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みえないものを、みる視点。

トーク番組風グループインタビュー

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5月末から2年生のインタラクションデザイン基礎演習の最終課題「2020東京オリンピックパラリンピックのためのデザイン提案」が始まっている.昨年までのかわさきコンフィズリーからバージョンアップさせた新しい課題である.今学生達がリサーチに取り組んでいるところで,6/4(月)はインプットの一環としてちょっと変わった企画を行ってみた.

 

外国にルーツのある人々をお招きしていろいろ聞き込むという企画で,僕のクラスではアメリカ人のジョセフ(僕の向かいの研究室の言語学者),上海大からの長期留学中のLさん(履修生なのにステージにあげられている),ミャンマーからシー氏,ミャッ氏(スパイスワークス社)がゲストに来てくれた.学生達は班ごとに手分けして質問していくということで要するに彼らを囲んだグループインタビューなのだが,まあ普通にやってもかしこまってしまって,盛りあがらないことは明らかだろう.なによりぼくが面白くない.

 

そこで,メイン司会者の徹子役とサブ司会者の中居くん役をイメージして「徹子の部屋」風のトーク番組をみんなで運営する,という仕掛けを演出してみた.もちろんあの「トゥールル・・・」のオープニング曲つきである. 結果的にこの演出はなかなか盛りあがった.教科書通りのグループインタビューをやるのではなく,目的の聞き込みを深掘りしていくために,型を「崩してみる」,「知っているたとえを使う」という試みは大事だと改めて気付く.

 

まあ,写真でみてもショボイ記者会見でしかないな・・・.もっとソファとか花とか用意しないとビジュアルはそれっぽくはならない.

 

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ゲストへの質問項目は事前にカードを作ってみた.去年の視点万華鏡と同じようなプロセスでつくられている. 今年のデザインはSAのKさんによるもの.

 

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この日に来てくれたシー君は,僕が審査協力したミャンマーのコンペ,WIT AWARDのグランプリ受賞者.今回の訪問はその副賞のジャパンツアーの一環でもある.彼はこのコンペにおいてデザインで賞をもらったわけだけど,実はコンピュータサイエンスを学ぶ学生だという・・・.学生達に受賞作品と技術デモの二つを学生向けにプレゼンしてくれた.できる人はなんでもできるのだね.

 

「いま,情報デザインを学ぶこと / 教えることの意味」:都高情研での講演より

 6/2(土)の午後,東京都の情報の先生達によって組織されている東京都高等学校情報教育研究会(都高情研)の研究協議会にお招き頂いて,「いま,情報デザインを学ぶこと / 教えることの意味」という題目で講演をしてきた.

昨年度のAdobe MAX教育セッションで話したことに追加して,今年から科研で取り組む内容を併せてみた.スライドを公開しておきますので御関心のある方はご覧ください.

 

 

この日のスライドから2枚ほど抜粋して掲載.

 

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東京都は情報教育に関しては全国でもっとも進んでいるようで,本日参加してくださったのはその中でもエース級の先生方らしい.そんな場でタイミング良く自説を話す機会を頂けたのはありがたい.僕としてもとりあえず先生方に向けて喋りたいことは言えたし,研究の宣伝もできたので,先生方に感謝.

 

終わってみるといろいろ論理が繋がってないところや説明不足のアラが見えてくるのがつらいが,忘れないうちにまとめ直そう.この日の講演録は,スポンサーにもなってくださっているAdobeさんが映像コンテンツにするそうだけど,せっかく科研費も頂いているので,(上手く喋れなかったところにこっそり手を入れた上で)地方の先生方に小冊子して配布できるようにしようと思っている,問題は夏までにそれをやる時間があるかどうかだ.

 

「問いの技法(How Might We)」ワークショップ

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5月6日にYahoo! JAPANにて開催された第4回 Xデザインフォーラムにおいて、午前の部でショート・ワークショップを実施してきた。

約100名の参加者に7名のファシリテータという大規模なもので、なかなかヒヤヒヤだったが無事に終えることが出来た。参加者のみなさま、ありがとうございました。

 

今回の内容は、「問うこと」を問うのがテーマで、こういったメタ的な知識はこれからますます重要になってくると思うので、スライドを公開しておきたい。お手すきの時にでもご覧下さい。

 

ベースにしたのは、古くからd.schoolでデザイン思考のメソッドとして知られているHow Might We Question。

英語版PDF

日本語訳PDF(βver:上平訳)

 

それに1)今進めている「シン・デザインの教科書」プロジェクトの多様な領域、2)昔に行われていたコピーライティングの方法、を組み合わせてみた。

 

今頃HMWかと思われるかも知れないけれど、意外とここにはフォーカスが当たりにくく、ちゃんと考える機会は少ないものだ。またHMWは英語圏でできた方法のため、曖昧な日本語との相性は良くないということが欠点としてあげられる。我々自身が日本語とマッチした問い方の形式知を生み出していくことが課題と言える。

 

 

悲しい泥

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これは何に見えるだろうか?

泥?そう、なんてことのない乾いた泥である。

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実はこの泥、落下したツバメの巣である。

毎年うちの大学の棟にはツバメが巣をかけ、ある時期はとても賑やかになる。でも今年はヒナの声がしないなぁ、と思っていた。エレベータで乗り合わせた警備員さんによると、これまでつくっていたところに巣を作っていたところ、カラスに襲われて卵が食べられてしまったそう。

 

それでもツバメたちはめげずにカラスに見つかりにくい場所にこっそり新しい巣を作っていたのだ。僕はせっせと巣作りするツバメたちを見るのが毎朝の楽しみだった。彼らが巣作りに賭けている健気さを見ていただけに、悲しい。

 

前後の文脈を知ると、それまで見えなかった過酷な生存競争のドラマが浮かび上がってくる。我々にとっては情報が断片化すると「ただの泥」以上の意味を見出しにくい。

この散乱している泥も、休み明けには何事もない様に掃かれて無くなってしまうんだろうな、と思った。

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追記:また巣作りに再挑戦していた。たくましい。

 

 

 

ロルフ・ファステのハイブリッド的考え方:デザイン教育の系譜1

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Rolf Faste(1943-2003), Stanford University professor

 

自分が影響受けたことの系譜を記述する、という超個人的なシリーズを思いついたので、時間みつけて書いてみたいと思う。

 

初回はロルフ・ファステ教授。日本ではほとんど知られていないけれども、デザイン教育者として歴史に残る重要な人物である。ファステは、スタンフォード大工学部のプロダクトデザインプログラムのディレクターを長年務め(1984-2003)、在任中にがんで急逝した。ちなみにファステの前任はロバート・マッキム(ビジュアルシンキングの創始者)で、後任がデビッド・ケリー(IDEO Founder)である。

 

彼が中心となり、工学部の学生達の創造性を高めるために開発しつづけた教育は、単なるデザイナーの職能育成を飛び越えて、異なる領域と領域をつなぐ共通言語となり、非専門家のためのデザイン教育として体系化されていった。それらは、のちの時代にDesign Thinkingと呼ばれるものになる。異質なものを組み合わせてハイブリッド的に取り入れる斬新な教育の取り組みや、言葉にならないものを言語化していく論考は他に比類のないもので、僕は大きな衝撃を受けた。

 

例えば、デザインの学びの文脈で即興演劇を取り入れるというアイデアはファステによるもので、しかもそれを論文にして1992年に発表している。僕は彼の真似ごとをしているに過ぎない。

 

Rolf Faste, “The Use of Improvisational Drama Exercises in Engineering Design Education,” Cary A. Fisher, Ed., ASME Resource Guide to Innovation in Engineering Design, American Society of Mechanical Engineers, New York,

 

僕がファステを知ったのは今から10年以上前のこと。櫛勝彦先生(京都工繊大教授)の研究室を訪問した際に、まとめられたばかりの博士論文を頂いた。そこにはインプロを取り入れた身体的エクササイズと、それによってブレストの心的メカニズムを理解することの学習効果が論じられていた。櫛先生は、ちょうどファステが教えていた頃のスタンフォード大のMaster Programに留学されており、ファステから学んだ経験をリアリティたっぷりに書かれていた。僕はそれを食い入るように読んだ日のことをよく覚えている。

 

ファステは惜しくも60才という若さで亡くなってしまったが、彼の残した創造性教育の知見や教材などは、ファステ財団(息子さん達)によって丁寧にアーカイブ化されてウェブ上で無償公開されており、我々も自由に読むことが出来る。

 

www.fastefoundation.org

ファステの仕事の中で、最後の10年をかけて書いていたという未完の書籍「Zengineering」(禅×エンジニアリング)なんて、今聞いてもコンセプトが斬新すぎる。

Engineering applies known principles to assure our creations are functional and safe. Zen courageously moves beyond conventional understanding to engage life in real time. These two opposites are explored as an inextricable Yin/Yang pair. One promotes critical thinking, the other non-judgmental mindfulness. One values logic, the other sees past it. 

 

 Zengineering addresses the problem of what to do next, both as an individual or as a corporation. It is concerned with being creative about what to be creative about.

 

こんなレベルでこれまでにない組み合わせを探り、新しい概念を創造していたことは唸るしかないが、先人の叡智を引き継ぎながらちょっとでも前に進んでいきたいものである。

 

余談だが、藝大の須永先生は、1995年スタンフォード大で在外研究した際、ちょうど同じ時期に在外研究で留守にすることになったファステ教授の研究室を1年間まるまる貸してもらって研究していた・・・という嘘のような本当の話。須永先生の論文にはファステの部屋のスケッチがでてくる。

 

 

リスクを取らなきゃ創造はできない

先日のこと、カリキュラム改訂のための学部内の勉強会でうちの学部長が配布した参考資料がとても興味深かった。その資料は、全米カレッジ・大学協会(Association of American Colleges & Universities)が開発したVALUEルーブリックである。

 

ルーブリックとは学生が"何を学ぶのか"を示す評価規準と、"どこまで到達したか"のレベルを示す具体的な評価基準を示す評価指標のマトリックスのこと。

 

VALUEルーブリックは、全米の大学を代表する専門教職員が、学習の成果に関する各大学のルーブリックや関連文書を調査し、教職員からのフィードバックを参考にして作成されたものである。このルーブリックは、段階的達成レベルを示す能力指標により、各学習成果の原則的な基準を示すものである。このルーブリックは、各大学が学生の学習を評価し考察する目的で使用するものであり、成績をつけるために使用するものではない。

 

AAC&Uは全部で15個のルーブリックを開発したのだが、注目はその中のひとつ、「創造的思考(クリエイティブシンキング)に関するVALUEルーブリック」。

 

  

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上の図は学修評価・教育開発協議会によって日本語訳されたもの(PDF)

原文はこちら

 

日本語的に怪しいところが一部あるが、一番左側の列、クリエイティブシンキングを示す6つの評価基準のひとつとして、「リスクテイキング」(Taking Risk)が位置づけられているのが見える。

 

  最高レベルの創造的思考をするためには、各領域の制限要因について確固とした知識を持ちながらも、新たな、独自の、非典型的な方法でいろいろなものを再度結び付け直すことで、その境界を超え、新たな統合を発見して批評的にとらえ、解決法を生み出すために創造的なリスクテイキングを行い認めることが必要である。

 

 リスクテイキング」(Taking Risk):個人的リスク(困惑や拒否に対する不安)や、課題達成に失敗するリスク(課題の本来の制限を超越、新たな材料や形式を導入、論争となっているテーマを取り上げる、一般的でない考え方や解決法を擁護)を含む。

 

創造するということはこれまでにない組み合わせを探ることである。だからその活動を行うためには当然リスクはつきまとうものなのだけど、こうして学習の評価基準として明確に示されたものを見ると、なかなかハッとさせられる。

アメリカの高等教育では、結果を出したかどうかだけでなく、その以前に「失敗するリスクをとってでも、挑戦しようとしたかどうか」を奨励して、それをちゃんと学習の評価に含めているわけだ。

 

日本でも創造的思考に関する学びは強く求められている。そこでは我々にこんな評価指標(=それを「よし」とする社会的合意)をつくれるのかが問われていると言えるだろう。こうすればいい、というような安定したテーマややり方に安住し続けていないで、自分なりに新しく挑戦しようとするかどうか。育てる側は、創造性は伸ばしたいけどリスクは取りたくないとか虫の良いことを言ってないで、それにふさわしい環境を用意できるかどうか。

 

あなたは、若い人達や子供達が、「不安や失敗のリスクをとってでも挑戦しよう」としたことを褒めていますか?

 

 

科研費基盤Cに採択されました

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本年度の科学研究費助成事業の基盤研究Cに新規採択されました.題目は,「態度形成のプロセスに着目した 教育者向けデザイン学習プログラムの開発」.デザイン態度(Design Attitude)とはいったい何で,どのように形成されるのかを分析した上で,主に高校の先生達や企業内の教育担当者がデザイン(広く行き渡ったメソッドやプロセス以上の抽象的なこと)を学ぶためのプログラムを検討していく予定.また現場の教育者の方々の協力を得て、いっしょにデザインを進めていく.公費を使わせて頂く以上は国民のみなさまに還元できるように頑張る所存である.

 

これからあちこちに出かけてリサーチやディスカッションにお邪魔して考察を深めていくつもりなので、御関心お持ちの方,是非お声がけ下さい.

 

とりあえず昨年の不採択の雪辱ができたのと.同僚の若い世代の優秀な先生達と名前を並べることが出来て助かった.(僕の本務校の先生方の採択率はとても高くて,例えば昨年は全国7位.僕の不採択は率を下げて申し訳なかったのだ)

 

採択された題目見ていたら研究者仲間たちの研究をいくつか発見した.さすがにみんな先を考えていてとても興味深い.

水内先生の「アクターネットワークセオリーを用いたデザイン理論構築:脱人間中心デザインへ向けて」

原田先生の「当事者デザインを循環させるための社会実践型ラボラトリーのモデル構築」

など.一緒に研究会して深めたいものである.

 

 

「情報デザイン」という言葉の説明

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DMM社のジャングルのようなオフィスにて収録された,デザイナー源賢司さんとの対談がDMMのオウンドメディアに掲載された.

inside.dmm.com

こうやってさらっと読める記事になってしまっては見えないことだけれども,僕にとっては記事になる前の対談の体験と比較できるのでなかなか興味深い.あちこちに飛びまくった当日の話が(スミマセン),ひとまとまりの流れをもった会話へと再構成され,それでいて部外者にもわかるような言葉使いになっている.質の高いプロフェッショナルな仕事ぶりを見させて頂いた.

 

それにしてもまったく,冒頭の「情報デザイン」の言葉の説明はなんど経験しても難しいものだ.

上平:情報デザインをひと言で説明するのは難しいのですが、言葉が生まれた経緯は説明できます。90年代ぐらいからコンピュータが一般の人々の生活に入って来るようになり、webサイトをはじめ、いろんな新しいメディアが生まれました。その中で『プロダクト』や『グラフィック』という言葉では扱えない、新しいデザイン領域が注目されるようになりました。当時はまだITも草創期で未分化だったし、一部の人以外みんなよく分かっていなかったので、それを全部ひっくるめて『情報』のデザインとして扱ったわけです。そのため、何を指すのか解釈が曖昧になっているという事情があります。

 

と簡単に説明したが,当時はインターネットもまだ本当に発展途上だったし,この言葉が生まれた頃とはもう状況が変わりすぎている.2000年頃の情報デザインには,UX,UI,IA(情報アーキテクチャ),コミュニティデザイン,wayfinding(案内・誘導),インストラクション(説明),マニュアルライティング,編集術,インフォグラフィックス,データビジュアライゼーション,グラレコetc,今ではそれぞれ名前が付いているものが全部含まれていたように思う.一言で言うならば過渡期の言葉だったのだ.それをいま簡単な説明で収拾つけられるわけがないし,説明されてもみんなピンと来ないのは当たり前でもある.

ちなみに,その後広く普及したUser Experience(UX)は情報デザイン分野でも草創期から重要視されていて,2000年頃には相次いで重要な書籍が出ている.

・Nathan Shedroffの「experience design」は2001年

・J.J.GarettのThe Element of User Expericeceの図は2000年

渡辺保史「情報デザイン入門」2001年

したがってインタラクティブな情報メディアのデザインを行う場合には,自分がつくる対象だけではなく,それを使うユーザの「使う」という経験まで含めた「かたち」を頭に描いておくことが欠かせないことになる.
—情報デザイン入門P52

 

 その後20年ほど経過し,情報デザインはたくさんの言葉へと枝分かれして普及していった.UIやUXはIT企業やメーカーなどが先導して新しい専門領域として急速に業務に取り入られて今に繋がっている.その一方で,ビジネスにつながりにくいパブリックなデザインや教育の分野は動きが遅かった.そして新しく参入する人もそれほど増えなかった.僕が渡辺さんの遺稿「Designing Ours 自分たち事のデザイン」を出版することに燃えたのは,ビジネスではない方の枝にかろうじて実ろうとしていた,貴重な成果物(となるはずのもの)だったからに他ならない.

 

そんなわけで「情報デザイン」という言葉を蘇らせるのであれば,新しい解釈が必要だ.特に教育の場向けの基本や原理を考えるために,である.記事の中で書いた「分解」「再構成」,そして「態度」というあたりは,ひとつの指針となるかもしれないと思っている.

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2001年のデザイン学会オーガナイズド・セッションのリアルタイムドキュメンテーションを後日整理し直したポスター(おそらく原田先生のお仕事)

 

 

 

お笑い芸人とコンビを組む

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先月に渋谷で開催されたUX dub Vol.3のレポートが公開されている。僕とお笑い芸人の野村くん(オシエルズ)のコンビでインプロのワークショップを実施した時のもの。

www.ajike.co.jp

僕のスライドもここでも公開。

 

  元々は教え子のNさん経由で昨秋にアジケ社の幹部の方々と酒飲んだとき、酒の勢いで「やろうやろう」と盛りあがったのが発端だったんだけど、そこからアジケのみなさんガチで企画してくださって、なんと本当に開催されることになった。

 社長・副社長含めて社員全員がインプロを経験する、というのはトップダウンの命令でもない限りなかなかできないことだし、クリエイティブな組織作りとしてとても面白い試みだから、それはぜひとも応援したい。でも、その一方で僕自身がマンネリ化しつつある危険を感じていた。インプロは常に壊しつづけなくてはならない。「こうすればこうなる」という経験則で何度も同じことを繰り返しているうちに固定化し、次第にインプロがインプロでなくなってしまうのだ。僕とて一生学び続けなければならない身なので、崩して再構成するために外からの刺激と新しい挑戦が必要なのである。というわけで、本職のインプロバイザーでもある野村くんとコンビで進めることを提案し、無理言って聞いてもらった、という次第。

 

その結果、僕も野村君のファシリテーションが新鮮だったこともあって、いつものワークショップの倍以上は楽しい時間を過ごさせていただいた。コンビの相乗効果ってこういうことか。僕に限らず、教員はいつもピンだ。だからステージを他者とのコンビネーションで作っていくことは経験がない。野村君はオシエルズでもツッコミ担当というのもあるが、僕のボケ(・・・じゃなくてすべったところ)を拾うのがとても上手で、相方がいることがこんなに有り難いことだとは始めて知った。そして野村くんが参加者が刻々と変化していく様子をよく見ながら即時的にメニューの調整を計っているのはとても勉強になった。

 

 こういった予定調和ではないワークショップは、常に失敗ととなりあわせだし、ファシリテーションの腕によって同じメニューでも激変する。だからこそ毎回が真剣勝負だ。日々精進していきたいものである。そして彼ら芸人と接する度に思うのだが、しなやかさが羨ましい。僕も芸人計画を進めなくてはならない。

 

 

"厄介者"をめぐる、ご近所協働。

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岡本太郎美術館の2017年度教育普及記録集に寄稿したエッセイを転載)

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 一見マイナスな物事を、別の視点から見ることで価値を生み出せないだろうか? 専修大学上平研究室では、学生たちとそんなデザインの実験をしています。昨年度の学生だったOさんが挑戦したのは、外来植物を使って自作のロールペンケースを作るというワークショップ。春から準備を進め、ある秋の休日の日に実施されました。

 

 まず、生田緑地運営協働事業体さんの協力で、緑地内に自生しているセイタカアワダチソウやブタクサらを採取します。採取した素材をもとに、岡本太郎美術館さんのアトリエに運び、子供達と一緒に布地の草木染めを行いました。草木染めの方法は私もOさんもほとんど知りません。事前に日本民家園の方に色々と教えて頂きました。

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 次に、その自然の染料で染められた布の上に、樹脂顔料を使ってTAROの作品にインスパイアされた自分の表現を行います。そうして素敵なロールペンケースが出来上がりました。子供達が行ったデザインには、巻いていくと太陽の塔らしき顔が並んで見えるようになる、という形態の特徴を活かしたユニークなものもありました。

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自分で作り進めたものには、販売された商品には無い特別なストーリーが加わります。ペンケースは持ち運べますので、ちょっとした自慢としてその背景を語ることができます。子供達は植物の生態系とTAROのアートについて学ぶとともに、それらを実際に生活の中で利活用することができる、というわけです。


 ささやかな取り組みでしたが、このワークショップにおいて、厄介者の外来植物達をストーリーを持ったモノへと変化させることができたように思います。

 

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 よく考えてみれば、植物はただ持ち込まれた先で生きているだけであって、「厄介者」とは人間の立場から見た呼称にすぎません。しかし、その外来植物によって緑地にある4つの組織は繋がることができました。我々は徒歩10分圏内のご近所さん同士でありながら、普段はなかなか接点はないのですが、彼ら(外来植物)が、普段出会わない人間同士が協働する機会をもたらしてくれたわけです。

 

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 そこには新たな価値が生まれていると言えます。何が「良く」て何が「悪い」になっていくのかは、主語の捉え方次第、さらに我々の取り組み次第で変わっていくわけです。決して事前に決まっているものではありません。このワークショップを通して、美術館を包んでいる静かな自然は、私たちにそんなことを教えてくれたように思います。