ自分の関わる地域でデザインに取り組みたい、と熱意を持って言ってくれた。

 

ちなみに今年の4年生は、入学早々コロナ禍となり大学生活が大幅に制限された世代。だからこそ知らない街をフィールドワークして学ぶ経験は、他に代えがたい。自分の価値観を揺るがすほどの深い学びには、(オンラインにはない)身体性が欠かせない。

市役所の昼休み終わり、ラジオ体操の時間に遭遇



 

 

■研究チームをつくる
こうして4月から2023年度の活動が始まったが、計画の段取りを踏んでいくのはなかなか大変だった。すぐに現地に行けるわけでもない。そして研究者としては(受託)事業として求められている要件に応えるだけではなくて、アウトプットの可能性を広げるために複合的な研究プロジェクトとして成り立たせていく必要がある。

 

昨年度まで共同研究していたKDDI総合研究所の新井田統さんに相談したところ、リサーチツールのCoMADOの実験を兼ねてみようということに。新井田さんは重度の釣りキチだ。港町のパブリックスペースにおいて、魚や釣り人たちは独自のアクターとなりうる。

 

さらにどのように現場を見るか、どのように現場と関わるかを深めるために人類学者の水上優さん(合同会社メッシュワーク)をお招きした。人類学者はまさしくフィールドワークの専門家であり、デザインリサーチの取り組みを深めることや、学生達と行動を共にすることで視点を揺さぶる役割が期待できる。そこに新井田さんの部署に加わった新人の木村さんも同行することで、研究チームは計4名(上平は研究室の引率と一人二役)に。

研究者チーム

 

 

阿久根市役所にて
というわけで市内各地を短時間でいろいろ回ってきた。だいぶ長くなるので個別の詳細は割愛。(学生のフィールドノートを分担してまとめて冊子にする予定なので、もしPDFが見たい方はお問い合わせください)

阿久根市役所にて



個人的にとくに印象深かったのが、市長・副市長をはじめ、4つの部署が出席して行われた、阿久根市役所での会合。企画調整課の方によって学生向けに事業概要がプレゼンされたあと、学生たちから質疑が行われた。その際のそれぞれの学生達からの問いは素朴なものではあったけれども、素朴であるがゆえに改めて「市」の姿勢を問うものであり、返答する市の職員たちがお互いに部署間で確認しあい、立場を明確にした上で返答する必要に迫られていた。

 

どこの自治体でもそうだが、新しい政策を議論する場合、一見聞こえはいいけれども玉虫色でとらえどころのない言葉が飛び交いがちである。そしていざ実行する際には部署ごとの理屈や長年の慣習から「ことなかれ」的な判断が優先される。そうしたところに、今回は部外者として大学生が入ることで、あいまいに済ませている言葉の扱いや優先順位に対する姿勢が、鏡のように映し出されることになったように思う。若者たちが提示するであろう可能性を実現させるためには、部署間で連携しあう必要性が浮かびあがっていたし、市長、副市長と職員さんたちが合意形成する姿と、前向きに連携して事業を進めようとする姿勢が会議の中でもはっきりと感じられた。

 

こうした相互作用や変化を、内部の人間だけで生み出すことはなかなか難しい。さらに副市長によると、大学生の訪問を介して職員たちが市長の直接の想いを直接聞くことはかなり大きかったのではないか、とのこと。同じ市役所の中にいても組織のトップの考えを聞ける機会は多いわけでは無い。会議を通して関係者からそうした連携の姿勢が感じられただけでも、部外者の大学生を市役所まで連れて行った甲斐があったように思う。

 

■今後について
得たインプットをまとめ、秋には提案に行く予定。

もちろん提案は提案に過ぎないけれども、学生達のアイデアを市民のみなさんが見ることで自分の街の面白さを発見できるようなきっかけをつくれればいいな、と思う。

道の駅阿久根にて(この道は僕の通学路でもあった。こんな日が来るとはね)

スーパーセンターA-Zの醤油売り場にて絶句する学生たち

 

南日本新聞で記事にしてくださいました



2022年の終わりに

熊本県水俣市にて/2022年9月29日)

 

いつのまにか2022年も終わり、ということで恒例の年度まとめ。今年はだんだん対面活動や調査出張も再開できて、こころなしか体感速度が早くなった気がする。コロナ禍ももうすぐ丸3年。この様子だと、この先もずっと感染症と共存していかざるを得ないのかもしれないな。

 

さて、仕事は、と言えば。本務校(専修大)の方で自分の授業や教務委員長という役職に伴う学部運営の仕事だけでほぼ手一杯なはずなんだけど、今年もいろんな方々が声をかけてくださっていろんなところに出かけていった。2022年に取り組んだ対外的な仕事をリスト化してみたら、積もり積もって40個ほど。隔週以上の密度で講演やらワークショップやらのお仕事をしている計算になる。なかなか研究が進まないわけだ・・・。

 

とはいえ、講演や原稿のたびに強制的に言語化せざるを得ないので、自分の中での省察と理論化が前進しているのは間違いない。やっぱり研究者だろうが、言いっぱなしではなくてちゃんと実践したいし、そちらに比重を置きたい。来年度はもうすこし仕事量を調整してでも、もっと自分の研究をメインにしたいところだ。頓挫してるもろもろも進めなくては。

 

今年の個人的トップニュースは、春の京都府の高校入試の現代文の長文読解に『コ・デザイン』が出題されたことかな。大学入試ならわかるが、こんなマイナーな書籍をなんと中学生が、しかも「国語」として必死で読解するのか、と驚いた。さらに試験問題を読んで「ひええ、著者はそんなこと考えてません!」となったのもお約束。本を書いた頃とはずいぶん気持ちも変わったけど、出版後にも思いがけないところで責任感がともなうことを思い知った。

 

 

さて、来年は縁のあるところから非常にやりがいある仕事依頼が来た。上平研の学生ともども、全力で取り組む所存。

 

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2022年度の対外活動

 

1|学術活動

  1. 【招待講演】 上平崇仁「コ・デザインが問いかけるもの」北陸先端科学技術大学院大学知識科学セミナー (2022/1/7)
  2.  【口頭発表】 上平崇仁「中心無き時代のデザインを読み解く」日本デザイン学会情報デザイン部会定例研究会 (2022/2/12)
  3. 【共著】寄藤文平、上平崇仁他「グラフィックデザイン・ブックガイド 文字・イメージ・思考の探求のために」グラフィック社(2022/3/8)
  4.  【基調講演】 上平崇仁「モア・デザイン・ヒューマンの視点からデザインを疑う」日本デザイン学会 第69回大会テーマセッション(2022/6/25)
  5.  【口頭発表】照井亮、新井田統、上平崇仁「ヒト-モノ-コト-自然のネットワークと間主観性」第69回日本デザイン学会春季研究発表大会 (2022/6/25)
  6.  【基調講演】上平崇仁「情報1と情報デザイン―デザインの視点を情報の学びに活かしてみよう」千葉県総合教育センター(2022/8/8)
  7. 【招待講演】上平崇仁「コ・デザインが問いかけるもの」日本学術会議   土木工学・建築学委員会  都市・地域デザインの多様なアプローチ分科会(2022/8/9)
  8. 【ワークショップ】上平崇仁「 情報デザインの航海図を描こう」日本デザイン学会情報デザイン部会研究会(2022/9/6)
  9. 【招待講演】上平崇仁「Design withの多元性九州大学芸術工学院 第25回デザイン基礎学セミナー / デザイン基礎学センター (2022/9/8)

 

2|執筆

  1.  上平崇仁「南点 (13回)南日本新聞社(2022年1月〜6月)
  2. 上平崇仁「デザインの基礎概念―コ・デザイン九州大学芸術工学院  デザイン基礎学センターウェブサイト



3|受託研究報告書

  1. 上平崇仁(受託研究)「ハイフレックス型リビングラボ構築のための基礎的研究」(2022年度 株式会社KDDI総合研究所受託研究報告書)2022
  2. 上平崇仁(研究代表者)「態度形成のプロセスに着目した 教育者向けデザイン学習プログラムの開発」科研費基盤研究C (2018年―2023年)

 

4|講演/ トークイベント

  1. 【イベント企画】渡辺隆史、比嘉夏子、上平崇仁『大人の自由研究のはじまり方』Xデザイン学校公開講座(2022/1/14)
  2. 【招待講演】上平崇仁『北欧の図書館に見るデザイン』知識の図書館 長万部プロジェクト(2022/2/25)
  3. Podcast】『グラフィックデザイン・ブックガイドについて』AfternoonRadio デザインのよみかた#044,#045(2022/3/17)
  4. 【特別講義/ 対談】上平崇仁『コ・デザインをめぐる対話』東京理科大国際デザイン経営学科コ・デザインプロジェクト(2022/5/13)
  5.  【トークイベント】上平崇仁『デザインの謎』ミラツクサークルトーク(2022/5/19)
  6. 【招待講演】上平崇仁『弱者のデザイン』大阪大学人類学研究室研究会(2022/5/26)
  7. 【対談】上平崇仁『コ・デザイン読書会―ケアとデザイン』シンクハピネス(2022/6/4)
  8.  【トークイベント】『サービスデザイン思考出版記念イベント』(2022/8/16)
  9.  【Youtube番組】『ケアとデザイン』UX安藤昌也ら(2022/8/28)
  10.  【招待講演】上平崇仁『コ・デザインのススメ』滋賀県長浜市デザインセンター・長浜カイコー(2022/9/9)
  11. 【招待講演/ ワークショップ】上平崇仁『捨てない選択をリ・デザインする』  FabLab NAGOYA 組織のバイアスを破壊する 人財開発プログラム(2022/10/28)
  12. 【招待講演】上平崇仁『デザイン人類学―相互に連関し合うデザインの視点』  多摩美術大学クリエイティブリーダーシップ・プログラム (2022/11/5)
  13.  【特別講義】上平崇仁『コ・デザインの背後にある信頼構造』  武蔵野美術大学「共創デザイン論」(2022/11/22)
  14. トークイベント】上平崇仁『デザインのチカラ』病院マーケティングJAPANサミット(2022/12/1)

5|展示会・イベント等

  1. 【展示会企画】栗芝正臣、星野好晃、上平崇仁他『フィールドミュージアム展2022』  かわさき宙と緑の科学館(2022/1/15)
  2. 【展示会出展】島影圭佑 上平崇仁、他『現実の自給自足展』(2022/2/14)
  3.  【展示会出展】中村寛 上平崇仁、他『デザイン人類学宣言!東京ミッドタウンデザインハブTUB (2022/10/26–11/6)
  4.  【展示会企画】  KDDI総研×上平研究室×ふじみ野市民× VIVIWARE「中高生とつくる体験型装置―あなたの知らない不死身の市」アートフェスタふじみの/ ステライースト(2022/12/18)

 

6|ワークショップ

  1. 上平研究室「ウルトラローカルランタンプロジェクトin大森」グラグリッド笑門スタヂオ(2022/8/31)
  2. 上平研究室「ウルトラローカルランタンプロジェクトin長浜」長浜カイコー(2022/9/10)
  3. 上平研究室「ウルトラローカルランタンプロジェクトin風の丘めぐみ幼稚園(2022/11/26)
  4. 上平研究室「viviware cellを使って学校を楽しくするシステムを作ろう」viviware inc × 若葉総合高校(2022/11~12)

 

 

7| メディア取材

1. 【インタビュー記事】上平崇仁『デザインも、教育も、常に疑い続けよ──連載:デザイン教育の現在地』ウェブマガジンDesigining (2022/8/30)

designing.jp

2.【イベントレビュー】第25回デザイン基礎学セミナー『Design withの多元性──ともにデザインするとはどういうことか』

www.kidnext.design.kyushu-u.ac.jp

3.【記事】上平崇仁「脱バイアスへの挑戦③ 捨てない選択に“リ(再)・デザイン”する」

fabcafe.com

4.京都府公立高入試・中期選抜<国語>

resemom.jp

 

8|その他

・某省庁の事業アドバイザー

・某省庁への調査協力

・神奈川県の某事業審査員

など。

 

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今年見た風景

 

北海道長万部(水柱のでる前)

 

龍安寺無人

 

皇居前(東京ピクニッククラブにお邪魔)

 

奥日光 西ノ湖(息子を送迎してとんぼ返り)

 

養老天命反転住宅(完全に幼稚園と勘違いしている下の子)

 

伊豆大島(通称バームクーヘン)

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みなさま2023年もどうぞよろしくおねがいします!

 

遠い約束を果たす

休暇をもらってしばらく鹿児島に滞在してきました。

故郷の阿久根市には50歳になった年に、母校の小学校の運動会に参加して子どもたちとリレー競走するという独特の行事があります。昭和26年に始まり、なんと今年で69回目。

もちろん自分たちの子供の頃にも当たり前にプログラムにあって、親世代が参加して子供たち以上に盛り上がっているのが運動会の風景のデフォルトでした。僕もいつのまにかそんな年になったというわけです。腹の出たおじさんたちが妙にハイテンションで観客に愛想を振りまくのを、「ああはなるまい」と冷めた目で見ていた昔の自分に、まさにそういう姿になってしまったことを報告したいと思います。

で、当日夜の打ち上げも楽しく過ぎたあとに
、ちょっと考えてみました。地元出身者でないとわからない感覚ですが、このイベント、成人式なみに大事にされている行事なのです。地域で共有されている「通過儀礼」と言ってもいい。昔はなんと参加率9割もあったらしく、コロナ禍でも6割は正直すごい。なぜそこまでしてどの世代も、全国からこの行事に合わせて帰ってくるのだろうか。

ずっと謎だったのですが、終わってみて、ふと、親友たちとの「約束」だったんだなぁ、と気づきました。小学校は卒業するけど、またきっといつか、この校庭に集まっていっしょに走ろう。お互いボロボロの中年になってるだろうけど、それまで全力疾走できる健康な身体でいようぜ、と。

 

時折、同窓会で会うたびに、そうして中年になる日を想像してきたのでした。そんな遠い約束を共有していたからこそ、38年後にみんな、なんとか忙しい仕事の都合つけて校庭に戻ってきたのでしょう。無事に再会できて、みんなでバトンをつないで走れたことに、そしてギリギリ廃校にならずに残っている母校と我々を追い越して走っていく子どもたちがまだ存在していることに、感謝以外の言葉が見つかりません。再び離れ離れになってしまった今では、まるでひとときの夢の中の出来事だったような気もします。

もちろん、全力疾走できたものの、子供たちには圧倒的敗北。全員から太り過ぎを指摘されたので、来年からダイエットしようと思います!

講演録:『モア・ザン・ヒューマンの視点からデザインを疑う』

6月25日(土)、26日(日)に、第69回日本デザイン学会春季発表大会が開催されました。僕の所属する情報デザイン研究部会では「人間中心ではないデザイン」というテーマセッションが企画され、そのセッションの冒頭で領域を概観するような基調講演を担当することになりました。

 

僕はいつもアドリブで喋ってますが、今回は珍しく台本を書きました。15分という持ち時間で話せる量は、通常4500字程度だそうです(一分300字)。ですが、シン・ゴジラ方式で1.5倍速で喋れば、6000字程度喋ることができます。スライドの分量が多めになってしまったので脱線して余計なことを喋りすぎないためにも台本が必要でした。せっかく書いたのでアップしておきます。本番ではちょっと言い足りなかった言葉を加筆しておきます。

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「人間中心ではないデザインについて考える」の研究発表の前座的に、このテーマセッションが設定された背景を説明します。「モア・ザン・ヒューマンの視点からデザインを疑う」というお題です。デザイン学会だからこそ、ちょっと挑発的な題目をつけてみました。

 

この発表では、国内外の関連研究分野の動向をもとに、今後取組みが広がるであろう問題意識についての「見取り図」を示します。短い時間ですので、駆け足になることをご了承ください。

まず最初のトピック、「前提の変化」です。

 

ご存知のように、今後は感染症を避けて通れない世界になりました。これまで当たり前でもあった、人々が集まって住み、利便性を上げる都市型の生活を見直すことが求められています。

 

同じように、人々が望む方向性を疑うこと無く受け入れてきたデザインのあり方も見直す必要が生まれています。そこでひとつのアクションとして、複数のループを回すような学びの観点が重要でしょう。わたしたちはデザインする。しかし、そのサイクルをもう一周外側から、クリティカルな視点で解釈し直す。そうすることで、デザインが因って立つ前提を学びほぐすことができる。こうした観点をもとに考えてみたいと思います。

 

では、「デザインの前提」とはなんでしょうか。たくさんあると思いますが、ここでは2点ほど指摘してみます。 1つ目は、「デザインは、人間が、意図的・能動的に行う営みである」。この言葉は、一見当然のように受け取られているように思います。

 

 

けれども、今回の大会テーマは「変化せられるデザイン」となっています。普段耳にしない奇妙かつ他律的な言い回しで、なんだか飲み込みにくい言葉ですが、現代は否応なく外側からかかる強い力を考慮しながらなんとかやっていかざるをえない時代になっていることは、みんな気づいていることかと思います。


我々はしばしば「自分という主体が何かの客体に意図を持って働きかける。その働きかけによって客体が変わる」。そう思い込んでしまうけれども、実際にはそういうわけでもありません。たとえばソーシャルメディアは、運営する企業が利用者が注意を引きつけるようにあの手この手で誘導しており、別の見方をすれば利用者は個人情報をせっせとアップさせられ、広告を見せられています。なので、実質的には能動的な「行為」ではなく、いろんな連関の中で起こってしまう「出来事」です。

デザインもおなじように、自分でしたくてしているだけでなく、必要にかられてやらざるを得ない場合もたくさんあります。それは能動なのか受動なのかは、実際にはそれほど明確に切り分けられません。

 

そう考えると、さきほどの前提には、やはり「疑問符」が付きます。

 

つぎに、もうひとつ。「デザインは、望ましい未来をつくるために、人間の進歩に寄与する「いいこと」である。」最近、デザインはブームで、あちこちでデザインが芽吹いていますが、明らかにこれが前提になっていますね。デザインを取り入れることは進歩的なことだと。これは本当にそうなのでしょうか。

そこで、改めてデザインの定義らしきものをちょっと見てみましょう。

 

今から半世紀前、「生き延びるためのデザイン」という伝説的な本が出版されました。ヴィクター・パパネックという人が、「ある行為を、望ましい予知できる目標に向けて計画し、整えるということが、デザインのプロセスの本質である」と言っています。これはデザインを学んだ人なら、必ず一度は聞いたことがある有名な言葉でしょう。

 

ところが、去年パパネックに関する研究書が出版されまして、デザイン研究者の注目を集めています。膨大な歴史資料から、パパネックの虚飾に満ちた実像が明らかになりました。この本の著者アリソン・クラークは、パパネックの業績を記念してつくられた、ウィーン応用美術大の附属機関のパパネック財団のディレクターなのですが、全く組織的な立場に忖度しないクリティカルな内容となっています。

 

これは本の中で紹介されていたパパネックによるデザインコンセプトです。カエデの種子の回転構造を取り入れて枯葉剤ベトナム戦争で使われた有名な化学物質ですね)をより効果的に空中で撹拌して散布するための軍事兵器のデザインです。パパネックにとっては、こうした兵器で北ベトナムを殲滅することが「望ましいこと」だったのでしょう。彼はこういうことをしつつ、一方で舌鋒鋭く他のデザイナーを殺人者呼ばわりして倫理的デザインを叫ぶという、だいぶ「二枚舌」の人だったようです。日本では表の面として「生き延びるためのデザイン」だけが翻訳紹介されましたので、(私をふくめ)パパネックを尊敬する人が多かったわけですが、注意が必要です。

 

何が「いいこと」なのかは、立場によってまるっきり変わりますし、一見「いいこと」に見えても実はもう一つの狙いが隠されていることはよくあるものです。デザイン自体は、刃物のように目的次第でどっちにも使えるもので、その力は暴力的にも発揮することもできます。そういうわけで、この言葉にもやはり疑問符が付きます。

 

今紹介したような前提のふたつは必ずしも成り立たないというのは、当たり前といえば当たり前のことです。ですが、批判的な目をもたないと忘れがちです。だからこそ、過信しないで「疑う」ことが大事ですし、強引に立場を変えて眺めるための、別の視点を持つことが求められると言えます。

 

そういうわけでメインのトピックにうつります。

モア・ザン・ヒューマン。

 

まず、こちらはいわゆるHCDプロセスの図です。適切な設計プロセスを取ることで、設計解がユーザ要求事項を満たす。その結果ユーザーに製品が届けられる、という人間中心設計のプロセスのモデル図です。多くの企業で取り入れられており、ほおっておけば技術中心や自社の都合中心になりがちな開発方針を、実際の利用者を中心にしたものへと転換することに大きく貢献してきました。いまでは高校生の情報の授業で学ぶ知識にもなり、よく知られています。

 

ここで、このモデルの外側をみるためにいったん縮小してみましょう。

 

HCDに限らず、この中にいれるモデルは他のダブルダイヤモンドやデザイン思考でもかまいません。多くのデザインプロジェクトでは、文化や社会、ビジネスを扱います。そこでは人間と人間の関係を前景化するあまり、この枠の外側にピントを当てることはまずありません。それゆえ目的の達成に直接影響しない赤枠の外側は「存在しない」ものとして扱われてきたように思います。

 

実際には、例えばスマートフォンなどの電子機器をつくる場合でも、リチウムやコバルトなどのレアメタルは、南米やアフリカの鉱山を根こそぎ掘り返して採掘されています(左矢印)。電気にしても大部分が化石燃料から作られています。(右矢印)で、地球から搾取する代わりに、いろんな廃棄物を放出しています(下矢印)、

 

その結果、地球は取り返しがつかないレベルで傷つくことになりました。6月だというのに、外は異常な暑さです。最近、1万7千年つづいた「完新世」の時代がおわり、「人新世」の時代に入っている、とよく言われるようになってきました。ようするに人間の活動の結果、地球という惑星に、地質年代レベルの変化と書き換えが起こっているということです。これは広い目で見れば、人間のためのデザインが引き起こした結果とも言えます。

 

これに対して、トニー・フライというオーストラリアのデザイン哲学者が「デ・フューチャリング」というユニークな概念を提示しています。そのデザインは、長い目で見て持続する世界をつくっていくようなものなのか、それとも積極的に環境を破壊し、未来を否定しようとしているのか。この視点でみれば、近代のデザインが目指してきたことは、現状の結果から考えれば事実上間違っているではないか。だからいったん現状のデザインを否定した上で(アンチテーゼ)、再びそれを否定してデザインを変えてしまうような取組み(ジンテーゼ)が求められるのだ、と彼は主張しています。

 

「ユーザの要求事項を満たす」。それは事業においては焦点化すべき重要なゴールです。しかしながらそこに焦点化するがゆえに、どうしてもそれ以外との関係はそこで切れてしまう。そこで、人間の外側も含めて考えるための視点が、「モア・ザン・ヒューマン」です。日本語でいえば、「人間の共同体だけでなくてそれ以上の存在を含んだものごと」を見よう、ということです。生き物だけでなくアニミズムのような霊も含みます。「人間中心ではない」世界を捉えるために、最近、人類学や環境人文学の領域ではこの言葉がよく使われるようになってきました。

 

こうした視点の転換に、人類学はすでに応答していて、マルチスピーシーズエスノグラフィ、ようするに「複数の種」の関係に光を当てて解釈する取組みが活発になっています。種と種は「絡まり合い」(entanglement)の中で構成されている。「絡まり合い」というのは、人間と人間以外の多種、あるいは人間を含む多種同士が、働きかけたり働きかけられたりする中で、
特定の関係性が継続したり断続したり途切れたりしながら生み出される現象のことです。人は、その絡まり合いの中で人になっていく。マルチスピーシーズエスノグラフィに取り組む研究者たちは、それは静止した状態の「人間―存在(Human Being)」ではなくて、「人間―生成」(Human Becaming)の過程なのだとしています。

 

さて、ここが今日の本題です。人新世やパンデミックという外圧が、否応なくせまってくる、この「変化せられる時代」において、デザインの研究者はどう応答するのでしょうか?今見てきたように、Defuturingではなく、Futuringに転じていくためには、どんな実践がありうるのでしょうか?


個人的には、これまでの“デザイン”をいったん宙吊りにして再方向づけするためにも、多種多様な存在との連関の中で他の生き物やモノ自体がもつ「行為主体性」―働きかける力に目を向ける、そこに敏感になることが有用なのではないかと考えています。

 

ではそのために、デザインすることの見方を、通常とはちょっと違う解釈に切り替えてみましょう。デザインとは「対象に異なる秩序を与えることである」。この言葉は、状況論者の有元典文・岡部大介による名著『デザインド・リアリティ』からです。

 

だいぶ簡潔な言い方ですが、よく見れば、「望ましさ」みたいな意図性とか、主体―客体の二元論を無効化するために、この言い方になっていることがわかります。冒頭にお話した前提の2つは実はここに対応しています。

 

この見方のポイントは、人間だけを行為主体としてみないことで、「人間の外側にあるモノや環境の側も人間の行為を決めている」ということです。西田幾多郎は、80年ほど前に、『絶対矛盾的自己同一』という本の中で、“我々が物を作る。物は我々によって作られたものでありながら、我々から独立したものであり逆に我々を作る。しかのみならず、我々の作為そのものが物の世界から起こる”
と言い当てています。

 

人間はデザインしますが、同時にデザインされたものがこんどは逆に我々をデザインします。デザインする / されるは、相互にフィードバックされるループの中にあります。
なかなか理解しにくいところなのですが、たしかに人工物は我々をデザインしている(=異なる秩序を与える)んですよ。これは物理的な「かたち」に囚われると意味がわかりません。でも、意識の中にある「メンタルモデル」とか「概念」などのイメージ的なものは、明らかに可塑性がありますよね。いろんなかたちをとりうるし、かたちを与えられたらもう以前の状態には戻らない。例えば、我々は「また来週」と1週間を基準にしていますが、これはカレンダーの側に秩序を与えられているわけです。

 

こうした「デザインする/される」の循環的なデザインの視点をとりいれることで、もうひとつの方向性を示すことができます。例えばこの図。これまでのデザインの取組みは、ほとんどが人間の領域に持ち込むことでした。例えば廃材をアップサイクルして何かをつくる、というのは盛んに取り組まれていますが、だいたいは家の中、つまり人間のテリトリーに持ち込まれますよね。それとは逆の流れがあるはずです。人間が他の生き物や存在と協働して、「地球」の生態系へと働きかける。それを通して自然に対する人間の感覚が修復される。つまり人間の方もデザインされる、という方向性です。

 

具体的な事例から考えてみたいと思います。ドイツのDycleというスタートアップで、日本人の松坂さんが始めた取組みです。土に還る赤ちゃん用の「おむつ」を起点とした循環型地域サービスです。天然素材のおむつを赤ちゃんが使う。それをあつめて堆肥をつくって果樹を育てていく、というものです。

 

Dycleのさまざまなアクターが相互作用している連関図です。面白いことに、元気よくうんちをすることで赤ちゃんも豊かな土壌づくりに貢献できる重要なアクターとなっています。母乳をあげる親のほうも化学物質に頼らず健康な食生活をしようとするでしょうし、育って収穫される果樹は地域コミュニティを醸成していくためのコモンズ(共有資源)となります。

 

関わり合っているものの比較図です。例えば、がんばって完成度の高いデザインしたとしても、「おむつ」は「おむつ」でしかないのです。皮肉なことですが、おむつがよりよくデザインされ、性能が向上するによって不快さが減ったために、赤ちゃんのおむつは外れにくくなって昔よりも必要な個数が遥かに増えています。赤ちゃんがトイレに行けるようになるまで、一人あたり約4500個を廃棄するそうです。一方でDycleは、赤ちゃんが元気よくうんちすればするほど、栄養のある土へと作用し、土から果樹になります。さまざまな種と種が関わり合って、育っていくサイクルがみえますね。

 

ヨーロッパではこうした異種協働するような取組みがたくさん試され、スタートアップも増えています。教育の場でもロンドン芸大セントマーチン校ではすでに大学院の専攻(regenerative design)が設置され、9月から始まるようです。

 

こういった考え方は、日本でも近代以前では当たり前でしたし、いろんな知恵があったはずです。「山川草木悉皆成仏」、つまり山も川も草も木も、どんなものでもそれぞれの魂が宿っていて仏になれる、という言葉は、日本仏教で大事にされてきた教えです。しかしいつの間にかほとんど顧みられることもなくなっているように思います。

 

 

2018年に、アルトゥール・エスコバルというコロンビア人の人類学者がDesigns for the Pluriverseという本を書いて、デザイン研究に世界的な議論を巻き起こしているのですが、「いや日本人はずっと昔からそういう多元的な世界観の中で生きてきた」というような論文を共著で書いて、日本からの挑戦状として、2020年の参加型デザイン国際会議で採択されました。(コロナでオンライン開催になり、残念ながらコロンビアには行けませんでした)参加型デザインも人間同士ではなくて、今では協働の範囲を広げて考えるようになっています。

 

もうひとつ、日本発の先端的な事例です。私もパートナーとして関わっているACTANTというデザインエージェンシーがあります。彼らは学際的なチームをつくって、山梨の山の中でACTANT FORESTという実験的なプロジェクトに取り組んでいます。

 

彼らが提案するComorisが、5月に開催されたCommon Ground Challengeというコンペでグランプリを受賞しました。街の空きスペースで「小さな森」を育てるためのデザインキットです。

 

彼らは「街の再野生化(re:wilding)」とか以前から面白いことを標榜しているのですが、日本に古くからある森林育成の技法(宮脇方式)と、微生物発電で駆動する土壌センサーとを接続し、「森と都市が融合した世界」をつくろうという提案です。

 

「小さな森」は、もちろんいろんな生き物や酸素量を増やすわけですけど、それ以上に大事なのが、この提案ではやっぱり彼らも土壌内の菌・街・人の腸内フローラまでがひとつなぎになったマルチスピーシーズな都市環境として考えているところです。

 

先日、代表の南部さんに聞いたところ、上の世代はあまり反応してなくて、若い世代がすごく熱く反応しているそうで、今こうした取組みに共感する人が増えているということだと思います。ACTANT FORESTnoteでいろんな記事を発信していますので、ぜひ読んでみてください。

 

まとめです。

 

見てきたように、デザインプロジェクトでは何かに焦点化して始まりと終わりの「計画」と「ゴール」を立てます。しかし、相互に連関し合うモア・ザン・ヒューマンの世界は、多元的かつ絶え間なく動いています。なにかの終わりが、意図する/意図しないにかかわらず、必然的になにかの始まりを生むものです。その意味では始まりも終わりもありません。Futuringにつなげていくためには、古くから日本人が持っていた「縁起」的な世界観を見直していくことが欠かせなくなっていくのではないでしょうか。

 

もうひとつ。他種を気遣う経験を持つことで、人間の側も大きく変わりうるということです。なかなかこの下の方に向かうデザインは、言われない限りみんなやらないわけですけど、実際にやってみれば、不思議なことですが、何かを耕すことで逆に自分が耕されていくような感覚がうまれます。

実はこの図は僕の演習のスライドで使っているものです。いま今回話したようなことを情報学部のコース全員160人が必修で取り組んでいますが、最初はみんなわけもわからず試行錯誤を始めるわけですが、進めるうちに明らかに他種をケアするための解像度は高くなっていきます。

 

ただ、こうしたデザインは、完成度の高い成果物のようなまとまったかたちにはなりにくいですし、美しくもない。複製されて流通もされにくいし、いますぐお金を生むとも言い難い。単なる辺境的な教育取組みに過ぎない、と言われればそれはそうです。

 

その変わり、これまであまり焦点化されてこなかった取組みへと、人々の活動を開いていく可能性はあるのではないでしょうか。それは、いろんな環世界が絡まり合う世界へと接続することを通して、「育てる喜びを芽生えさせるデザイン」や、「人間側の立場や感覚を変えてしまうデザイン」のようなあり方です。

 

気候変動のような厄介で巨大な問題を、一人一人の人間がいますぐ変えることができるわけではありません。ただ、現在のように人間だけが切り離された状態のままでは何も始められないと思うのです。

 

デザインは、しばしば、今の支配的な価値観の中にあるものとして捉えられがちでした。そこからこぼれ落ちてしまうことをよく見ると、見落とされてきたけれども実は大事なことが埋もれているように思います。これらは企業の中では言いにくいことでしょうし、このような研究の場だからこそ発言する意味があるはずです。

 

以上です。ありがとうございました。

 

南点―南日本新聞連載コラムのバックナンバー

2022年の頭から南日本新聞文化面でコラムを隔週連載していました。おかげさまで半年間無事に連載終わりました。著者に限って紙面なら複製して良いと許諾をいただいたので、全部掲載しています。

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■vol.1 紙面掲載日1/5「新聞を配っていた頃」/ 南日本新聞を配っていた僕が、回り回ってこうしてコラムを書く立場になったりするから、人生わからない。

 

■vol.2 紙面掲載日1/19  「受験生たちへ」/  大事なのは、どんな道(学校)を選ぼうとも、移り変わる時代の中で、全力で楽しみながら学び直していけるかどうかの姿勢だ。だから、受験生たちには大声で伝えたい。大丈夫、なんとかなる、と。

 

■vol.3 紙面掲載日2/2「危ないことを学ぼう」/ 自然の中ではどんな行動が危ないのか、適切に命を守るためにこそ、本来は機会を作り、学ばなくてはならない。

 

■vol.4 紙面掲載日2/16「人間以外のためのデザイン」/ 見え方が切り替わることで、目の前に拡がる可能性も違って見えてくるはずだ。その枠組みを転換するのも、またデザインなのである。

 

■vol.5 紙面掲載日3/2「ニッセと隠れ念仏」/ ニッセと隠れ念仏は、一見つながらない。だが両者とも、地域の中で共有する〈人間以上の存在〉をそれぞれの家庭に迎える。社会的な交流に寄与し、日常を非日常に変える。

 

■vol.6 紙面掲載日3/16「本物のつけあげ」/ 誰もが小さい頃から食べてきた味を本物だと信じがちだ。

 

■vol.7 紙面掲載日3/30「共通点探し」/  面白いことは単独で存在しない。それは文脈の中にあり、発見して読んでくれたあなたと、書いた僕との間に立ち上がる現実でもある。

 

■vol.8 紙面掲載日4/13「土の人、風の人」/ かつて古い船に乗り込んだ新しい水夫たちも、いつの間にか次の世代を育てる役割となった。水夫は、自分自身が過去に反発した「こと無かれ」的な抵抗勢力になってないだろうか。

■vol.9 紙面掲載日 4/27 「壊せることは大事だ」/ 作り変えられない物事は、「あきらめ」を生む。現実は変えられる。そう思える環境こそが、〈自由〉を授けてくれるのだ。

 

■vol.10 紙面掲載日5/11「慣習破り」/ ギをいうな、と慣習は言うだろう。でも、いま薩摩の改革者を誇るのならば、焦点を当てるべきは偉業の歴史ではない。むしろ意識の水面下で見えなくなりがちな慣習を疑い、変化する時代を見据えて新しく繕い直そうとした姿勢だろうと思うのだ。

 

■vol.11(5/25紙面掲載)「遠くて近いこと」/近さは、距離だけでは決まらない。遠いと思い込んでいたものごとでも、別の視点から見てみれば意外と近いことはよくある。

 

■vol.12(6/13紙面掲載)「鹿児島から未来を描く」/ 豊かさは、単なる消費ではなく自らつくり楽しむ活動の中に見いだされる。そうした次の世代を予期させる取組みは、その身近な人だけが知るところで、すでにあちこちに芽吹いている。

 

■vol.13(6/22紙面掲載)「文字の姿で失礼」/ 中途半端な都会で育たなくてよかった。むやみに中心を目指すのではなく、辺境にいたからこそ見えるものがある。

 

2021年の終わりに

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恒例の年末のまとめ。

 

やっぱり2021年もあっという間だった。コロナも徐々におさまり、そろそろ日常に戻っていくか・・・と思いきや、なかなか想定どおりにはいかないものだ。でもクリスマス前後の繁華街の人混みを見ると、あの人流で毎日数十人の感染だけで済んでいるのは奇跡のようでもある。

 

さて、今年は、昨年末に出版した『コ・デザイン』の反響もあって、いろんなところから声をかけてもらった一年だった。みなさまありがとうこざいます。こんなに人前で話する機会をいただくなんて、もう二度とないのではないだろうか。(なお、機会をもらっただけであって、うまく話せたかは別の話である。僕が自分であまり宣伝できないのは、講演直後に毎度自己嫌悪に襲われるからという理由が大きい)

 

本務校の方は、教務委員長ワークが想像以上にヘビーで、事務仕事や学内政治の苦手な自分は四苦八苦している。この立場になってみて、どの先生も職員も多方面に気を配っていたんだなぁ、と気付かされる。自分はそんな余裕もなく毎度失敗ばかりで寿命が縮まる思いだが、なんとか任期終わるまで生き延びたい。

 

研究はほとんどできなかった気がするが、それでもCULTIBASEの連載は、まだまだ言語化されていない部分について、新鮮な問題意識で書けたように思う。引き続き頑張る所存。

 

来年は、一転して引きこもって真面目に実践したり研究したりする予定。

1)KDDI総合研究所との共同研究

2)科研費基盤C研究

3)シン・デザインの教科書

4)南日本新聞(鹿児島)でコラムの連載

5)某翻訳プロジェクト

 

がんばります!

 

 

 

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2021年度の活動一覧

 
 
1)学術業績
  1. 上平崇仁, 飯田周作 「創造性教育におけるフィールド概念の整理と学修プログラムの検討」情報科学研究41:専修大学情報科学研究所年報2020
  2. 上平崇仁、上平プロジェクト2020「甘えん坊ど:他者との信頼関係を学ぶためのボードゲームの開発」日本デザイン学会 第 68 回春季研究発表大会概要集

 

2)執筆記事

  1. 上平崇仁,他「コンテンツデザイン2010-2020」ネットワーク&インフォメーション:ネットワーク情報学部紀要,学部20周年特集号
  2. 上平崇仁、「〈道具をつくる道具〉を活かすお手本を見た―(書評)『無料データをそのまま3Dプリント 作業に出会える道具カタログ/事例集』」(2021年9月2日公開 三輪書店/Fablab品川ウェブサイト)
  3. 上平崇仁「〈計画〉に対抗して生きる。イマ・ココを味わう身体感覚を呼び戻す」ウェブ雑誌『Cultibase』(2021年7月6日公開)
  4. 上平崇仁「リフレクションは〈誰〉がするのか? わたしたちの中に存在する「2つの自己」にまつわる問い」ウェブ雑誌『Cultibase』(2021年8月5日公開)
  5. 上平崇仁「「地図」が旅行者の動きをコントロールする時代に、「状況論」から学べること」ウェブ雑誌『Cultibase』(2021年9月23日公開)
  6. 上平崇仁「〈一期一会の世界との出会いに応答していくために、前景化されない「身体」の声に耳を澄ます」ウェブ雑誌『Cultibase』(2021年11月4日公開)
  7. 上平崇仁「世界に応答するインターフェイスとしての「身体」と「創造」の関係性を探る」ウェブ雑誌『Cultibase』(2021年12月14日公開)

 

3)報告書

  1. 上平崇仁「〈仕組み〉が回りつづけるためには―オンライン・リビングラボ構築のための基礎的研究」(2020年度 株式会社KDDI総合研究所受託研究報告書)2021年3月30日
  2. 上平崇仁(研究代表者)「態度形成のプロセスに着目した 教育者向けデザイン学習プログラムの開発」科研費基盤研究C (2018年―2023年)
    podcast 「態度リサーチ」vol.1〜9 収録済み

 

4)講演/ トークイベント

 

  1. [トーク] CULTIBASE コ・デザイン出版記念記念イベント「〜わたしたちにとって「デザインすること」とは?」(2021年1月18日/主催:株式会社mimiguri)
  2. [トーク] CULTIBASE Lab デザインセミナー「そこにあることから始まるデザイン」(2021年1月18日/主催:株式会社mimiguri)
  3. [基調講演]「共愉的なエリアをつくろう」地域版高度デザイン人材育成事業イベント(2021年3月4日 / 主催:経済産業省)
  4. [特別講義]「デザインにおける態度の観点」(2021年3月30日/ 主催:Schoo)
  5. [基調講演] 革新的意味創出研究会「デザイン人類学の視座から意味創出を考える」(2021年4月15日/主催:立命館大デザイン科学センター)
  6. [特別講義]「コ・デザインのススメ」(2021年4月30日 / 東京理科大学経営学部)
  7. [基調講演] 保育アップデートフォーラム2021「デザインの視点で保育を捉える」(2021年10月30日/主催:保育アップデートフォーラム)
  8. [特別講義]「デザイン人類学と多元的デザイン」(2021年10月5日/ 千葉工業大学大学院)
  9. [基調講演] 第69回日本創造学会クリエイティブサロン「コ・デザインとクリエイティビティ」(2021年10月10日(日)主催:日本創造学会)
  10. [特別講義]「コ・デザインとは何か」(2021年11月16日/ 武蔵野美術大学造形構想学部)
  11. [特別講義]「コ・デザインが問いかけるいくつかの視点」(2021年12月2日/ 京都工芸繊維大学大学院)
  12. [講評参加]経産省版デザインスクール Policy Design School (2021年12月18日/ 経産省
  13. [基調講演] 認知科学会冬のシンポジウム「Design withの多元性」(2021年12月19日(日)主催:日本認知科学会)
  14. [招待講演] 東京ミッドタウンデザインハブ第94回企画展Tama Design University「Design Attitude:「さまざまに枝分かれし続けるように見える「デザイン」のもっとも根幹となることは何か?」(2021年12月25日(土)/主催:多摩美術大学) 

 

最後の東京ミッドタウンでの講演は、Youtubeアーカイブが公開されている。

www.youtube.com

 

5)メディア掲載など(他の方が書いてくださったもの)

cultibase.jp

cultibase.jp

newswitch.jp

wit-magazine.com

erawebarchitects.com

book.mynavi.jp

potari.jp

note.designing.jp

www.jstage.jst.go.jp

 

 

6) イベント企画

1月)フィールドミュージアム展2020

1月)上平研究室卒業演習プレビュー展「無限省察

 

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「道具をつくる道具」を、活かすお手本を見た

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「無料データをそのまま3Dプリント 作業に出会える道具カタログ/事例集」の 書評を書きましたので、転載します。とてもいい本でした。

 

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林園子氏・濱中直樹氏による「無料データをそのまま3Dプリント 作業に出会える道具カタログ/事例集」(三輪書店)が、2021年6月に出版された。タイトル通り、利用シーンや出力時間で整理され、QRコード経由で実際に使うことができる3Dプリントのデータ集であり、活用事例集である。・・・そう書けば、いわゆる「便利そうな本」に聞こえるかもしれない。ところが、それだけに収まらない独特の深さを持つ本なのである。

 

作業療法 ✕ 一人ひとりと向き合うデザイン

本書に収録されているさまざまな道具は、作業療法の世界、いわゆるケアやリハビリが必要とされる場で利用されるものが中心となっている。まず、ここで、作業療法で言う「作業」という言葉は、いわゆる単純作業の“作業”とは意味が違うことに注意しておきたい。接点がない人にはあまり知られていないが、作業療法で言う「作業(Occupation)」とは、日常生活とともにある家事、仕事、趣味、遊び、対人交流、休養など、人々が営むさまざまな生活行為と、それに必要な心身の活動を含む概念であり、この言葉のなかには、「できるようになりたいこと」「できる必要があること」「できることが期待されていること」など、一人ひとりに固有の目的や価値までも含まれている。

 

この作業療法とパーソナルファブリケーション(個人によるものづくり)は、実はものすごく相性がいい。なぜなら、作業療法士たちは、当事者たちの「作業」への〈出会い〉に立ち会い、「作業」を可能にするために道具をつくる。人の行為をつぶさに観察し、一人ひとりと向き合ったデザインを実践するエキスパートでもあるからである。著者の林園子氏は、その相性の良さにいち早く気づき、おそらくいまの日本において、両者をつなぐ可能性をもっとも深く掘り下げている人だ。

 

著者らが運営するファブラボ品川では、障害の有無に関係なく、誰かの暮らしを便利で楽しくする道具を「自助具」と呼び、その生み出し方を参加する人々とともに実験しつづけている。たしかに、目の前にいる困りごとを抱える当事者自身を「助けている」モノであり、同時に、一人ひとりに合わせたモノを介して、周囲の人々が間接的に「手助けすることを可能にする」モノでもある。

 

考えてみれば、我々はついつい自分の身体のことを無意識的に捉えがちである。思い通りに動いてくれるのが当たり前だ、と。でも、例えば、なんらかの事情によって片手が使えなくなったとしよう。あなたは、靴紐が結べるだろうか。まな板の上で野菜が切れるだろうか。Nintendo Switchで遊べるだろうか。そんなときにこそ、量産品ではなく、一人ひとりの身体や状況にあわせてパーソナライズされた自助具が必要になる。〈わたしが〉靴紐を結ばずに靴を履くことができる紐靴エイド。〈わたしが〉片手で調理できるように工夫されたまな板。〈わたしが〉Nintendo Switchを片手で楽しく操作できるコントローラー。

 

それらは決して万人が常に必要とするものではないけれども、必要とする人にはぴったりはまる、そこだけの居場所を感じさせる。作業療法から生まれたものではあっても、決してその世界だけに限定されるものではない。3Dプリンタは、それらを可能にする。デジタルデータを書籍という手段で運ぶことで、これまで届きにくかったところまで拡張されていく。



創造性は周囲の環境によって変化する

本書にまとめられた活用事例は、個人によってものづくりが拡張できることを実証しており、実に素晴らしい。でも、その一方で、違う方向を見れば別の景色が見える。3Dプリンタを始めとしたデジタル工作機器が普及して随分経つけれども、社会の中での裾野は、当初喧伝されたほどには広がっていない気もする。流行りに惹かれて買ってはみたものの、ホコリをかぶってしまっているマシンも多いようだ。この違いは、いったいどういうことなんだろう。

 

僕は私立大の情報学部で教員をしているので、若い世代のものづくりを見る機会は多いのだが、確かにうちの学部でも3Dプリンタはあまり使われていない。3Dソフトの扱いは複雑だとか、自分でモデリングするのはハードルが高いとか、いろんな理由を見つけることができるだろう。けれども、その理由を考えていけば、現代の社会が抱えるもっと大きな問題点に行きつく。

 

それは、いまの多くの都市生活者たちが、消費に最適化されすぎ、あまり創造性を必要としない環境の中に生きていることだ。デスクワーク中心の生活では、身体を使わず必要最小限の操作だけですませることができるし、衣食住に必要なだいたいのものはすでに揃えられている。そして100円ショップにいけば、安価な便利グッズや素材が並べられている。負けじとECサイトの方も「安くするから買え」とばかりにどんどんセールを知らせてくる。

 

改めて見渡してみれば、人々は「消費者」の立場でいることが当たり前になり、既製品の寸法に自分をあわせることに対して、疑いすら持てなくなっている。本当は自分で生活する中で困りごとや違和感を発見することができるはずなのに、それに気がつく順番までいつのまにかすり替わっている。熱心にやっていることは、あふれかえる選択肢から「買うか買わないか」を決めることだけだ。我々はいつから道具を自分でつくれなくなったのだろう? 

 

そんな環境の中で生きていれば、自由自在にモノをつくりだせる装置が近くにあったところで、使い道を見いだせないのは、ある意味当然と言えば当然かもしれない。



「道具を作る道具」を活かすには

 逆に、そんな環境に裂け目が生じれば、状況は一変する。思い通りにならない不便さや不自由さに直面したとき、人は本気で道具をつくりはじめる。自分自身の可能性を取り戻すために。あるいは共感する身近な人の力になるために。そんな経験を通して、人は自分自身が周囲をつくり変えていく力を、本来的に持っていることを発見する。創造性は、安定した環境よりも、葛藤をなんとかしようとする中で発揮されるのだ。

 

そう考えると、3Dプリンタという「道具をつくる道具」が活かせるかどうかは、単独のテクノロジーの使い方の問題ではなく、周囲の状況を含めた関係性を含めて捉えなくてはならないことは明らかだろう。本書に掲載されている道具たちは、「居場所」を持つ。〈場〉をとりまく人々のネットワークとともに在る。それらは、全ての事例に丁寧に記載されたストーリーによって、はっきりと確認できる。そこを見逃してはならない。

 

さらにいえば、それらは、ちょうど〈あいだ〉に生まれている。困りごとを抱える当事者だけでもなく、ケアの専門家だけでもなく、デザイナーだけでもない。道具、いや「道具をつくる道具」がその境界をつなぎ、異なる領域にいる人々のコラボレーションを新しく生成しているのだ。

 

本書は、便利な事例/データ集としてだけでなく、可視化されにくいダイナミックな実践的な活動の記録としても読むことができるだろう。それは消費傾向の強まる最近の生活の場とはまさしく対極にあるような、生き生きとした創造が埋め込まれた共同体づくりの優れたお手本となるに違いない。

 

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態度リサーチvol.8 / 個人のプレイヤーが個を超えたチームで戦うことについて、サッカー研究者に聞く

態度リサーチ#8を更新しました。今回のテーマは、「個人のプレイヤーが個を超えたチームで戦うことについて、サッカー研究者に聞く」。
 
先日開催された東京オリンピック2020の男子サッカー競技はスペインに敗退しましたが、試合後のインタビューである選手が、「彼ら(スペイン)はサッカーをしているけれど、僕らは1対1をし続けているように感じる」という言葉を残しました。デザインのプロジェクトも同じかもしれません。目的を見据えて個々の役割を超えて組織全体で取り組むことは重要なことですが、職務の壁を壊しつつ有機的に連携していくことは日本人の共通する弱点でもあるようです。個人のプレイヤーが個を超えたチームで戦うことについて、サッカー研究者に聞いてみました。
ゲスト:飯田義明氏(サッカー研究者/全日本大学サッカー連盟理事)
 
 

 

カードゲーム「甘えん坊ど」のクラウドファンディングがスタート!

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昨年度上平プロジェクト(2020)の学生たちがクラウドファンディングに挑戦しています。「甘えん坊ど」というカードゲームを自分たちでデザインしたので、それを印刷してたくさんの人に使ってもらおうとするものです。学生たちはゼロ地点から、1年以上かけてなんとかここまで到達しました。あまりない機会ですので、すこし背景を紹介してみようと思います。

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2019年12月のこと。例年と同じように次の年度が始まる前、ある学生たちがプロジェクトを起案したいというので、ひきうけました。(うちの学部のPBLは、通常のゼミのように教員に学生が集まるのではなく、学生が自分たちで起案して担当してくれる教員を指名するという、スタートアップのような仕組みで運営してます)

 

しかしながら、さあキックオフしようという士気が高まったタイミングで、ご多分にもれずコロナ禍に突入。みんな家に閉じ込めっれ、顔も合わせられない中で暗中模索の活動が始まりました。当初考えていたテーマも大幅に前提を変えながら、「こういう中だからこそ、新しく出来ることが生まれる」を合言葉に、一から考え直しました。

 

そして、どんどん社会が殺伐としていく中で、みんなの頭の中に浮上してきたのが、いわゆる「人に迷惑をかけてはいけない」という社会通念への疑問です。なにか困り事があっても、人を頼って解決するべきではなく、自分の力だけでなんとかしなければならない。多くの人々がそんな思い込みにとらわれ、個人では解消できないことを過度に一人で抱えこんでいます。こういった傾向は、結果的に「孤立」の問題を深刻にしていきますし、不特定多数の感情や怒りが表出されるSNSが普及して以降、社会的な圧力はますます強まっているように思われます。

 

business.nikkei.com

www3.nhk.or.jp

 

そして、この圧力は、結果的に私たちを他者との関係をつくりだそうとする機会から遠ざけてます。本来、助けが必要な弱い立場の人々ほど、その影響を強く受けがちです。

 

こうした圧力に抗い、もっと生きやすい社会をつくることはできないのか?学生たちは問いはじめました。私たちは幼いときから常に誰かの力を借りながら生きてきたはずですし、世の中は”お互い様”だからこそ、助けを求める手とそこに差し伸べられる手は共同体をつなぐ紐帯となる。大人はなかなか変われないだろうけども、若い世代はまだ変われる可能性がある。もっと頼る側/頼られる側、それぞれの立場を経験する機会を通して自分のふるまいかたを見直してみよう。そんな、ささやかな提言から生み出されたのが、「甘えん坊ど」です。

 

このゲームの詳しい内容や遊び方は一番下にあるサイトを見ていただくとして、ネーミングからもわかるように、他者を信頼するという真面目くさったような言い方はしないで、あえて「甘える」と若者たちが普段つかうボキャブラリーに言い換えています。日常的なシーンを想定したコミュニケーションの駆け引きを演じるために、「茶目っ気」や「演技」を引き出し、「笑い」に落としやすくするためです。そして誰にでも出来るちょっとした「勇気」を出しやすくするためです。

 

こうした工夫は、プロジェクトの学生たちが同世代の共感の中で行われたことなのですが、年を重ねた大人たちにとっては、あまり理解できることではないかもしれません。「甘える」のも調子に乗りそうでいかん、と感じるでしょうし、長くチームで仕事している人にとっては、人にお願いや頼み事することそれを引き受けることは普通にやっていることでしょう。

 

でも若い世代にとっては、当たり前ではありません。都市部(特に東京)では他者は限りなく遠く、コロナ禍の学校生活では、友達に助けを求めようにも友達になる機会すら少ないと言えます。不要不急を乗り越える突破口として、コミュニケーションを取るなにかの口実を求めています。甘え方だって、どこからがずうずうしいのか、どこまでが愛嬌なのかのバランスは際限なく判断が難しいものですが、その感覚はたくさんの経験を通してしか学べないでしょう。「当たり前」は意外に難しいのです。

 

途中過程では、山ほどのトライ&エラーが繰り返されました。簡単なゲームでも作るのは大変です。そしていろんな人々が協力してくださいました。(アトラエの竹田さん・木下さん、黒崎BASEの河西さん、ありがとうございました!)

 

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(学生たちの発表資料より)

 

さて、僕はと言えば、あまり指導らしいこともしてない気がしますが、このプロジェクトを進める学生たちの間近で、去年自分の本を書いていました。その終盤で、こんなことを書いています。

 

だからこそ、社会全体の大事な役割は、一人でも多く前者の可能性を信じ、そこに賭けて行動できる、そんな「豊かさ」を持つこと。そして、ときどき失敗はあるかもしれないけれども、きっとそれよりも大きな喜びを分かちあうことができるに違いない、そう思える経験が積める場、そんな学びが埋めまれた場を増やすことだと思います。

「コ・デザイン―デザインすることをみんなの手に」P317 上平崇仁

 

受け取る人それぞれにふくらみが生まれるように、かなり抽象度高めに書いたところでしたが、それでも本の核心のメッセージを含んだものではありました。「あまえん坊ど」をつくった学生たちはこの文章を読んだわけではなかったけれども、僕が節々で発していたぼんやりした言葉に呼応して、彼ら/彼女らなりのやり方で、見事に具体化してくれたように思います。まさにいっしょに進めながら相互作用として起こったことなので、それが一番嬉しいことです。

 

 クラウドファンディングは以下のページから。

ご支援どうぞよろしくおねがいします。

camp-fire.jp