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みえないものを、みる視点。

デザインとは,誰がするもの? 

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大学の父母組織向け冊子のコンテンツ「知的好奇心いろいろ」というシリーズで,専門分野についての紹介の依頼があって寄稿しました.冊子だとだれも読まない気もしますので,ここにも転載します.

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デザインとは,誰がするもの? 
CoDesign:もうひとつの北欧デザインの潮流

 

 

みんながデザインに関わる時代
ここ最近,デザインに対する捉え方が変化しているのをご存じでしょうか.10年ほど前までは「デザインはデザイナーがするもの」という見方が支配的でした.美術学校でクリエイティブな訓練を受けた才能ある人が行う特別な仕事として捉えられていたわけです.しかしながら,デザインとは,問題を発見してそれに対する創造的な解を生みだし,それを具体化すること.今ではそんな広義の解釈が拡がり,多くの社会の現場でその有用性が知られるようになりつつあります.その考え方や方法は誰でも使えて身近な問題に適用できます.今や世界中のビジネスコンサルタントや医療関係者もデザインに取り組んでいる時代です.


ゴミ箱をめぐるデザイン
多くの人が関わりはじめたことは喜ばしいことですが,その一方でデザインの問題は複雑化してきました.デザイナーは決して魔法使いではないので,個人では対処することが難しいことも増えています.
身近な例として,オフィスのゴミ箱を題材に考えてみましょう.例えば「ゴミ箱の形をデザインする」というシンプルな問題として捉えれば,デザイナーが低コストで美しいプロダクトを創り出すかもしれません.ところがこれはよく考えれば厄介な問題です.オフィスのゴミは事業系ゴミであり,通常の家庭ゴミのように自治体の収集ではなく民間業者に委託しなくてはなりません.ゴミ箱の大きさはゴミの量だけでなく,回収の頻度と関係してきます.ゴミ箱のサイズを勝手に決めるわけにはいきません.またゴミを集めている人はどうやって回収して掃除しているのでしょうか.中身を取り出すのが難しい仕組みを勝手に取り入れてしまうと,清掃員の方々に気の毒なことです.清掃員はゴミ回収という仕組みを持続させるための重要な役割を担っています.また分別の動機付けはどうすればいいのでしょうか.人々が積極的に分別させるためには,めんどくさがり屋の心理も考慮しなくてはなりません.さらに分別すべきと思っていても,みんなが間違えるならば,設置の方法や表示が失敗している可能性があります.間違わないためには,人間の認知の仕組みをよく考慮する必要があります.そもそもゴミ箱の中のゴミをひとつひとつ観察してみると,まだ使えるものがゴミになってしまう状況やゴミが出るようなパッケージそのものにも疑問がでてきます.そう考えていくと,たかが(?)ゴミ箱といえども社会的な問題が絡み合った非常に複雑な仕組みの問題であることが見えてくるかと思います.つまり,よりよい本質的なデザインの解をめざすならば,色や形といった目に見えやすいことからもっと踏み込んで問題を捉え直す必要がありますし.そのためには関係する人々の視点や活動を取り込むことが大きな意味をもってきます.

 

CoDesign:社会の人々と共にデザインする
人々の力を集めながら組織的にデザインのプロセスを進めていこうとするアプローチは、Co-Design(参加型デザイン)と呼ばれています.人々はただ使う「ユーザー」ではなくデザインの「パートナー」であるという考え方です.私はもともとグラフィックデザイナーですが,こういったデザインをとりまく行為者や創造的な環境に関心を持ち,当事者の視点やプロの支援などの役割分担を活かしたもっとよい共同体の仕組みをつくれないか,ということを目指して研究を行っています.
2015年度には在外研究としてデンマークに滞在し,CoDesignの調査研究を行いました.北欧デザインというと,一般的には高品質なインテリアデザインがよく知られていますが,もうひとつ,デンマークは福祉大国ならではのカルチャーを活かしたCoDesignの発祥の地であり,今でも先進的な試みがたくさん行われている拠点です.1年の間,フィールドワークを重ねて沢山の事例を調べましたが,高齢者や障害者,子供たちなど,通常は除外されがちな立場の人々にも耳を傾けてじっくりと対話し,デザインに効果的に巻き込んでいく姿勢や,それぞれが持っている個別の資源を無駄にしないで,軽やかに連携したエレガントな仕組みが街のすみずみに浸透していました.そして社会の人々が協同でデザインする文化的な厚みが,結果的に世界で最も高い幸福度に繋がっていることを痛感しました.

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(写真1)デンマークのある小学校の校舎につけられた滑り台。子供たちが出した遊び心あるアイデアを建築家が実現した。

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(写真2)デンマークの老人ホームにて。高齢者向けのスキルシェアリングサービスのデザインパートナーとして開発に参加している高齢者のチーム


日本における展開?

さて,CoDesignの考え方は日本社会に適しているのでしょうか.日本は伝統的にタテ社会で,それぞれの領域を守り謙譲することが美徳ですから,フラットに対話するのはなかなか難しそうです.そして社会心理学の知見によると,日本人が顔なじみでない他者一般を信頼する割合は,世界の中でも極めて低いそうです.残念ながら,我々の民族特性は,CoDesignに必要なマインドセットとは真逆のようにも思えます.
その一方で,現在のグローバル化が加速する社会においては,既存の枠組みを壊して再構成することが重要になってきています.例えば最近のサービスの成功事例であるアメリカ発のUberAirBnBなどのシェアリングサービスは,他人同士で連携し余っているリソースを共有していくことが特徴のサービスです.また,この先日本では労働人口が縮小する中で外国人の人々と一緒に共同体をつくることも増えてくるでしょう.そういう異なるモノが混ざり合ってイノベーションを生みだしている世界の潮流の中において,我々は無関心のままでいられるでしょうか.

ひとつの期待として考えているのは,「モノやコトは,人の体験や行動を変える」ということです.丸いテーブルはインフォーマルな会話を活性化しますし,いいカメラを買うと散歩することが楽しくなります.同じようにCoDesignのアプローチも,それを実践しながら我々の社会がもっと協力し合える社会になることに貢献できるのではないかと思っています.デザインを身近に感じるためにももっと楽しくデザインに関わる体験が必要です.私が日本でCoDesignのような試みを行っているのは,デザインによって日本人のマインドセットを変えつつ,いい社会をつくっていくことができないか,という自分の小さな挑戦でもあります.