昨年度上平プロジェクト(2020)の学生たちがクラウドファンディングに挑戦しています。「甘えん坊ど」というカードゲームを自分たちでデザインしたので、それを印刷してたくさんの人に使ってもらおうとするものです。学生たちはゼロ地点から、1年以上かけてなんとかここまで到達しました。あまりない機会ですので、すこし背景を紹介してみようと思います。
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2019年12月のこと。例年と同じように次の年度が始まる前、ある学生たちがプロジェクトを起案したいというので、ひきうけました。(うちの学部のPBLは、通常のゼミのように教員に学生が集まるのではなく、学生が自分たちで起案して担当してくれる教員を指名するという、スタートアップのような仕組みで運営してます)
しかしながら、さあキックオフしようという士気が高まったタイミングで、ご多分にもれずコロナ禍に突入。みんな家に閉じ込めっれ、顔も合わせられない中で暗中模索の活動が始まりました。当初考えていたテーマも大幅に前提を変えながら、「こういう中だからこそ、新しく出来ることが生まれる」を合言葉に、一から考え直しました。
そして、どんどん社会が殺伐としていく中で、みんなの頭の中に浮上してきたのが、いわゆる「人に迷惑をかけてはいけない」という社会通念への疑問です。なにか困り事があっても、人を頼って解決するべきではなく、自分の力だけでなんとかしなければならない。多くの人々がそんな思い込みにとらわれ、個人では解消できないことを過度に一人で抱えこんでいます。こういった傾向は、結果的に「孤立」の問題を深刻にしていきますし、不特定多数の感情や怒りが表出されるSNSが普及して以降、社会的な圧力はますます強まっているように思われます。
そして、この圧力は、結果的に私たちを他者との関係をつくりだそうとする機会から遠ざけてます。本来、助けが必要な弱い立場の人々ほど、その影響を強く受けがちです。
こうした圧力に抗い、もっと生きやすい社会をつくることはできないのか?学生たちは問いはじめました。私たちは幼いときから常に誰かの力を借りながら生きてきたはずですし、世の中は”お互い様”だからこそ、助けを求める手とそこに差し伸べられる手は共同体をつなぐ紐帯となる。大人はなかなか変われないだろうけども、若い世代はまだ変われる可能性がある。もっと頼る側/頼られる側、それぞれの立場を経験する機会を通して自分のふるまいかたを見直してみよう。そんな、ささやかな提言から生み出されたのが、「甘えん坊ど」です。
このゲームの詳しい内容や遊び方は一番下にあるサイトを見ていただくとして、ネーミングからもわかるように、他者を信頼するという真面目くさったような言い方はしないで、あえて「甘える」と若者たちが普段つかうボキャブラリーに言い換えています。日常的なシーンを想定したコミュニケーションの駆け引きを演じるために、「茶目っ気」や「演技」を引き出し、「笑い」に落としやすくするためです。そして誰にでも出来るちょっとした「勇気」を出しやすくするためです。
こうした工夫は、プロジェクトの学生たちが同世代の共感の中で行われたことなのですが、年を重ねた大人たちにとっては、あまり理解できることではないかもしれません。「甘える」のも調子に乗りそうでいかん、と感じるでしょうし、長くチームで仕事している人にとっては、人にお願いや頼み事することそれを引き受けることは普通にやっていることでしょう。
でも若い世代にとっては、当たり前ではありません。都市部(特に東京)では他者は限りなく遠く、コロナ禍の学校生活では、友達に助けを求めようにも友達になる機会すら少ないと言えます。不要不急を乗り越える突破口として、コミュニケーションを取るなにかの口実を求めています。甘え方だって、どこからがずうずうしいのか、どこまでが愛嬌なのかのバランスは際限なく判断が難しいものですが、その感覚はたくさんの経験を通してしか学べないでしょう。「当たり前」は意外に難しいのです。
途中過程では、山ほどのトライ&エラーが繰り返されました。簡単なゲームでも作るのは大変です。そしていろんな人々が協力してくださいました。(アトラエの竹田さん・木下さん、黒崎BASEの河西さん、ありがとうございました!)
(学生たちの発表資料より)
さて、僕はと言えば、あまり指導らしいこともしてない気がしますが、このプロジェクトを進める学生たちの間近で、去年自分の本を書いていました。その終盤で、こんなことを書いています。
だからこそ、社会全体の大事な役割は、一人でも多く前者の可能性を信じ、そこに賭けて行動できる、そんな「豊かさ」を持つこと。そして、ときどき失敗はあるかもしれないけれども、きっとそれよりも大きな喜びを分かちあうことができるに違いない、そう思える経験が積める場、そんな学びが埋めまれた場を増やすことだと思います。
「コ・デザイン―デザインすることをみんなの手に」P317 上平崇仁
受け取る人それぞれにふくらみが生まれるように、かなり抽象度高めに書いたところでしたが、それでも本の核心のメッセージを含んだものではありました。「あまえん坊ど」をつくった学生たちはこの文章を読んだわけではなかったけれども、僕が節々で発していたぼんやりした言葉に呼応して、彼ら/彼女らなりのやり方で、見事に具体化してくれたように思います。まさにいっしょに進めながら相互作用として起こったことなので、それが一番嬉しいことです。
クラウドファンディングは以下のページから。
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