Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

書籍「ワークショップをとらえなおす」でワークショップの奥の深さを垣間見る

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 慶応SFCの加藤文俊先生から新著「ワークショップをとらえなおす」をご恵投いただいた。ありがとうございます。隙間時間を利用して読んでみたところ、表題の通りのワークショップのあり方を問いなおすクリティカルな議論が展開されていて、思わず仕事を放り投げて読み続けてしまった。

21世紀に入ってワークショップはずいぶん普及した。が、この手法の体系化・形式化が進むにつれてなんだか失われつつあるものがあるのではないか、というもやもやは多くの人が感じていることだろう。


本書はそのもやもやをクリアに言い当てている。実践と理論を両輪で回して、絶えず試行錯誤を続けられている加藤先生だからこそ書ける省察的な視点で、思わずうなった。問いかけていることはきわめて鋭く、そして同時に言葉づかいはやさしく、ふむふむと読み進めながらもワークショップをやったことがある身にはグサグサとささる。

「あたりまえ」を疑い、「まなびほぐし(アン・ラーニング)」を促すための方法としてワークショップを位置づけていながら、自分の実践そのものを批判的に評価しない(評価出来ない)としたら、じつに皮肉なことである。(P27)

わかりやすくいえば、場数が増えることによって、ファシリテータがワークショップの現場に慣れると言うことだ。その結果、自分のファシリテーションのスタイルを確立して、オリジナルでユニークな方法として主張しようとふるまうのだ。場合によっては、それは他の代替的な可能性を見ようとせず、いささか排他的な態度に結びつくかも知れない。(P178)

重要なのは、ワークショップに関する考え方や方法について、自分が志向する「流派」を唯一のものだと考えないことだ。デザイナーやファシリテータが自らの個性を追求することは大切だが、同時にそれはデザイナーやファシリテータの自身の視野を狭める可能性もある。(P179)

ワークショップにかかわる「同業者」どうしのコミュニケーションは、それぞれの方法の「正統性」をめぐる「闘い」ではなく、お互いの違いを認めつつも、しばし同じステージに立とうとする「ダンス」に見立ててとらえたいものだ。(P180)

 
おおお、これは自分の態度について考えさせられる・・・。視野は放っておくと気付かないうちにどんどん狭くなっていくのだろう。

この本は、どうやらワークショップをやってみたくなる本ではなく、読んだ人に我が身を振り返らせて、ワークショップの奥の深さについて改めて気付かせてくれるような本だ。これぞまさしくアカデミアの仕事。デザイン(思考)もこの段階の捉え直しに踏み込むべきなんだよな。実践知を深めていくための素晴らしいお手本を見させていただいた気がして、大きく励まされた。丁寧に読み返そうと思う。

【過去記事再掲】学生と一緒に出演した教育映像「tunnel man」が公開

この記事は、2012年7月7日に書かれた以前のブログ記事を再掲しているものです。
 
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教育映像Tunnelman シリーズの "TunnelMan Episode 5 Permafrost history" が公開されました.2010年の夏にアラスカのフェアバンクスに滞在していた時,ちょっとしたご縁で僕と当時の研究室の学生2名と飛び入りで撮影に参加させて頂いたものです.よろしければご覧下さい.(写真は当時の学生だったO君とN君)
 

youtu.be

 

テンポが速く,ストーリがちょっと理解しにくいかもしれないけど,人類がアフリカを出たグレートジャーニーの始まりの頃からの気候変動が トンネルマンのバッジに記録されており,そのデータによると地球は絶え間ない大きな気候変動を続けてきたのだというおおまかな話.今は沈静化した感もある が,構想された2年前は地球温暖化で世界中が大騒ぎしていた.僕とO君,N君が出たのは,人類がシベリアに到達して偶然弓矢を発明した頃という設定である w


トンネルマンシリーズは,永久凍土の研究者,吉川謙二先生(アラスカ大)を中心として,アラスカのネイティブ(エスキモー)の子供達への教育を目的として作られたものだ.エピソード5まで作られ,今回のエピソード5が完結編となる.(エピソード2が一番完成度高い)(もうひとつ,ほのぼのとしたNG&未使用映像集


トンネルマンは,イントロだけ見るとチープなネタ動画と思われがちだし,実際,関係者で作っている一種の自主制作映画のようなものではあるのだが,よく解説を聞くと,非常によくデザインされた研究と地域を繋ぐ仕組みでもある.今回はその辺を少し書いてみたい.

まず前提として,普通に授業のような形式で説明すれば分かってくれる子供達ではないのこと.映像の中で扱っている内容は,アラスカ地方特有の地学の知識、例えば,永久凍土層がどうしてあるのかとか,永久凍土層の上にある氷柱の上に家を建てると,後日氷が溶けて家が傾いていくので建ててはいけないとか,彼らがそこに住み,住居を建てるために知っておかなけれなならない知識なのだけど,小さな村では,そういった真面目な話をしても,なかなか聞いてもらえないそう だ.

要するに教育困難校と同じような状態なのだが,吉川先生によると深刻な事情もあるらしい.エスキモーの生活が近代されて,従来の文化 には存在しなかったアルコールが持ち込まれたことによって,抵抗することもできずアル中になってしまう人が多いという.そしてさらに妊娠中であってもお母 さんは酒をセーブできず,その結果,生まれてくる子供達に発達上の問題がうまれてたりする,という話.(アルコールシンドローム

そんな 子供達は,彼らは黙って人の話を聞く集中力が5分と続かないようだ.そこで短い時間を出来るだけ有効に使って楽しく理解してもらおうと,吉川先生自ら謎の アメリカンヒーローに扮し,こどもたちをストーリーの中に誘う.見えにくい部分やわかりにくい部分は,CG研究者の協力を得てできる限りビジュアル中心に 説明する. そして大事なことを歌詞に埋め込み,彼らの遊びの中で覚えて歌ってもらえるように,過去のシリーズでは地元のミュージシャンによるラップ調の歌詞がつくら れたりもした.

しかしながら,吉川先生は,本業は教育者ではなく永久凍土などの極地の自然環境を研究されている方である.では,なぜ,研究者が子供達のためにそこまで情熱を注ぐのか?

吉 川先生の研究は,アラスカ(含む世界中の寒冷地150箇所)のポイントごとに大きな穴を掘って地中深い部分の温度を測定し,その変化のログをデータとして 記録するデバイスを埋め込むという,途方もなく大変な方法によるものである.その過程では必然的に地道な肉体労働が必要となり,とても一人の研究者だけで はできない.そこで吉川先生は地元の村の人々や子供達に研究の意義を理解してもらい,彼らの協力を得て,みんなで楽しく穴を掘るという住民参加型のワーク ショップ的な戦略を採られている.その一環として子供達をあつめてこの映像を上映するというわけだ.

タイムカプセルのように地中に埋め込まれたロガーはゆっくりと何十年も記録を続ける.時が経ち.やがて村の大人となった当時の子供達のおぼろげな記憶と伝承によって掘り起こされる.昔,自分の小さな村に特別に来てくれたアメリカンヒーローのために・・・.

僕はその話を聞いて感動した.こんな大きなスケールで世界の人々を巻き込んでいく日本人がいたとは.

吉 川先生は研究者でありながら,実は半端無いクラスの探検家でもある.南極点まで徒歩で到達したり,北海道からアラスカの北の端まで小さなヨットで航海して 氷漬けになったりと,とさまざまな探検のエピソードを持ち,知れば知るほど,今の日本人に,こんなタフな探検家がいたのかと驚かされる.なんといつの間に か,英語で伝記まで出版されてしまった.それだけ人を元気にさせる物語にあふれた魅力的な人だということであろう.

短い時間だったが,お会いできて良かった.想像通りパワフルでカッコいい人だった.引き合わせていただいた青木先生ありがとうございます.


以下,懐かしくなったので,当時の思い出の写真を掲載.

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吉川先生の家に早朝に集合し,朝ご飯を頂く.
アラスカのサーモンで作った手作りのイクラ!異様にうまい.
 

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訪問したのは9月頃で,アラスカは急ピッチで秋になっていく最中.柔らかい陽射しの庭にて吉川先生を囲み,しばし歓談.

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吉川邸は庭が広くて羨ましい.というかアラスカの家はどこもこんなものだけど.子ども達はサッカーを楽しんでいる.

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クルマでロケ地まで移動.いい天気.

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このへんはツンドラ地帯よりも少し自然が豊かなタイガ地帯とよばれる平野が広がっている.適当な平地を見つけてロケ開始.やおら原始人になりはじめる日本人達w


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僕も原始人に.
肌の白さとかメガネとか・・・・原始人じゃないな・・.

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トンネルマンからかわいがられるO君とN君.終始ノリノリである

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一段落して,地ビールのパブに連れて行ってもらった.

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アメリカンな雰囲気もよいが,いい汗かいたのでビールもうまい.

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夕食にはステーキ屋へ.
僕は年のせいで肉は好きじゃないので小さいのを頼んだのだが,学生2名はノリで最大のものを注文し,信じられないほど大きな肉が来たw

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もちろん食いきれるはずもなく,タッパーでお持ち帰り.そのへんは日本人にも親切だった.

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腹がはち切れるほど食べて,僕がホームステイしていたアンドレさんの家に送ってもらった頃には,オーロラがキレイだった.それはもう幻かと思うほど.

2年近く前のことだけど,今でも新鮮に覚えている体験です.
 
 
 
 
 

オリンピックのボランティアに見る「意欲」のデザイン

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今度の東京オリンピックでボランティアを募集しているという話が、悪い意味で話題になっている。

 

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会
大会ボランティア募集要項PDF

 

そんな専門性の高い仕事を無償でやらせるのか、という非現実的な計画に多くの人があきれ、ポジティブに捉える人は見たことがない。そしてあまりの人の集まらなさに「学徒動員」がかかるのではないかとも噂されている。僕もそんな風に思っていたところ、先日、うちの研究室の学生が興味深いことを呟いていた。

 

なるほど、不勉強で知らなかったが、そんな経緯で取り入れようという話になったのか。(一般教養の「オリンピックとスポーツ」という講義らしい>サンクス)

 

こちらのページに、2014年に行われたトークイベントでの英国在住で経験者の方の話がまとめられている。

 

www.jlgc.org.uk

ロンドン五輪では、ボランティアは「あなたたちがオリンピックを作る」という意味で、”Games Maker”と呼ばれていた。ボランティアのシャツは、期間中ロンドン市内の駅や会場など各地で見かけることができた。このようにボランティアが前面に出たことがロンドン五輪の一つの特徴であったと思う。

 

ここで語られていることを読むと、今の五輪ボランティアに対する捉え方とはまるで違っていることに驚かされる。なによりも「Games Maker」という敬意をもったネーミングや位置づけ方には、ちゃんと協力者達が主体性を発揮してハッピーになるような「意欲」をデザインしようという意図を感じさせるじゃないか。

 

興味が湧いてきたので、 ちょっとググってみた。

 

London 2012 Games Maker survey Towards Redefining Legacy

Tracey J. Dickson and Angela M Benson

(Games Makerに関する調査報告:レガシーの再定義に向けて)

に当時の協力者たちによる統計データがまとまっている。

他にもいろいろサイトを回ってみたが、ガーディアン誌のこの記事が面白かった。

www.theguardian.com

Games Makerという仕掛けは、"市民は冷淡で無関心で関与したがらないもの"という捉え方を最終的に壊すことになった。まったく逆に、彼らは、サポートや励まし、適切なオファーを出すことによって、すべての年齢のすべての人々が、ポジティブかつ幸せな方法で、最も驚異的なことをすることがができることを証明した。公共機関と地域コミュニティ組織はこのアプローチから早急に学ぶ必要がある。

 

見返りとなる何か:Games Maker達は、マグライトの照明からアディダスの衣服や靴に至るまで仕事のための高品質なツールを装備し、簡潔で適切な訓練を受けていた(記事上部の写真はそのトレーニングや活動を記録するワークブック)。何よりも、彼らは何か重要で不可欠な部分を担っていると感じされられ、仕事をうまくやることができたと自覚し、満足感を得ていた。 典型的な地域参加—例えばボランティアが最終的な仕事の成果をほとんど目にしないとか、よくてチェックボックスを記入したような感覚、ひどい場合には意味のないイライラだけがが残されるような経験ーと、なんと異なっていることか。 

 

ふむ・・。 既存のボランティアから意味の転換に成功したこのGames Makerの仕組みと今回のオリンピックボランティアのお役所的な募集の仕方を比較すると、本当に成功事例の上っ面だけを取り入れようとしたんだな、ということがわかって絶望的な気持ちになる。これが運営サイドに体験価値をデザインができる人がいるかいないかの違いなのだろう。コピーするにしても、そこに大事なこととして「人の気持ち」が見えていないことが明らかだ。逆に言うと、ロンドン五輪の運営組織はさすがである。

 

もうひとつ、一概に言える話ではないけれども、ロンドンは日本よりは他者同士の助け合いの土壌があるのかも知れないな。以前の記事で、ロンドン地下鉄でのアクセシビリティの悪さの体験を書いたことがある。

kmhr.hatenablog.com

あの整備の悪さは問題にならないのか・・・という話をイギリス人に会った時にしてみたところ、「うん、良い質問だ。ちなみにロンドンでは、ベビーカー押して移動する際は、通常はバスを使う。バスも発達しているからね。だからTUBEに乗るのはよっぽどそうしなきゃならない時だけになる。ではそういう時にバリアにどう対処するかというと、"みんなで持ち上げる"と言う方法でカバーしているんだ。イギリスの男はたちは誰もが、それこそ腕に入れ墨入れているガラの悪そうな兄貴まで、階段で困っている人がいたらみんな協力する。それでちゃんと回っているんだから、それほど問題無いだろう?」というようなことを教えてもらった。

 

全ての選択肢をアクセシブルにせず住み分けさせることと、どうしても必要なら他人同士で手助けしあうというソリューション。考えてみれば、人々が協力しあうマインドによってカバー出来るのなら、人工物化するという方法ばかりが最適解というわけではない。

 

今の日本で、こんな運用ができるだろうか・・・。外側の人に冷たい村社会(安心社会)的な伝統ふくめて、「他者とできるだけ関わらずに生きないと損する」ような風潮が強まりつつある中で、自然発生的な助け合いが起こることは、正直ちょっと望みにくい。 ホモ・サピエンスの本能としての利他性が消えたわけではないんだろうが、震災の後の頃に立ち上がったようななんとか助け合おうというパワーは、いつのまにか時間と共に薄れて心の奥底に引っ込んでしまっているようにも思える。だからこそそれを引き出すようなデザインは大事になるわけだ。

 

 

まとめると、

1)ロンドンオリンピックで成功したボランティアの仕組みを取り入れようとはしたが、協力者になろうとする人々の意欲をデザインしようとする視点が完全に欠落している。

2)報告書によるとロンドン五輪ではまんべんなく多くの年代が参加しているが、「我が国の場合、多くの人々は余暇が少ないため、ボランティアに参加出来るような人はシニア層ぐらいだろうか。それに時間を割くだけの「見返りとなる何か」はあるか。今のところない。

3)ボランティアはもともと「無償」という意味ではなく、「自発的」活動である。それを演出されると最高の体験となるが、強制されると最悪の体験となる。

 

東京ではロンドンの時よりも「意欲をデザインする」条件は厳しい。しかし、そこにロンドン五輪以上の優れたソリューションを出せるような運営組織と、それを受容できる国民がいれば、ここからウルトラCはありうる・・・かもしれない。

さてどうなるか?2年後はもうすぐだ。

 

 

看護師のためのグラフィックデザイン

データ整理しているときに、偶然懐かしいものを発掘した。10年前、看護師向けの専門雑誌で「看護師の方々にデザインの力を知ってもらう」という連載記事があって、僕にバトンがまわってきた時に作ったもの。見開き2ページを使って自由に考えるという企画だった。

 

この年のテーマは「手洗い」ポスターのリ・デザイン。病院で看護師達が見飽きているだろう題材が設定されていた。意外なことだが、忙しさのあまり手洗いを忘れてしまう看護師はけっこういるらしい。そこで看護師たちがふと目を止めて手洗いに新鮮な気づきがあるような思考実験的なコンテンツをつくれ、というものだった。

というわけで、ぼくが考えたのが「プロフェッショナルなマインド」に訴えるという作戦。ここで晒してみる。

 

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左ページにグラフィックが配置。(当時ポスターのデータは出版社のウェブサイトからダウンロードして印刷して使えるようになっていた)

 

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右ページにはデザインを解説するページ。

この時には埼玉で内科クリニックを開業している医者の従兄弟に会いに行って、病院を観察させてもらったことを思い出す。彼が目の前で手を洗う時の所作の美しさに感心して、それをそのままアイデアにした。

 

そして、このシリーズは割と評判になったらしく、「次年度も是非!」となった。次の年のテーマは・・・なんと「うがい」。(そして読者は一般向けに変更された)

 

うーん、これは難しい。マナーポスターという範疇では届けなくてはならないルーズな人にこそ届かないことが多いわけで、そこにメッセージ性込めても限界がある。

ということで、さらなる変化球を繰り出す作戦。

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100均で変えるものをつかって「うがいロボ」をつくるという図解を組み合わせたネタにした。もはや真面目に答える気がないのがバレバレだ。

 

 

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解説ページはたしかフォーマット指定あったのかな。

読み返してみると、いまとあんまり考え方変わっているわけではないんだなぁ。

忘れた頃に見てみると、自分で書いたことでありながらなかなか面白い。

 

 

当意即妙!

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5月末に出版された「ビデオによるリフレクション入門—実践の多義的創発を拓く」がめっぽう面白い.

 

以前にもちょっと書いたことのあるThe Reflective Practitioner( 邦訳「省察的実践とはなにか」)という名著があるのだけど,その本の解釈ををめぐって冒頭で佐伯先生が重要なことを指摘されていたので,ここでメモを公開しておく.

kmhr.hatenablog.com

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第1章リフレクションを考える(佐伯胖)より

では,「リフレクション」はどういうときに生まれるのだろうか.ショーンによると,それはあらかじめ準備してたときに生まれるというより,突然予期せぬことに直面して「当意即妙(thinking about your feet)」ができたとき,あるいは非常に緊迫した状態で「油断無く気を配る(keeping your wits about you)」ときなど,まさに行為の最中で(「考える」ヒマもなく)生まれることもある.ここでショーンが別のところで使っていることばを付け加えるなら,「うまくいった!」「これでよかった!」という「良さの実感(appreciation)」が伴っていることもあるだろう.
ショーンは,このような「うまくいった!」「まさにコレなんだ!」という「よさの実感(groove)」が生まれるのは,さまざまなところに気を配り,なにか「気にかかること」をみつけたときであり,突然ふと思いつくこともあるという.(P14)

 

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ここで出てきた,thinking about your feet,keeping your wits about you,grooveにはそれぞれ佐伯先生の注釈がついていて(7)(8)(9).


(7)thinking about your feet・・・佐藤・秋田訳も,柳沢・美輪監訳も「歩きながら考える」としているが共に誤訳.


(8)keeping your wits about you・・・佐藤・秋田訳では「自分についての智恵を持ち続ける」,柳沢・美輪監訳では「分別を持ちつづける」とあるが,ともに誤訳.


(9)groove・・・佐藤・秋田訳では「はまり所」,柳沢・美輪監訳では「自分の型」と訳されている.本来grooveというのは強いて訳せば「のっている」状態のこと.

 

と一刀両断.まあ「thinking about your feet」は自分でも文字通りに受け取るし,そう訳すよな・・・これは翻訳者に同情する.

それにしても,ここは「リフレクション」という概念の根幹にあたる部分である.「歩きながら考える」ではいまいち腹オチしなかったところ,たしかに「当意即妙」だとそのエッセンスがよく伝わってくる気がする.そんな仏教用語を対応させるとは,なるほどさすがに佐伯先生だと感動した.

 

当為即妙:即座に、場に適かなった機転を利かせること。気が利いていること。また、そのさま。▽「当意」はその場に応じて、素早く適切な対応をとったり工夫したりすること。仏教語の「当位即妙」(何事もそのままで真理や悟りに適っていること。また、その場の軽妙な適応)から。

 

 この本はとても易しいのに深い記述が山盛り.例えば6章の鼎談.

 

"ほとんどの「学習者中心」の学習者の捉え方はレディ風に言葉で言えば三人称化されている学習者なのね.つまり外から眺めたうえで「学習者を中心にしましょう」なんてことを言っているときは,結局学習者は他人ごとですよ.そして「学習者を中心に何々してあげましょう」という,それは本当は学び手の思いということに何ら配慮のないのだよね"(佐伯) P157 

 

学習者の視点の話しはそのままデザインのアプローチにも通じる話しだ.

 

 

トーク番組風グループインタビュー

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5月末から2年生のインタラクションデザイン基礎演習の最終課題「2020東京オリンピックパラリンピックのためのデザイン提案」が始まっている.昨年までのかわさきコンフィズリーからバージョンアップさせた新しい課題である.今学生達がリサーチに取り組んでいるところで,6/4(月)はインプットの一環としてちょっと変わった企画を行ってみた.

 

外国にルーツのある人々をお招きしていろいろ聞き込むという企画で,僕のクラスではアメリカ人のジョセフ(僕の向かいの研究室の言語学者),上海大からの長期留学中のLさん(履修生なのにステージにあげられている),ミャンマーからシー氏,ミャッ氏(スパイスワークス社)がゲストに来てくれた.学生達は班ごとに手分けして質問していくということで要するに彼らを囲んだグループインタビューなのだが,まあ普通にやってもかしこまってしまって,盛りあがらないことは明らかだろう.なによりぼくが面白くない.

 

そこで,メイン司会者の徹子役とサブ司会者の中居くん役をイメージして「徹子の部屋」風のトーク番組をみんなで運営する,という仕掛けを演出してみた.もちろんあの「トゥールル・・・」のオープニング曲つきである. 結果的にこの演出はなかなか盛りあがった.教科書通りのグループインタビューをやるのではなく,目的の聞き込みを深掘りしていくために,型を「崩してみる」,「知っているたとえを使う」という試みは大事だと改めて気付く.

 

まあ,写真でみてもショボイ記者会見でしかないな・・・.もっとソファとか花とか用意しないとビジュアルはそれっぽくはならない.

 

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ゲストへの質問項目は事前にカードを作ってみた.去年の視点万華鏡と同じようなプロセスでつくられている. 今年のデザインはSAのKさんによるもの.

 

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この日に来てくれたシー君は,僕が審査協力したミャンマーのコンペ,WIT AWARDのグランプリ受賞者.今回の訪問はその副賞のジャパンツアーの一環でもある.彼はこのコンペにおいてデザインで賞をもらったわけだけど,実はコンピュータサイエンスを学ぶ学生だという・・・.学生達に受賞作品と技術デモの二つを学生向けにプレゼンしてくれた.できる人はなんでもできるのだね.

 

「いま,情報デザインを学ぶこと / 教えることの意味」:都高情研での講演より

 6/2(土)の午後,東京都の情報の先生達によって組織されている東京都高等学校情報教育研究会(都高情研)の研究協議会にお招き頂いて,「いま,情報デザインを学ぶこと / 教えることの意味」という題目で講演をしてきた.

昨年度のAdobe MAX教育セッションで話したことに追加して,今年から科研で取り組む内容を併せてみた.スライドを公開しておきますので御関心のある方はご覧ください.

 

 

この日のスライドから2枚ほど抜粋して掲載.

 

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東京都は情報教育に関しては全国でもっとも進んでいるようで,本日参加してくださったのはその中でもエース級の先生方らしい.そんな場でタイミング良く自説を話す機会を頂けたのはありがたい.僕としてもとりあえず先生方に向けて喋りたいことは言えたし,研究の宣伝もできたので,先生方に感謝.

 

終わってみるといろいろ論理が繋がってないところや説明不足のアラが見えてくるのがつらいが,忘れないうちにまとめ直そう.この日の講演録は,スポンサーにもなってくださっているAdobeさんが映像コンテンツにするそうだけど,せっかく科研費も頂いているので,(上手く喋れなかったところにこっそり手を入れた上で)地方の先生方に小冊子して配布できるようにしようと思っている,問題は夏までにそれをやる時間があるかどうかだ.

 

「問いの技法(How Might We)」ワークショップ

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5月6日にYahoo! JAPANにて開催された第4回 Xデザインフォーラムにおいて、午前の部でショート・ワークショップを実施してきた。

約100名の参加者に7名のファシリテータという大規模なもので、なかなかヒヤヒヤだったが無事に終えることが出来た。参加者のみなさま、ありがとうございました。

 

今回の内容は、「問うこと」を問うのがテーマで、こういったメタ的な知識はこれからますます重要になってくると思うので、スライドを公開しておきたい。お手すきの時にでもご覧下さい。

 

ベースにしたのは、古くからd.schoolでデザイン思考のメソッドとして知られているHow Might We Question。

英語版PDF

日本語訳PDF(βver:上平訳)

 

それに1)今進めている「シン・デザインの教科書」プロジェクトの多様な領域、2)昔に行われていたコピーライティングの方法、を組み合わせてみた。

 

今頃HMWかと思われるかも知れないけれど、意外とここにはフォーカスが当たりにくく、ちゃんと考える機会は少ないものだ。またHMWは英語圏でできた方法のため、曖昧な日本語との相性は良くないということが欠点としてあげられる。我々自身が日本語とマッチした問い方の形式知を生み出していくことが課題と言える。

 

 

悲しい泥

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これは何に見えるだろうか?

泥?そう、なんてことのない乾いた泥である。

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実はこの泥、落下したツバメの巣である。

毎年うちの大学の棟にはツバメが巣をかけ、ある時期はとても賑やかになる。でも今年はヒナの声がしないなぁ、と思っていた。エレベータで乗り合わせた警備員さんによると、これまでつくっていたところに巣を作っていたところ、カラスに襲われて卵が食べられてしまったそう。

 

それでもツバメたちはめげずにカラスに見つかりにくい場所にこっそり新しい巣を作っていたのだ。僕はせっせと巣作りするツバメたちを見るのが毎朝の楽しみだった。彼らが巣作りに賭けている健気さを見ていただけに、悲しい。

 

前後の文脈を知ると、それまで見えなかった過酷な生存競争のドラマが浮かび上がってくる。我々にとっては情報が断片化すると「ただの泥」以上の意味を見出しにくい。

この散乱している泥も、休み明けには何事もない様に掃かれて無くなってしまうんだろうな、と思った。

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追記:また巣作りに再挑戦していた。たくましい。

 

 

 

ロルフ・ファステのハイブリッド的考え方:デザイン教育の系譜1

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Rolf Faste(1943-2003), Stanford University professor

 

自分が影響受けたことの系譜を記述する、という超個人的なシリーズを思いついたので、時間みつけて書いてみたいと思う。

 

初回はロルフ・ファステ教授。日本ではほとんど知られていないけれども、デザイン教育者として歴史に残る重要な人物である。ファステは、スタンフォード大工学部のプロダクトデザインプログラムのディレクターを長年務め(1984-2003)、在任中にがんで急逝した。ちなみにファステの前任はロバート・マッキム(ビジュアルシンキングの創始者)で、後任がデビッド・ケリー(IDEO Founder)である。

 

彼が中心となり、工学部の学生達の創造性を高めるために開発しつづけた教育は、単なるデザイナーの職能育成を飛び越えて、異なる領域と領域をつなぐ共通言語となり、非専門家のためのデザイン教育として体系化されていった。それらは、のちの時代にDesign Thinkingと呼ばれるものになる。異質なものを組み合わせてハイブリッド的に取り入れる斬新な教育の取り組みや、言葉にならないものを言語化していく論考は他に比類のないもので、僕は大きな衝撃を受けた。

 

例えば、デザインの学びの文脈で即興演劇を取り入れるというアイデアはファステによるもので、しかもそれを論文にして1992年に発表している。僕は彼の真似ごとをしているに過ぎない。

 

Rolf Faste, “The Use of Improvisational Drama Exercises in Engineering Design Education,” Cary A. Fisher, Ed., ASME Resource Guide to Innovation in Engineering Design, American Society of Mechanical Engineers, New York,

 

僕がファステを知ったのは今から10年以上前のこと。櫛勝彦先生(京都工繊大教授)の研究室を訪問した際に、まとめられたばかりの博士論文を頂いた。そこにはインプロを取り入れた身体的エクササイズと、それによってブレストの心的メカニズムを理解することの学習効果が論じられていた。櫛先生は、ちょうどファステが教えていた頃のスタンフォード大のMaster Programに留学されており、ファステから学んだ経験をリアリティたっぷりに書かれていた。僕はそれを食い入るように読んだ日のことをよく覚えている。

 

ファステは惜しくも60才という若さで亡くなってしまったが、彼の残した創造性教育の知見や教材などは、ファステ財団(息子さん達)によって丁寧にアーカイブ化されてウェブ上で無償公開されており、我々も自由に読むことが出来る。

 

www.fastefoundation.org

ファステの仕事の中で、最後の10年をかけて書いていたという未完の書籍「Zengineering」(禅×エンジニアリング)なんて、今聞いてもコンセプトが斬新すぎる。

Engineering applies known principles to assure our creations are functional and safe. Zen courageously moves beyond conventional understanding to engage life in real time. These two opposites are explored as an inextricable Yin/Yang pair. One promotes critical thinking, the other non-judgmental mindfulness. One values logic, the other sees past it. 

 

 Zengineering addresses the problem of what to do next, both as an individual or as a corporation. It is concerned with being creative about what to be creative about.

 

こんなレベルでこれまでにない組み合わせを探り、新しい概念を創造していたことは唸るしかないが、先人の叡智を引き継ぎながらちょっとでも前に進んでいきたいものである。

 

余談だが、藝大の須永先生は、1995年スタンフォード大で在外研究した際、ちょうど同じ時期に在外研究で留守にすることになったファステ教授の研究室を1年間まるまる貸してもらって研究していた・・・という嘘のような本当の話。須永先生の論文にはファステの部屋のスケッチがでてくる。