Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

参加型デザインという言葉について

f:id:peru:20160125043501j:plain

いつも大学や調査先で議論したり悶々と考えたりしているわりは参加型デザインについてはまとめるのがヘビーすぎて,ここではほとんど書いてないが,たまには書いておきたい.

 

さて,参加型デザインを簡単に解説すれば,デザイナーだけでデザインするのではなくて,実際の利用者をデザインプロセスに積極的に巻き込みながら進めていくアプローチのことで北欧で40年ほど前に始まった取り組みである.ちなみにベテラン研究者の方々曰く「本当の意味でのParticipatory Design(参加型デザイン)とは,スカンジナビア社会民主主義のカルチャーによって成されたもので,我々のやっていることだけが正統派なのだ」と誇りをもって主張しているし,一方で若手は「元々は"自分たちの働く職場なのに,その職場の改革に参加出来ないのはおかしいだろう"という異議申し立ての労働運動から発するものだし,参加するのが当たり前でなかった時代に参加を希求した時の言葉であって,今となっては過去の遺産だよ」となんだか微妙な反応をすることも多い.実はデザインという概念も産業革命に対する異議申し立てから始まっている(という通説)と重ねて考えると興味深い.なお彼らも人々と共にデザインするアプローチ自体を諦めてしまったわけではなくて,当時とは時代背景も変化しているし,Participatory Designという言葉では反体制っぽいニュアンスが強すぎるということなんだろう.

Participatory Designの歴史はSocial Democracyの歴史でもあるが,Social Democracyの運動については下のミュージアムが面白い.

kmhr.hatenablog.com

 

そんなわけで,最近では,Participatory Designの目指しているものもかつての反体制からはだいぶ多角的な視点へと変わり,人々が社会づくりのなかで積み重ねてきた対話の文化を引き継ぎつつ,受け身の消費者ではなく主体的な生活者としてものづくりに関わるプロセスを深めることでよりよいデザインを目指そう,という考え方に捉え直されている.問題対象もワークプレイスの改善からパブリックスペースやITサービスの開発など,より生活に近い場へと変わっていった.そういった変化があった上で,近年のアプローチをわざわざParticipatory Designという古い言葉で呼ぶか呼ばないかは結構立場のわかれるところのようで,ITUでも王立デザインスコーレでもCoDesignと呼んでいる.同じく僕もCoDesign Approrchという言葉で説明することが多い.

 

欧州の辺境で発祥したParticipatory Designの取り組みは,その後意外なことに欧州全体でも評価され始めた.英国に飛び火して発達し,そしてアメリカのノーマンらのユーザビリティの流れと一体化し,その後人間中心デザインとして世界中で標準化(ISO9241:210)された・・・・という流れがあるわけだが,いつの間にか社会の話からビジネスの話に切り替わってしまっているのはなんだか面白い.発祥や原義が何であるかよりも.受容する側の文化,時代の要請によって意味はその都度構成され直していくということだ.

 

ところでしばしばCoDesignの話になると,怪訝な顔をしながら聞かれることだが,僕はこのやり方が正しいだとか,全部そうするべき,などとは決して思っていない.一人,もしくは専門家だけでデザインした方がスピーディに進むし,よい答えになる場合もたくさんあるだろう.

 

しかし,ここまで双方向の社会へと変わり,デザインすべき対象も複雑化している現代では,もはや個人の創造性だけでは解決できなくなってしまっていることがたくさん発生している.そういった中で従来のように専門家だけでデザインして一般の人は使うだけ,という枠組みではみんな納得しにくくなってしまっているのもまた事実.そんな問題に立ち向かう際には違う作戦が必要なのではないか,というだけである.

 

では人々はデザインプロセスに一体どう関わるべきか,が大事なんだが,長くなったのでまた今度.