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みえないものを、みる視点。

身の丈にあった問題を通して、デザインを学ぶ

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先日の演習の時に同僚と雑談していて、気になったことをメモ。

最近は「デザイン思考」ブームも一段落しているが、いろんな分野でデザインを学びたい人はまだまだとても多い。そういった状況の中で教育者側が初心者向けのデザインの授業を持つ時に、デザイナ—たちが職業の中で確立して来た「知識」を教えることが中心になってしまいがちなところがある、ということについて。

 

デザイナーが教壇に立つ場合も教育の専門家ではないことが多いわけで、専門の知識を伝えることについて何か問題があるのかに気がついてない人も多い。

 

部外者からはセンスと思われているデザインも実はさまざまな形式知の固まりである。例えばグラフィックデザインの場合で言えば、色使いの基本や書体の文字詰め、画面の力学など、洗練された画面を構築するセオリー。それから、デザイナーたちが手がけたデザイン事例。こういったものはお手本として具体的な例が示されているので紹介しやすいわけだ。

 

しかしながら、そういうどこかの誰かが生みだして形式化した知識を解説することから入ると、結局初心者にとっては自分との距離がありすぎてそれほど身になることはないだろう・・・と僕は思うのだ。逆にすごい事例であればあるほど、自分のできることとは別の世界の話になっていく。

 

(先日、デザイン思考の入門書を本屋でみかけてパラパラめくってみたら、スーパーデザイナーのすごい仕事ばかりを紹介していて、おもわず笑った)

eb.store.nikkei.com

 

デザインの対象はどこにでもある。ならば自分が当事者として向かい合える問題やその経験を起点にした考え方を検討してみるほうが、見えてくることは多いんじゃないか。

 

一般大でいろんな学生向けにグラフィックデザインの授業を担当している自分としては、取り組む問題と自分の距離感は最重要だと思っていて、基本的に「まずやらせてみて、そこで出てきたものを共有しながら考えていく」という作戦をとっている。

 

というわけで自分の取り組みを描いてみる。

例えば初回のオリエンテーション後の「Footwork」という課題。

あなたが今後(卒業後含む)深めていきたいことをふまえた上で、あなたにとって何らかの意味があると思われる本を一冊購入してください。新品でなくても、古本でも全く構わない。
 購入場所、書籍のジャンル、価格帯、考えてから買いに行くか/行ってから考えるか、は自由。条件が悪い場合は,それを解決するための作戦を自分で考え,すべて自分の判断で行動すること。
 そしてどのような要素や過程からその本を購入しようとする価値判断が生まれたのかを記録し、A4一枚の中に、他の人に伝わるようにまとめてください。あなただけが持っているその一連の体験を他者に伝えるためには、一枚の紙の中にどう表せばよいでしょうか?

 

買う本は別になんでもかまわなくて、「自分で身銭切って何か買う、という個人的なストーリーをフリーフォーマットで描く」ということなのだけど、できるだけ制約をゆるめて取り組ませることで、履修者が100人ほど居れば解答には様々なバリエーションが生まれる。でもその中でも似た表現のクラスタがみつかる。Word派、手書き文章派、漫画派、マインドマップ派、フローチャート派・・・など。

 (トップ写真参照)

 

それらを書画カメラで見ながら紹介していくと、同じ問題文に普通に答えただけのはずなのに、それぞれの解答に大きな伝わり方の差が生まれていることが学生達にも見えてくる。そしていろんな表現方法を比較しながら見ていくと、自分まで届く/届かない要因として、いろんなことがわかってくる。

 

例えば、


・同じ手書きでも筆圧や字の大きさで読みやすさが大きく変わること

・どこから読むのかわからないものは混乱すること

・キレイにレイアウトしすぎたものは、揃いすぎている故に読みとばされること

・思考の揺れや戸惑いなども表現次第で表せること

インパクトがあっても肝心の中身がないと、もの足りないこと

・全体を包むメタファを取り入れているのは統一感が生まれていること

・ぎっしり書いても圧迫感が生まれるので、適度な余白が大事なこと

・ちょうどいい情報量にするために、何を描き、何を省略するかの見極めが大事であること

・漫画形式のものや自分のキャラクターを取り入れて記述しているものに思わず読ませる力があるのは、絵の力だけでなく1人称視点のストーリーがあるからであること。

・構造化しているものは、程よいまとまりによってほどけるように読めること


・アプリケーション操作のスキルが高くても、読ませる力とは全く関係ないこと

・仕事に対して丁寧にとりくんでいるか、は描かれたことから表出されていること

・たとえ絵は未熟でも、中身が充実していれば十分に魅力を持つこと

・表現することそのものではなく、それがどう伝わるかが大事であること...

 

などなど。

 

こんな風に、初心者でもじゅうぶんに出来る課題を通して、(グラフィック)デザインの基本として大事なことを見出していくことはできる。ここでの僕の仕事は、学生がおぼろげながら試みようとしたことを目を凝らしながら見抜いて、意味づけていくことである。そうして学生達の解答をさばきながら即興的な講義にしていく。これだと学生達は決して聞き漏らすまいと、真剣な顔でちゃんと聞いてくれるw

 

そして人間は頭の中に新しい組み替えが起これば、それをだれかに喋りたくなる。たまに対話もさせるけど、自分の言葉で整理させるために、学生達にはその場で「自分の課題はどう見えて、自分でどう評価したか」「他人の課題や教員のコメントを受けてどう考えたか」「次にうまくやるためにはどういう作戦をとるか」をミニレポートとして記述する。

 

そして次の課題ではちょっとづつ条件が変わり、特定の状況で言葉が通じない外国人に図だけで伝える、という課題、ダメなものを自分の観察眼でピックアップして作り直す課題・・・という風に学んだことをつなげながら進めていく。導入段階の課題は、いろんな制約の中で自分で編み出して以来ずっと同じようなやりかたをしているけど、基本は「自分が当事者として関わる問題をやってみて、それを共有して学ぶ」スタイルだ。

 

同僚と話していたのは、そういった即興性の高いレクチャーは教員にも難易度高いのではないかということだったのだけど、うーむ、そうなのかな。でもデザインは実践知だからこそ、なにから学ぶか、は重要だろう。あたらしく発見できることは身近にあるはずだし、初心者が足元を踏みしめながら進めていくためには、問題への「手触り」を無視してはいけないはずだ。それもまた理解のためのデザインに他ならないのだから。