5月某日.研究室の学生達と,フィールドワークとして神奈川県立の某高校を訪問.高校1年生の情報の授業を見学し,担当のY先生とディスカッションした.高校の情報の授業と言えばOffice系のアプリケーションの操作程度という印象を持つ方も多いかも知れないが,先進的な高校ではだいぶ様変わりしていて,たとえばこの高校はプログラミングを教えていて,まだ高校に入学したばかりの1年生達も楽しそうに学習している.念のためにここは「普通科」で必修の授業である.
彼らが使っている情報の教科書「情報の科学」より.
大人のみなさん,いかがでしょうw
(※この教科書を採用しているのは2割ぐらいで,8割は「社会と情報」というもっと社会よりの内容だそう)
そして現行の学習指導要領ももうすぐ(2020年に)改訂が予定されている.今話題になっているように小学1年生からプログラミング的思考が導入され,同時に中高の内容も刷新される予定.我々大学の情報学部としても対応が急務である.
そして5月某日.今度は別の4年生達と新宿にある某日本語学校を訪問.日本語学校だから,学生は全員外国人である.各自の答えをみんなと共有するために学習者が手元に持っているホワイトボードが新鮮だ.なるほど,漢字の細部をごまかさないで学ぶためにこんな工夫があるのだね.
日本語の活用についての学習より.
日本人のみなさん,いかがでしょうw
活用なんて意味が無いなんてことは全くなくて,ここのシステムを理解しないと正しく話せないし書けないそうで,かといって未然形とか連用形とか外国人には度を超えて難解すぎるので,上のように変化するルールを「テ系」「グループ化」という方法を取り入れて指導したりとか,いろんな工夫をしているそうだ.
担当の先生によると,ネイティブだからその言葉を教えられるわけではなくて,言語体系を「外側から見る」トレーニングをしないことには,なぜそうなのかを説明することはできないのだという.上のホワイトボードを見ると,それもそうだと思う.あたりまえに出来ていることでも,やさしく教えることはできないのだ.
そして内容以上に僕らが非常にびっくりしたのが,みんな片言でも活発に発言していること.逆に言うと,日本では小学生のときは活発だった子ども達も,中高になると気配を消し始めるのは・・・一体なんなんだろう.
この日は敬語の授業もあった.
×「どこから来たのですか?」
×「出身はどこですか?」
○「どちらのご出身ですか?」
実に厳しい.僕も間違えそうだw
一緒に来た女子学生は,年齢が近いので休み時間には囲まれて大人気だ.(おじさんは残念ながら話しかけられない・・・)彼らは日本に住んでいてもどうしても自国コミュニティの中で交流することが多いようで,日本人の友人が欲しいというのは切実なようだ.彼女らも目の前の対象者とリアルに接することで,卒業研究でやるべきことに気合いが入っていた.
高校と日本語学校,それぞれ場は違うけども教育者たちの工夫が随所に見られるし,学習者たちもなんとか吸収してそこから表現しようとしているのを目の前で見れたのは勉強になった.学びの場というのは教育者と学習者との相互作用なんだな,と改めて思う.