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みえないものを、みる視点。

不屈のデザイン運動体の輝きを見た:ウルム造形大学アーカイブより

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10月19日(土)、フライブルグからウルムに移動した。この街は世界最大の大聖堂で有名だけれど、今回の旅の最大の目的地はこの古ぼけた校舎。デザインを学んだ者なら知らない人はいないHfG、通称 "ウルム造形大学"の跡地である。ちょっと前まではウルム大学(?)が入っていたとの記事をネットで読んだが、今はNPOが施設を管理してデザイン事務所などに貸し出したりしているようだ。

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特に管理は厳しいということもなく、普通に中に入ることが出来る。うーん、この校舎に入れるとは、感無量。このデザインスクールの教育を色濃く反映している武蔵美基礎デ関係者のみなさんにとっては聖地のようなところだと思う。同僚のK先生(基礎デ卒)に自慢しよう。

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校舎はMax billによる設計。かなり目立つ場所にサインが残されていた。

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学食跡。土曜と言うこともあり、ちょうど結婚パーティが企画されていてあくせくと数名が準備していた。そんな場所としても貸しているのかw

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吹き抜け。壁のアートはマックス・ビル・・・の作品にそっくりだけども他のアーティストの作品のようで、ちゃんと展覧会のDM置いてあったのでこれは個展らしい。

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2階にはアーカイブが設置されている。以前は公開されてなかったそうだけど、今は立派なミュージアムとして公式に運営されている。

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アーカイブは、2,3年前にできたばかりらしい。かなり展示方法が凝っている。ここをつくったデザイナー達は相当な思い入れをもって設計していた,と説明してくれた。個別の作品は撮影禁止だけど、建物や外観は許可してくださったなのでアップ。

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die schließungとは、ドイツ語で「閉鎖」。白壁が立ちはだかるように行き止まりだ。大学の背景と成立、そして閉鎖までの展示の導線は大変よく考えられているので、是非現地で体験してもらいたい。特に開学までの経緯に、僕は感動した。

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入り口にある当時のウルム市街地。連合軍によるウルム爆撃によって、市街地の8割以上は破壊されつくされたという。その廃墟からインゲ・ショルらは未来の学校づくりを始めた、と記されていた。

今となっては見えにくいことだが、この伝説のデザインスクールの出発点は,破壊され尽くした瓦礫の中であり、そこから這い上がる活動だったのだ。

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HfGは、デザインの学校でいち早く「情報」を教えていたことでも知られる。僕の場合は別に聖地巡礼が目的ではなくて、このカリキュラムを詳しく知りたくてここまで来たのだ。1960年頃にサイバネティックス(Cybernetic)とか実証主義(Positivism)とか・・・この時代にこういった学際的な学問分野から理論を学びつつそれを取り入れてデザインしようとしたのは極めて先進的な取り組みだったのだな。写真を撮れないのでがんばってその場で理解しようとしていたら、目当ての課題数点が詳しく掲載されている古いドイツの雑誌資料を購入(ラスト1部!)できて目的は達成。やっぱり足使うことは大事だ。

 

館内には寄せ書きのノートもあり、今でも世界中からデザイン学生達がやってくるそうで、世界各国の文字で埋めつくされていた。やっぱり聖地なのだね。館の女性スタッフによると、日本人も結構来るよ、とのこと。スタッフの方は親切で、いろいろ質問にも対応して下さってありがたい。

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校舎の裏に広がるクーベルグの丘。ここは景色が大変素晴らしいので、是非奥まで歩いてみるといい。学校が消えて半世紀、とは言っても、それくらいでは自然はあまり変わらないわけで、HfGに関わった人々に思い入れがあれば、それを想像して歩くだけで感動できると思う。

 

 さて、今回の訪問でいちばん印象に残ったことは、敗戦後のドイツの状況の中で大学が成立するまでの関係者の熱い思いである。よく知られていることだけど、ナチスに抵抗して処刑された学生達、「白バラ」のショル兄弟の妹のインゲ・ショルが共同設立者であり、白バラを追悼する基金によって、この大学は設立されている。関係者の願いがこの大学を生み出し、その後の学風とも繋がる思想になっていたのだな、と。

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あまりに感動したので、ウルムからミュンヘンに向かう帰路の途中で、そのままモニュメントを見に行ってきた。中央駅から地下鉄でミュンヘン大学に向かう。

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広場では大学生カップルが深刻な顔で別れ話らしきやりとりをしており、涙目の女の子の目の前で「ちょっとちょっと」と割り込みながらパシャパシャ写真撮ってきた。彼らの足跡の先にある、紙ゴミにしか見えないものが"白バラ"のモニュメントである。

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 よく見ると、彼らの蒔いたビラと、それらが散って踏みつぶされたことを現場で再現するようにちゃんとレリーフになっている。

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ゾフィー・ショルは、処刑されたときにわずか23歳。ドイツにいながらにして反ナチス運動をするとはなんという魂。 ミュンヘン大学内には資料館もあるが、残念ながら間に合わなかった。写真はホールにあったゾフィーの頭像である。

 

僕はウルム設立と白バラに関する知識は日本で得ていたけれども、それでもドイツの戦争の前後に関する視点はあまり理解できていなかった。このへんのリアリティは現地で体験したからこそ実感できたのだと思う。

 

ウルム造形大はバウハウスの後継とか、科学的態度でデザインしようとした、とかの文脈で語られがちだ。しかし、その背景には当時の社会を覆っていた雰囲気に対して、自分たちのまっとうな感覚を信じてNoと言い、どんな圧力にも屈しようとしないで散ったショル兄弟らの思想が出発点であったことを改めて知った。焼け尽くされたウルムの街で、全くゼロから理想のデザインスクールを作ろう、と皆が団結できたのも、その志を皆が共有していたからに他ならない。現地のアーカイブを通して今も残る不屈の姿勢は、我々にデザインの原点を伝えてくれる。

 


 

 

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■HfG Archive行き方

ulm駅から5分ほど歩き、ulm rathaus(ウルム市庁舎前)のバス停から4番線に乗り、Oberer Kuhberg下車。料金は片道2.1ユーロ。※僕も間違えたが、たいていの人は乗る方角を間違うようなので注意。駅の方に向かう車線です。

そこからHfGへの看板沿いに10分ほど。

 

■白バラ記念碑 行き方

ミュンヘン中央駅からU3orU6、Universität下車、徒歩すぐ。