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みえないものを、みる視点。

「公共のデザイン」についての重要な論文が公開

 5月9日, クリスチャン・ベーソン(デンマークデザインセンターCEO)がコペンハーゲンビジネススクールに博士論文を提出して博士号を授与されたとのこと,

 

 クリスチャン・ベーソンといえばデンマーク政府のイノベーション機関であるMIND LABのヘッドからデンマークデザインセンターのヘッドに移籍すると,ただちにそれまでの家具や照明などのインテリアといったモノ中心の"デンマークデザイン"の看板から,サービスを中心にしたコトのデザインへと方向性を大胆に切り替え,それを主導してきた重要人物.公共政策へのデザイン導入の取り組みはデンマークは世界的にも進んでいるけれども,それはベーソンのリーダーシップによるものも大きいと言える.(余談だが,デンマークデザインセンターには以前は地下には国立デンマークデザインミュージアムよりも充実したコレクションギャラリーがあったのに,彼がヘッドになってからバッサリと断捨離してしまい,伝統に対するその未練の無さぶりに僕はあっけにとられた)

 

その彼が公共のデザインに関する論文をまとめたというからこれはニュース.そしてコペンハーゲンビジネススクールのサイトで博士論文は全文(381ページ)が無料公開されている.

 

 アブストラクトだけ訳してみたので,ご参考までに.

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「公共のデザイン」を先導する:公的な統治を変革するためにマネージャーはいかにデザインに取り組むか

近年,デザインは先進国から新興国にわたって公共政策や公共サービスを形づくるひとつのアプローチとして浮上することになった.しばしば高まる改革への要請に応じて、国際機関,国,地方公共団体,財団法人,慈善団体,ボランティアやコミュニティ団体、教育機関など、あらゆるレベルの組織は,デザイン領域に触発された様々なアプローチを取り入れてきた。
しかしながら、それらデザインのアプローチが公共のイノベーションにどのように影響するのかーそれが公的機関のマネジャーの役割をどのように変え、どのようにマネジャーが新しいアイデアやソリューションを生み出すのを助けるのかーそれは一部の人々がこれまで提唱したように,新しい政治モデルやパラダイムの台頭を示唆しているかもしれないのだが―これらの問いは、これまでいくつかの例外を除いて厳密に探求されたことがなかった.この博士論文では、デザインアプローチの利用を開拓したパブリック・マネジャーの経験を調べることによって、これらの問題を探究する.


具体的には、著者は次の3つの問いに取り組む。
1)デザイン実践の特徴づけ:公共部門の組織内でデザインアプローチの適用に必要とされるものは何か? なぜパブリック・マネージャーがデザインに期待を寄せ,デザインを作動させるのか? どんな道具、技術,プロセス,およびメソッドが使用されているか?
2)変化の触媒としてのデザイン:パブリック・マネージャーがイノベーションのための問題や機会にどのように関与するかが影響するとすると,どのようにデザイン・アプローチを行うのか?デザイン・アプローチを取り入れることは,パブリック・マネージャーが賢明に努力している変化を達成するために,どの程度まで役立つのか、そしてそれは何故か?
3)新たな公共統治の形態:デザイン・アプローチの結果として生じるアウトプットはどのような形状をとるのか?デザインアプローチと,新しい種類の公共のソリューションと統治モデルの出現との間には何が関係しているのか?

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以下はScience Direct誌によるベーソンへのロングインタビューより.

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This figure shows the ways managers engage with an issue, and this is actually something they do before design enters the picture, at least to some extent. Sometimes they invite designers to help them challenge their own assumptions about the problem. But they have a history of doing so without the help of design. But the issue is sort of prompting them to say, “Hmm, how do we know this, how do we know what the users, or X culture, or Y age range want or feel? I don’t know this, how do we know that for certain?” So, here is where they engage with ethnographic research. And then they invite in design, and then the empathy or the richness that the ethnography provides is what they use to engage their staff and employees and say, “We need to address this.” And then they begin to steward the organization’s divergence—they support exploration away from what the organization currently knows toward new ideas and visions. And they are using design processes to support that navigation of the unknown.

Christian Bason: Design for Public Service - ScienceDirect

 

日本でも公的な場においてデザインのアプローチを取り入れる試みに関心を持っている若い人たちが徐々に増えているが.こういった優れた事例を参考にして新しい取り組みが加速することを期待したい.

 

そういえば,デンマークでベーソンに会った際,CoDesignのベースになるdemocracyのマインドを日本人が育むためにはどうすべきだと思うか,と彼に意見を聞いてみたところ,「きっと君の求めるヒントはデューイにある.彼の思想は参考になるはずだよ」とアドバイスを頂いた.彼からもらった宿題のままだな・・・と思い出していたら,彼の論文のイントロダクションはデューイの引用から始まっていた.ちゃんと勉強しなきゃ.

 

kmhr.hatenablog.com

同じ方程式から生まれる,無限の解

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#基礎演習Dのみなさん、ぐぐってみつけたものを真似しちゃダメだよ。

 

先日,高校の先生とディスカッションした際に,初心者が何を学ぶべきかについてふりかえる機会があったので.僕が演習に取り入れている課題のことを書いてみようと思う.インタラクションデザインという基礎的な演習の初回「等量分割」という課題である.立体構成はデザインスクールでは昔ながらの基礎訓練であるが.情報デザイン系ではたぶんあまりやられてないと思う.

空間思考を用いた問題解決の課題である.1辺が10cmの立方体があるとする.それぞれが同じ形をしているパーツ二つをくっつけるとぴったり立方体になるような立体物をケント紙で制作する.意外性を感じさせつつ,美しく割ること.

等量分割は,0.5+0.5=1という簡単な方程式で表すことができる.しかし,量が均等というだけで答えは一つにはならず,この方程式を成り立たせる形態には無限の解が存在する.また2次元の平面図ではわりとシンプルだが,3次元の立体となると飛躍的に自由度と難易度が跳ね上がるのが面白いところである.

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秀作紹介.No.1

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秀作紹介.No.2

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秀作紹介.No.3

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秀作紹介.No.4

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秀作紹介.No.5. これは過去数年間で一番驚かされた解で,分割線が稜線と一体化しているのでパーツが合わさった状態ではまったく継ぎ目が見えないのだが,そこから両側に離していくと,カラクリ箱のようにこの形があらわれる.しかも手仕事も完璧で,職人技のようにスッ・・・ピタ,と気持ちよく合体する.

 

こんな感じで,毎年数人は「そんなカタチがあったか!」と僕もびっくりするような解を見つけ出してくる.制作期間は1週間.完成形だけを見ると簡単そうにみえるかもしれないが実際には長い過程があって結構大変だ.

 

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制作プロセスを紹介.まずは普通紙とセロハンテープで形をつくりながらプロトタイピング.普段3次元で思考していない学生にとっては,頭の中で想像することには限界があるのと,この問題は結果から答えを導く「逆算」が必要なので,この段階でなんども試作しながら考えないと,なかなかアイデアは生まれない.

f:id:peru:20170528191126j:plain展開図を考えて,illustratorで図面を引く.ここで出力してちゃんと組み上がるか再び普通紙で試作.

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図面ができたらプリンタで印刷して,今度は仕上げ用のケント紙にダルマ画鋲を用いて転写していく.

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直接ケント紙に印刷してしまうと,完成品に印刷の線が残ってしまうのである.折り目をつけるためのミネ切りと組みあわせながら切り抜いていく.最近レーザカッターやカッティングマシーンを使う学生もできてきたが,便利なもの使ったからと言って,クオリティには繋がらないのが極めて当たり前というか.

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ようやくできたか・・とおもいきや,普通に両方のパーツを同じ寸法で作るとハマらない!紙の厚さがあるのでそれぞれ1mmぐらい引かないと、いい感じにぴったりとハマらないのだ. ここまで来て合体しないのは悔しすぎし,そもそも合体しないものは「不可/再提出」なので,みんな悔し涙を流しながら再度作り直す.

 

そうして頑張ってつくったのに,時々朝の満員電車で潰されたとか,雑踏で落として踏まれたとか,悲惨な目に会う学生も毎年発生する・・・.

 

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ようやく完成.履修者全員で回覧して等量分割を合体させる体験会.

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みんな同じ苦労をしているので,仕事が丁寧だなぁ,とかこんな割り方があるのか,とかいろんな感想がでる.

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良くできているのは,やはり触って気持ちいい.等量分割は,簡単すぎても複雑すぎても美しさは生まれないのだ.

 

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等量分割はもともとは,かのウルム造形大学(僕の訪問記)の基礎課程でトーマス・マルドナードが生み出したワークである.僕はそれを現代的にアレンジして取り入れているだけだ.いまから60年ほど昔から世界中で繰り返されている古典的な課題であるけども,古くならないから凄いと思う.

www.designboom.com

 

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以前,情報デザインフォーラムvol9(2012,5)でプレゼンした際の資料より.

 

実は3階層に分けて狙いを埋め込んでいる.学ぶことは,その場で得られることだけではない.特に僕がこの体験を通して気がついて欲しいのは「制約と創造性の関係」だ.たったひとつのシンプルな方程式からここまで多様な答えが生まれ,その多様性の原理が制約であるということは,どんな問題に展開したとしても通じることだろう.

 

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自分で展開図から組み立てる経験を持つと,普段食べているお菓子のパッケージからもいろんな工夫が発見できるようになる.フタの折れ曲がる部分の印刷の塗り足しの工夫!

 

人間の手はさまざまなことを試し,創り出すために器用に進化したはずなのだが,今の時代の多くの若者たちにとっては,いつのまにか眠った能力になってしまっている.それをちょっとでも覚醒させる経験は大事なのではないかと信じて,この課題に取り組ませている.この先テクノロジーがどこまで進化しても,自分の力で創り上げることこそが,原始的な成功体験を生むというのはたぶん変わらないだろうから.

 

 

 

学びの場を観察する

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5月某日.研究室の学生達と,フィールドワークとして神奈川県立の某高校を訪問.高校1年生の情報の授業を見学し,担当のY先生とディスカッションした.高校の情報の授業と言えばOffice系のアプリケーションの操作程度という印象を持つ方も多いかも知れないが,先進的な高校ではだいぶ様変わりしていて,たとえばこの高校はプログラミングを教えていて,まだ高校に入学したばかりの1年生達も楽しそうに学習している.念のためにここは「普通科」で必修の授業である.

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彼らが使っている情報の教科書「情報の科学」より.

大人のみなさん,いかがでしょうw

(※この教科書を採用しているのは2割ぐらいで,8割は「社会と情報」というもっと社会よりの内容だそう)

 

そして現行の学習指導要領ももうすぐ(2020年に)改訂が予定されている.今話題になっているように小学1年生からプログラミング的思考が導入され,同時に中高の内容も刷新される予定.我々大学の情報学部としても対応が急務である.

 

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そして5月某日.今度は別の4年生達と新宿にある某日本語学校を訪問.日本語学校だから,学生は全員外国人である.各自の答えをみんなと共有するために学習者が手元に持っているホワイトボードが新鮮だ.なるほど,漢字の細部をごまかさないで学ぶためにこんな工夫があるのだね.

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日本語の活用についての学習より.

日本人のみなさん,いかがでしょうw

活用なんて意味が無いなんてことは全くなくて,ここのシステムを理解しないと正しく話せないし書けないそうで,かといって未然形とか連用形とか外国人には度を超えて難解すぎるので,上のように変化するルールを「テ系」「グループ化」という方法を取り入れて指導したりとか,いろんな工夫をしているそうだ.

担当の先生によると,ネイティブだからその言葉を教えられるわけではなくて,言語体系を「外側から見る」トレーニングをしないことには,なぜそうなのかを説明することはできないのだという.上のホワイトボードを見ると,それもそうだと思う.あたりまえに出来ていることでも,やさしく教えることはできないのだ.

 

そして内容以上に僕らが非常にびっくりしたのが,みんな片言でも活発に発言していること.逆に言うと,日本では小学生のときは活発だった子ども達も,中高になると気配を消し始めるのは・・・一体なんなんだろう.

 

この日は敬語の授業もあった.

×「どこから来たのですか?」

×「出身はどこですか?」

○「どちらのご出身ですか?」

実に厳しい.僕も間違えそうだw

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一緒に来た女子学生は,年齢が近いので休み時間には囲まれて大人気だ.(おじさんは残念ながら話しかけられない・・・)彼らは日本に住んでいてもどうしても自国コミュニティの中で交流することが多いようで,日本人の友人が欲しいというのは切実なようだ.彼女らも目の前の対象者とリアルに接することで,卒業研究でやるべきことに気合いが入っていた.

 

高校と日本語学校,それぞれ場は違うけども教育者たちの工夫が随所に見られるし,学習者たちもなんとか吸収してそこから表現しようとしているのを目の前で見れたのは勉強になった.学びの場というのは教育者と学習者との相互作用なんだな,と改めて思う.

 

UIを模写してみてわかること

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先日のこと,カードソーティングゲームを元にUIをつくる演習の回で,「模写」を取り入れてみた.経緯として,昨年度の同じ課題の際に,ペーパープロトのスケッチを描くあたりで手が止まってしまう学生が多くて,毎日いろんなアプリを使っているのにUIは本当に見えないものなのだなぁ,という気付きがあった.でも,考えてみればUIはよく出来ていればいるほど,透明化して意識から消えてしまうものだ.デザインする以前にそもそも意識化する必要があるんじゃないか・・・と思って試しにやってみた次第である.軽くググってみたけど,UIの模写を教育の場で取り入れている例はほとんど無いようだ.

 

ここで模写するアプリとして,料理レシピサービスのクックバッドを選択した.理由として,まず,学生達でも一度は使ったことがあるサービスであること(クックパッドはなんと月間6000万以上のユーザ数らしい.凄い数字だ).そして今回のカードソーティングゲームの題材である犬カフェの「犬を選びながら決めていくプロセス」と,レシピサービスの「料理を選びながら決めていくプロセス」は似たような階層構造になっていること,の2つである.普段当たり前のように使っていたアプリを改めてよく観察しながら,どんな画面要素でできているのか,タップしていく中でどんな風に画面が遷移していくのかを丁寧に書き写していくのだ.

 

そしてやってみた結果.効果はとても大きかったように思う.AndroidiPhoneではUIが全く違うとか,料理の詳細画面に到達するまで何画面あるのかとか,3階層目になるとフッタのメニューが消えて広告に変わるとか,旬の行事(この時期は運動会)に反応して表示リストが切り替わっているとか,細かく分解して見ていくといろんなことを発見して,僕も驚いた.なかなか気付いてないものだね.

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さて,この模写ワークにクックパッドを選んだのにはさらにもう1点別の理由があった.実は,(偶然ながら)ちょうどこの日,クックパッド社のデザイナーの方々が演習の見学に来られることになっていたのだ.そこで,学生達には内緒にした上で,彼らがせっせと画面を書き写した後に,「はい,本日はクックパッドの方がお越し下さいました!」というドッキリをしかけてみたら楽しいのではないか,と考えた.一方でクックパッドのデザイナーさんも,まさか訪問した先で100人以上の学生達が自分がデザインしたものを模写していることは思わない.双方へのサプライズである.

 

その結果,クックパッドの方々は大人なのでとても喜んでくださったが,学生達はびっくりしすぎて逆に呆然としてしまい・・・・あまりいい反応にはならなかったのが惜しいw

 

なにはともあれ,模写してわかった直後にいろいろなデザインの理由を直接聞くことができたのは大変勉強になった.なぜクックパッドのUIの閲覧履歴アイコンは,iPhoneでは左側にあってAndroidでは右側にあるのか? 観察してみてそれに気付いても理由まではわからない.それは作った人達に解説してもらうのが一番だし,それを通してUIの深さを学ぶことが出来る.

 

模写は地味な作業だけれども,書き写す中で意識しなかったことが細部まで見えてくることに加えて,そういった現象の裏側まで考えるきっかけに繋げることができれば,相当に面白いトレーニングになると言えるだろう.

 

「コロンブスの卵」的なテーマパーク

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先日,妻が招待券をゲットしたので豊洲キッザニアに行ってきた.平日の夕方ということもあって割と空いている.ここは子持ちでない限り来ないところなので,僕はオープンから10年経って初めて来る機会が出来たのだが,以前噂に聞いた通りに「よく出来ているなぁ」と今頃になって感心した.

 

まずいろんな仕事のパビリオンは,ヤマト運輸モスバーガーなど普段から街中にあるような企業のものなので,子ども達にとってかなりリアリティがあるわけだけど,各企業がスポンサードすることで利用者は安く体験できるというビジネスモデルになっている.つまりここで子ども達が行う活動(アクティビティ)は,アトラクションでもあり,一種の「広告」でもある.

 

次に,一般的なテーマパークというのは子ども達はお金を使って体験を買う消費者側になるわけだけど,ここでは仕事する側に回り,アクティビティを通じて通貨(キッゾ)を稼ぐことが出来る.うちの子はお金を稼ぐことにものすごくこだわってアクティビティを選んでいたw さらに,働いて稼いだ通貨は銀行(三井住友)に貯めたり,デパート(三越)で買い物したりすることができる,という資本主義社会の仕組みまで忠実に模されている.

 

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消防士は実際に水を出して火を消している.

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車は,運転免許センターで免許を発行してもらうことで乗ることが出来る.乗ったらガソリンスタンド屋さんがガソリンを入れてくれる.免許を発行してもらう手間を惜しんでいるのか,この日はあまり乗っている子はいなかった.

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うちの子が一番楽しがっていたのは,東京メトロの地下鉄運転手.最近出来たらしい.内部はドライブシミュレータみたいになっていて,結構長い距離を電車の運転を体験できる.なお,大人は基本的にアクティビティ内には入れないのでモニターやガラス越しに見るしかない.なので,子供は自分だけが体験したことを興奮して伝えようとするし,保護者はいろいろ聞きだそうとするので,親子の会話はとても増える.

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こちらは眼鏡屋さん.指折りの人気の理由はオリジナルなサングラスを組み立てて自分でもってかえることが出来るからだ.

 

写真に見えるように,どれもコスチュームが本物に忠実に作られているので,仕事人に成りきることで,こどもも親もとても喜んでいる.やっぱり職業への憧れというのはかたちから入るのだな.

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コールセンターのアクティビティまであるw.さすがにあまり子供はおらず・・.ただ人気のアクティビティの待ち時間に人気のないところには飛び込み参加できるので,その意味では先入観だけでない偶然の出会いをうまく活かしたサービスの設計になっているとも言える.

 

というわけで,あちこち観察しながら,「仕事する」という,通常は快楽的な消費とは結びつかないような体験でも,子ども達はここまで夢中になるんだなぁ.ということを思い知った.トムソーヤの,壁塗りでお金を稼いだというエピソードを思いだす.

 

みんな主体的に「する」ことを欲しているし,自分が担う役割を求めているのだ.それを(この頃は嫌われ者の)「広告」という形で実現してしまうとは,体験を売るテーマパークにとっては,まさしく「コロンブスの卵」的な優れたアイデアだ,と思った.

 

東京に進出した2006年は日本のテーマパークビジネスの競争が激しく少子化が見込まれる時期でしたが、「早くから子供のキャリア形成に関心を持ち、教育投資に積極的な家庭」へターゲットを絞り、「教育」と「リアリティ」を軸として事業を考えることで、子供の職業体験というブルーオーシャン市場へ参入することができました。新市場を切り開いた結果、競合が存在せずに価格戦略やプロモーション戦略を独自の形態で築くことができました。既存のテーマパークが投資しない部分や苦手な部分にあえて投資したことが成功の要因だと思います。

 

www.advertimes.com

 

 

面白がる姿勢に,人は動かされるのだ

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慶応SFC石川初研究会の2016年度の活動記録,landwalk book2を頂いた.石川初さんといえば本業のランドスケープデザイナーとして活躍される一方で,その独特の視点で見過ごされがちな都市の楽しみ方を我々に教えてくれている偉大な人である.僕は2004年に開かれた"地図Night"という地図マニアの小さな集まりで石川さんと始めてお会いしたのだけど,その時に東京湾にある中央防波堤外側埋立地(通称「中防」)の誰も知らないような濃い魅力について,クールに説明して下さった姿を今でもよく覚えている.

 

その石川さんは,2015年の春からSFCの教授として着任されて研究室を持たれることになった(石川初研究室サイト).彼の展開する教育が面白くないはずがない.ところが普段のゼミの様子などはなかなか外側には出ないもので,ファンとしては遠くから残念がっていたところ,春に昨年度の活動冊子をまとめられたことを知って速攻で送って頂いた次第である.

 

中身は徳島県神山町でとりくまれたプロジェクトや住民参加型の公園プランニング,研究室で実験的に取り組まれていることなど,全66P.  どのプロジェクトもとても面白い.1年間でこんなに活動されているのだなぁ.(うう,同じ時間を持っているはずなのに・・・)

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うまい,と思った,東京オリンピックに関する学生の課題作品.マラソンの42.195kmを体感する文房具.鉛筆は一本使うと約50kmの線が引けるらしい!定規は地図上に42.195kmの半径がかけるように縮尺に応じた穴があいていて,42.195kmでどこまでいけるかが一目でわかる!

 

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街の隙間にひまわりの種を蒔いて,咲いた人が勝ち,というひまわりレース.

こっそり蒔いて観察記録をつけていく.日当たりや土壌の悪さなどの"育たない"という環境の壁と,人の手で駆除される管理の壁を越えてわずかな学生(2人?)だけが花を咲かせることが出来たらしい. 経験を通して,環境が良好だが管理が薄い,人々が見落としている「街の隙間」に気付くというストーリー.最近,人為と環境の関係を考えていることもあってこれはツボだ.

 

研究室の活動には,バラバラであっても行間から教員の思想がみえるものだが,この活動記録一冊通して見ると,やはり石川さんの独特の視点を学生たちが戸惑いつつも発展させながら学び,共有していく姿が見えてくる.やっぱり最後は「好奇心」だ.普通に生活していると街は当たり前にしか見えないけれど,視点を変えれば様々な面があることに改めて気付かされるし,それを共有することはとても刺激的なことである.なによりも,それを自ら発見して面白がる姿勢こそがまた人に影響を与えるのだ,と思った.

 

石川さん,遅くなりましたが素晴らしい冊子をお送り下さりありがとうございました.

 

 

 

視点万華鏡:対話における質問を考える機会

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4月上旬,2年生のガイダンス後に,初回までの事前課題としてちょっとしたアイデアを試してみた.自分たちの対話の場で使う質問を考えてもらうというもの.Question Cardsってのは海外では割と普及していていろんなキットになっているが,日本ではあまり見ない.さらにそれを自分たちの手でつくってみるというのはもっと少ない.というわけで,うちの学生だとどんな質問を考えるのか気になってやらせてみたのだ.

 

課題文は以下の通り.

[はじめに]
これからの世界では,用意された質問に答えるのではなく,質問それ自体を考えることが重要です.よい質問は人々を刺激し,見落としていた視点を新しく気付かせてくれます. 演習に先だって「よい問い」とはなにか,考える訓練をしてみましょう.

[問題]
ネットワーク情報学部生(1〜4年)で,学年を超えた4人一組のグループに分かれて対話ゲームをするとします.対話は,議論とは違います.意見が正しいか間違っているとか,勝つか負けるかのようなものではなく,それぞれの語りを傾聴し,多様な考え方や答えがあるんだ,ということを受けとめ,相互理解をさぐるものです.では,このワークショップではどんな質問が想定されるでしょうか? みなさんなら,どんな質問をだしますか?自分自身でその質問を一人で「3つ」考え,右の枠の中にペンまたは濃い鉛筆で記入してください.
なお,「例」は出しません.

※質問は,トランプのようなカードに書かれており,めくって使うことを想定しています.

※質問には,クローズドなもの(「はい/いいえ」で答えられる)とオープンなもの(多様な答えがある)があります.ここではオープンなものを考えてください.

※3つとも同じようなものではなく,それぞれ違う角度のものを考えてください.

履修者100人以上いるので,上の1つの問題文から300以上の問題が集まった.以前ダイアログゲームのキットをつくった時,一人で質問考えるのはなかなか頭を使って大変だったので,これは役得.

課題文にあるように「例」を出してないため,正解かどうかばかり気にしている学生はとても困ったと思うが,今はその不確実さと闘わなきゃいけない.

 

そこから僕が30枚を選抜して,演習アシスタントのSさん(3年生)に「カードにしてね!」と渡したら,作ってきてくれたのが,上のカードキット.ネーミングもSさんが考案してくれた.なかなかよい.

 

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狙いとしては,学生へのトレーニングという体裁を取りながら,一方では自分が「面白い」と感じる質問にはどんな要素があるのかの評価の枠組みを考えてみたかった.面白い質問は,当たり前のように知っているものを撹拌して,別の一面を垣間見させてくれる.またいい質問を考える学生からは,一般的な真面目さと相関しない別の知性が見えるのもなかなか興味深い.

 

1年生向けの入門ゼミで使うと良さそうだね,という他の教員からの意見を頂いたが,自分たちの身の丈にあったものに反映していけるという意味で,自分たちのコミュニティで使う道具を自分たちでデザインしていく,というのは大事だ.

 

カードソーティングゲームを再公開しました

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2013年に研究室でカードソーティングゲームをつくりました.以前のブログがマルウェアに感染して閉鎖したのでしばらく公開も止めていたのですが,再びここで公開しておきます.

 

このキットは、犬カフェのサービスを企画するという題材の中で,素材として50枚の犬カードをつかってカードソートしながら情報設計について学んでいくというものです。同じカードでも,どのような意味を与えるかによってまったく違うまとまりに変化していくところがポイントです.

 

ここ4年ほど継続して2年生向けのデザインの導入教材として使ってみた結果、親しみやすい題材で学生達にもなかなか好評です.またいくつかの会社さんや大学さんでも使っていただいています.

 

マニュアルや解説も作れればいいのですが,内容の精査が必要なこともあり,なかなかつくる時間がとれず今に至っています.ですが,我々が演習で使っているスライドをパッケージの中に入れておきましたので、2時間程度のワークショップとして.とりあえず試して見ることはできるかと思います.(カードソーティングは第一段階で,演習ではここからさらに3週間にわたってUIのプロトタイプまでつくっていきます)

カードには汎用性を持たせていますので,もちろん犬カフェ以外の題材に使うこともできます.もし使ってみてのご感想やご自分で工夫してみた点がありましたら是非お教え頂けましたら幸いです.

 

外箱もちゃんとつくってあるのですが、パッケージ版はコスト的に無料配布はできませんので、印刷してお使い下さい。

 

こちらからダウンロードできます。

 

 

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このキット制作には過去の研究室の学生が協力してくれました。

Illustration: Misaki KAI

Card & Package Design: Tomomi Nakagawa

雑草による花壇を見て考えた

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子供といっしょに歩いて居る時、ナガミヒナゲシがあちこちに繁殖しまくっていることに二人で気がついて、"悪い植物"の話になった。

 

「このお花はなぜ悪いの?」という小1の素朴な質問に、善い奴・悪い奴を人間の都合で勝手に決めるのはなんだか思考停止な気がして、いろいろ冗長な説明を試みたのだが、うまく言葉に出来ず悔しかった。

 

写真でオレンジ色っぽい花を咲かしているのがナガミヒナゲシで、白い花がハルジオンである。この狭い空き地は、アスファルト化を免れたせいで雑草が生い茂っているが、何も知識がない状態で見ると、「かわいい花が咲いているな、このスペースはまるで花壇のようだ」と思うだろう。

 

いままでも目にすることがあったであろうこのナガミヒナゲシ、今年になって急に気になったのは、本当に恐ろしいほど増えていて、囲まれている印象があったからです。ほんの少しでも土が露出しているところなら、ところ構わず大量に生えている。そんなナガミヒナゲシに恐怖を覚えたんですね。

「これはやばいのかも」

と思って調べてみたらさもありなん。危険外来種として取り扱われている、典型的な「ヤバイやつ」そのものでした。

ナガミヒナゲシが幹線道路沿いを埋める…危険外来種を超えるオレンジ色の悪魔 [エアロプレイン]

 今、ちょうど花が咲いている真っ最中なのでよくわかるが、ナガミヒナゲシは本当に都内で増えまくっていて、根にはアレロパシー(他の植物の成長を抑制する物質を出す)があるというし、しかも花が落ちた後の実には1個体につき15万粒の種子が入っているという話で、花の横に実がたくさんついているのを見ると、思わずぞっとしてしまう。

ナガミヒナゲシが道路沿いを中心に急速に増えているのは、どうやら自動車のタイヤによって種子が運ばれているということ,コンクリート付近のアルカリ性土壌を好むということらしい。現代のモータリゼーションや都市環境が繁殖することを媒介しているというわけだ。

 

一方で白い花をつけているハルジオンは、これもまたどこでも生えている草である。もともと100年ぐらい前に観賞用として持ち込まれたもので、1970年代に度重なる除草剤被曝を受けた結果、生き残った除草剤に耐性を持つ株が繁殖し日本中を席巻しているんだそうだ。刈り取りや踏み付けなどの物理的負荷にも耐性があるとのこと。不気味なほど強い草だが、気の毒なことに「貧乏草」とも呼ばれているらしい。

 

そんな知識を持って上の写真の雑草による花壇を見れば、決してのどかな状態とは言えないことが見えてくる。でも、人間によって悪者呼ばわり(侵略的外来種)されているわりには、経緯を知れば、結果的に人間社会が繁殖するのを手助けしていることは、なんだか考えさせられる。「雑草という名の草はない」というのは昭和天皇の名言だが、植物もよく見てみると、それぞれいろんな生存戦略があることに気付かされる。

 

最近、植物をちょっと真面目に見るようになったのは、実は今年の研究室で「やっかいもの外来種にもうひとつの役割を与える」ことに挑戦しはじめたからでもある。例えばセイタカアワダチソウで草木染めすると、けっこう良い感じの黄色に染まるのだ。染め物だけだと従来の小物や衣類程度しか展開できないので他のデジタル造形技術と掛け合わせることを模索しているところ。これは尊敬する若杉さん達のスギダラケ倶楽部の影響なのだが、やっかいものに違う価値を見出すには、デザインの知恵はいろいろと活かせるんじゃないか、と思っている。

 

 追記(2017.5.8)

ナガミヒナゲシについては大騒ぎするようなことじゃないという意見も多いようだ.なるほど.

togetter.com

他者によって自分を知る機会

 

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先日、3年生のPBL科目の時に、同僚の望月先生が編み出した「鏡映的自己像ワークショップ」ってものをやってみた。チームが出来てしばらくしてそれぞれの様子が見えてきた今頃に、まず、それぞれ問いの視点を決めた上で(例えばA君はどのような個性として見えているか、またA君にはどんなことを期待するかなど)を同じプロジェクトメンバー間でレビューし合う。

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次に、あつめられた情報は本人(A君、そして全メンバー)にフィードバックされる。そうして自分の長所の理解やチーム内で担うべき役割意識の形成につなげようというもの。

 

プロジェクト科目の委員長として僕は率先して自分の担当のチームに取り入れてみたのだが、学生達の満足度も高くて、短い時間ながら一風変わったチームビルディングとして役立てることができたと思う。プロジェクトの終わりにはこのシートと照らし合わせてリフレクションすることになる。

 

そういえば、この頃の学校教育ではグループワークが増え、コミュニケーション能力の重要度は昔とは比べものにならないくらいに高まっているにもかかわらず、肝心な「自分」を理解し、そのふるまいを起動修正していくためのフィードバックを得られる機会は少ない。アウトプットからは見えないことだけれども、自分の態度やふるまいなど対人関係の基盤となることを自覚することこそが、若いうちに学ぶべきもっとも大事なことな気がするのだが。年を取ると、頭ではわかっていても人間なかなか変わることはできないのだ。

 

鏡には映らない自己の姿もある。他者に自分はどのように映っているかを知り、それによって自分に見えてない自分を知ることは重要だ。人はなんだかんだで他者とのコミュニケーションによって学んでいくのだ。