Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

改めて歴史から学ぶ

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マット・リドレーの「繁栄―明日を切り拓くための人類10万年史という本を読んでいて,興味深かったのでメモ.彼によると,人間がここまで繁栄した理由は,「分業」と「交換」によるという.

 


交換が難しくなれば,人間は専門化を弱めるので人口が増加しなくても人口危機につながる恐れがある.マルサスのいう危機は,人口増加の結果として直接生じるのではなく,専門化の衰退によって起こるのだ.自給自足の高まりは文明が抑圧されている微候であり生活水準低下の尺度である.1800年まですべての経済成長がこうして終わっている.すなわちエリート層による捕食または農業の収穫逓減に起因する部分的な自給自足への回帰である.

 <中略>


1600年代,日本は比較的裕福で高度な文化を持つ国であり,フランスとスペインをあわせたくらいの人口を擁し,紙製品,綿織物,武器を中心とする製造業が強く,製品の大半が輸出用だった.1592年,日本人はポルトガル人が設計したものを複製した国産の火縄銃を何万挺も携えて朝鮮に侵略している.にもかからわず,日本の経済は農業が中心で羊や山羊が群れを成し,たくさんの豚が飼われ,牛もいれば相当数も馬もいた.犂(すき)は牛が引くモノも馬が引くものも一般的に使われていた.


ところが1800年代までに飼い慣らされた家畜は事実上消えてしまった.羊や山羊はほとんどみかけられず,馬と牛も非常に珍しく,豚でさえもその数はわずかだ.1880年に旅行家のイザベラ・バードがこう述べている,「乳を搾るための動物も,荷を引くための動物も食用にするための動物もいないうえ,牧草地もないので,田園地帯も農家の庭も妙に静かで活気がないよう見える」馬車も荷車も(手押し車さえも)ほとんどない.そのかわり輸送に必要な力は人間が提供し,肩に担いだ棒にぶら下げたり,背負子にくくりつけたりして品物を運んでいる.水車の技術は昔から知られていたにもかかわらずほとんど使われていない.米を脱穀したり搗いたりするのは臼と杵とか,石の重りがついた踏み子で動かすはねハンマーが用いられる.江戸のような都市でも米搗き人が衝立のむこうで裸になり,ときには何時間もせっせと米を搗く音が聞こえてきた.水田に必要な灌漑用のポンプは日雇い労働者が足踏みで動かしている.ヨーロッパ人が動物と水と風の力を利用していたのに対し,日本人は人力で仕事していたのだ.


どうやら1700年から1800年のあいだに,日本人は集団で犂(すき)を捨てて鍬を選んだようだ.その理由は役畜よりも人間の方が安く使えたことにある.当時は人口急増の時代であり,それを実現したのは生産性の高い水田だった.水田は窒素を固定できる水中の藍藻のおかげで自然に肥沃になれるので肥料がほとんど必要ない.(ただし人間の糞尿はこつこつ集められ,慎重に保管され念入りに土に施されていた)豊富な食糧と衛生に対する入念な取り組みのおかげで日本の人口は急増し,土地は不足したが労働力は安かったので犂をひく牛馬に食べさせる牧草を育てるための貴重な農地を使うよりも,人間の労働力をつかって土地を耕す方が文字通り経済的である状態に達した.そうして日本人は自給自足を強め,見事なまでに技術と交易から手を引き,商人を必要としなくなってあらゆる技術の市場が衰退した.

(第6章 18世紀 日本の勤勉革命より)

 

日本に起こった勤勉革命の別の見方.最近,自給自足したがる人が増えているのは,この見方からすればあまり良い傾向ではないのかもしれないね.

 

 

 

 

美術館を社会に開く試み:オープンミュージアムプロジェクト

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縁あって、今年は研究室で川崎市岡本太郎美術館のアートプロジェクトに参加している。市民を巻き込んだアートのワークショップをやるにしても、美術館の中で制作して美術館の中で展示するのではなく、積極的に社会の中に出て行こう、というもの。

こういったアート活動はアーティストだけで成立するモノでもなく、いろんな役割が必要になる。我々の研究室の役割は、アートワークショップと地域住民が出会うきっかけやコミュニケーションのデザイン。何人かの学生が卒業制作のテーマにもしてくれたので、大きな力になりそうだ。

 

ちなみに岡本太郎美術館とうちの大学はめちゃくちゃ近くて、地図で見るとこんな感じ。

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でありながら、あまり連携は盛んでなかったが、今回はこの企画のプロデューサでもある、モリワキヒロユキさん(メディアアーティスト/ 多摩美准教授)が声をかけてくださって一緒に関わることになった。モリワキさんはライトアートや種子島宇宙芸術祭の運営で活躍されていて僕の大学院時代の先輩にあたる方。ちなみに紅白で小林幸子が電飾衣装を取り入れ始めた頃の演出は森脇さんの仕事である。

 

まだディスカッションベースだけど、これまで地域で実践してきた過去の活動がいろいろ繋がってきて、楽しい。秋のアートシーズンに向けて鋭意準備中である。

 

http://www.taromuseum.jp/

 

かわさきコンフィズリープロジェクト

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僕がチーフとして担当している2年生向けのIxD基礎演習は、多様なプログラムの履修者が130名近くいて、4クラスで同時展開するという教員も学生もヘビーな演習である。

この演習で、今年は製菓会社のブールミッシュさんとのコラボ企画を進めている。地域性を持ったコンフィズリー(砂糖菓子)の中に埋め込まれた体験をデザインするというもので、単なる商品企画というよりは、パッケージ+インタラクションをふくめて、食べることを介したストーリーテリングに着目しているところがポイントである。

 

ちなみに企画とパッケージはグループで行い、プロモーション用のWebサイトは個人で実装するという二重の課題である。我々は情報学部なので、デザインするだけじゃなくて実装技術はちゃんと全員習得しなきゃ、ということで。

 

さて、ブールミッシュさんといえば日本中に100店舗以上展開する高級スイーツのショップで、社長の吉田菊次郎さんは有名パティシエとして知られ、NHKの朝ドラの技術指導もされている方。どんな接点でコラボしているのか、というのは関心もたれるかもしれないので、ちょっと書いておきたい。

 

話は4年前のことに遡る。吉田さんは、4年前のこの演習の前身の課題で「MY ROLE かわさきの食をつくる人々」のインタビュー集を作ったときに、学生達の取材に協力して下さった。

http://blog.kmhr-lab.com/photo/IMG_7336.jpg

MY ROLE 2012 が出来ました - kamihira_log

それは大学と社会の新しい関係性を探ることでもある。学生が取材に行くだけでは、学習に協力してもらうという(よくある)関係で終わりがちである。そうで はなく、学生からも社会人に向けてプレゼントを送り届けるような、お互いにとって嬉しい相互贈与関係が作れれば、より幸せなかたちで関わることができるの ではないか。そして、その関係性を誰でも取り組めるような仕組みに落として発信していくことで、おおげさに社会変革を唱えなくても、埋もれている小さな価 値を改めて見直していけるような、ささやかなきっかけになるのではないか。この試みの背景には、そんな願いがある。 

 (上平の序文より)

 

 

その時に贈呈した本を大変評価して下さり、「何冊か頂けないか」とご希望され何度か電話とメールでやりとりした。それがきっかけで、「私にできることなら協力するよ」と演習へのご協力を約束して下さった次第である。こちらから「ギブ」できることがあったことで、それをもとにして4年後に新しい接点ができたわけで、感謝の気持ちを感じるとともに、演習で御世話になる方との関係は大事にしよう、と改めて思わされた。

 

そういうわけで、帰国早々、このコラボを活かした課題準備を急ピッチで進めてきたわけであるが、最初は既成商品で代用した架空の商品のつもりだったのが、パティシエの村松さん(ブールミッシュ製菓アカデミー主任講師)が何度も実験重ねて、ムーンライト(大学の最寄りの小田急向ヶ丘遊園駅近くにあるビール醸造所)さんのクラフトビールを使ったギモーヴ(フランス風マシュマロ)を新しく開発してくださった。

 

僕がでっちあげた(架空の地域食材をもちいた)ギモーヴを、プロの手で実現して下さるとは、これにはもう、感謝しかない。

 

そしてなんとか5/23には学生たちに試食会を行うことができた。ビア・ギモーヴは黒ビールのコクをピリリとひきしめる粒胡椒の刺激が新感覚で、とても美味しかった。こんなお菓子も存在するのか、ととても驚かされた。

 

短い演習時間だが、いい成果物ができるように、学生達に頑張ってもらいたいところである。

 

www.boulmich.co.jp

 

 

社会人向けの「Xデザイン学校」がまもなく開校

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お世話になっている山崎先生と浅野先生による社会人向けデザインスクール,Xデザイン学校が開校します.微力ながら僕もお手伝い予定です.御関心をお持ちの方,どうぞよろしくお願いします。もうすぐ説明会があるそうです.

 

Xデザイン学校では、ユーザー体験、人間中心設計、デザイン思考、サービスデザインなどを基礎にしながら、誰でもがデザインを活用する社会に向けてのデザ インの学びと研究を推進します。講師には、この学校に賛同してくれる最新の実践や研究を推進している方に協力してもらい、情報デザインフォーラム、 HCD-Net、各地のUXコミュニティなどとも連携しながら、この分野で日本で最高の学びと研究を目指していきます。

まずは2016年度は「Xデザイン学校(英語名 X Design Academy)β」として、「未来の学校」のプロトタイプを開始します。

これまでのスクールやセミナーと異なるのは、「未来の学校体験」の実験として、研究室のゼミのように、学生同士と教員が密接なつながりをもつ体験 を目指します。そのための教育内容、教育環境やコミュニティも大事にしていく予定です。また、学校に入学する前、入学してから、卒業した後の長期の時間を 考慮した育成を行います。例えば、学ぶ、実践する、研究する、教えるのを手伝う、教える側になることも考えています。

5月28日(土)の「Xデザイン学校・説明会」では、最初に、 「社会人の学び」 について、日野隆史氏と山崎和彦氏により話題を提供していただき、Xデザイン学校と入学申込み手続きについて説明をします。また、そのあとは希望により個 人相談もいたします。このXデザイン学校に興味がある方は、ぜひご参加ください。また、当日に参加できない方は、Xデザイン学校の説明資料は、 Facebookグループ「Xデザイン学校」に公開いたしますので、ご参照ください。

5月28日 Xデザイン学校・説明会

 

謎のパワフル・タイポグラフィ

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グラフィックデザインの授業スライドで、例年クリーニング屋の看板を集めて紹介しています。なぜかわかりませんが、クリーニング屋はあちこちで妙にどぎついタイポグラフィが独自進化していて、謎のパワーを放っているわけです。日本に帰ってきて、ますますこういった不思議なデザインを観察することがおもしろくなりました。

価値観は変わっていく

http://blogs-images.forbes.com/jonathonkeats/files/2014/11/Papanek-Tin.forbes-1940x1453.jpg

ちょっとづつメモを残しておこう。

先日情報デザインフォーラムで喋ろうかとちょっとだけ迷ったネタなのだが、パパネックは1962年に、インドネシアの貧しい人々のためにラジオをデザインした。空き缶を再利用したもので、家畜の糞を乾燥させたものを燃やしてエネルギーに変換する。現地の人々がDIYで作れる。これをパパネックが、かのウルム造形大学において講演した際に紹介した。すると教授陣は「こんなものはデザインじゃない」と全員椅子を蹴立てて帰ってしまったが、学生はみんな目を輝かして誰も席を立たなかったという話。

いつの時代も若者の方が時代の先に反応できるんだな。そしてそのことは自分にとってちょっと希望なのです。

 

 

www.forbes.com

【5/20(金)開催】Educe Cafe「北欧の創造性を支える学びのエコシステム ―幼稚園児との長い旅から―」

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Educe Cafeにてトークの機会を頂きました。御関心をお持ちの方がいらっしゃいましたらぜひお越し下さい。

 

「北欧の創造性を支える学びのエコシステム ―幼稚園児との長い旅から―」

日時:2016年5月20日 18:00〜

場所:東京大学本郷キャンパス 情報学環・福武ホール スタジオ1

ゲスト:上平崇仁 ホスト:森玲奈

デンマークは高負担高福祉政策によって国民の”平等”が根付いていながら、国際競争力の高さを併せ持つという不思議な国です。1年間のデンマーク滞在にお いて、4 歳児と1歳児と共に現地の幼稚園に通い、デンマークの子供達の学習環境を観察したり人々と交流したりする中で、彼らが形作っている社会の仕組みや、そこに おける光と影が少しづつ見えてきたと上平さんは言います。今回は、上平さんが滞在中に子供と経験したこと、デンマークの小さな街にあるデザイン教育に特化 したデザイン幼稚園、地域のこどもたちを巻き込んだルイジアナ美術館の建築プロジェクト、スウェーデン南端の街マルメにある廃材を利用した造形センターな どのユニークな事例をもとに、こどもたちのクリエイティビティを高める学びの場を形成している社会のエコシステムを読み解いてみます。またこれらの遠い国 の取り組みを参照しながら、我々の日本社会においてはどのようにデザインできるのか、をフロアの方とディスカッションできればと思います。

 

詳細、申し込みはこちらです。

harinezuminomori.net

 

もうひとつ、情報デザインフォーラムでも講演します。こちらはすでに満席ですが、時々キャンセルでていますので、席が空いている場合にはチケットを購入できるようです。

peatix.com

題目「デモクラティックデザインとその実験精神—もうひとつの北欧デザインから学んだこと—」

日時:2016年5月8日 13:00〜

場所:Yahoo!JAPAN 本社(東京ミッドタウン

 

 

 

 

 

 

 

無事に戻りました

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研究室の前の桜が満開です。

 

今週より日本に戻ってきて、到着翌日からさっそく仕事に復帰しています。たくさん得たインプットを活かせるように頑張りたいところです。

 

さて、このブログはどうするのかという問題ですが、しばし思案中です。新学期でかなり仕事が多い多い時期なので当分時間はとれなさそうですが、自分にとってSNSよりは書きやすいこともわかったので、なにか書きたくなったら書くつもりでいます。

 

 

そして1年が過ぎて

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さきほどアパートを引き払ってきた。今夜はホテルに宿泊し、翌早朝のフライトで日本に帰ることになる。
本当にあっという間だったように思う。さて、1年もの時間を頂いて好きな場所で研究できる、という機会を頂き、ここに書いたこと/書いてないことを含めて数え切れないほど沢山の出来事があったが、日本に帰れば新学期のバタバタで今の気持ちを忘れてしまうだろうから、自分のためにふりかえりのメモを残しておきたい。

 

Good!

まずは、Goodだったことから。

 

1:家族で滞在できた。
なによりも、一人ではなくて家族で異国生活を体験できたことは大きい。短期の旅行とは違って病気したりと大変なこともかなり多かったが、なんとか家族全員元気で滞在を終えることが出来たことを喜びたい。もっとも、外国に住みたかったわけでもないのに同行してくれた妻には相当な迷惑をかけてしまった。この点においては感謝してもしきれない。

デンマーク行きを考えた時から子供を一緒に連れて行くことで現地をより深くフィールドワークできるはず、という狙いがあったのだが、これは本当に正解だった。一人だと研究に打ち込める反面で行動半径は限られてくる。親であるという機会を活かして幼稚園や子供向けワークショップなどいろんな所を詳しく知ることができた。また、こどもは優れた"メディア"でもあって、僕らの知らない地元っ子の遊び場や幼稚園での他の子の様子や教えてくれたりしたが、それだけでなく、ママ友やパパ友経由で得られる情報網の威力、子供を連れていった先で偶然出会った機会の大きさを知った。また、デンマーク人の子供に対する考え方、例えば子供でも対等な関係を重んじ自律を求めることや、電車やバスでの子連れに対する寛容さには多くのことを学ばされた。

 

2:デンマークのことを(ちょっと)知ることができた。
どんな場所であっても、1日の滞在で見えること、1ヶ月で見えること、1年で見えることは、すべて違っている。日々を過ごすごとに見方が変わっていったことは自分でも昨年の春先のブログ記事と比較して見るとよくわかる。そのグラデーションを体験できたことは大きな収穫だった。1年じゃ正直まだまだ見えてないというのが正直な実感だが、北欧の快適な夏と厳しい冬(長い夜)を体験して、気候のコントラストが民族気質に大きな影響を与えていることを理解した。なぜこの国はかくも高負担・高福祉社会政策や国のビジョンを持っているのかについて、歴史的経緯の中で理解することが出来た。

しばしば北欧は日本では夢の国のような扱いをされるが、どんな国でも光と影はあるものだ。「幸福な国」はいくつかの指標の結果に過ぎず、彼らもいろんな問題を抱えながら国の仕組みを維持するために常に議論を繰り返している。これについては昨今のシリアからの難民問題が深刻化してきたタイミングも大きかったと思う。そう言えば、僕の滞在は滞在許可をとったころのコペンハーゲンのテロに始まって、再びベルギーのテロで終わりそうだ。(そてこれから中東経由のフライトなんだが、無事に帰れるんだろうか)


3:日本が(ちょっと)見えてきた。
エスカレータに乗っている人の視界よりも、外にいる人からの方が動いていることが見えるように、内部では当たり前のことも外部からは違う視点で見れるようになる。日本の外に出て考えることで、日本社会の姿を逆照射することができたように思う。良くも悪くも日本は世界の中での位置関係は独特だし、たくさんの課題を感じたが、いい答えが出せるとも思えない。でも日本の問題は日本人が解いていくしかないわけで、これに関してはこちらでの日本の方々との議論に加えて、いろんな日本の研究者の方がデンマークにやって来て連絡をくださったお陰で、いろんな角度からたくさん議論出来たことはいい経験になった。ビアバーでデンマークの地ビールを飲みながら語りあうのは楽しい一時だった。(お越し下さったみなさま、ありがとうございました)


4:研究にはそれなりに時間を費やせた。
デザインはアウトプットだけではなく、それが必要とされた背景を含めて見なければ、本当のことは見えてこない。現地で実際に行われていく過程を見れたことで、日本からはなかなか見えにくかったCo-Design/ Participatory Designの文化的な背景を掴むことができた。日本でのイメージと違って、ここまで社会民主主義の影響が大きいとはなかなか実感できなかったことだ。デザインという「花」にはまず土壌があり、それは確かに人々が創り上げている文化でもあることを改めて理解した。

また、Koling(デンマーク)、Genk(ベルギー)、Malmo(スウェーデン)、Tallinn(エストニア)など、小さな街で行われているアクティビティの面白さを知った。というか、それらを面白いと感じる、という自分の感覚を知った。逆に大都市のロンドンを訪れた際、沢山見たデザインスクールの学生たちの作品のビジョンとそこから垣間見える都市生活は、東京で見ているものとほとんど変わらないように思えて、いろんな意味で大きなショックだった。(※もちろん両方とも一部だけ見て感じた個人の感想で、一般化はしません)

実績としては、同じITUに所属する安岡さんといくつかの論文とリビングラボに関する某企業の受託研究の資料を書いた。彼女は言語化能力が抜群で、一方で僕は概念を視覚化するのが好き、というお互いの能力を持ち寄ったコラボができたことは刺激的だった。研究だけでなく生活含めていろいろと助けていただいて本当に感謝している。

EUプロジェクトにも受け入れしてくれたLoneが進めている高齢者向けシェアリングサービスのGive&Takeと、NielsとLiesbethらのTRADERS、ふたつに参加して彼らの進め方と問題意識を知ることができて、とても勉強になった。またarki_labとは、彼らのワークショップに何度も立ち会って彼らの方法や思想を詳細に知ることが出来た。彼らの活動にもちょっと貢献できたし、それに加えて今後は共同研究まで繋がりそうで、彼らがパートナーとして認めてくれたことは心から有り難かった。

あとは、自分の成果としていくつか継続して育てていきたいツールのプロトタイプが二つ生まれたので、近々もっと進めていきたい。


5:コミュニケーションは前向きに。
在外研究は、留学生のように何かカリキュラムが用意されるわけではない。だからこそ制限時間の中で「自分は何をしたいか、何を成すか」の実行力・遂行力が試されると言えるが、自分の嗅覚を頼りにだれも紹介してないような場所を探り当て、沢山訪問することができた。秋ぐらいまでは調査しているだけでなくて自分でもいろいろ作りたい、試したい、というフラストレーションも大きかったが、秋を越すぐらいからいろんなことが繋がるようになって、調査も俄然面白くなってきたことは自分でも不思議だった。

英語力に関してはほとんど上達していない気がするが、これは長い道のりだと思うし今後も訓練していくしかない。見苦しい姿を恥じるよりも、好奇心に応じて一人でどこでも行ってやるぜ、という度胸はついた(と信じたい)

あとは細かくブログを書きためられたのもひとつの成果かもしれない。一年間で243記事は結構いい数字だと思う。意図的にSNSと紐づけなかったが、見ている人が少ないことで適当なことを書き散らすことができた。(わざわざ読みに来た人しか読まない、というのがこんなに気楽だとは!)
大学教員である僕ですら、在外研究って一体何してるんだろう、と不思議だったが、ちょっとでもその毎日を明らかにすることで、後に続く若手の方々にその具体的な日々を知り、自分のプランの参考にしてもらえるなら本望だ。(あちこち行っていたとしても、決して観光名所見て遊び呆けているわけではないのです)もったいなかったのは、見てきた事例はわりと簡単に書けるのでたくさん記録とれたけど、ぼんやり考えながら生まれた泡沫のようなアイデアや、出来事と出来事の間にあるもの、それこそを言葉にしておくべきだった。つい後回しになったあげく結局次の面白いことで上書きされて書けなかったのは反省点だ。


Regret!

次に、心残りなこと。

 

1:もっと学生達との関わりができれば。
ITUの数名の学生とはよく話したが、授業をもたなくてよいという極楽は反面では大学に大した貢献もできなかったな、という思いがある。5年前にアラスカ大フェアバンクス校に滞在したときには何回かワークショップしたり授業に協力したりして貢献できた気がしたのだけど、その点、まだまだ自分の能力が足りなかった。何度かゲストトークを断わらざるを得なかったのは実に悔しい。とりあえず日本にいる外国人相手にでもワークショップができるようにするのが次の目標か。

 

2:もっと旅したかった。
グリーンランドフェロー諸島アイスランドにも行きたかった。東欧にも行きたかった。まあこれはトレードオフではあるし時間は有限なので好き勝手なことは言えない。でもたくさんの国に行けたのは欧州にいたからこそ。次の機会が来る日を待とう。

 

3:音楽&映画シーンを体験したかった。
コペンハーゲンは音楽シーンも熱いし、ドグマ95が生まれた場所柄、映画制作シーンも熱い。だがライブハウスも映画館も行けなかったのは惜しい。Danish Film Instituteに通ったり、Posh Isolationの界隈のライブ行ったりして現地のカルチャーをもっと体験したかったと思う。

 

4:時間の使い方をもっと考えるべきだった
在外研究を終えてみて、やりたいことは山ほどあっても全てが出来るわけではない。これは僕の残り人生にも通じること。残された時間は少ない。優先順位と中途半端にしない継続性が大事だ。

 


今後について

専修大学の教員に復帰します。これから大学は淘汰の時代だけど,学びの場はますます大事になっていく、ということは欧州のいろんな大学をみて感じた。留守を惜しんでくれた学生達のためにも、今の学部の組織をもっと楽しい場にしていくことと、もうちょっと大学という場をつかって自分ができることの可能性を考えてみたい。

 

これから学んだことを整理していきますが、5月の情報デザインフォーラム(Yahoo!本社)、Educe Cafe(東大福武ホール)でちょっとトークの場を頂いたのでそこで共有出来ればと思います。

 

では、さらばデンマーク

コペンハーゲン空港にて)

 

【後編】ノンデザイナーは、いかにデザインに関わっていくか?

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 前編の続き。

今回は、デザインプロジェクトに参加するけれども、トラディショナルなデザインとはスキルセットが異なる専門職種をいくつかとりあげます。

 

1:デザインリサーチャー

もしデザインファームで働くことを目指してる場合には、デザインプロセスの前半部分を中心に磨いて得意分野にする、というのが良いのではないかと思います。まず、どのようにデザインを進めるか(デザインプロセス)はいろんなモデルが提唱されていますが、とりあえず僕の授業のスライドを掲載します。

 

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これは富士ゼロックスの発表しているモデルを引用したもので、社会人向け大学院の産技大人間中心デザインプログラムの「発想法」の資料として描きました。(黄色の部分が見にくいですが、ここはアニメーション込みでどこに発想が関わるのかを解説している部分です)というわけで、少し文脈は違うのですが、とりあえず、1〜6はいわゆる人間中心デザインプロセスとしては極めてスタンダードなものと言って良いでしょう。この中で個人的に重要だと思っていることは、具体的な世界から抽象化して発想し、抽象的な概念をまた具体化していくという、具体と抽象を行き来するところです。ラダーアップしないで具体から直接具体を考えると、しばしば短絡的な答えになりがちです。

 

知り合いの美容師は、

「始めてのお客さんからは"おまかせ"を受けてもなるべく引き受けないようにしますね。なぜなら、人の満足感は『その人が他人にどう見られたいか』によって決まってくるから。その人を理解しないうちには最適解は出せない。

と言っていたことをよく覚えてますが、顧客の表面的な姿ではなく、その裏を洞察すること(インサイト)が大事、というのはデザインに限る話ではないのでしょう。

 

最近欧米では、デザインプロセスの前半部分を主にリードするデザインリサーチャと呼ばれる独自の職種として位置づけられることが増えてきました。やや強引ですが、図にするとこんな感じです。

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代表的なデザインリサーチャには、ヤン・チップチェイス氏がいます。

www.dhbr.net

 

デザインスクールではデザインリサーチは例えばどんな授業として行われているのかは、CIIDに留学中の木浦さんが詳細に紹介して下さってますが、以下の記事は暗黙になりがちなところが記述されていて興味深いです。

ddcph.hatenablog.com

 

丹念に事実をあつめ、そこから仮説を導いていく、というのはもともと人類学や社会学などのアカデミアの方法がデザインに移植されてきたものです。現代のデザインプロセスではデザインに含まれますが、決して20世紀の頃の日本のデザイン教育で重視されてきたとは言えませんし、手を動かすのは得意でもここが得意という人はそれほど多くないでしょう。一方で時々、 本職のエスノグラファーのデータの取り方や視点を知る機会があると、さすがに凄いと唸らされることが多いのですが、彼らは彼らで精緻な理論を好む傾向があって、インサイトへの発想のジャンプが得意なわけではないようです。要するにこのインサイトを見出すプロセス(上の図の黄色と青が重なっている部分)は永遠の問いというか、みんな苦労するポイントです。それを刺激する方法のひとつが多様性のあるメンバーによるディスカッションと言われますが、そんなディスカッションすれば簡単に出るというものでもありません。そんなわけで、この段階を対処できるような人材というのは今後もっと求められるようになる、と僕は思っています。

 

2:プランナー(含むディレクター)

このへんは業界や人の特性によってさまざまですので、一概に説明しにくいのですが、おおまかなビジョンを立ててプロジェクトを企画したり、トラディショナルなデザインを担当する人と協働してプロジェクトを進めている人達です。デザイナーとはフラットな関係というより、指示を出す立場である場合も多いです。

代表的な人として、真っ先に思い出したのが、渡辺保史さんです。いち早く情報デザインの普及に貢献され、さらに地域コミュニティの中で優れたプロジェクトを進めていました。残念ながら2年前に若くして亡くなられました。

techwave.jp

彼はデザイナー出身ではありませんでしたが、デザインの本質を深く理解していましたし、広義のデザインを意識した活動を行い、たくさんの人に影響を与えました。検索すれば知ることができますが、彼の活動は参考になると思います。

 

IT業界では、デザイナーやエンジニアとチームを組み、全体を把握しながらプロジェクトを進めていくディレクターという職種がありま す。現場の人の話を聞く限りこの職種も人材不足のようです。EC系サイトのWebディレクターをやられている知人のazumiさんは、たしか政治系の学部出身ですが、学生時代からずっと続けてこられたノートテイキングのスキルを展開して今ではグラフィックレコーダーとしても活躍されています。彼女の活動がwebディレクター全てをさすわけではないですが、とりあえずブログはとてもおもしろいです。

www.webd-labo.com

 

 

3:トランスフォーマー/ トランスレータ

ちょっと昔の話ですが、今から100年近く前に、ピクトグラムの源流である視覚言語のISOTYPEが産み出されました。これを提案した人としてOtto Neurathというオーストリア出身の哲学者が知られてます。

https://robertgrantstats.files.wordpress.com/2013/03/isotype-race.jpg

 

ですが、彼は一人で実現したわけではなく、グラフィックデザイナーのGerd Arntzに加えて、のちに奥さんとなるMarie Reidemeisterが重要な役割を果たしていたことはあまり知られていません。ちなみにISOTYPEが世界に広く知られるようになったのも、急死したOttoの志を継いで普及に努めた彼女の功績が大きいです。彼女が担当していた役割は、統計的なデータをつくるData collectorと、最終的なビジュアルを作るGraphic designerの間を繋ぐ編集者のような役割で「Transformer」と呼ばれました。

 Marie is not mentioned by name but as Neurath’s “chief statistical assistant to whom he is engaged”. In fact she was known as a “transformer” – a role that mediated between researchers and artists, combining artistic and design ability with understanding of educational theory, statistics and science.

 

www.holywellhousepublishing.co.uk

 

Marieの書いたスケッチが残っていますが、これには驚かされます。

http://www.designhistory.org/Symbols_pages/images_symbols/Marie_Sketch.jpg

The History of Symbols : Isotype

これを見ると、言語のバリアを越えるコミュニケーションの可能性を示したOtto、美しいピクトグラムを作ったGerd Arntzだけでなく、彼女もまたプロジェクトに不可欠なキーパーソンだったと強く思わされます。Marieは、専門家同士の溝を埋めるような役割や、サイエンスを一般の人が理解できるようにする役割、今で言うサイエンスコミュニケーションに近いことをしていたのでしょう。つまり異なる分野をつなぐ「翻訳」ということです。縦割りの多い社会ですので、これに類する仕事は現代社会こそたくさんあるのではないでしょうか。

 

デザインのプロジェクトは、外部からは目に見えない役割も含めて、さまざまな専門性のコラボレーションで為されます。そのどこかに得意分野を持つことを心がけていくと良いのでは、と思います。