古いデザイン書を読んでいたら興味深かったのでメモ。
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このような容易につくられるというすぐれたシンボルのもつ物質的属性をポスターに利用しようとしたのは、杉浦康平と粟津潔であった。彼らは原水爆禁止協議会から、その運動のためのポスターデザインを依頼された時、12本の線が1点から放射状に出る単純なデザインのシンボルを作った。原水爆反対のための運動は幅広く行われる必要がある。それには本部から発布されるポスターだけでは不十分であり、会員、あるいは会員外の誰でもこの運動を広げようと思ったものが筆と紙さえあればすぐ描くことが出来る。そうして運動が推進されなければならない、というのが杉浦たちの主張であった。
ところが、原水協の役員諸氏は、それが抽象的な形態をしているから、なにがなんだか分からない、運動員は地方で大衆を相手にどう説明すればよいのか、と非難がかなり強かったらしい。しかし、ある特定の意味だけをもったサインはサインとしては用いられるだろうが、幅広い人々のシンボルにはならない。それは十字架のようにその人の主観によってどんな意味でも付け加えられるモノでなければならないのである。
<中略>
杉浦は、12本の線が一点からまったく同じように放射状に出ているだけではあまりにデザインとして単調だと思ったらしく、斜め上に出ている一本を削り、横の一本だけを細くデザインしている(図参照)。なぜこうなっているのか。原水協の委員達は、この点に大いに詰め寄ったらしい。取り立てて意味などというものはありはしない。
ところが、このポスターが散布されたとき、地方の大衆の中には、「これは原水協の運動がまだ不十分なところがある」という意だ、とか、「もう一歩で完全な平和に近付く」という意味だと解釈したという。一つのシンボルが真のシンボルとして社会の人々の中に入っていくためには、現実の中での歴史が必要なのである。けれども社会的シンボルとしてのデザインは、必ずしも明確に人々に意識されるモノばかりとは限らない。むしろ無意識の中に影響する面が大きく、それゆえ人間生活にあたえる影響は計り知れないほど大きい。
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強調は上平によるもの。
今和次郎の弟子であり、メタボリズムのメンバーであった川添氏による論考。昔の骨太なデザイン論をひっくり返していると、いろいろ発見がある。