Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

2018年度FIELD MUSEUM PROJECTの成果冊子ができました

f:id:peru:20190323151759j:plain

2018年度FIELD MUSEUM PROJECTの成果物である8つの作品を収録した冊子ができました。今年は多摩区助成金が切れて、あやうく冊子を作れないところでしたが、これまでの活動実績を元に学部で特別に予算を認めて頂きました。発行部数は微々たるものですが、ちゃんとアーカイブできるのは有り難いことです。スタッフの写真の腕前が上がっていて(?)、ミュージアムでのワークショップの様子がとても良い感じに映っています。

なお、今年も冊子にエッセイを寄稿したので、ここに転載します。

___________

 

“教えられると、人は思考停止する”

text = 上平崇仁(専修大学ネットワーク情報学部 教授)

 

10年以上前に卒業した研究室のOBでもあるN君が、子供二人を連れて今回のフィールドミュージアム展に来てくれた。その日僕は某国家的イベントの監督業務があったために残念ながら展示会にはいけず、彼には会えずじまいだったのだが、子供たちはとても楽しんでいたそうで、その日の夜に感謝の言葉とともに、親の目線として感じた丁寧なフィードバックを送ってくれた。その文章の中で、N君は、たくさん褒めながらも、(ワークショップが)「決めたこと」をさせる作業になってやしませんか、ということを指摘していた。自分たちがつくったカガクおもちゃを体験してもらう中で、覚えてほしいことや、気が付いてほしいことに誘導することに気が行き過ぎると、体験する側に一種の「作業感」のような感覚が出てしまうのではないか、と。おそらくこの点については、大学生も子供達もめまぐるしい時間の中ではあまり意識してなかったことかもしれない。実は、これは大変深く刺さる視点である。


 本来、おもちゃとは使い手にとって開かれたものである。ルール通りにしなければならないものではなく、遊びの中で試行錯誤し、発見したことを元に自由に改変できる余地を持つものである。その相互作用こそがこどもたちに主体的な学びを生み出すと言える。我々が今回取り組んだ「カガクおもちゃ」というテーマは、自然科学の「ことわり」を内包した、楽しく遊ぶ中で学べるようなおもちゃを標榜したつもりだった。が、N君の指摘の通り、そういった遊びの余地が消えがちになっていたことは認めなくてはならない。かつて、認知心理科学者の佐伯胖は、「教えられると人は思考停止する」と書いた。人間は、こうするんだよという教示的な指示をされると、対象物の道具的な特性を自由に活用するという思考を止めてしまう。指定された使い方しか出来なくなり、機能的な固着が生まれてしまうということである*。こういったことは、今回のワークショップに限らず、過保護ぎみな現代生活や仕事の中のあちこちで起こっている。そしてみんなそのことに気がつかない。


 N君の文章を読みながら、僕は思わず考え込んだ。これは、決して学生たちの努力不足という話ではないだろう。そもそも指導したのは我々教員だし、大学生たちが半期間必死で試行錯誤を続けたことを我々はよく知っている。全くのゼロからここまでユニークな体験を生み出せた成果としては胸を張ってよい。むしろ、無駄なことができず「決めたこと中心」になってしまうのは、短い体験時間の中で効率的にたくさんのお客さんを捌かなければならない自由参加のワークショップという特殊な場と、手短にたくさんのものを体験しようとする親子側、そういった複合的な状況によって引き起こされているように思う。


 多分、自ら発見できるおもちゃ本来の体験は、おもちゃのモノ自体の中でなく、たっぷり試行錯誤できる「時間」と共にある。さらに言えば、不思議な現象を話し合える「対話」や、無駄なことでも鷹揚に受け入れる「心持ち」の中にあるのだ。願わくば、小さな体験を持ち帰ってくれた親子の中に、そういったことを可能にするだけの豊かな時間があってほしいと思う。

 

*参考文献
「ワークショップと学び1 まなびを学ぶ」 苅宿俊文・佐伯胖・高木光太郎編 東京大学出版会 2012

 

___________