Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

コンピュータルームの矛盾

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1年生向けの情報表現演習は例年端末室(コンピュータルーム)で行っているが、一方でうちの学部の学生は全員MacBookAirを配布されているので、そっちで宿題することになるし、使い勝手がよいのでみんな狭いスペースに無理してMacを並べる、という本末転倒なことが起こる。端末室でやる意味ないな・・・・、と思いきや、ウェブサイトつくるときに違うOSでブラウザの動作確認する意味ではこの2層のモニタが役に立つようだ。

 

このたくさんのモニタ眺めてて思い出すのが、4年前のMくんの卒業研究「電脳マルメ」。うちの学部の場合、学部全体がTwitterでゆるいコミュニティができているため、しばしば端末室は「ああ、○○さん(ID名)ですか!フォローさせていただいてます」というような会話が行われる場となる。ネット空間の人格とリアルの人格が接続するオフ会会場となっていることに着目して、彼は積極的に垢バレ(Twitterアカウントが周囲に判明すること)と出会いを誘発するようなデスクトップアプリを開発した。利用頻度が低くなってきた端末機を活用するという設定で、端末機にログインすると座席に応じてTwitterアイコンが表示され、話しかけやすくなるようなステータスを表示する・・・という実にうちの学部らしい(?)アプリであるw 

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このアプリは学生たちの間でもこれはアリか無しか、コンセプトの評価は賛否まっぷたつに分かれたし、いろんな壁があり実際に運用するところまではいかなかった。しかし今わざわざ大学に来て作業するという意味を問い直したという点はなかなか興味深かったと思う。 今はZenlyとか人と位置情報を重ねたアプリがいろいろ出てきたけど、当時ははまだあまり無かった気がするな。

 

コンピュータルームに限らず、コミュニティをよく観察していると時としてユニークな矛盾が発見できる。現に起こっていることを起点にして実験的なサービスを発想するのは面白いと思う。

 

 

 

 

日本デザイン学会でグッドプレゼンテーション賞

7/1,2に拓殖大学で行われた第64回春期研究発表大会で「デザイン実験の場を構想するためのダイアログゲームの試作」というテーマでパネル発表してきた。

発表内容は、欧州や北米で盛んなリビングラボの視点を取り入れて、専門家と参加者がゲーム的に楽しく対話しながら協働のデザインの場作りに必要なことを学習・発想していくことを目的としたツールをつくったよ、というものである。ツール自体は2年前にデンマークにいた時につくったもの。それを昨年度学生に手伝ってもらってキット化して、産技大とACTANTでのワークショップでテストしたことをまとめた。ツールの実物を展示する発表はあまりないので、みなさん割と面白がってくださった。

 

参考:3月にACTANTで開催したワークショップに参加したちゃちゃきさんのブログ

blog.chachaki.net

 発表時には、ブースに来てくれた知り合いの研究者とあれこれ話し込んでいるうちに発表時間終わってしまって、真剣にパネルを読んでくれている方にあまりプレゼンしてなかったのは申し訳なかったが、なんと後日グッドプレゼンテーション賞を頂いた。パネル発表94件の中の8件ということで、審査された方が評価して下さったようだ。ありがとうございます。

jssd.jp

 

−−−−−

 

ところで、実はこの研究には発表資料には一行も書いてない裏のねらいが存在する。いわゆる通常のビジュアルコミュニケーションのデザインワークは、クライアントから発注がきてデザインをすることが多いわけだけど、それ以外のかたちでデザインのスキルを活かすことはできないのだろうか、という個人的な挑戦である。

 

僕は普段大学教員として働いていて、目の前にはたくさんの学習者や社会問題の当事者達がいる。それは一般的なビジネスの場とはけっこう違った立場にいるということである。今は仕事を発注頂いたとしても時間とれないので受けることも難しくなってしまったが(注)、それでも僕はデザインをすることが好きだし、何かを創っていたい。逆に、その中立的な立場を活かすことで何ができるだろうか。そこで、デザインのスキルを通常依頼されるような「見るだけ」のグラフィックに変換するのではなく、共にデザインする場で一緒に考え、デザインをより楽しくするための道具を創ることや、今無いものを生み出すことに活かせることを実証してみようと思う。

 

注)大学教員としては仕事受けるのは難しいですが、パートナーのACTANTと共に取り組むプロジェクトとしてできることは色々ありますのでご相談ください。

 

 

当日の写真を取り忘れたので、パネルの画像を掲載。

 

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参加型デザインの明日 in GKデザイングループ

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7月7日、GKデザイングループにて開催された「参加型デザインの明日」というイベントで鼎談してきた。 GKデザインといえば戦後日本のプロダクトデザインを牽引してきたデザイナー集団であり、今も日本を代表するデザインコンサルティング企業である。そんな正統的な場所に、邪道を進み続けている僕が呼ばれたことに驚かされたが、優れたデザイナーである彼らも社会との関わり方を模索して自分たちの役割を変革しようとしていることにはもっと驚かされた。そんなわけで二つ返事で会場に向かった次第である。

 

鼎談は(いつものことではあるが)うまく話せず、あまりGKのみなさんの役に立てた気はしないが、柴田さんのお話しも山崎先生の話もとても勉強になって、いろんなことが自分の中で整理できたことは自分の収穫となった。

 

柴田さんによる問題提起。8枚目のスライドに特に注目。

 

僕はいつもスライドは公開していないけど、CoDesignのあれこれについては、この頃求められている知識でありながらあまり日本語リソース無いと思うので、今回は共有してみる。許諾とってない人の写真だらけなので問題あったら引っ込めます。

 
会場にはGKの社長や相談役など錚々たる方々がいらっしゃって冷や汗をかいたが、個人的にはモーターサイクルにおける伝説のデザイナー、一條厚さん(現・GKダイナミクス相談役)とお会いできたのがとても嬉しかった。僕は大学の頃からバイク乗りで若いときにはYAMAHA VMAXは憧れのバイクで欲しくてたまらなかったことを思い出す。

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ミーハー丸出しで記念撮影をお願いする。
 
その後の懇親会でも勉強になった。
柴田さん貴重な機会を頂き、ありがとうございます。
 
当日のイベント記事:
 
 
 

見つからなかったライター

ここ1ヶ月ほど,とある人から頂いたライターを自宅のあちこちで探していた.決して高価なモノではなく,ある芝居を開催したノベルティとしてつくられた小さな黒いライターだ.そのライターの表面には,その芝居のタイトルでもあった「誰かこの女知りませんか」という手書きの白い文字と女の人のイラストが描かれていた.

 

15年前の2002年の秋のこと.当時よく遊んでいたKさんから電話があり,小さな芝居へのお誘いをいただいた.彼女は当時駆け出しの脚本家で,仕事繋がりで脚本家の桃井章さん(桃井かおりのお兄さん)と親しく,その桃井さんは広尾でバーをやっていて,そこが当時映画業界の人々の集まるサロンになっていた.その店を丸ごと舞台にして,ある女優を再起させるための一人芝居の企画を進めているという.僕は電話でその女優の名前を聞いて驚いた.僕と同郷の割と知られたアイドルだった人で,しかも同じ学年ということでちょっとした親近感もあった.

 

その日の肝心な芝居の内容は忘却してしまったが,至近距離で上手にバーの空間を使いながら展開されていく演技に感動したことと断片的なビジュアルはぼんやりと覚えている.お世辞にも上等とは言えないステージで,少人数の観客を相手に,すべて一人だけでストーリーを演じるその女優さんの姿はとても輝いていた.

 

芝居が終わってからパーティになった.ほとんど映画関係者で,部外者の僕は結構緊張していたが,あるタイミングでその女優さんと二人だけで話することが出来た.彼女は当時30ぐらいか.酒浸りだった影響で凄く痩せてしまっていてアイドル時代の面影はなかったけど,見慣れた南方系の顔立ちには同級生の女の子に会うような懐かしさも感じた.

 

とてもよかったです,と感想を伝えるとともに,僕は嬉しくていろいろ話しかけた.

「僕も鹿児島出身で同い年です.あなたは我々のスターでしたよ」

「ありがとう,あなたはどこ生まれ?」

「阿久根です」

「ああ・・・そっち(薩摩半島)はけっこう栄えているよね.(私の出身の)大根占は何もない」

「そんな・・・似たようなものですよ」

なんて会話をした.まあ彼女の言うとおり,大根占(「だいこんうらない」ではなく,「おおねじめ」とよむ)は大隅半島のはずれで過疎化の進む場所であることはそうなのだけど,いくつか共通点を元に話し振ってみても,全部ネガティブな方向に持って行かれるので話を繋げられず,閉口したことはよく覚えている.

 

その後,その女優さんがときどき映画に出演しているという情報を知るたびにこっそり応援していたが,いつのまにか名前を見ることもなくなった.

 

そうしてすっかり忘れていた矢先のこと,その女優さんは10年ほど前に亡くなっていたことを一ヶ月ほど前にニュースで知った.アイドルとして輝いていた時を知るだけに不遇なその後をとても気の毒に思うが,あの破滅的な様子では長くは生きられなかっただろうな,とも思う.

 

彼女の名前はやがて消え去っていくだろうけど,あのステージで再び輝いた一瞬をみた人の記憶の中には、その姿はきっと生き続ける.僕もその一人のはずだ.だから,おぼろげになってしまった自分の記憶に対して,本当に自分が見たことなんだ,ということを自分自身で再確認するために頑張ってライターを探していた.どこかに埋もれている気がするのだが,結局未だに見つからないままだ.

http://jprime.ismcdn.jp/mwimgs/5/4/-/img_5409f6b13d307b530f951887f0203afb554120.jpg

http://www.jprime.jp/articles/-/9834?page=2

 

探しあぐねている言葉

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先日クリーニングデイに参加して「アップサイクル」という言葉を遅まきながら知ったわけだが,これは再び素材にする通常のリサイクルにも大きく二つの方向性があるという考え方のようだ.

1)ダウンサイクル=価値を下げて再び使う(例:タオルから雑巾)

2)アップサイクル=元の製品よりも価値の高いものに変化させること(例:廃材から一点物のプロダクト)

「アップサイクル」とは、サスティナブル(持続可能)なものづくりの新たな方法論のひとつである。従来から行なわれてきたリサイクル(再循環)とは異なり、単なる素材の原料化、その再利用ではなく、元の製品よりも次元・価値の高いモノを生み出すことを、最終的な目的とする。換言すると、リサイクルによる製品のアップグレード、としてよいだろう。アップサイクルの領域では、一般ユーザーにも目に見えるかたちでの「デザイン」(色や形)が重要な役割を果たし、とりわけファッションと生活雑貨の領域では、大きな成功を収める事例が増えてきた。その嚆矢のひとつであるスイスのブランド「フライターグ」は、トラックの幌布、自動車のシートベルト、自転車のチューブなどを用いた、実用的でデザイン性が高いバッグで、世界的に知られている。

アップサイクル | 現代美術用語辞典ver.2.0

 

 ふむ.フライターグが代表例なのか.ちなみに僕の愛用バッグがフライターグで,全て一点物ということになるので、どのような図柄をチョイスするかの体験は確かになかなか得難いモノであった.

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フライターグはスイスの会社らしく、マニュアルのグラフィックデザインも凝っていて,ユニークな図で描かれている.このアングル!

 

「一見不要に見えるものに新しい価値を見出す」というのは僕の研究室で取り組んでいるテーマでもある.アップサイクルという言葉は割と近いのだが・・・でもなんだかフィットしない感覚も一部にあってなかなか悩ましい.バズワードっぽい言葉に乗るよりも,古くから我々の文化にある「一石二鳥」や「わらしべ長者」の方が意味が近い気もするし,よい言葉を探し当てることは難しく,ずっと探しあぐねている.

 

クリーニングデイ@横浜に参加

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もう1ヵ月前のことになるが,5/27にフィンランド発のアップサイクル・カルチャー・イベント「クリーニングデイ」に参加してきた.「アップサイクル」とは、モノを再利用するリユースやリサイクルだけでなく、モノに新しい価値や有用性を見出す,ということらしい.ヘルシンキで始まった試みとしては,誰でも料理を振る舞えるレストランデイが有名だけど,同じような市民参加型のクリーニングデイも知られていて以前から興味持っていた.そんなわけで日本で開催されることを知って行ってみようと思い立ったわけである.会場では,加藤先生の新作オカモチも披露され,実際に淹れたてコーヒーが振る舞われた.

 

まずは映画上映.アップサイクルなファッション・ビジネスを展開するクリエイターを追ったドキュメンタリー映画『Take It Slow! : Sustainable Fashion for Local Community in Helsinki』

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ファストな消費カルチャーと闘うデザイナー達の活動はなかなか興味深かった.「完璧である必要はない」というメッセージはついつい考えすぎてしまう我々の背中を押してくれるように思う.

 

この映画はVimeoでフルで見れる(残念ながら日本語字幕はない)

Take It Slow! Sustainable fashion for local community in Helsinki, Finland (2015) from Olga on Vimeo.

 

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本の交換会.自分にはもう必要ないけど思い入れがある、あるいは誰かに贈りたい本を各自1冊持参し、参加者同士で本にまつわるストーリーとともに交換するという試み.

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僕はマリーアントワネットの文庫本をゲット.きっかけはスイス旅行した時に知った瀕死のライオンのエピソードで,それ以来この人のことが記憶の片隅にあった.彼女も悲劇的な人生だ.

kmhr.hatenablog.com

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僕は20年ほど前の書籍を出品.オザケンファンでもあまり知らない本だが,彼の音楽の元ネタがふんだんに分析されていて楽しい.「最近,小沢健二は何者だったのかを考えていた」という,同世代の人が選んでくださった.ありがとうございます.だれも興味なかったらどうしよう,と思っていたけど,この日の会場のBGMは,なんと「流動体について」.シンクロしてて驚いた.

 

なぜここで本の交換会?と思われるかも知れないが,アップサイクルとは「モノを再利用するリユースやリサイクルだけでなく、モノに新しい価値や有用性を見出す」ということだから,自分には不要な本を1冊処分して新しい価値に変える,というのはちゃんとコンセプトに繋がっている.けっして単に掃除する日ではない.

 

クリーニングデイは,なにが自分に必要で,なにが必要でないかを意識化することで,自分の周囲をあらためて捉え直し,気持ちが洗われるきっかけになる,というのが面白い.

 

 

民主主義とデザインのためのプラットフォームが誕生

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5月末に,世界中で行われている民主主義とデザインのための活動を一元化するプラットフォーム「Stand Up for democracy」がオープンした.

発起人はEzio Manzini(ミラノ工科大名誉教授)と,Victor Margolin(シカゴ大イリノイ校のデザイン史の教授)の二人.

二人のオープンレターによれば,アクションを起こすために,

・個人的な声明文を書く(500word未満)。
・あなたのネットワークでその声明を回覧する。
・次の数ヶ月でイベントを開催する

ことを求めているそう.そして二人の呼びかけに応じては徐々に声明やイベントが集まってきている模様.アジアも中国から2件.おそらく香港のYanki Leeかな.

 

混迷する世界の国々の民主政治に対して,誰も見えていない解を探るためになんとかデザインの知見を活かせないか,インターネットがある今,そのような試みを局所的なものではなく世界規模で情報交換しながらみんなで考えていけるんじゃないか・・・という切実さを感じる運動である.

 

個人的にはCoDesignの名著"Design, When Everybody Designs(みんながデザインするときのデザイン)"を書いたEzioのファンでもあるし,デザインの可能性を考える意味でも大きな興味持ってこの運動の成り行きを見守っているが,(自戒を込めてあまり政治活動に活発ではない人が多数の)日本ではどう受けとめられるんだろうな.

 

mitpress.mit.edu

Ezio がスウェーデンのmalmo大学で講演した時にはものすごい熱気だったと友人から聞いた.Youtubeにビデオが残っていてフルで見ることが出来る.Pelle Ehn(参加型デザインの生き字引)がホストして,Ezioが講演なんて胸が熱くなる.

youtu.be

 

笑いを教えるということ:お笑いコンビ・モクレンの講演より

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6/13(火)のこと,若手お笑い芸人のモクレンのお二人をお招きして,1年生250人に対しての講演と,その後に学生と教員有志に対しての即興コメディのワークショップを実施した.モクレンのお二人とは先日グラグリッド社で行われたフォーラムシアターでの実験で知り合い,ちゃっかり大学へもお願いしてお越し頂いた次第である.彼らは単なるお笑い芸人ではなく,教育のバックグラウンドを持っており,そしてインプロと笑いを融合させた新ジャンル,「即興コメディ」を標榜し,日本即興コメディ協会という組織を立ち上げるという活動も行っている.

 

 ワークショップも進行やワークの展開がすべて即興で成されていくのが大変に素晴らしかったのだが,その前の講演がとてもよくて,僕の心に残ったのでメモを残しておきたい.

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題目は「笑いを教えるということ」というもので,おまかせで依頼したので僕もどんな内容になるのか知らず(おい),笑いの原理や方法を教えるのかな,と思っていた.ところが話しの核心に入って紹介されたのは,実に深いエピソード.

 

ちょうど講演の1週間ほど前に,二人はとある高校へ講演しに行ったのだそう.そして講演が終わり,その後の質疑のときに,ある生徒が「何か一発芸やってくださいよ」みたいなことを(たぶん失礼な態度で)発言したらしい.

 

それに対してモクレンの矢島さんは,その発言を受けてそのまま芸をするのではなく,「君の手には乗らないよ.だいたい君は僕が何をやっても笑わないつもりでしょう.そうやって安全圏から人に無茶振りを命令して,うまくいかなくて滑ったところを一方的に笑いものにしようという姿勢は,間違っていると思うよ」とピシリと叱ったという.

 

「笑いのプロ」として講演に呼ばれた先で生徒を「叱る」とは,いやはや矢島さんはものすごい漢だと思わず唸ったが,彼によると,その背景には昨今のテレビ番組で氾濫している「いじり・いじられ」がある.実際にはいじられている芸人さんはあくまで設定の上で演じているだけであって,実際の姿というわけではない.リアクション芸人に対しても収録が終わったらみんなビシッと整列して『出川さん,ありがとうございました!』とか『上島さん,申し訳ありませんでした!』と挨拶するそうで,みんなプロの演技に敬意をもって接しているわけだ.でもそういった舞台裏はお茶の間までは届かない.なので視聴者側としてはたぶん多くの人が舞台上のフィクションとしてやっていることと本当の人物の姿を区別することはできない.今の若者達は日常的にそういった番組を見て育っていて,その結果,いじって笑いものにする風潮,つまり「嘲笑」のふるまいを一般的な笑いの作法として学んでしまい,普段のクラスメイトとのコミュニケーションにも大きな影響を与えているんだそうだ.もっと言えばそれらはいじめの発端にもなっているということである.

 

「適切な笑いはコミュニケーションの潤滑油にもなるけど,間違った使い方をすると,人を貶め,ひどく傷つけることにもなる,だからその状況でいじられた方がどんな気持ちになるのか,みんなもよく考えなきゃいけないよ」ということを矢島さんは力説していた.そしてうちの学生達もみなこれまでの学校生活で思い当たるフシがあるようで,みんな水を打ったように静かになった.

 

確かによく考えてみれば,「笑いの作法」は,社会の中の誰も教えてはくれない.小中学校では生活指導は大きな要素だが.成長するにつれて先生が教えるのは主に教科の内容だけになっていく.生徒同士のプライベートな会話は先生には見えない.親も子供同士がどんな会話をしているのか知らない,(僕もそうだが)知りたくても家からは見えない.

 

また,笑いは非常に文脈的で感覚的なものであるがゆえに,普通の人は違和感を感じたとしてもなぜそう感じるのかを適切に言語化できるわけじゃない.でも言語化する努力をしなければ,「なんでいけないの」ということを子供が納得する言葉を用いてただしていくことは難しい.誰かが,笑いの構造を言葉でちゃんと説明する必要があるのだ.

 

フィクションはメディアを経由して静かに我々の常識を侵蝕していく.それらを通してこども達が「学んでいく」ことは実際の社会同様に光と影があるのは避けられないとしても,それに対して,大人の側にも規範の基準を持って諭していく必要があるのだよな,決して「自分はよくわからないから」と人任せにしてはいけないな,ということに気付かされた一時だった.

 

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二人は今週木曜から単独ライブを開催するそうです.

natalie.mu

 そして今月.矢島さんは本を出版されるそう.

yajimatalklive.peatix.com

 上平はモクレンの二人を応援しています.

 

2020年以降,高校で情報デザインが必修へ

先日聞いて衝撃を受けた話.

2020年に改訂される予定の次期学習指導要領では,小学生からプログラミング的思考の学習が始まるということは割と知られているが.高校生への「情報」科目も大幅刷新される見通しだそう.2016年末に中央教育審議会が提出した「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)」によると,

 

新しい情報科目は,情報Ⅰ(仮称)と情報Ⅱ(仮称)の二つになると記されている.

・共通必履修科目として「情報Ⅰ」(おそらく1年生配当)

・選択科目として「情報Ⅱ」(おそらく2年生配当)

とのことで,項目の構成案に,なんと「(2)コミュニケーションと情報デザイン」が4つの柱の一つとして明記されている.

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2単位ということで50分授業を35回×2の70回.単純計算して17回程度はこの項目に割り当てられるということになる.詳細には,

情報デザインに配慮した的確なコミュニケーションの力を育む。
ⅰ)情報とメディアの特徴、情報のディジタル化、情報デザインのルール(ユーザビリティアクセシビリティなど)、情報の信頼性や信憑性、著作権などへの配慮、情報化によるコミュニケーションの変化
ⅱ)情報デザインを適切かつ効果的に適用してコミュニケーションする力
ⅲ)情報を吟味しその価値を見極めていこうとする態度、情報モラルなどに配慮し情報社会に主体的に参画しようとする態度

 

Q:「学校や部活動を紹介するWebページを作ることを通して、見やすく、使いやすく、内容が的確に伝わるWebページとはどのようなものかを考えてみよう。」その際、情報を整理しルールに従ってデザインすることの有用性を実感するようにする。

 となっており,わりと狭義に「情報デザイン」という言葉を使っていることがわかる.情報デザインと言う領域は立ち上がって20年ほど経過し,細分化を経て最近では積極的に啓蒙する人も減ってしまったが,上述されているような「伝えることの基本」を学ぶことの意義は今でも十分に大きいと言えるし,この項目が普通科において必修の内容になるということは,非常にインパクトは大きい.普通科の1年生は日本全国でおよそ80万人.その数の生徒達が授業でデザインを学ぶ時代になるということだ,

 

そして発展的な「情報Ⅱ」の方では,最後の課題研究に注目.

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「問題の発見,解決に取り組み,新たな価値を創造する」とまで記されている.このプロセスはむしろ情報Ⅰの項目「コミュニケーションと情報デザイン」よりも本質的にデザインを意味していると言えるだろう.

 

当該文書では,

情報Ⅰ(仮称)及び情報Ⅱ(仮称)の(1)~(4)における学習を総合し深化させ、問題の発見・解決に取り組み、新たな価値を創造する。
※ 独立した項目として位置付けるか等は引き続き検討する

 となっているからまだ決定されたわけではないようだが,なかなか挑戦的なことで良いことじゃないか.新しい学習指導要領においては,しばしば議論されているように「問題解決だけじゃなくて問題発見も!」とか「マイナスをつぶすだけでなく新しい価値をつくりだすこと!」など,今後の時代において重みを増していくだろう学習の観点についてはなんとか反映しようと試みているようだ.

 

掲載されている「学習の過程のイメージ図」もなかなか興味深い.

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「協働での意見の整理」とか「学んだことを活かして情報社会に参画・寄与しようとする態度」とか,「かならずしも一方通行の流れではない」とか.日頃我々が感じている課題感が的確に整理して言及されているように思う.

 

また,この改革を議論している教育課程部会情報ワーキンググループ委員の小原先生の記事では,入試との関連まで.

今後、情報系の大学入試で情報の入試科目が増えてくる可能性がありますが、その場合、出題範囲が「情報I(仮称)」までということは考えられませんので、「情報II(仮称)」は当然、大学入試で出題される範囲となる科目となるでしょう。つまり、いわゆる「進学校」と呼ばれる学校の多くは、この「情報II(仮称)」の内容を、授業として教えることが求められるのです。

 

ICTE情報教育セミナーみなとみらい講演
次期学習指導要領で教科「情報」は、どう変わろうとしているのか

 情報はすでに一部大学・学部では入試科目になっているが,こういった学習内容の改訂は当然試験の内容にも影響してくるわけで,つまり一部の設問はデザイン領域から出題されるようにもなるということだ.いったいどんな問題になるんだろう.

 

というわけで,2020年の改訂内容は個人的に大きなニュースなのだが,僕はデザインを高校で教えること自体には以前から前向きに捉えている方である.文章表現の学びが文芸作家やライターだけのものではないように,デザインを学ぶことは,決してデザイナーだけのものではない.だから,デザインが必修になること自体に冒頭で書いたような「衝撃」を受けたわけではない.

 

以下は,高校の情報科を担当されている某先生との先日のやりとり.

「この改訂に,情報の先生方は対応できているのでしょうか?」

「まだこれからですね.子供達へのプログラミング的思考力(Computational Thinking)はいろんな業者や研究者も参入して何を学ぶべきか,どんな教材が必要かなどの議論が活発に行われていますが,デザイン領域ではまだ動き出している人は少ない.これから必要になると認識しています.でも問題はそれ以前です」

「えっ」

「情報の先生自体が少ないのです.例えば神奈川県の県立高校150校のうち情報の専門の先生が専任で在籍しているのは2,3割で,あとの高校は臨時の講師や他科目との兼任で凌いでいるのが現状です」

 「うっ」

「それでも首都圏はまだいいほうで,地方では情報科の採用自体がほとんどありません」

「(絶句)」

 

情報の教員になりたくても採用枠が無くてなれない,というのは僕も情報学部教員なので長年の課題として知ってはいたが,ここに来て初めてリアリティを突きつけられた感じだ.人事に関する問題は学習指導要領よりも動きが悪く,すぐには変えることは難しい.どうするんだろう.でも考えてみると,これは決してそれぞれの高校に責任があるわけではなくて,もっと根本的な問題である.国はSociety 5.0を提唱するならば同時に対応しなければならないことがあるんじゃないか.

 

みんながデザインを学ぶ時代になって,せっかくなら「この分野は面白い」と将来の得意分野につながるきっかけになってほしいな,と思っていたが・・・・デザインが高校の教卓に辿り着くまでには,どうやら2重の壁があることを知った.情報科を熱意を持って先導している先生方が多くいらっしゃることには大きな希望だが,専門外の先生方まで関わらざるを得ない状況だとすると,なかなか道は険しいようだ.

 

 

「公共のデザイン」についての重要な論文が公開

 5月9日, クリスチャン・ベーソン(デンマークデザインセンターCEO)がコペンハーゲンビジネススクールに博士論文を提出して博士号を授与されたとのこと,

 

 クリスチャン・ベーソンといえばデンマーク政府のイノベーション機関であるMIND LABのヘッドからデンマークデザインセンターのヘッドに移籍すると,ただちにそれまでの家具や照明などのインテリアといったモノ中心の"デンマークデザイン"の看板から,サービスを中心にしたコトのデザインへと方向性を大胆に切り替え,それを主導してきた重要人物.公共政策へのデザイン導入の取り組みはデンマークは世界的にも進んでいるけれども,それはベーソンのリーダーシップによるものも大きいと言える.(余談だが,デンマークデザインセンターには以前は地下には国立デンマークデザインミュージアムよりも充実したコレクションギャラリーがあったのに,彼がヘッドになってからバッサリと断捨離してしまい,伝統に対するその未練の無さぶりに僕はあっけにとられた)

 

その彼が公共のデザインに関する論文をまとめたというからこれはニュース.そしてコペンハーゲンビジネススクールのサイトで博士論文は全文(381ページ)が無料公開されている.

 

 アブストラクトだけ訳してみたので,ご参考までに.

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「公共のデザイン」を先導する:公的な統治を変革するためにマネージャーはいかにデザインに取り組むか

近年,デザインは先進国から新興国にわたって公共政策や公共サービスを形づくるひとつのアプローチとして浮上することになった.しばしば高まる改革への要請に応じて、国際機関,国,地方公共団体,財団法人,慈善団体,ボランティアやコミュニティ団体、教育機関など、あらゆるレベルの組織は,デザイン領域に触発された様々なアプローチを取り入れてきた。
しかしながら、それらデザインのアプローチが公共のイノベーションにどのように影響するのかーそれが公的機関のマネジャーの役割をどのように変え、どのようにマネジャーが新しいアイデアやソリューションを生み出すのを助けるのかーそれは一部の人々がこれまで提唱したように,新しい政治モデルやパラダイムの台頭を示唆しているかもしれないのだが―これらの問いは、これまでいくつかの例外を除いて厳密に探求されたことがなかった.この博士論文では、デザインアプローチの利用を開拓したパブリック・マネジャーの経験を調べることによって、これらの問題を探究する.


具体的には、著者は次の3つの問いに取り組む。
1)デザイン実践の特徴づけ:公共部門の組織内でデザインアプローチの適用に必要とされるものは何か? なぜパブリック・マネージャーがデザインに期待を寄せ,デザインを作動させるのか? どんな道具、技術,プロセス,およびメソッドが使用されているか?
2)変化の触媒としてのデザイン:パブリック・マネージャーがイノベーションのための問題や機会にどのように関与するかが影響するとすると,どのようにデザイン・アプローチを行うのか?デザイン・アプローチを取り入れることは,パブリック・マネージャーが賢明に努力している変化を達成するために,どの程度まで役立つのか、そしてそれは何故か?
3)新たな公共統治の形態:デザイン・アプローチの結果として生じるアウトプットはどのような形状をとるのか?デザインアプローチと,新しい種類の公共のソリューションと統治モデルの出現との間には何が関係しているのか?

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以下はScience Direct誌によるベーソンへのロングインタビューより.

http://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S2405872617300084-gr12_lrg.jpg

This figure shows the ways managers engage with an issue, and this is actually something they do before design enters the picture, at least to some extent. Sometimes they invite designers to help them challenge their own assumptions about the problem. But they have a history of doing so without the help of design. But the issue is sort of prompting them to say, “Hmm, how do we know this, how do we know what the users, or X culture, or Y age range want or feel? I don’t know this, how do we know that for certain?” So, here is where they engage with ethnographic research. And then they invite in design, and then the empathy or the richness that the ethnography provides is what they use to engage their staff and employees and say, “We need to address this.” And then they begin to steward the organization’s divergence—they support exploration away from what the organization currently knows toward new ideas and visions. And they are using design processes to support that navigation of the unknown.

Christian Bason: Design for Public Service - ScienceDirect

 

日本でも公的な場においてデザインのアプローチを取り入れる試みに関心を持っている若い人たちが徐々に増えているが.こういった優れた事例を参考にして新しい取り組みが加速することを期待したい.

 

そういえば,デンマークでベーソンに会った際,CoDesignのベースになるdemocracyのマインドを日本人が育むためにはどうすべきだと思うか,と彼に意見を聞いてみたところ,「きっと君の求めるヒントはデューイにある.彼の思想は参考になるはずだよ」とアドバイスを頂いた.彼からもらった宿題のままだな・・・と思い出していたら,彼の論文のイントロダクションはデューイの引用から始まっていた.ちゃんと勉強しなきゃ.

 

kmhr.hatenablog.com