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みえないものを、みる視点。

プレイ・マターズの邦訳が出版!

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ゲーム研究の第一人者ミゲシカールによる「プレイ・マターズ」の邦訳が発売された。物空間人間人間関係など多様な事柄が関わ「遊びの生態系全体の観点から遊びをとらえていく壮大な思想書である。翻訳も非常に質が高いのでお勧め。そういえばハーフリアルを翻訳されたのも松永伸司氏。貴重な本を訳していただき、ありがとうございます。

 

filmart.co.jp

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with Miguel. 2015.6.15 at  IT University of Copenhagen

実は、ミゲルは僕が研究員として滞在したITUの准教授。デザインのグループとゲームのグループは同じフロアで隣のエリアだったので、研究室も近くてちょくちょくと会話したっけ。彼もインプロに関心持っていて、僕の話も面白がって聞いてくれた。なお、ITUのゲーム研究グループは世界最先端の牙城で独特のカルチャーがあって、彼だけでなくみんなとんがった研究をしていて、話をきくのがとても興味深かった。あのイェスパー・ユールもここの出身だ。

英語版のPlay Matterはこのときに彼にもらったモノ。

 

 

 

「プレイ・マターズ」はフィルムアート社のサイトでまえがきを試し読みできます。

 

www.kaminotane.com

遊ぶことは、世界のうちに存在することだ。それは、自分を取り巻いているものを、そして自分が何者であるかを理解する形式であり、他者と関わりあう方法だ。遊びは、人間であることのひとつのモードなのだ。

 

www.youtube.com

本文で紹介されているninjaというゲームは、Youtubeでも見ることができる。

 

ニンジャはターン性のゲームであり、攻めと守りの素早い動きが一回づつ許されている。動作を止めることは出来ないし、立て続けにいろいろな身振りをすることは出来ない。個々のターンごとに攻め、または守りの動作を一回行うことができるだけである。プレイヤーはニンジャというゲームを通して場所をのっとり、人の輪をつくってはすぐに崩し、その空間を荒し、それによって空間を実質的に制圧する。一方でニンジャは社会文化的な意味においてもその空間を流用する。つまりさっきまで駐車場だったところが戦場に変わり、快を生み出す土地として開拓されるのだ。また、このゲームは学校や戦場といった(まじめな)公共の場でプレイされる場合には、毎日の長い業務時間を切り抜けるのに役立つ笑いの価値を引き出すことが出来る。ニンジャはまさに乱雑に広がっていくと言う性格を通じて、それがプレイされる空間を流用しているのである。

 <中略>

遊びに使われる物のデザインに(もともと)どんな意味が込められているかに関係なく、遊びにおいてはつねに、わたしたちはそこに巻き込まれる物に対して遊びの文脈に即した意味づけをしてしまう。遊びはそこで使われれるものを流用することによって成立するものなのだ。

(P32,34)