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みえないものを、みる視点。

タイポグラフィの聖地、チューリヒとバーゼル

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グラフィックデザインのセオリーとして50年ほど前にスイスから発信されたタイポグラフィ、通称スイス・スタイルは今日まで大きな影響をもつ。しかしながら、僕ら外国人としてはなかなかスイススタイルを生み出した文化的な背景までは理解することができない。というわけでせっかくヨーロッパにいるのだから、と現地まで調べに行ってきた。

 

チューリヒはスイスの主要都市。高地らしく冷たく澄んだ秋の空気をまとい、凛とした雰囲気を持った大変美しい街だった。

 

スイスには、意外なことにスイス語というのがなく、戦後復興期には文書に4つの公用語(ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語)を併記する必要があったという。今はそれに加えて英語も入るだろう。さまざまな言語を配置することに対して他の国よりも何倍も意識的になる必要があり、かつ特定の言語や主張に偏らない客観性を高める必要があったため、1950年代にインターナショナルなタイポグラフィ様式が発達していった、というのが定説だ。

 

もうひとつ言えばドイツ語やフランス語、それぞれの言語の持つ強い土着性を犠牲にしてでもバランス良く統一するために、ニュートラルで清潔なテイストを持つHelveticaのようなフォントが生み出されたわけだ。さすが永世中立国。まあ、どんなデザインもかならずそれを必要とする人々の文化から出発して、それを磨く土壌との関係があるものだけど。

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デザインミュージアムチューリヒ。巨大な建物にはチューリヒ芸術大学と、もうひとつ理系の大学(zhaw)が入っている。

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ミュージアムでは中東の写真展とアニメーションに関する企画展Animate wonderlandをやっていた。結構硬派なメディアアートの展示。

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ポスターコレクションもツアーを予約すれば見れるらしいけど、ドイツ語で説明されてもわからないので(汗)全部書籍化されているものを丁寧に見ることで代用する。しかし貼ってあるポスターのクオリティがさすがだ。

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スイス・スタイルの傑作で、最近復刻されたNeue Grafikのセットが売店で売られていた。250ユーロと結構安い。復刻されるまではなかなか手に取れない伝説的な雑誌であり、思わずイスに座って全部の巻をめくってみたけど、うん、スイスのタイポグラフィはこの時代にもうほぼピークに達している気がする。

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建物の中を移動して、チューリヒ芸術大学の中を見学した。ここはMax MiedingerやJosef Müller-Brockmannが学んだ学校である。たまたま学内で出会った日本人のS君に内部を案内してもらった。S君は東京芸大音楽学部(音校)を卒業して、今ここの大学院に留学しているんだそうだ。ドイツ語で授業を受けるというのは大変そうだけど、演奏でステージにも立つそうで、羨ましい環境だ。

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建物の案内板からしてモノトーンが大変美しい。S君によると、この建物は以前は会社かなにかだったようで、今年になって音楽学部とデザイン学部とデザインミュージアムが移転してきたばかりらしい。なるほど、どうりで学生達もまだ建物に馴染んでいない感じがする。だが、国立の機関をこれほど素晴らしい環境に移す、というのは国の芸術振興として意図的な計画があるのだろうし、複数のコミュニティを一箇所に混ぜて刺激し合う場をつくるというのは世界的な流れのようにも思う。

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あちこちに貼られているコースの案内もグリッドを意識していて、さすがにスイス。

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グラフィックデザイン専攻の学生アトリエ。こういう机配置はどこの国も同じような感じだ。この週はタイポグラフィをレーザカッターで加工する課題が出ていたようだ。

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大学を出て、ついでに、街中にあるPavillon-Skulpturを見る。Max Bill作の有名なパブリックアートだが・・・ここに居る人はだれも意識していないのだろうな。子どもがかくれんぼして遊んでいた。

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翌日にはバーゼルに移動。宿泊したホテルのすぐ近くにあったので、ついでにバーゼル造形学校(Schule für Gestaltung Basel)に寄ってみた。このデザイン学校ではエミール・ルーダーが長年教えていて、バーゼルタイポグラフィカルチャーはここで育ったと言える。平日なのになぜかこの日は休みで閑散としていて残念だ。

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べたべたと貼られているチラシも、よく見れば現代のバーゼルの街の人々のリアルな美意識が見えて面白い。タイポグラフィにはやっぱりこだわりが見える。

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 基礎過程の学生の作品を展示してあった。一枚の平面の紙からどこまで空間をだせるかという、昔ながらの紙からの展開に挑戦していた。美大生は今も手の感覚を大事にしているね。

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バーゼルの街を歩く。ちょっと待った、なぜ道ばたのゴミ袋までここまでスタイリッシュなのだw

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チューリヒバーゼルは、どちらも大きな川沿いに発達した街なのだけど、バーゼルの方がドイツとフランスの国境付近(本当にすぐ国境)に位置していることで、チューリヒで感じたスイスらしい雰囲気はかなり薄まっている気がした。ここでは3カ国の人々が日常的に入り交じるわけだし、文化も相当混じって形成されていくのだろう。

 

だからというか、フォーマットを厳格に守りながらデザインを展開するトラディショナルなチューリヒ派に比べて、グリッドの持つ意味を発展的に捉え、その可能性に挑戦したのがバーゼル派、というのはなんとなく街の雰囲気からもわかった気がする。もちろんこの両派は半世紀前のムーブメントであり、いまでもその違いがあるわけではないだろう(あるのかな?ところで、その前に英語サイトではこの両派を説明しているソースがさっぱり見あたらないんだが・・・)が、これらのデザインの潮流を生んだスイス独特の「多言語が共存している日常」という文化的な背景を肌で感じれたことは大きな収穫だった。