Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

セブンオリジナル商品の指定書体

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いつのまにかセブンイレブンのオリジナル商品の指定書体がすっかり切り替わっていた。明朝でもなくゴシックでもなく筆遣いのある楷書で、その中でも特に真面目そうな教科書体である。ずっと「なんで教科書体なんだろう?」と思いながらも、そのまま疑問を放置していたが、今週グラデザの講義がちょうど書体を扱う回なので、「身の回りにある書体」教材のアップデートを兼ねてちょっと調べてみた。

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こどもたちが仮名や漢字を正しく習得する際に参考になるように、とめ、はね、はらいがちゃんとお手本として示され、国語の教科書の本文用に作られているから「教科書体」という。セブンイレブンがこどもたちの字のお手本になろうとしているのかどうかは、知らない。

 

「もちふわパンケーキ」の字をフォント見本で手がかりをもとに探してみると、あった。フォントワークス社の「ユトリロ」だ。

 

試しにフォントワークス社のウェブサービスでサンプルを打ってみる。

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ベタ打ちでは字詰めがなってないけど、書体名はこれで正解のよう。長年喉に刺さっていた小骨が取れたような気分だ。(※ググってみたけど、誰一人として言及してない。他にも気になっている人いそうなのでここで書いてみる)

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黒字の数字は「DIN」で、日本語は「源ノ角ゴシック」。このへんはデザイナーならひとめ見ただけで分かる。

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ちなみに改訂前のスライド。ちょっと前までは「S明朝体」(ニイス)と「ロダン」(フォントワークス)の組み合わせだった。S明朝体は細部に墨だまりを感じさせ、柔らかい雰囲気的はちょっとA1明朝に似ている。セブンオリジナル商品ができたときからしばらくは全部これで統一されていたが、すこしづつ消えていった。

 

指定書体というのは通常はデザインディレクター(セブンの場合はたぶん佐藤可士和)が決め、フォーマットに則った上で別のデザイナーが展開していくものなのだけど、ユトリロといい、ロダンといい、フォントワークス社の製品が使われているのはなんでなんだろう。そんなことを一緒に演習やっているグラフィックデザイナーのMさんと雑談してしていたところ、Mさんは「ライセンスの問題かもね」と指摘されていた。例えばモリサワの書体を使ってそのままロゴタイプには使えない(別途お金がかかる)から、このセブンの商品名もロゴといえばロゴではあるので、そういう問題を回避しなければならない、というのは確かにありそうだ。そういえば、フォントワークスはテレビのテロップ(NHKなど)やアップル社(キートップのひらがなは「スーラ」)にも提供しているから、複製される場合でも使いやすいようなライセンスなんだろうと考えられる。ちょっと詳しい人に聞いてみよう。

 

 

なぜ、いま情報デザインなのか?:Adobe MAX Japan 2017 教育セッションより

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11/28(火)にパシフィコ横浜にて行われたAdobe MAX Japan 2017 教育セッションにて登壇してきた。2020年次期学習指導要領より、すべての高校生が「情報デザイン」を必修で学ぶことになるが、教育現場では「情報デザイン」はまだ馴染みのない言葉であり、全国から集まった教育関係者を対象に解説する、という企画である。

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セッションは、まず文部科学省の教科調査官である鹿野利春先生が情報科の改訂にあたって情報デザインが位置づけられた理由の解説とポイントをお話しされ、その後僕が実践者の立場から「なぜ、いま情報デザインなのか?」を話すという内容。そして、こんな対バンを務めさせていただくとは・・・実に恐れ多い。会場は立ち見も沢山でるほどの大盛況で、先生方だけでなくて、興味をもったクリエイターの方々もたくさん来て下さって、有り難かった。

僕は、1)「情報デザイン」という言葉についてと、2)学習指導要領改訂までに何を準備できるのか、の2つについて話した。共有希望があったので、スライドを公開する。しかしここのところ予定がぎっしりと立て込んでいて、準備する時間がまったくとれなかったのが心残り。この日の1限の授業終わった11時頃から出発までの3時間の突貫工事で臨んだもので、荒い代物で申し訳ないです。短い時間では話せなかった分もふくめて、先生方に読んでもらうためには、もう少しちゃんとした言葉にしたいところだ。

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講演の後は、Adobe Education Exchange研修会のセッション。Adobe Education Exchangeというのは、Adobeが運営する教育者向けのオンラインコミュニティで全世界で40万人が参加しているそう。去年日本版がオープンした際に、僕(正確には受講生の学生たち)が以前つくった中高生向けコンテンツ「デザインなぞなぞ」を提供したのだが、それに対して賞を頂いた。先生方がけっこう見て下さっているそうで、感謝します。

 

 

デザインすることはGiveすること:Xデザイン学校アドバンスコース講演より

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11/9(木),DMM make AKIBAを拠点に行われているXデザイン学校アドバンスコースで講演してきた.

聴講者は社会人向けのアドバンスコースの受講生ということで,主宰の浅野先生,山崎先生からはまだ一般的ではない領域を「探求する」ための議論点や考える手がかりを求められている.その周辺を言語化していくことは,僕自身にとっても挑戦である.

それにCoDesignの概要については,7月に行われたGKでの講演の際のスライドを公開してある.だから今回は,もう一歩踏み込んでデザインの分野ではあまり議論されていないことと接続してみようと頑張ってみた.デザインを開いていくために,人々の力はどのように発生するのか,そして育てられうるのかが,今回の講演の主な内容である.

スライドを公開しておきますのでご笑覧ください.例によって許諾を得てない画像等は一部カットしてあります.

 

 
あらためて見てみると,なんだかずいぶんと青臭い話になってしまった.浅野先生によると「響く人と響かない人に,はっきり分かれる話だね・・・」とのこと.もちろん人間そう簡単にいい方向ばかりに動機づけられるようにはできておらず,現実的には困難なことはよくわかっている.でも講演の中で取り上げた実話にあるように,相互に信頼しあえる社会になって欲しいな,と願いたい気持ちもあるわけで.
 
もう一つ「贈与」のことをずっと考えていて思うのが,こういったストーリーを狙ってデザインすると,受け取り方によっては非常に浅ましい印象にもなってしまうということ.しかしながら協働のデザインの裏で働いている心の集団志向性や,なんらかの利他性を伴うようなデザインは,そういった微妙な感情が生まれることを理解した上で,倫理面にも配慮しつつも,いずれそこに踏み込んで考えていかざるを得ないだろうとも思う.なぜなら,人類はずっと協働しながら生き延びてきたのであって,裏切られる悔しさよりも,他人と協力し合うことで得られる喜びやその成果の方がずっと大きいことを心のどこかで知っているはずだから.
 
 
 
 
 

民藝運動が持っていた「将来への志向性」

https://www.meiji.ac.jp/press/list/la_sciende/6t5h7p00000ib39h-img/poche3_shoei.jpg

 

先日,ACTANTの南部さんと話している際,昭和初期の民藝運動と近年のデザインの民主化の潮流との関係の話になった.その時彼から薦められた鞍田先生(明治大)の本が面白かったので,ちょっとメモ.

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民俗学と民藝の関係というのは,たいへん興味深い点であり,もうすこしだけ当時の議論を紹介しておきましょう.いま引用した論考で主張されている内容は,昭和16年(1941)に東京帝国大学人類学教室で行われた講演要旨ですが,その前年に行われた柳田国男との対談をふまえたものです.いうまでもなく柳田は我が国の民俗学を確立した人,対談は柳の支援者である式場隆三郎の司会で行われました.

式場:[前略]つまり民俗学という学問は,過去を知るための学問なのですか.それとも現在あるいは将来につながる学問ですか.

柳田:それはもちろん,民俗学とは過去の歴史を正確にする学問です.だから将来のことはわたくしどもの学問の範疇ではないんです.[中略]

式場:そうすると,たとえば民俗学というようなものには,直接的な文化的行動性というようなものはないんですね.

柳田:ええ,そういうものはないんです.今の歴史には将来のことを論じたり,現代人の心得方を論じたりしているものがあるけれど,あれはわれわれから見ると,歴史という学の方法に入るものではない.[中略]われわれは事実を正確に報告するだけで充分です.

柳:つまり民俗学は経験学として存在するのですね.


式場:すると民俗学というものはわれわれの民藝とは大部ちがったものですね.柳先生いかがですか.

柳:僕の方は経験学というよりも規範学に属していると思います.かく在るあるいはかく在ったということを論ずるのではなくて,かくあらねばならぬという世界に触れていく使命があると思うのです.そういう点は民藝と民俗学は違います.

柳田:それははっきり違う.われわれのほうにそうしたものはない.

柳:だから民藝の方でゆけば,価値論が重きをなして,美学などに関係するようになってくる.

柳田:結局そういうことになるでしょうね.

(民藝と民俗学の問題 柳田國男柳宗悦:対談)
月刊民藝第13号,1940 26-27頁

規範や価値の追求の有無という点で民俗学と民藝は決定的に相違します.先に示した民藝の2つの基本要素はまさにそうした価値や規範に関わるものといってよいでしょうが,ここであたらめて確認しておきたいのは,とりわけそのうちの現代性こそが民藝の価値・規範追求の駆動力となっているということです.現在を論じ,そうして将来を志向することこそが,民藝の本旨です.

 

「民藝のインティマシー—「いとおしさ」をデザインする 
鞍田崇 明治大学出版会2015  p51-52

 

ふむ,不勉強でよく分かってなかったが,民藝運動は人々の普段づかいの民具の中にある「用の美」を見出しただけでなくて,その奥には「現在から将来への志向性」があったのか.そこは確かにアーツ&クラフツ運動にあったように,「デザイン」として現代に引き継がれている思想と一致している.

 

 

トライ&エラーから見出す体験

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10/22(日)は,ここ半年ほど進めてきたサイエンスミュージアムでの研究室ワークショップ「ヒコーキが飛べる理由を試して考えてみよう」を実施.研究室の4年生,F君の卒業研究でもある.CoDesignは相互の信頼関係づくりから,ということで彼は毎週ミュージアムが開催している実験工房のスタッフとして出入りを重ね,インストラクター講座を受けて資格までとってしまった.その成果でさすがに余裕のあるファシリテータぶりだ.

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当日は台風が近付くかなりの悪天候.それでも事前予約してくださった親子のみなさんはちゃんと集まってくださった.感謝.家族みんなでノリノリで工作を楽しんでいるw 

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事前に用意したバルサ材(レーザカッターで切り出したもの)に,紙を加工して羽を接着する.みんな楽しそうに工作していたが,この子の創造力には驚かされた.この子はその場にあるパーツをどんどん流用しつつ,自分で工夫を重ねて作っている.凄いね.

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 負けじと,お母さんたちも不思議なヒコーキをつくる.

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鳳凰をイメージしたヒコーキだそう.こういうのも,尻尾をなびかせながら優雅に飛んでしまうから不思議だ.

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あまり最初は知識を与えず,自分でトライ&エラーを重ねながらなぜ飛ばないのか,どうすれば飛ぶのかを発見していくというのが,このワークショップの狙いである.ワークシートではどのように飛んだかを記録して,プロトタイピングの軌跡が見えるように繋げていく.

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半分ほど過ぎたところで,共有と振り返り.上手に飛ばせているお父さんに,施した工夫を解説してもらう.この方はエンジニアらしく実験からポイントを見抜く眼力が半端無い.

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 終盤になると,いつのまにかお父さんお母さんの方が童心に戻って夢中になっている.やたらとよく飛ぶ機体を作れて,息子さんに自慢しているお父さんw

f:id:peru:20171023220456j:plainトライ&エラーを重ねる中で,だんだんと「ある程度の重さ」と「浮き上がる」力のバランスが取れた時にキレイに飛ぶことが見えてきた.機首には角度を下げるための重りがあった方がちゃんと飛ぶのだ.

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最後は全員によるレース(冒頭の写真)で盛りあがったあとで,物理学者の小田切先生による「ヒコーキはなぜ飛ぶのか」の解説.小田切先生とは同じ学部の同僚で,この企画をいっしょに立ち上げたのだが,全く専門も違う彼とこんな形でコラボ出来るとは思わなかった.このワークショップは,デザインだけでも物理だけでも成り立たない.プリミティブなヒコーキの模型は,専門領域をつなぐ「バウンダリーなオブジェクト」でもある.

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最後は小田切先生が引用した朝永振一郎の名言.

なかなか良い感じでまとまった.

 

とりあえず参加者へのアンケートもまずまずで,彼の研究題目「コミュニティの力を援用した親子向け科学学習キットの作成」にも大きな成果となったように思う.実はこのワークショップの背後には,場所としてのサイエンスミュージアム,そこに乗り入れている複数の科学教育のボランティア団体,専修大学など,いくつかのコミュニティが存在して,それらをF君が繋ぐことで実現されている. F君もまた境界線上の存在だ.最近はこんな「それまで接点の無かったコミュニティが繋がっていく」実践的な活動が面白い.

 

日本デザイン学会当事者デザインセッション資料

10月13日に函館で開催された,2017年度日本デザイン学会秋季大会 企画テーマ討論会「共創・当事者デザイン」で指定討論者として参加してきました.上平のスライドと配付資料を公開しておきます.

 

 

配付資料A4両面一枚(上のスライド4ページ目)はこちらからダウンロードできます.

 

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個別の持ち時間は10分間,「事例ベースで」というオーガナイザーの依頼だったので,ふたつの事例(マウンテンバイクの草創期,阿久根市のイワシビル)について,あまり触れられない視点(When, Where)から解説してみました.

 

当初話題にするつもりだった「当事者デザイン」の枠組みに関しては配付資料としてまとめてあります.以前作った表を整理してちょっとバージョンアップしました.当時者デザインは自分含めてまだみんなよくわかってない言葉ですが,近年世界的に起こっている潮流やデザインの主体の変化と併せて理解できる資料を共有することで,読む人の視点が少しでも広がればと思って公開します.最近の「当事者研究」や「中動態の世界」などと重ねて読み解きたいところでしたが,また別の機会にでも挑戦してみます.

 

 

 

 

 

デンマーク滞在中に読みたかった本

最近,デンマークに留学している学生達のブログを見つけることがある.日々新鮮な気づきを書いているのを読むと,自分もいろいろ思い出して懐かしい気持ちになってしまう.そんなわけで,彼らに向けて,僕がデンマークにいる時に読んでおけば良かったなぁ,と思った本を一冊紹介したい.

 

それは,内村鑑三「デンマルク国の話 信仰と樹木をもって国を救いし話」.

今から100年以上前,1911年に東京で行われた講演録.なんでバイキングの国があんな福祉国家に変貌したのかの経緯をわかりやすく解説している.(Loneからもらったデンマークの歴史の本でも,同じように敗戦を「Great Defeat」と位置づけてそこから開始されていたから,解説されているリアル版「木を植えた男」のダルガスの話しは,本当の話なんだろう)

 

特にユトランド半島に滞在中の某君,某さんは,あのあたりに広大に広がる木々に思いを馳せることができると思う.無料ですぐ読めるのでオススメ.

 

https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51eSoHqxdBL._SY346_.jpg

 

www.amazon.co.jp

青空文庫(Web)ではこちら

内村鑑三 デンマルク国の話 信仰と樹木とをもって国を救いし話

しかし木材よりも、野菜よりも、穀類よりも、畜類よりも、さらに貴きものは国民の精神であります。デンマーク人の精神はダルガス植林成功の結果としてここに一変したのであります。失望せる彼らはここに希望を恢復しました、彼らは国をけずられてさらに新たに良き国を得たのであります。しかも他人の国を奪ったのではありません。己れの国を改造したのであります。

 

(重要)追記:2019年12月17日

どうやら作り話らしいです・・・

大阪大学から頂いた分厚い紀要集?「IDUN21号」でいちばん興味深く読んだのが『彼我を視野に据えての「ダルガス神話」成立の再考』(村井誠人、早稲田大学教授)です。簡単かつやや乱暴にいうと、『デンマルク国の話』(内村鑑三著)は作者による”作り話”である、ということを詳細に説明した論考です。
村井先生は、この『デンマルク国の話』を事実として信じ、デンマークについて語り始める日本人(時にデンマーク在住の日本人)に、本書を引き合いにだしてデンマークの歴史、文化、社会、国民性を語ることに、数十年前から警鐘をならしています。

『デンマルク国の話』の中で紹介されるヒーロー、エンリコ・ダルガスが言ったとされる(実際には言っていない)「外で失いしものを、内にて取り戻さん」という耳触りの良い一言が入った感動的な「お話」は、日本人の心の琴線に触れるらしく、社会的に影響力のある一部の日本人達の間で、ダルガス神話信奉はいまだに絶えないのです。

近代デンマーク社会の成立の出発点であるかのように、『デンマルク国の話』を持ち出すのは、デンマーク人もビックリのビッグマウスになってしまうのです。とくにデンマーク在住の人達に読んで欲しい論考です。

Bindeballe:(有)ビネバル出版/北欧留学情報センター

 

 

 

 

8歳児といっしょにデザインする

後期演習が始まって3週目.今年も2年生のCD演習で小学生とのCoDesignプロジェクトに取り組んでいる.今年は校長先生の助言でパートナーがこれまでの6年生から2年生に変更となって,なんと8歳児とコラボ!現在,学生達はいろいろリサーチしながらインプット活動をしているところで,軽く写真を紹介してみる.

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10月某日.フィールドワークで2年生の教室にお邪魔する.こどもたちの熱烈な歓迎をうけて,そのあふれ出るエネルギーに呆然とする大学生.彼らもかつては同じ年代だったはずなんだけどね.

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こども達はまったく人見知りしないで大学生と仲良くなろうとしている.僕ら教員(=親世代)にはそんなに近寄ってこないのでw,あまり接することがなく格好いい大学生のお兄さんお姉さん世代に憧れがあるんだろう.

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連携する科目は生活科.生活科をなめてはいけない.この「おもちゃづくり」の単元は,そうは言ってないけど事実上デザインを実践しているのだ.おもちゃの楽しさから科学の学びに繋げる「カガクおもちゃ」の開発が今回のテーマである.

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中休み.大学生は子供達の求めに応じて全力でいっしょに遊んでいる.背の高いHくんは女の子にモテモテだ.こんなにモテる経験をすれば,この子達のために頑張ろうという気持ちが芽生えてくるもの.

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このクラスは大学生が来てくれたということで,急遽児童各自が演し物(コントや手品など)を発表するお楽しみ会が開催された.どうやらこの担任のS先生はとても優れた先生で,憧れの世代のお兄さんお姉さんが教室に来てくれたこの瞬間が,こどもたちにとって「だれかに表現を伝えたい」と本気になれる状況であることをすかさず見抜き,即興的にストーリーテリング的な学びを作り出しているようだ.素晴らしい.

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そして同じ日の午後は学内で専門家を招いて環境教育のワークショップ.こちらは鏡で上下の視点を変えるミラーハイク.木漏れ日の下が良いらしい.

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自分で意識的に環境を区切り,視点を観察するフォトフレームというワーク.

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10月某日.宙と緑の科学館の協力で.生田緑地の地層と植物を観察するフィールドワーク.なんてことない自然の風景だったものが,専門家のトークが入るだけで意味が変わり,とてもロマン溢れるものに転化するのは不思議.まさに「知識は装着すると見え方が変わる最強のAR(by稲見先生)」だ.

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電子望遠鏡で太陽観測.ちなみにこの宙と緑の科学館(の前身である青少年科学館)において大平貴之氏は小学生の頃、当時の解説員に解説席まで招きいれてもらい機械の操作を体験させてもらったことが,プラネタリウムへ情熱を燃やすきっかけになったという.そんな縁でここには世界最高クラスのプラネタリウムMEGASTAR Ⅲ FUSIONが設置されている.

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FIELD MUSEUM展の会場となる科学館内部.

さていい成果がでますように.

 

今和次郎を考現学に向かわせたこと

先日開催されたデザイン学会の「デザイン研究の記述」研究会で,デザインにおける態度の議論になった際,加藤先生(慶応SFC)が「今和次郎は観察して記録を残す際に,同時に態度のことも詳細に記述しているんだよ」ということを教えてくださった.今和次郎が残したスケッチは素晴らしいが,そういえば彼がどんなモチベーションで街や人々の観察に取り組んでいたのかは知らない.恥ずかしながら彼の著作をちゃんと読んでないことに気付いて文庫本を読んでみた.

すると,確かに興味深いことが書かれている.

それは大正12年(1923年)の震災の時からであった.しばらく私たちは,かの死の都から逃げ出してしまった芸術家達と同じようにぼんやりしていた.しかし,私たちはその時の東京の土の上にじっと立ってみた.そこに見つめなければならない事柄の多いのを感じた.


<中略>


私が目に見えるいろいろなものを記録することを喜んだのは,このころからである.そこで人々の行動,あらゆる行動を分析的に見ること,そしてそれらの記録のしかたについてくふうすること,そんなことが,あの何もない荒れ地の私を促したのである.


<中略>


現代文化人の生活ぶり,その集団の表面にあらわれる世相風俗,現在のそれを分析考査するのには,その主体と客体との間に,すなわち研究者と非研究者の間に,あたかも未開人に対するそれのように,患者の医者に対するそれのように,あるいは犯罪者に対する裁判官のそれのように,われわれ(調査者)が一般人のもつ慣習的な生活を離れて,常に客観的な立場で生活しているという自覚がなかったならば,あまりに寂しいことのような気がするのだ(つまりかかるたぐいのはっきりした意識がないと,いわゆる役人式の調査になる).それで我々は各自,習俗に対する限りのユートピア的なある観念を各自の精神のうちにもち,そして自分としての生活を築きながら,一方で世間の生活を観察する位置にたちうるのだ,と告白をしたくなるのである.その境地があればこそ,われわれと現代人とは水と油の関係に立ってわれわれは現代人のそれを客観することが可能となる.


<中略>


その我々の研究態度をわかりよく言えば,眼前の対象物を千年前の事物と同様にキューリアスな存在としてみているかのようなのである.実にかかる境地こそ私たちの仕事をして特殊なものたらしめる中心的な基盤であると言っていいだろう.

考現学入門」 ちくま文庫 P364

 ふむ,彼の場合は,よく言われるような「共感」とかじゃないのだな.あくまで対象と距離を保つことで未知なるものに接するような研究態度を生んでいるということのようだ.そのようなマインドセットこそが,当たり前のことを当たり前にしない視点を可能にしているのだと.

 

それにしても今和次郎考現学に向かわせたのは,震災のショックだったとは知らなかった.今眼の前にあるものがどれだけ儚いか,そして破壊された街を急速に再生させていく人々の活動の姿がどれだけ蒸発してしまいやすいか,に彼は気付かされたのだろう.

 

このエピソードを読んで,僕は以前訪問したウルム造形大学のことを思い出した.南ドイツのウルム市,クーベルグの丘に残る校舎内につくられた資料館の入り口には,ウルム造形大が開学する前(1950年頃)のウルムの街の様子がこれでもか,と大きく描かれている.

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連合軍によるウルム爆撃によって,市街地の8割以上は破壊されつくされたという.その廃墟からインゲ・ショルらは未来の学校づくりを始めたと書かれていた.今となっては見えにくいことだが,伝説のデザインスクールの出発点は,破壊され尽くした終戦後の瓦礫であり,そこから這い上がる活動だったのだ.

 

街の破壊は人々に大きなショックを与える.しかし引き起こされる環境の変化は,どこかで誰かのあたらしい視点を生む切っ掛けとなる.絶望の中でも一部の人々は立ち上がり,新しい再生を始めるのだ.そんなことに気付かされる.

『Designing for Service』の翻訳出版プロジェクトがスタート

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 イギリスで今年の2月に出版された『Designing for Service』の翻訳出版をめざすクラウドファンディングのプロジェクトが動いているようだ.この本はServDesというサービスデザインを研究している欧州の研究コミュニティが中心になってまとめたもので,いわゆる現場向けの方法論ではなくて新しいデザイン領域としてのサービスやそのあり方を言語化することに焦点を当てている.僕はスウェーデンで会ったMalmo大のanNaが「寄稿したよ」と出版直後にFacebookで紹介していて知って,すぐ,Facebookページで日本人向けに紹介した.

 

アカデミア発のものなので,内容があまりキャッチーじゃないと思われるかもしれないが,サービスデザインの今後に示唆を与えるとても良い本だと思う.こういったちゃんとしたデザイン研究の本を日本語にする取り組みはすばらしいので応援したい.

 

北欧型CoDesignという意味では,anNaとmetteによるFabrikkenを実験場にしたInfrastructuringの概念や実践は必見.またデザイン理論という意味では,3章の「Designing vs Designer:どのように組織的なデザインの物語をデザイナー(という専門的職能)からデザインすること自体に焦点を移すか」の章もとても興味深い.

 

なぜかあまり関心を持たれていないみたいなので,微力ながらここでも宣伝に協力してみる.

 

下記プロジェクトページを参照.

greenfunding.jp