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みえないものを、みる視点。

「FIELD MUSEUM2017:親子で遊べるカガクおもちゃのデザイン展」を開催します

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担当している2年生のデザイン演習「FILED MUSEUM」の成果発表会の準備を進めている。本年度のテーマは「カガクおもちゃ」。サイエンスの5つの領域(電磁気・光と音・動植物・力と運動・環境)について、遊ぶ楽しさから学びのきっかけをつくるおもちゃをチームで開発する、というものである。

 

演習前半で、集中的にインプットしている段階のことを10月頃に下記の記事に書いた。

kmhr.hatenablog.com

このFIELD MUSEUMは、地元の小学校およびサイエンスミュージアムとコラボしている地域協働のプロジェクトで、コミュニティを接続しながらデザインを進めていくことが特徴である。子供達と大学生の両者の関係がもっともよく表されているのが、この下の写真。

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小学生側は大学生のお兄さんお姉さんが教室にやってくることが嬉しくてたまらない。いつかこんな颯爽とした人になりたいという憧れをもつ。一方で大学生側は子供達に認めてもらえることを通して、この子達の力になりたいという気持ちが生みだされる。オーセンティック(本物)な状況だからこそ、他者との関わり合いに関する強い感情(※社会関係アージ)が発動されることになる。それがデザインに向かう「動機」を形成する。動機は最初からあるものでもなく、それを生み出す場をどうつくるかは、極めて重要である。

 

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その後、フィールドワークを含めて10種類のインプット活動を元に考察し、企画立案に進む。

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11月中旬の某日。中間プレゼンテーション。小学校の先生(提携している2年生の担任の方々)をお招きしてアドバイスをもらう。

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11月下旬の某日。学童を訪問してプロトタイプを用いて一緒に遊ぶ。予想出来ない子供達の遊び方からいろんな対策の必要に気付く。

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12月某日。リベンジとして再度学童を訪問する。うまく遊べないプロトタイプは、こどもたちからアドバイスをもらうw

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放課後の特権として、たっぷりの時間の中で真剣に遊んでくれるから、飽きないで繰り返すか、なぜ燃えるのか、そこにどんな要素があるのかをじっくりと観察することも出来る。

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そうして迎えた12/18(月)。小学校でのCoDesignワークショップ。大学生と子供達がいっしょにデザインを考える機会である。これは静電気の反発力を用いて滞空時間を競う遊び。みんな上手に浮かしていてビックリした。

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声で小さな粒を振動させ、グラドニ図形を作り出すおもちゃ。声の高低でさまざまなパターンが生成される。子供達うまく作れるのかなぁ、と大学生は心配していたが、いざやってみると、子供達の方が声は高いし肺の力も元気で、大学生より断然上手にパターンを作り出したというオチ。

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1〜4限をまるまる頂いたお陰でとても盛りあがった。記念写真をパチリ。子供達にもとても大きな経験になったようで、後日こどもたちが書いてくれた絵付きの感想文に、大学生達は思わず涙ぐんでいた。

 

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8つの「カガクおもちゃ」はこんな経緯で作られました。

この成果物の発表会を予定しています。お子様をお持ちのご家族だけでなく、どなたでも見学、体験できますので、是非お越し下さい。

 

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FIELD MUSEUM:親子で楽しむカガクおもちゃのデザイン展
2017年度応用演習(コンテンツデザイン)成果発表会

今年度は、遊ぶ楽しさからサイエンスの学びのきっかけをつくることを目的に、異なる5つの領域(電磁気・光と音・動植物・力と運動・環境)から「カガクおもちゃ」の開発を行いました。まだまだ稚拙なところもありますが、親子で楽しみながら体験的に学んでもらうことを目指して、学生たちが約5ヶ月間に渡って試行錯誤して辿り着いた成果です。

◉日時=2018年1月21日(日)10:30~15:00 
◉場所=かわさき宙と緑の科学館 2F学習室
◉主催=専修大学ネットワーク情報学部コンテンツデザインラボ
◉共催=川崎市教育委員会

◉協力=かわさき宙と緑の科学館 川崎市立N小学校 川崎市社会福祉事業団 川崎市多摩区

 

 出品作品
#1「とってこ」飛ばして学ぼうテコの原理
#2 「へんしん!あじさいちゃん」ふしぎ!色が変わるアジサイおりがみ
#3「いきもの双六」みみずからタカを目指せ!
#4 「LIGHT ADVENTURE」 くらやみから脱出しよう!
#5「プロペラクラフト」"くるぺら"をつくってとばそう!
#6「マグネスト」じしゃくマスターへのみち
#7「せいでんきっず」きみも静電気をつかってまほうつかいになろう
#8「サウンドマジック」声でつくる星空のもよう
 

 

 

 

18歳の藤子不二雄

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本棚の整理をしていて「UTOPIA 最後の世界大戦」の復刻版をみつけた。オリジナルは1958年で、これは2011年に復刻された際に購入したもの。

藤子不二雄の単行本デビュー作品として知られ、多くの逸話を持つ「UTOPIA 最後の世界大戦」。原本は世界に10数冊しか現存せず、オークションに出品されれば数百万はくだらない。この伝説といえる単行本が、小学館クリエイティブによって完全復刻された。

UTOPIA (1/3) - コミックナタリー 特集・インタビュー

 

パラパラと読んでいると、ハックスリーの「素晴らしい新世界」に着想を得ていることはよくわかるけれども、半世紀前の少年が考えたSFとは思えない話で驚いた。上のコマの「ところが、人間自身はほとんど進化しなかったんだ!」とか、半世紀経った今読んでみると、知りたくはないがまっとうな事実であることが辛い。

 

ちなみにこの漫画、藤子不二雄Aの「まんが道」の中で若き日の二人が情熱を燃やしながら描く作中漫画としても知られている。当時二人は18歳か・・・。

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(「まんが道」2巻P221より)

彼らの若き日のエピソードを読む度に、「夢中になることの意味」を改めて思い出し、中年になってしまった自分は気が引き締まるのである。

 

 

初めてのクラウドファンディングに挑戦中

motion-gallery.net

ここ数ヶ月ほどまわりの方々の力をお借りしつつ初めてのクラウドファンディングに挑戦している。故・渡辺保史さんの遺稿をオンデマンド出版するというプロジェクトで、渡辺さんと生前関係のあった方を中心に資金があつまり、なんとか当初の目標を達成できそうなところまで来ることが出来た。

 

それにしても、クラウドファンディングがこんなに大変だとは実際に経験してみて始めて知った。本のデザインはデザイナーさんに、内容は編集者さんにお願いすることができたので、あとはプロジェクト進行の雑用程度かと思っていたけれども、資金を出していただく重さと引き替えに細々したタスクが非常に多く発生する。度々心が折れそうになるが、このようなプロジェクトに関する経験値を得たことでよしとしよう。

 

何故、ただでさえ通常業務でオーバーフローしているのに、無償でそんなプロジェクトを起こしているんだろう?と時々僕は自問自答する。いろいろ混じっているので自分でもよくわからない。答えは大きく3つあるように思う。

 ひとつめは、自分自身の言動に対する責任感からである。この本を心待ちにするあまり、渡辺さんにお会いする度に「早く出して下さいよ」と催促していたのに、彼が亡くなった後、ある筋から遺稿のデータを分けていただき、ちゃっかり読んでながらその後に何も行動を起こさないというのは、さすがに心が痛んだ。彼が生み出した「自分たち事」という言葉は、僕一人だけがこっそり持っていたところで全く意味がないのだ。そして数年前の空気感の中で渡辺さんが命を削りながら論じたことは、いつのまにか今の時代をぴったりと言い当てるようなキーワードになっているように僕は感じている。及ばずながら渡辺さんの後ろを追いかけ、同じようなフィールドで活動している自分としては、今の時代に生きる我々を力づけるであろう彼の文章を、できるだけ早く必要としている人に届けたい・・・という思いがあった。

 ふたつめ。人間はひとりひとりの個人の力は小さいからこそ、協働してコトを成す。何かをデザインしていくために「まずは"自発的に"誰かが動くからこそ、小さな力が連鎖して大きな動きへと変化していく」ということが僕の考えなのだが、これは渡辺さんの本の内容にも通じる話。そういった連鎖は本当に起こるのかをこのプロジェクトで実証してみるため、である。

 みっつめ。僕自身ももうすぐ渡辺さんの亡くなった年に並んでしまう。だからこそ、ゴール間際で力尽きた彼の無念は他人事ではない、ということもある。 

 

 このブログの読者の皆様も、是非ページをご覧頂き御関心ももたれましたら、どうぞよろしくお願いします。残り一ヶ月ほどは受付中です。


そして出版記念イベントも企画中です。

 

■日時 2018年3月17日(土)午後 or 夜 予定(2〜3時間程度)
■場所 都内予定
■内容 1)プロジェクトの説明、2)「自分たち事」をめぐる対談、3)みんなでつくる渡辺保史ストーリーなど。

 

「みんなでつくる渡辺保史ストーリー」は、参加者それぞれの渡辺さんとの関わりや思い出話を彼の活動タイムラインとしてみんなでつくり、共有するという試み。(渡辺さんが紹介したワーマンのLATCHの原則のひとつ、時間軸による整理でもある)

 

ドラえもんは実験漫画である

子供が借りてきた藤子・F・不二雄全集「どらえもん」をパラパラ見ていたら、あとがきのページでふと目が止まった。

のび太に起きる困難に対してドラえもんがヒョイと便利な道具を出すのが教育的に好ましくない、という批判に対してF氏が反論したもの。とてもいい指摘だったのでメモがてら一部引用してみる。

 ドラえもんは一種の実験漫画と言えます。常識的に考えられない様な珍道具が、もし日常生活の中に出てきたら・・・と、そこから空想を発展させていく漫画なのです。主題は、その珍道具が日常生活に及ぼすナンセンスな影響にあります。珍道具の入手方法ではありません。だから限られたページ数の中では、極力早く珍道具を登場させることが必要条件なのです。ポケットからヒョイと取り出すのは、この目的に沿った効率的手段です。効率的であることが悪いことであるとは思いません。社会の進歩が有史以来、労働時間の短縮とそれとは一見矛盾する所得の増加という方向に流れているのは周知の事実です。人類はそのために努力してきたと言えるでしょう。

 もし、ほんとにタイムマシンやタケコプターやどこでもドアが手に入るなら、僕はそのためにどんな努力も苦労もいとわないでしょう。親愛なる小さな読者諸君もきっとそうだと思いますよ。

 藤子不二雄自選集4(1981)より

F氏はメディアの制約の中で、道具によって新しく構成される状況こそを描いていたのだ。 なるほど。この反論を読むと、便利道具がすぐ手に入るのが「安直だ」という批判は筋が違うことがよくわかる。

ベルギー発、認知症のためのデザインのブックレットが公開

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ベルギーのGenkにあるLUCA School of Artsを拠点にしたDementia Lab(認知症研究所)のブックレット"The role of Design vol. 1"が公開されたので紹介。この研究所に関わっている各国の研究者のアクティビティとリフレクションをまとめたもので、全56Pが無料でダウンロード出来る(英語)。

このDementia Labの中心人物のNiels Hendrixはデンマークに居た時に僕と同室だった研究者で、自国で新しいデザインの運動を起こしていることはとても素晴らしいことだと思う。

この本の中身も素晴らしい。

This is an important part for me. When I was working with my grandparents who had dementia, being a relative of the person deeply influenced and motivated the design work, but on the other hand, the design work also helped me to understand and deal with the situation, and eventually become a better carer. This insight led me to set up the research in this way, exploring the potential of design and codesign to develop tools for providing opportunities for communication between people with dementia and their family. Additionally, there is the chance that empathy an understanding might emerge for the relatives through this process, possibly constituting a positive moment, and alleviating feelings of helplessness.

Rita: reflection(P26)

 強調は筆者。デザインワークを行うことが、状況の理解や対処を助け、結果的により良い介護に繋がった、というRitaのリフレクションは(自分が今考えている仮説の)「自分でデザインすることを通して世界が見えてくる」というのに繋がるような事例でもある。こういった主観的な経験からでた言葉がもっとも勉強になるので、ちゃんと読んでおくつもり。

 

■公式サイト

www.dementialab.com

 ■Ritaの思い出

kmhr.hatenablog.com

■Dimentia Labのイベントに参加した安岡さんのブログ記事

jensens.hatenablog.com

 

 

 

2017年の終わりに

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あっという間に2017年が終わろうとしている。今年はとある事情でかなり学部内の負担が多く、学生たちの発表会が続く12月はかなり過酷だった。そんなわけでブログも書く暇なかったのだが、冬休みに入ってちょっとだけゆっくりする時間ができたのでひさしぶりに書いてみる。

 

自分の組織では9月に学部長がかわり、僕も学部長補佐という重役を任命された。年配の教授が退職するにつれてどんどん責任が重くなっていることを感じるし、以前みたいに自分の近くのことだけやればいいというものではなくなっている。そして大学の生き残りを賭けて次期カリキュラム改革の議論も進んでいて、社会の中でデザインの重要性が増していることを反映するように、新しいデザイン教育の対応を急いでいる。

そんなわけで自分の研究をする時間はますます減っているのだけど、それでも仕事を依頼されることもあるので、なんとかできる範囲で引き受けてきた。体力は落ちたが、経験のおかげでここぞという時の集中力と選球眼はちょっと上がってきたかもしれない。

 

2018年は、集中してやりたい仕事があるのでなんとか一石二鳥で考えを重ねつつ成果を出しておきたい。まとまった時間がとれない以上は、限られたリソースの中での生産性を高めていかなければ・・・と自分に言い聞かせる。

 

このブログも薄くなるかもしれないが、ネタはいろいろあるのでできれば2週間に1回は更新をしていきたいと思う。思い出した時にでも見に来て下さい。

 

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2017年の活動

■研究
3月 「生成的コミュニケーションデザインにおける贈与の視点」(専修大学情報科学研究所所報No.90)
7月 「デザイン実験の場を構想するためのダイアログゲームの試作」(日本デザイン学会春季大会で発表)
*月「FIELD MUSEUM:地域協働のデザインによる体験型自然科学学習キット」(日本デザイン学会デザイン学研究 作品論文)8月に執筆。採択済み

 

■講演
1月「不確実な未来においてこどもたちが自分自身の生き方をつくっていくために」(おとなのキャリア講座Ⅰ/横浜市栄区民文化センターリリス
2月 Xデザイン学校「CoDesignApproachの今日的意味」
7月「デザイン行為を開く意味ー参加型デザインの思想が示唆することー」
7月「社会のものさしがかわるとき」(おとなのキャリア講座Ⅱ/横浜市栄区民文化センターリリス
10月 企画テーマ討論会「共創・当事者デザイン」(日本デザイン学会秋季大会)
11月 インプロ・組織・クリエイティビティ(オージス総研サービスデザイン思考セミナー)
11月 「デザインすることはギブすること」(Xデザイン学校アドバンスコース)
11月 「なぜ、今「情報デザイン」なのか?」Adobe MAX 2017 教育セッション


■ワークショップ&イベント企画
1月 フィールドミュージアム2016展(かわさき宙と緑の科学館)
2月 デザイン思考"以後"と創造性の行方(東京ミッドタウンデザインハブ)

4月 フォーラムシアターワークショップ(グラグリッド)
6月 即興コメディワークショップ(専修大学
8月  高校生向けデザインワークショップ「Cシャツをつくってみよう」(専修大学
10月 親子向けサイエンスワークショップ「ヒコーキが飛べる理由を試して考えてみよう」(かわさき宙と緑の科学館)
11月 外来種を用いたアップサイクルワークショップ「TAROを彩る」(岡本太郎美術館

 

■審査員など

WIT Award 2017 審査委員

日本デザイン学会作品集 編集委員会

某省庁の某案件審議会委員

セブンオリジナル商品の指定書体

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いつのまにかセブンイレブンのオリジナル商品の指定書体がすっかり切り替わっていた。明朝でもなくゴシックでもなく筆遣いのある楷書で、その中でも特に真面目そうな教科書体である。ずっと「なんで教科書体なんだろう?」と思いながらも、そのまま疑問を放置していたが、今週グラデザの講義がちょうど書体を扱う回なので、「身の回りにある書体」教材のアップデートを兼ねてちょっと調べてみた。

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こどもたちが仮名や漢字を正しく習得する際に参考になるように、とめ、はね、はらいがちゃんとお手本として示され、国語の教科書の本文用に作られているから「教科書体」という。セブンイレブンがこどもたちの字のお手本になろうとしているのかどうかは、知らない。

 

「もちふわパンケーキ」の字をフォント見本で手がかりをもとに探してみると、あった。フォントワークス社の「ユトリロ」だ。

 

試しにフォントワークス社のウェブサービスでサンプルを打ってみる。

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ベタ打ちでは字詰めがなってないけど、書体名はこれで正解のよう。長年喉に刺さっていた小骨が取れたような気分だ。(※ググってみたけど、誰一人として言及してない。他にも気になっている人いそうなのでここで書いてみる)

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黒字の数字は「DIN」で、日本語は「源ノ角ゴシック」。このへんはデザイナーならひとめ見ただけで分かる。

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ちなみに改訂前のスライド。ちょっと前までは「S明朝体」(ニイス)と「ロダン」(フォントワークス)の組み合わせだった。S明朝体は細部に墨だまりを感じさせ、柔らかい雰囲気的はちょっとA1明朝に似ている。セブンオリジナル商品ができたときからしばらくは全部これで統一されていたが、すこしづつ消えていった。

 

指定書体というのは通常はデザインディレクター(セブンの場合はたぶん佐藤可士和)が決め、フォーマットに則った上で別のデザイナーが展開していくものなのだけど、ユトリロといい、ロダンといい、フォントワークス社の製品が使われているのはなんでなんだろう。そんなことを一緒に演習やっているグラフィックデザイナーのMさんと雑談してしていたところ、Mさんは「ライセンスの問題かもね」と指摘されていた。例えばモリサワの書体を使ってそのままロゴタイプには使えない(別途お金がかかる)から、このセブンの商品名もロゴといえばロゴではあるので、そういう問題を回避しなければならない、というのは確かにありそうだ。そういえば、フォントワークスはテレビのテロップ(NHKなど)やアップル社(キートップのひらがなは「スーラ」)にも提供しているから、複製される場合でも使いやすいようなライセンスなんだろうと考えられる。ちょっと詳しい人に聞いてみよう。

 

 

なぜ、いま情報デザインなのか?:Adobe MAX Japan 2017 教育セッションより

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11/28(火)にパシフィコ横浜にて行われたAdobe MAX Japan 2017 教育セッションにて登壇してきた。2020年次期学習指導要領より、すべての高校生が「情報デザイン」を必修で学ぶことになるが、教育現場では「情報デザイン」はまだ馴染みのない言葉であり、全国から集まった教育関係者を対象に解説する、という企画である。

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セッションは、まず文部科学省の教科調査官である鹿野利春先生が情報科の改訂にあたって情報デザインが位置づけられた理由の解説とポイントをお話しされ、その後僕が実践者の立場から「なぜ、いま情報デザインなのか?」を話すという内容。そして、こんな対バンを務めさせていただくとは・・・実に恐れ多い。会場は立ち見も沢山でるほどの大盛況で、先生方だけでなくて、興味をもったクリエイターの方々もたくさん来て下さって、有り難かった。

僕は、1)「情報デザイン」という言葉についてと、2)学習指導要領改訂までに何を準備できるのか、の2つについて話した。共有希望があったので、スライドを公開する。しかしここのところ予定がぎっしりと立て込んでいて、準備する時間がまったくとれなかったのが心残り。この日の1限の授業終わった11時頃から出発までの3時間の突貫工事で臨んだもので、荒い代物で申し訳ないです。短い時間では話せなかった分もふくめて、先生方に読んでもらうためには、もう少しちゃんとした言葉にしたいところだ。

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講演の後は、Adobe Education Exchange研修会のセッション。Adobe Education Exchangeというのは、Adobeが運営する教育者向けのオンラインコミュニティで全世界で40万人が参加しているそう。去年日本版がオープンした際に、僕(正確には受講生の学生たち)が以前つくった中高生向けコンテンツ「デザインなぞなぞ」を提供したのだが、それに対して賞を頂いた。先生方がけっこう見て下さっているそうで、感謝します。

 

 

デザインすることはGiveすること:Xデザイン学校アドバンスコース講演より

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11/9(木),DMM make AKIBAを拠点に行われているXデザイン学校アドバンスコースで講演してきた.

聴講者は社会人向けのアドバンスコースの受講生ということで,主宰の浅野先生,山崎先生からはまだ一般的ではない領域を「探求する」ための議論点や考える手がかりを求められているため,その周辺を言語化していくことは,僕自身にとっても挑戦である.

それにCoDesignの概要については,7月に行われたGKでの講演の際のスライドを公開してある.だから今回は,もう一歩踏み込んでデザインの分野ではあまり議論されていないことと接続してみようと頑張ってみた.デザインを開いていくために,人々の力はどのように発生するのか,そして育てられうるのかが,今回の講演の主な内容である.

スライドを公開しておきますのでご笑覧ください.例によって許諾を得てない画像等は一部カットしてあります.

 

 
あらためて見てみると,なんだかずいぶんと青臭い話になってしまった.浅野先生によると「響く人と響かない人に,はっきり分かれる話だね・・・」とのこと.もちろん人間そう簡単にいい方向ばかりに動機づけられるようにはできておらず,現実的には困難なことはよくわかっている.でも講演の中で取り上げた実話にあるように,相互に信頼しあえる社会になって欲しいな,と願いたい気持ちもあるわけで.
 
もう一つ「贈与」のことをずっと考えていて思うのが,こういったストーリーを狙ってデザインすると,受け取り方によっては非常に浅ましい印象にもなってしまうということ.しかしながら協働のデザインの裏で働いている心の集団志向性や,なんらかの利他性を伴うようなデザインは,そういった微妙な感情が生まれることを理解した上で,倫理面にも配慮しつつも,いずれそこに踏み込んで考えていかざるを得ないだろうとも思う.なぜなら,人類はずっと協働しながら生き延びてきたのであって,裏切られる悔しさよりも,他人と協力し合うことで得られる喜びやその成果の方がずっと大きいことを心のどこかで知っているはずだから.
 
 
 
 
 

民藝運動が持っていた「将来への志向性」

https://www.meiji.ac.jp/press/list/la_sciende/6t5h7p00000ib39h-img/poche3_shoei.jpg

 

先日,ACTANTの南部さんと話している際,昭和初期の民藝運動と近年のデザインの民主化の潮流との関係の話になった.その時彼から薦められた鞍田先生(明治大)の本が面白かったので,ちょっとメモ.

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民俗学と民藝の関係というのは,たいへん興味深い点であり,もうすこしだけ当時の議論を紹介しておきましょう.いま引用した論考で主張されている内容は,昭和16年(1941)に東京帝国大学人類学教室で行われた講演要旨ですが,その前年に行われた柳田国男との対談をふまえたものです.いうまでもなく柳田は我が国の民俗学を確立した人,対談は柳の支援者である式場隆三郎の司会で行われました.

式場:[前略]つまり民俗学という学問は,過去を知るための学問なのですか.それとも現在あるいは将来につながる学問ですか.

柳田:それはもちろん,民俗学とは過去の歴史を正確にする学問です.だから将来のことはわたくしどもの学問の範疇ではないんです.[中略]

式場:そうすると,たとえば民俗学というようなものには,直接的な文化的行動性というようなものはないんですね.

柳田:ええ,そういうものはないんです.今の歴史には将来のことを論じたり,現代人の心得方を論じたりしているものがあるけれど,あれはわれわれから見ると,歴史という学の方法に入るものではない.[中略]われわれは事実を正確に報告するだけで充分です.

柳:つまり民俗学は経験学として存在するのですね.
式場:すると民俗学というものはわれわれの民藝とは大部ちがったものですね.柳先生いかがですか.

柳:僕の方は経験学というよりも規範学に属していると思います.かく在るあるいはかく在ったということを論ずるのではなくて,かくあらねばならぬという世界に触れていく使命があると思うのです.そういう点は民藝と民俗学は違います.

柳田:それははっきり違う.われわれのほうにそうしたものはない.

柳:だから民藝の方でゆけば,価値論が重きをなして,美学などに関係するようになってくる.

柳田:結局そういうことになるでしょうね.

(民藝と民俗学の問題 柳田國男柳宗悦:対談)
月刊民藝第13号,1940 26-27頁

規範や価値の追求の有無という点で民俗学と民藝は決定的に相違します.先に示した民藝の2つの基本要素はまさにそうした価値や規範に関わるものといってよいでしょうが,ここであたらめて確認しておきたいのは,とりわけそのうちの現代性こそが民藝の価値・規範追求の駆動力となっているということです.現在を論じ,そうして将来を志向することこそが,民藝の本旨です.

 

「民藝のインティマシー—「いとおしさ」をデザインする 
鞍田崇 明治大学出版会2015  p51-52

 

ふむ,不勉強でよく分かってなかったが,民藝運動は人々の普段づかいの民具の中にある「用の美」を見出しただけでなくて,その奥には「現在から将来への志向性」があったのか.そこは確かにアーツ&クラフツ運動にあったように,「デザイン」として現代に引き継がれている思想と一致している.