Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

そして1年が過ぎて

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さきほどアパートを引き払ってきた。今夜はホテルに宿泊し、翌早朝のフライトで日本に帰ることになる。
本当にあっという間だったように思う。さて、1年もの時間を頂いて好きな場所で研究できる、という機会を頂き、ここに書いたこと/書いてないことを含めて数え切れないほど沢山の出来事があったが、日本に帰れば新学期のバタバタで今の気持ちを忘れてしまうだろうから、自分のためにふりかえりのメモを残しておきたい。

 

Good!

まずは、Goodだったことから。

 

1:家族で滞在できた。
なによりも、一人ではなくて家族で異国生活を体験できたことは大きい。短期の旅行とは違って病気したりと大変なこともかなり多かったが、なんとか家族全員元気で滞在を終えることが出来たことを喜びたい。もっとも、外国に住みたかったわけでもないのに同行してくれた妻には相当な迷惑をかけてしまった。この点においては感謝してもしきれない。

デンマーク行きを考えた時から子供を一緒に連れて行くことで現地をより深くフィールドワークできるはず、という狙いがあったのだが、これは本当に正解だった。一人だと研究に打ち込める反面で行動半径は限られてくる。親であるという機会を活かして幼稚園や子供向けワークショップなどいろんな所を詳しく知ることができた。また、こどもは優れた"メディア"でもあって、僕らの知らない地元っ子の遊び場や幼稚園での他の子の様子や教えてくれたりしたが、それだけでなく、ママ友やパパ友経由で得られる情報網の威力、子供を連れていった先で偶然出会った機会の大きさを知った。また、デンマーク人の子供に対する考え方、例えば子供でも対等な関係を重んじ自律を求めることや、電車やバスでの子連れに対する寛容さには多くのことを学ばされた。

 

2:デンマークのことを(ちょっと)知ることができた。
どんな場所であっても、1日の滞在で見えること、1ヶ月で見えること、1年で見えることは、すべて違っている。日々を過ごすごとに見方が変わっていったことは自分でも昨年の春先のブログ記事と比較して見るとよくわかる。そのグラデーションを体験できたことは大きな収穫だった。1年じゃ正直まだまだ見えてないというのが正直な実感だが、北欧の快適な夏と厳しい冬(長い夜)を体験して、気候のコントラストが民族気質に大きな影響を与えていることを理解した。なぜこの国はかくも高負担・高福祉社会政策や国のビジョンを持っているのかについて、歴史的経緯の中で理解することが出来た。

しばしば北欧は日本では夢の国のような扱いをされるが、どんな国でも光と影はあるものだ。「幸福な国」はいくつかの指標の結果に過ぎず、彼らもいろんな問題を抱えながら国の仕組みを維持するために常に議論を繰り返している。これについては昨今のシリアからの難民問題が深刻化してきたタイミングも大きかったと思う。そう言えば、僕の滞在は滞在許可をとったころのコペンハーゲンのテロに始まって、再びベルギーのテロで終わりそうだ。(そてこれから中東経由のフライトなんだが、無事に帰れるんだろうか)


3:日本が(ちょっと)見えてきた。
エスカレータに乗っている人の視界よりも、外にいる人からの方が動いていることが見えるように、内部では当たり前のことも外部からは違う視点で見れるようになる。日本の外に出て考えることで、日本社会の姿を逆照射することができたように思う。良くも悪くも日本は世界の中での位置関係は独特だし、たくさんの課題を感じたが、いい答えが出せるとも思えない。でも日本の問題は日本人が解いていくしかないわけで、これに関してはこちらでの日本の方々との議論に加えて、いろんな日本の研究者の方がデンマークにやって来て連絡をくださったお陰で、いろんな角度からたくさん議論出来たことはいい経験になった。ビアバーでデンマークの地ビールを飲みながら語りあうのは楽しい一時だった。(お越し下さったみなさま、ありがとうございました)


4:研究にはそれなりに時間を費やせた。
デザインはアウトプットだけではなく、それが必要とされた背景を含めて見なければ、本当のことは見えてこない。現地で実際に行われていく過程を見れたことで、日本からはなかなか見えにくかったCo-Design/ Participatory Designの文化的な背景を掴むことができた。日本でのイメージと違って、ここまで社会民主主義の影響が大きいとはなかなか実感できなかったことだ。デザインという「花」にはまず土壌があり、それは確かに人々が創り上げている文化でもあることを改めて理解した。

また、Koling(デンマーク)、Genk(ベルギー)、Malmo(スウェーデン)、Tallinn(エストニア)など、小さな街で行われているアクティビティの面白さを知った。というか、それらを面白いと感じる、という自分の感覚を知った。逆に大都市のロンドンを訪れた際、沢山見たデザインスクールの学生たちの作品のビジョンとそこから垣間見える都市生活は、東京で見ているものとほとんど変わらないように思えて、いろんな意味で大きなショックだった。(※もちろん両方とも一部だけ見て感じた個人の感想で、一般化はしません)

実績としては、同じITUに所属する安岡さんといくつかの論文とリビングラボに関する某企業の受託研究の資料を書いた。彼女は言語化能力が抜群で、一方で僕は概念を視覚化するのが好き、というお互いの能力を持ち寄ったコラボができたことは刺激的だった。研究だけでなく生活含めていろいろと助けていただいて本当に感謝している。

EUプロジェクトにも受け入れしてくれたLoneが進めている高齢者向けシェアリングサービスのGive&Takeと、NielsとLiesbethらのTRADERS、ふたつに参加して彼らの進め方と問題意識を知ることができて、とても勉強になった。またarki_labとは、彼らのワークショップに何度も立ち会って彼らの方法や思想を詳細に知ることが出来た。彼らの活動にもちょっと貢献できたし、それに加えて今後は共同研究まで繋がりそうで、彼らがパートナーとして認めてくれたことは心から有り難かった。

あとは、自分の成果としていくつか継続して育てていきたいツールのプロトタイプが二つ生まれたので、近々もっと進めていきたい。


5:コミュニケーションは前向きに。
在外研究は、留学生のように何かカリキュラムが用意されるわけではない。だからこそ制限時間の中で「自分は何をしたいか、何を成すか」の実行力・遂行力が試されると言えるが、自分の嗅覚を頼りにだれも紹介してないような場所を探り当て、沢山訪問することができた。秋ぐらいまでは調査しているだけでなくて自分でもいろいろ作りたい、試したい、というフラストレーションも大きかったが、秋を越すぐらいからいろんなことが繋がるようになって、調査も俄然面白くなってきたことは自分でも不思議だった。

英語力に関してはほとんど上達していない気がするが、これは長い道のりだと思うし今後も訓練していくしかない。見苦しい姿を恥じるよりも、好奇心に応じて一人でどこでも行ってやるぜ、という度胸はついた(と信じたい)

あとは細かくブログを書きためられたのもひとつの成果かもしれない。一年間で243記事は結構いい数字だと思う。意図的にSNSと紐づけなかったが、見ている人が少ないことで適当なことを書き散らすことができた。(わざわざ読みに来た人しか読まない、というのがこんなに気楽だとは!)
大学教員である僕ですら、在外研究って一体何してるんだろう、と不思議だったが、ちょっとでもその毎日を明らかにすることで、後に続く若手の方々にその具体的な日々を知り、自分のプランの参考にしてもらえるなら本望だ。(あちこち行っていたとしても、決して観光名所見て遊び呆けているわけではないのです)もったいなかったのは、見てきた事例はわりと簡単に書けるのでたくさん記録とれたけど、ぼんやり考えながら生まれた泡沫のようなアイデアや、出来事と出来事の間にあるもの、それこそを言葉にしておくべきだった。つい後回しになったあげく結局次の面白いことで上書きされて書けなかったのは反省点だ。


Regret!

次に、心残りなこと。

 

1:もっと学生達との関わりができれば。
ITUの数名の学生とはよく話したが、授業をもたなくてよいという極楽は反面では大学に大した貢献もできなかったな、という思いがある。5年前にアラスカ大フェアバンクス校に滞在したときには何回かワークショップしたり授業に協力したりして貢献できた気がしたのだけど、その点、まだまだ自分の能力が足りなかった。何度かゲストトークを断わらざるを得なかったのは実に悔しい。とりあえず日本にいる外国人相手にでもワークショップができるようにするのが次の目標か。

 

2:もっと旅したかった。
グリーンランドフェロー諸島アイスランドにも行きたかった。東欧にも行きたかった。まあこれはトレードオフではあるし時間は有限なので好き勝手なことは言えない。でもたくさんの国に行けたのは欧州にいたからこそ。次の機会が来る日を待とう。

 

3:音楽&映画シーンを体験したかった。
コペンハーゲンは音楽シーンも熱いし、ドグマ95が生まれた場所柄、映画制作シーンも熱い。だがライブハウスも映画館も行けなかったのは惜しい。Danish Film Instituteに通ったり、Posh Isolationの界隈のライブ行ったりして現地のカルチャーをもっと体験したかったと思う。

 

4:時間の使い方をもっと考えるべきだった
在外研究を終えてみて、やりたいことは山ほどあっても全てが出来るわけではない。これは僕の残り人生にも通じること。残された時間は少ない。優先順位と中途半端にしない継続性が大事だ。

 


今後について

専修大学の教員に復帰します。これから大学は淘汰の時代だけど,学びの場はますます大事になっていく、ということは欧州のいろんな大学をみて感じた。留守を惜しんでくれた学生達のためにも、今の学部の組織をもっと楽しい場にしていくことと、もうちょっと大学という場をつかって自分ができることの可能性を考えてみたい。

 

これから学んだことを整理していきますが、5月の情報デザインフォーラム(Yahoo!本社)、Educe Cafe(東大福武ホール)でちょっとトークの場を頂いたのでそこで共有出来ればと思います。

 

では、さらばデンマーク

コペンハーゲン空港にて)

 

【後編】ノンデザイナーは、いかにデザインに関わっていくか?

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 前編の続き。

今回は、デザインプロジェクトに参加するけれども、トラディショナルなデザインとはスキルセットが異なる専門職種をいくつかとりあげます。

 

1:デザインリサーチャー

もしデザインファームで働くことを目指してる場合には、デザインプロセスの前半部分を中心に磨いて得意分野にする、というのが良いのではないかと思います。まず、どのようにデザインを進めるか(デザインプロセス)はいろんなモデルが提唱されていますが、とりあえず僕の授業のスライドを掲載します。

 

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これは富士ゼロックスの発表しているモデルを引用したもので、社会人向け大学院の産技大人間中心デザインプログラムの「発想法」の資料として描きました。(黄色の部分が見にくいですが、ここはアニメーション込みでどこに発想が関わるのかを解説している部分です)というわけで、少し文脈は違うのですが、とりあえず、1〜6はいわゆる人間中心デザインプロセスとしては極めてスタンダードなものと言って良いでしょう。この中で個人的に重要だと思っていることは、具体的な世界から抽象化して発想し、抽象的な概念をまた具体化していくという、具体と抽象を行き来するところです。ラダーアップしないで具体から直接具体を考えると、しばしば短絡的な答えになりがちです。

 

知り合いの美容師は、

「始めてのお客さんからは"おまかせ"を受けてもなるべく引き受けないようにしますね。なぜなら、人の満足感は『その人が他人にどう見られたいか』によって決まってくるから。その人を理解しないうちには最適解は出せない。

と言っていたことをよく覚えてますが、顧客の表面的な姿ではなく、その裏を洞察すること(インサイト)が大事、というのはデザインに限る話ではないのでしょう。

 

最近欧米では、デザインプロセスの前半部分を主にリードするデザインリサーチャと呼ばれる独自の職種として位置づけられることが増えてきました。やや強引ですが、図にするとこんな感じです。

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代表的なデザインリサーチャには、ヤン・チップチェイス氏がいます。

www.dhbr.net

 

デザインスクールではデザインリサーチは例えばどんな授業として行われているのかは、CIIDに留学中の木浦さんが詳細に紹介して下さってますが、以下の記事は暗黙になりがちなところが記述されていて興味深いです。

ddcph.hatenablog.com

 

丹念に事実をあつめ、そこから仮説を導いていく、というのはもともと人類学や社会学などのアカデミアの方法がデザインに移植されてきたものです。現代のデザインプロセスではデザインに含まれますが、決して20世紀の頃の日本のデザイン教育で重視されてきたとは言えませんし、手を動かすのは得意でもここが得意という人はそれほど多くないでしょう。一方で時々、 本職のエスノグラファーのデータの取り方や視点を知る機会があると、さすがに凄いと唸らされることが多いのですが、彼らは彼らで精緻な理論を好む傾向があって、インサイトへの発想のジャンプが得意なわけではないようです。要するにこのインサイトを見出すプロセス(上の図の黄色と青が重なっている部分)は永遠の問いというか、みんな苦労するポイントです。それを刺激する方法のひとつが多様性のあるメンバーによるディスカッションと言われますが、そんなディスカッションすれば簡単に出るというものでもありません。そんなわけで、この段階を対処できるような人材というのは今後もっと求められるようになる、と僕は思っています。

 

2:プランナー(含むディレクター)

このへんは業界や人の特性によってさまざまですので、一概に説明しにくいのですが、おおまかなビジョンを立ててプロジェクトを企画したり、トラディショナルなデザインを担当する人と協働してプロジェクトを進めている人達です。デザイナーとはフラットな関係というより、指示を出す立場である場合も多いです。

代表的な人として、真っ先に思い出したのが、渡辺保史さんです。いち早く情報デザインの普及に貢献され、さらに地域コミュニティの中で優れたプロジェクトを進めていました。残念ながら2年前に若くして亡くなられました。

techwave.jp

彼はデザイナー出身ではありませんでしたが、デザインの本質を深く理解していましたし、広義のデザインを意識した活動を行い、たくさんの人に影響を与えました。検索すれば知ることができますが、彼の活動は参考になると思います。

 

IT業界では、デザイナーやエンジニアとチームを組み、全体を把握しながらプロジェクトを進めていくディレクターという職種がありま す。現場の人の話を聞く限りこの職種も人材不足のようです。EC系サイトのWebディレクターをやられている知人のazumiさんは、たしか政治系の学部出身ですが、学生時代からずっと続けてこられたノートテイキングのスキルを展開して今ではグラフィックレコーダーとしても活躍されています。彼女の活動がwebディレクター全てをさすわけではないですが、とりあえずブログはとてもおもしろいです。

www.webd-labo.com

 

 

3:トランスフォーマー/ トランスレータ

ちょっと昔の話ですが、今から100年近く前に、ピクトグラムの源流である視覚言語のISOTYPEが産み出されました。これを提案した人としてOtto Neurathというオーストリア出身の哲学者が知られてます。

https://robertgrantstats.files.wordpress.com/2013/03/isotype-race.jpg

 

ですが、彼は一人で実現したわけではなく、グラフィックデザイナーのGerd Arntzに加えて、のちに奥さんとなるMarie Reidemeisterが重要な役割を果たしていたことはあまり知られていません。ちなみにISOTYPEが世界に広く知られるようになったのも、急死したOttoの志を継いで普及に努めた彼女の功績が大きいです。彼女が担当していた役割は、統計的なデータをつくるData collectorと、最終的なビジュアルを作るGraphic designerの間を繋ぐ編集者のような役割で「Transformer」と呼ばれました。

 Marie is not mentioned by name but as Neurath’s “chief statistical assistant to whom he is engaged”. In fact she was known as a “transformer” – a role that mediated between researchers and artists, combining artistic and design ability with understanding of educational theory, statistics and science.

 

www.holywellhousepublishing.co.uk

 

Marieの書いたスケッチが残っていますが、これには驚かされます。

http://www.designhistory.org/Symbols_pages/images_symbols/Marie_Sketch.jpg

The History of Symbols : Isotype

これを見ると、言語のバリアを越えるコミュニケーションの可能性を示したOtto、美しいピクトグラムを作ったGerd Arntzだけでなく、彼女もまたプロジェクトに不可欠なキーパーソンだったと強く思わされます。Marieは、専門家同士の溝を埋めるような役割や、サイエンスを一般の人が理解できるようにする役割、今で言うサイエンスコミュニケーションに近いことをしていたのでしょう。つまり異なる分野をつなぐ「翻訳」ということです。縦割りの多い社会ですので、これに類する仕事は現代社会こそたくさんあるのではないでしょうか。

 

デザインのプロジェクトは、外部からは目に見えない役割も含めて、さまざまな専門性のコラボレーションで為されます。そのどこかに得意分野を持つことを心がけていくと良いのでは、と思います。

 

【前編】ノンデザイナーは、いかにデザインに関わっていくか?

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ちょっと間が開いたが、ブログ読者からのお問い合わせに答えてみよう、の第2弾。質問者の方は大学では文系の学問を学んでいたそうで、社会人になってしばらく経ってからデザインを学びたいと考えておられるそう。そこで頂いた質問は、「いわゆる"デザイン"のバックグラウンドがない者ができることには,例えばどんなことがあるのか」。

 

近年、"デザイン思考"という言葉が普及したのに伴って、デザインは「デザイナー」だけがやるものではない、という共通理解も徐々に出来てきたように思います。しかしながらその一方でデザイン思考を学んでも旧態依然とした社会の中でどのように活かせるのかのイメージが持ちにくいというのは多くの人が感じていることでしょう。特に「どういう仕事に繋がるのか」が見えないようで、学生達にもよく聞かれることです。というわけで指導してる立場としては、この質問にはちゃんと答える必要性を感じています。

 

結論から先に言えば、医療、教育、介護、看護、自治体、農業、林業、漁業、飲食店経営・・・・数え切れないほどの多くの社会の現場でデザインの力は必要とされていますし、そういった場で多くのデザイナーが越境して問題の創造的解決に取り組んでいます。ですが、本当はデザイナーじゃなくて問題の「当事者」がデザインできるのであればそうするのがいいはずですし、どんな関心事にもデザインを学んだことはきっと活かせるはずです。

 

ユニークな取り組みを5つほど紹介してみましょう。いつもはデンマークの事例ばかり紹介していますが、今回は身近に感じれるように日本人の個人レベルの事例に絞ってみます。いずれも以前からあるような仕事ながら、あたりまえを疑い、自分で魅力的な仕組みをつくりあげた人達です。こういった取り組みに、僕はデザインマインドを感じます。

 

 

1:メサグランデ

カフェ経営にもデザインはあります。運営している田代美香さんは僕がとても尊敬している人で、カフェという場を起点にして食と農を通じた地域コミュニティづくりを実践しています。誰でもカフェを開けるワンデイシェフや、夏休みに給食が無く困っている親子のためのサービスなど、地域密着型だからこそできる、興味深い取り組みばかりです。

mesa-grande.blogspot.dk

 

2:小泉農園

農業におけるデザインは世界的に見てもホットなトピックです。研究室でもお世話になったことがありますが、小泉農園の小泉博司さんは農園フェスを企画するなど、斬新な試みを続けています。

www.advertimes.com

 

3:未来食堂

だれもが当たり前だと思っている「食堂」をリフレーミングして新しい価値を創り出した、一種のスタートアップです。

www.projectdesign.jp

 

4:マミオン有限会社

高齢者のパソコン教室とシニアマーケティング業を併置するというありそうでなかったビジネスモデルを持つ会社です。パソコン教室にやって来た高齢者達にお願いしてリサーチに協力してもらい、そのデータを活かしてコンサルティングする。高齢者はテストに協力することで安く学べるという互酬性があります。

mamion.net

 

 5:専修大附属高校 杉山比呂之先生

高校の日本史教員・・・と聞くと、デザインとは全く関係のない人のように見えます。それでも面白い人は独自の取り組みを行っています。知人の杉山先生は、土曜講座という私立高校独自の仕組みを活用して、高校生向けにチームビルディングのワークショップや大学生と連携したワークショップ活動を行っています。大学に進学した教え子たちを巻き込んで、異年代交流のコミュニティを創り出し、相互に刺激を生みだしているのがとても上手いと思います。

www.s-teamdesign.org

u17.shingaku.mynavi.jp

 

 

さて、ここまで紹介したところで、これらの人々は創造的であるとはいえ、いずれもデザイン(含むデザイン思考)を学んだ結果として生みだした、というわけではないことに気付かれたでしょうか。そう言う意味では答えになってないのかもしれません。ですが、デザインを学ぶことは、上の事例のように、誰もが当たり前だと思っていたことの関係を組み替えていくようなマインドセットの基礎となるはずだ、と僕は信じています。

 

デザインというのは専門性を持った縦軸というよりは横軸であるというのが僕の解釈です。最も大事なことはそれぞれの場所にいる人々に対する視線であり、さらに言えば"愛"です。デザインマインドを携えることで、「自分の目の前の仕事を創造的に変えるプロ」になれるはずです。ですので上に挙げたような仕事だけでなく、デザインが要ると思われてない未開拓な職種ほど、チャレンジングな可能性を内包しているのではないでしょうか。

 

 

後編では、デザインに関係するけれどもトラディショナルなデザインとはスキルセットが異なる専門職種をいくつか紹介したいと思います。

kmhr.hatenablog.com

 

遠慮なんかしてちゃだめだ

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僕がデンマークに来た1年前から気になっていたクリエイターに、ルネ・フィヨルドがいる。うちの近所にあるOrdrup Schoolや、LEGO PMD(レゴ本社)、マインドラボ(デンマーク政府のイノベーションラボ)などの斬新な空間をデザインした人である。

それと同時にアーティストであり、こちらでは作風は違うが、社会に問いを投げかける深い作品を発表している。

kmhr.hatenablog.com

www.archdaily.com

 

ハイレベルなデンマークのインテリアデザインの中でもトップにいるようなデザイナーなので作品を見て勉強するぐらいだったのだが、以前、キュレーターをしているAndreasから「会いたかったら、紹介しようか?」と思わぬ機会をもらったことがある。その時は、ちょっとビビりが入って「忙しい人だろうし、わざわざ僕のために時間とってもらうのは恐縮なので、なにかトークなどの機会が有るときにでも・・・」とやんわり断ってしまった。

 

後になってみて、やっぱり図々しくも会っておくべきだったよなぁ、とずっと後悔していたのだが、先日お別れパーティを開いてもらった時に、そのことをAndreasに伝えたら「未だ間に合う。彼の工房に行くといい」と、土壇場で紹介してくれて会いに行くことに。

 

というわけでデンマーク建築センターの中にある彼の工房を訪ねてきた。天井の高い、とてもステキなスタジオだ。ルネはとても気さくな人で、丁寧に進行中のプロジェクトやアイデアの秘密を解説してくれた。

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とある美術館併設のインスタレーションのプロトタイプ。いま地元民の間ではオープンすることが話題になっている場所である。彼はアイデア検討の初期段階では、スケッチから始めるか、モデルから始めるか、の割合は50:50だそうだ。興味深かったのは、彼はスタイリッシュで遊び心あふれる造形を得意としているが、そのインスピレーションの源泉となっているものの多くは「自然」なのだという。ふむふむ。

 

彼自身は天才肌の人なので、CoDesignのようなアプローチは採っていないないけれども、人々が参加することで徐々に育っていくような場をつくることにはとても関心を持っているようで、今制作中の"カップルや夫婦が分かれたあとに残るリング(指輪)をつかった参加型アートなどの構想を話してくれた。

f:id:peru:20160323000803j:plain彼と2ショットをパチリ。彼はこの日は、4つの仕事(受託したデザインワーク2つと、自主企画のアートワーク2つ)を同時にこなしていた。自分の持つ二つのスタイルをお互いに影響させあいながらパラレルに進めている姿はとても励みになる。

 

たぶん今日が最後の調査となるが最後にここにこれてよかった。まだ大事な仕事はふたつほど終わってないが(汗)。

 

忙しいところ、わざわざ時間割いて会ってくれたルネには感謝してもしきれない。そしてなによりも、人生においていつでもどこでもチャンスが巡って来るわけじゃないのだから、あとで後悔するぐらいなら遠慮してる場合じゃない、図々しく行かなきゃ、ということを改めて思わされた。

 

言葉を使わないストーリーテリング:ハンブルクのミニチュアワンダーランド

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ハンブルクでの目的のひとつ、ミニチュアワンダーランド。ここを訪問した大人達がみな鼻息を荒くして「本当にすごい」「うん、マジですごい」と興奮した感想を語り合っているので、子ども達を連れて行くふりをして実は僕が楽しみにしていた。事前にネットで予約した上で平日の朝イチで到着、という準備のお陰でご覧のようにガラガラの中で心ゆくまでじっくりと堪能できた。(まあ昼過ぎには身動きとれないほど混雑して来たのだが)

 

確かに、ここの作り込みは大人の目で見ても素晴らしかった。世界各国のステレオタイプをうまくカリカチュアライズ(戯画化)しつつ、とことんディテールまで精巧につくられているばかりでなく、人々の波乱万丈を含んだ生活の様子まで丁寧に描いている。これはまるで言葉を一切使わないで表現される物語だ。特に「見付けた人だけが楽しめる」ようなユーモアをあちこちに埋め込むことに特にこだわっているようで、見る側としても、能動的に見つけよう、その場で何が行われているか解釈しよう、わかったことを共有しよう、という気にさせるところがとても良くできている。

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電車待ちをするペンギンの親子。ペットのシロクマも同行しているようだ。彼らはどこに行くのだろう。

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スイスのLindtという高級チョコレート工場。ボタンを押すとベルトコンベアに乗っているチョコが実際に出てくる。

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アメリカでは発掘された砂金が、そのまま繋がって金ピカの車に変化している。

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ベルリンの壁が出来ていく過程。時代を分けながら同じ場所が変化していく様子が作られている。

他にも山ほど細かい仕掛けがあるのだけど以下省略。

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制作中のイタリア模型。制作プロセスを公開していて、これも興味深かった。

 

たぶんだけど、この制作チームは、メンバーの「冗談」を促し、それを吸い上げるいくような組織の仕組みを作っていると思う。ディレクターのトップダウンではなく、メンバーの相互関係で練られていくインプロ的なカルチャーの匂いを感じた。

 

ここの模型は、

1)どんな順番でも読める

2)見る側の態度・好奇心に応じて見え方が変わる

3)特定の言葉に頼らない非言語コミュニケーションによる

4)その地域の文化や成り立ち、科学技術などの正しい知識に基づいていて、

  新たに学ぶことが出来る。

5)見付けられた秘密のストーリーを誰かに語りたくなる

という意味での一種のインフォグラフィックス、と僕は解釈した。

 

allabout.co.jp

無事に退園しました

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バタバタしていますが、なんとか家族全員風邪から回復して元気になりました。・・・といいたいところだが、月曜の夕方から上の子が急病になって最終日は朝一で病院にいくはめになった。なんとか診察終えて昼頃には行くことが出来て、ちゃんとみんなとお別れできた。

 

子ども達も今日でデンマークの幼稚園に通うのも終わり。1年間、彼らだけでなく僕もいろんなことを学んだな。子供の友人たちもみんなハグして別れを惜しんでくれた。だいたいの仲間達は忘れちゃうんだろうけど、親友になったガブリエル君とはお互いに忘れないでいてほしいものだ。

 

さて、明日から幼稚園がないので子供たちの相手をする必要があって、明日から3日ほどドイツのハンブルグに行ってきます。

引っ越し準備をしなければ、と思いつつ

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この頃、急速に日が長くなっていくのを感じる。真冬なんてオフィスの窓から日の出をみたものだが、最近は朝食の時に既に明るくなった。

 

さて、残り20日を切ってそろそ荷物をまとめ始めなければ・・・、というタイミングでどっかから悪いウイルスもらってきて寝込んでしまった。僕は週末でなんとか回復したが、結局家族全員にうつしてしまい、結構なバッドエンドが近付いている。

 

そして引っ越しの手配と新学期の準備がちょっとやばい状態だ。なのに済ませておくべきいくつかの仕事が終わってない。うーん、この流れはなんだか去年の離日直前のバタバタを思い出さざるを得ない。まったく成長がないな。

 

そんな中、来週は我々はすでにチケットもホテルもとってあるハンブルクに行く予定なのだが。無事に新学期を迎えられるか、乞う、ご期待。

 

市民に開かれたアートスクールの制作環境:GODSBANEN

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2月19日。デンマークで二番目に大きな街、オーフスを訪問した際に、GODSBANENに連れて行ってもらった。ここはオーフス市営の「カルチュラルプロダクションセンター」とのことで、クリエイティブ関連の場所がたくさん設置されている。GODSBANENは「アートとビジネスと教育の間をつなぎ、人々が出会うためのプラットフォームとして、誰にでも開かれた空間で、いつでも(毎日)機会を提供する」そう。

200人が常時働いていて、毎年17万5千人訪問するという大型のセンターだ。

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この建築は外側も奇抜だが、内側も負けずと奇抜な空間である。

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吹き抜けの奥にはしゃれたカフェが位置している。

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1923年に作られ、もともと貨物列車の中継地点だったそうだが、数年前に方向転換して、文化の中継地点になるように作られたという。オーフス建築学校がここの横に移転を進めているそうで、さらに大規模な中心地となっていくことを想定しているようだ。

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内部には、木工、金属加工、テキスタイル、陶芸、デジタル工作、印刷などの工房、写真と映画の暗室、絵画のアトリエなど。音楽と演劇のホール、ギャラリースペースもある。ほぼ網羅しているじゃないか。もちろんワークショップは頻繁に開かれているし、さらに要請すれば専門家からのアドバイスももらえるそう。

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プロジェクトメンバーがレーザカッターで彫られている。合体して矢印にみえる。メンバーも入れ替え可能で、格好いい。

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文学関係のセンターまであるのだな。

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2階はスタートアップ育成のためのコワーキングスペースになっている。会員なら誰でも使えるが、だれでも会員になれるわけではなく、ポートフォリオなどで審査されるそうだ。

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案内してくれたKokoさんはイラストレータ兼デザイナーで、ここの会員だそうで中まで見ることができた。

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ウロウロしていたら、オーフス大の社会学部の学生からインタビュー調査をうけた。外国人から見てGODSBANENのどこが魅力的か、自分ならここで何をするか、などを聞かれたので、異文化を組み込む方法として「ものづくり」はどんな可能性があるかを探っているのだろう。

 

それにしてもこの充実した環境が市による運営だということには思わず言葉を失うが、これらがアートの全部の分野にわたって徹底的に揃えられている意味を解釈してみると、いわゆるMakerSpaceを越えて、ほぼアート&デザインスクールが持っていた設備・教育・知見共有などの機会を市民全体に提供している、と言えそうだ。あとカリキュラムと教育体系を整備すれば、この環境の中にオープンにアクセスできる新しいタイプのアートスクールができてしまう。

GODSBANENは運営してまだ数年だそうでまだまだ育てている途中だと思うが、ここで何が起こっていくか楽しみな場所だ。

 

godsbanen.dk

 

がん患者と未来の化学治療をCoDesignする試み

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3月3日午後。王立デザインスコーレのCoDesign専攻の研究室公開を見に行ってきた。昨年のコソボの若者達とのプロジェクトも凄かったが、今年も凄い。今年のプロジェクトは、がん患者、そして医者達とコラボして未来の化学療法の姿をデザインするという挑戦である。

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がん患者は手術が終わったあとに、抗がん剤を点滴し続けるという化学療法のフェーズがある。そして症状次第では自宅治療したり仕事に復帰したりする。その際に持ち運びする必要があるわけだけど、どうもファッショナブルで機能性に飛んだバッグはない、とのことで、がん患者といっしょにデザインした、という。デザインゲーム、ダイアローグ、プロトタイピングなどを繰り返しながらデザインしていった。なんと織機使って布地を織るところから手作りしている。

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紹介パネルの上半分。

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下半分。(クリックで拡大すれば字が読める)数回の手術や、長い長い治療過程を経て生き残ることができた経験をインタビューを通して描いている。

 

今後、プロジェクトで提携した二つの病院でテストしていくそうだが、なにより驚いたのが、シリア難民の女性達が、この布を織ってバッグを作ることを想定していること(!)なるほど、なんでわざわざ手織りしているんだろ、と思ったらそう言うことか。難民達が作ることで、自力で収益を得て経済的に自立していく。クールなバッグを得ることによって、がん患者は外出をもっと楽しめるようになる。患者も難民も相互に良い関係になる。凄い。

そして、この辺のアイデアを学生の提案に終わらせないで実現に向けて着々と進めているのが、実にデンマークらしい。以前、日本の大学病院の倫理委員会の高い高い壁に跳ね返された経験のある人間としては、そのパートナー関係が羨ましい。

 

バッグの横に置いてあった分厚い報告書が内容もエディトリアルデザインも秀逸だったのだけど、残念ながらもらえなかった。

プロジェクトのウェブサイトがよくできているので紹介する。

www.chemotogoplease.dk

 

ページの中程にあるメイキングムービー(6分ほど)は必見。僕を受け入れしてくれているLoneも患者として出演している。

このムービー見てて思ったけど、このアプローチは利用者を実際に長期間巻き込んでしまうことで最終的に使う人も納得するものになっていくのが、力業というかなんというか。ペルソナの場合は運用を失敗すると途中で消えたりしてしまうのが弱点でもあるからな。

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プロジェクトのチームは修士の2年生2人と1年生2人の4人の女性達。世代を分けておくことで研究室のマインドを継承することを意識しているようだ。

 

毎度ながら、学生達の活動を社会の中で展開している事例を見させて頂いて、ドイツからわざわざ来たという研究室志望の韓国人の学生とふたりで「我々も頑張らなきゃねぇ」と励まし合って帰ったのであった。

ラーメン屋にて、Placeの問題を見出す

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先日のこと、リビングラボのことを議論している最中にふと思い立ったので、夕方に話題の期間限定ラーメン店Hrímnir Ramenに行ってみた。コペンハーゲンでは、ラーメンブームが到達して今年になってから新規開店が相次いでいる。このラーメン屋はその中でも特殊なコンセプトを掲げていて面白いのだ。

 

店主のDavid Quist氏はもともと微生物の研究者だそうで、勤めていた研究所を辞めて、サスティナブル社会や地産地消を推進する方法としてラーメンに着目し、北欧ならではの新しいラーメンのスタイルに挑戦しているそうだ。

 

ラーメンの内容については木浦さんがレポートした下の記事に詳しい。

ddcph.hatenablog.com

 

取材が終わったばかりのDavidと話すことが出来た。僕が推測したことは当たっていて、自分の思想を具体化し、研究するラボとしてのサイクルと、その結果を人々に提供し、ビジネスとして資金を得ていくサイクルとしてのレストランというダブルのサイクルを一緒に回すことを意識しているそうだ。

 

オーガニックとか地産地消はNomaなどの新北欧料理にも共通するデンマークらしい考え方だが、一方でデンマークは世界でも指折りの高品質な豚肉の生産地ながら豚骨を使った料理は見たことない。普通に棄てられているんだろう。これまで省みられなかった食材を応用した、新しい食べ方を提案するためのラーメン。持続するビジネスとしてのラーメン屋。なるほど。いい着眼点だ。

 

「俺の実験の成果・・・それがこの一杯だ!どうだッ!(意訳)」と漫画チックに語ってくれて思わず笑った。

 

日本人からの評価は気になるらしく、感想を求められたので「トッピングはほぼパーフェクトだけど、スープはもうすこし、麺がまだまだだね」と答えたら、彼らもその課題はすでに把握してて、期間限定というのもそういう課題をクリアするために試行錯誤しているそう。「かん水使えばいいのに」と言ったら「もちろんそれが簡単なんだけど、ヨーロッパ人にはあのケミカルな感じは違うんだよ」と。あの薬臭さががいいのに。

 

ラーメンコンサルの日本人(というのがいるらしい)を雇って彼が作り方をサポートしているようだが、実際彼はプロに任せるだけではなくて日本で英会話の先生しながらラーメンの研究したそうだ。徳島の拉麺たくみやに影響受けたとか、炙りチャーシューはどこどこの影響だとか、僕も知らないようなラーメン屋の話を振られて吃驚した。

 

彼と話しながら、これからはますますPlaceの問題が重要になっていくだろうな、と思った。

すなわち、

1)ここだからこそできること

2)何の場をつくるかということ

3)そこに宿る文化を継続的に醸成していくこと

である。

 

ちょうど僕が行った時に彼が取材受けていたのは、たぶんこの記事か。プロのライターって凄いな・・・。

cphpost.dk

“I didn’t want to fight in a place where there was no will and only financial obstacles. That’s why I decided I should empower the communities by myself to provoke change by educating and raising awareness about food integrity and ethics,” he said.