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みえないものを、みる視点。

昨年度のフィールドミュージアムの冊子が出来ました

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フィールドミュージアムプロジェクト2017「親子で楽しく遊べるカガクおもちゃのデザイン」の成果冊子が納品された。昨年度は多摩区大学連携の事業に採択されて区から予算を頂いていたので、学生達にもちょっと制作費が補助されて、成果集も印刷に出すことができたのだ。

コンテンツは、

第1章:学生たちがデザインしたカガクおもちゃ8作品のアーカイブ

第2章:カガクおもちゃのできるまで

第3章:活動を振り返る(教員と学生によるテキスト)

の3部仕立てとなる。A5横開き小冊子で計66P。

表紙および章扉イラストは履修生のみずきち画伯。ナイスワーク!

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編集や冊子デザインあいかわらずの突貫工事なので、なかなか細部までこだわることが出来ずに残念だが、できあがった冊子をパラパラめくっていると、学生達との凝縮された日々が蘇ってくるようで、なかなか感慨深い。ここまでこどもたちと活動している写真がたくさんあるのは、単なる作品集ではなく、アクティビティとして示せたということでもある。

 

この冊子は、多摩区に納品する分と履修学生たちに配布する以外にもちょっとだけ予備の部数を作りましたので、もし欲しい人いらっしゃいましたら、お声がけください。 先着10名様に差し上げます。

 

下に、冊子に寄稿した上平のエッセイを転載します。

 

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誰でも作れそうで、なかなか作れない。それがカガクおもちゃ。

text = 上平崇仁(教授/大学・地域連携事業責任者)

 

“カガクおもちゃ”とは、単なるおもちゃではなく、自然の不思議な理(ことわり)が埋め込まれたおもちゃに名付けた造語である。まず楽しく遊び、トライ&エラーを誘発していく。そこから親子で「どういう条件でどう変化するか」「それはなぜか」といった会話を発生させ、日常に溢れる科学的な視点を理解するきっかけとなる体験をデザインすることを目指した。発表会のコピーは、「遊ぶように学び、学ぶように遊ぼう」とした。ミュージアムにおいて一般公開を行った日は、300人以上のお客さんが来場してくださり、狙った通りに「遊び」と「学び」が融け合う感覚を体験して頂くことができた。

 出展した8つのカガクおもちゃは、どこにでもあるような安価な素材と学生達が扱える技術で作られている。そして基本的に、小学校低学年の子供達でも遊べるものである。だから一見したところ、誰でもつくれるようにみえるかもしれない。しかしながら実際のところは、そんな簡単ではないのが面白いところである。思うに、その理由は大きく二つあるように思う。ここではそれをちょっと解説してみたい。


 一つ目は、他者が介入する「余地」を考える必要があることである。専門家がデザインする場合、独自の美意識や完成度を持つが故に、ついつい外観や仕組み、そして使い方を自分で決めすぎてしまうことがある。 それはひとつの落とし穴でもある。私自身も演習中に「この部分は素人の工作っぽくなってしまうから、こういうパーツを先に用意した方が良いのでは」という発言をして、学生から「それだと家で自分たちで再現できなくなる」という反論をもらった。そしてそのことは後日フィールドミュージアム展の親子が楽しそうに遊んでいる姿を見て、非常に納得させられた。不思議な体験を自分たちの手でコントロールし、一喜一憂する手探りの体験こそが、出来上がった喜びや原理を知ろうという動機につながっているように思えた。
 誰かによってデザインされたものは、それが優れていればいるほど、それ以上改良する余地を見出すことは難しくなってしまう。不完全だからこそ、自分たちでなんとかできそうだと思えるからこそ、眠っている創造性が刺激されるのだ。モノづくりにおいて他者が関与する余地を残すことは大切である。デザインしすぎてはいけない。そのバランスはとても難しい。

 

 二つ目は、「自分にない力を借りながら進めていけるか」である。大学生はもう大人になってしまっており、おもちゃを純粋に楽しめるような遊びゴコロは失っている。また科学の知識も胸を張れるほどではない。強みになるのは、若さ故の体力や好奇心ぐらいだろうか。だから、これらの成果物ができていくプロセスには、遊びのプロとしての子供達、教えるプロとしての先生方、科学のプロとしての学芸員の方々・・などさまざまな角度からの助けが必要であった。それらのサポートを受けて、学生達が汗と涙を流しながらカガクおもちゃをつくりあげていったことは、前章で示した通りである。そこからさらに親子が体験する場において、つくること/試すこと、説明すること/理解すること、そういった経験を介した親子の相互作用があってはじめて、カガクおもちゃは「遊び」と「学び」を融け合わせる“モノ”として成立している。


 カガクおもちゃをデザインすることは、教室の中で取り組むだけでは何一つ手応えを感じることはない。人と人の関わり合いがあったからこそ、自信をもって仮説検証を行うことができたし、力強くプロセスを回すことができたのである。それは、学生達が一番よく実感しているはずだ。数度の課外活動に(当初)ブツブツ言っていた彼ら/彼女らは、活動の日々を経て「学ぶことは教室の中で教えてもらうこと」という呪縛から逃れることが出来たと言える。


 人はみな、力不足だ。そして完璧な力を持たないからこそ、協働する。異なる立場の人々と分かち合い、自分の持つ力の使いどころを知る。それらのコトを成していく中でこそ、大いに学ぶ。が、しかしそれらは全て、経験する前には何も分からない。だからこそ、前もって他者に力を借りに行くことは難しい。
 
 簡単ではないと述べたことがおわかり頂けるだろうか。プリミティブな工作に見えるカガクおもちゃも、この二つの困難を越えて生み出されている。自らデザインすることが生み出す力や関係を我々はどのように捉えられるだろうか。この問いは、利便性を追求するあまり先が見えにくくなってしまった社会の向こう側の風景を垣間見せてくれるように思う。つくることが生み出す価値や可能性を、我々はもっと考えなければならない。

 

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2018年3月23日(金)に川崎市多摩区の地域連携事業報告会でプレゼンします。

川崎市多摩区:大学・地域連携事業報告会を開催(3月23日)