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みえないものを、みる視点。

小さなデザインの重み

デザインと一言で言っても、大きく二つの方向性があるように思う。物事や人の行動の全体像を「広く」見渡しながら要所を繋いでいくような行為と、造形やUIのエレメントを「深く」吟味し、細部にこだわってチューニングしていくような行為である。

前者は"大きなデザイン"、後者は"小さなデザイン"と称される。今の時代風潮からは、サービスデザインのように、すべてを取り込んでいくような"大きなデザイン"が注目を集めることが多い気がするけれども、"小さなデザイン"だって、ほとんどの人が意識しないけど水面下で品質に影響を与えているわけで,デザインをきちんと成立させるためには、決して軽視できるものではない。

 

先日、学生達に、僕の担当している授業でも、「応用演習(コンテンツデザイン)」などは目的やアプローチ含めて「大きなデザイン」に位置づけられるけど、「グラフィックデザイン」では、徹底的に小さな話をしていくよ、と宣言した。細部に対する感覚は若いうちでないとしみこんでいかないし、社会に出てしまっては、なかなかそんなトレーニングをする時間もない。そして業務に関わらない限り学べる場も少ないのだ。

 

例えば、PCCSのダークグレイッシュトーンの微妙な違いを、バウハウス伝統課題のアブストラクトフォトの画面の緊張感を。游築36ポ仮名の筆脈のたおやかさを、金属活版印刷の微妙な凹凸や墨だまりを。手に取るとドキッとするロベール(ファインペーパー)の触感を、コンテンツは同じで周囲のマージンがちょっとづつ違う書類の余白の印象の違いを。

 

普段目の前のものを丁寧に見ていない若者たちにとってはどうでもいい違いなのかもしれないけれど、いくつかのワークを通して、そういったデリケートな質感を、感覚を総動員しながら感じとってみるのである。(もちろん自分もわかることばかりではなく、自戒を込めて常に修行中だ)

 

もちろん、みんな経験したこともないことだし、多くがデザイナーを目指すようなクラスではないので、細かすぎる話のオンパレードに眼を白黒させている。でも意外なことに結構勉強になっているようだ。今の自分の感覚で見えているものがすべて、という前提が壊れて、当たり前だった世界の見え方が変わってくるからかもしれない。

 

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研究室OBのKくんが残してくれたオリジナル書体開発のプロセスをまとめたポートフォリオより。赤字チェックしているのは、文字塾主宰者の鳥海さん(ヒラギノ書体、游書体など書体デザインの第一人者)。ほとんどの人はわからないであろう,二人のせめぎ合いに思わず唸らされるが、願わくば常にこのくらいの解像度でデザインに取り組みたいと思う。

 

理論を勉強して物事を俯瞰する視点を手に入れるとどんどん視野が開けてくるものだが、訓練によって細部を感じ分ける視点を手に入れると、そこにはまた広大な小宇宙が広がっている。デザインには極大と極小の両方の視点を往き来することが不可欠だ。注意深くそこに分け入ると、細部に宿るデザインの神が、ほんのちょっと見えてくるんじゃないだろうか。

 

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