今年もフィールドミュージアムのプロジェクトを終えることができた。12月中旬、コ・デザインワークショップの直前に、提携している小学校がインフルで学級閉鎖になり、あやうく中止になるところだったが、なんとかリスケして乗り切ることができた。(今思えば、まだあの程度で大騒ぎして・・・平和だったなぁ)
そんな今年の成果をまとめた冊子である。
冊子には例年のように(間に合わせの)コラムを寄稿したのでここに転載。
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その後を追跡してみて、見えたもの。
text by kamihira takahito
たまには親としての目線を含めて書いてみようと思う。
発表会に連れて行った子供二人は成果物をとても楽しんでおり、親の立場からも大学生達の頑張りは満足できるものだったのだが、上の子が工作物を持って帰りたいと言い、僕が預かることになった。
よくあることなので、それほど気にも止めず適当にカメラのバックの中に入れた。「まあどうせ明日には作ったことも忘れるだろう」と思ったことは内緒だ。そしてそのまま研究室に放置していた。すると、珍しく息子が「あの○○、持って帰ってきた?」としつこく聞く。翌日も、その翌日も。くりかえし、くりかえし。「ごめん、持って帰ってくるの忘れた」とその度に謝るハメになったのは僕の方である。
2週間ぐらいそのやりとりを続け、僕はようやく持って帰った。工作物は、大きなレンズの下敷きになり折れ曲がり、両面テープには細かいゴミが付着し、まさにゴミにしか見えないものになってしまっていた。
それでも本人にとっては、かけがえのないものだったようで、大変喜び、「お母さん、これ僕が作ったんだよ」と大声で妻に自慢している。そうか、自慢しかったのか・・・・。なるほど。
と思ったところ、それが目的というわけでもなく、さっそくパーツに分解し始めた。クリップで紙切れを綴じたりしながら、ずっと遊んでいる。どうやらカラフルなクリップに一目惚れしていたらしい。もしかして、そのクリップが欲しかったということか・・・。
と思ったところ、そういうわけでもなく、工作物に書かれていたキャラクターを真似して描いている。いっしょに作ってくれたお姉さんたちのことを忘れたわけではないようだ。会場で体験したおもちゃの背後にある科学の話をしたのも、一度や二度ではない。
その後も、彼はいまだに宝箱の中に入れて大事に持っている。ガラクタの集積に見える宝箱の中には、数年前に出展した学生がくれたトカゲのペンダントもまだ入っていた。
大学生たちにとって、会場で接した親子の方々との接点は、ほんの何分かでしかない。子供が心底楽しいと思える体験を提供したとしても、終わってしまえば、その後の行動を知る由もない。
今回、偶然ながらおもちゃのその後を追跡して観察する機会を持ち、子供が持ち帰り、二転三転しながらも大事に残すことを知った。みんながそうだとは限らないが、学生たちが必死に試行錯誤を繰り返したカガクおもちゃは、大事な何かのきっかけをつくっているのだ。短い体験だとしても、すぐに消え去ってしまうものではない。
このプロジェクトは、もうかれこれ10数年以上続き、僕らはたくさんの親子連れと接してきた。ミュージアムにおける一期一会の大学生との短い出会いの中で、それぞれの親子は何を試み、何を残すのだろう。
そして視点を変えれば、同じ問いが立ち上がる。教室での一期一会の我々との短い出会いの中で、CDの履修者たちは何を試み、何を残すのだろう。学んだことを自分で要素に分解して宝箱に入れ、必要な時には思い出して使ってくれるだろうか。あるいは単位さえ取れば後は放置されるだろうか。
僕らもまたそんな葛藤を抱え、自分の命を費やした貴重な時間が蒸発してしまわないように、試行錯誤を続けている。