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どこまでもデザインすることを楽しみたい。

第9回全高情研・全国大会に協力しました

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第9回全国高等学校情報教育研究会の全国大会のサインデザインに上平研究室が協力しました。

このイベントは日本中の情報の先生達が何百人も集まって教科のありかたや授業の方法、題材などを議論するもので、専修大生田キャンパス10号館(僕の居室があるところでもある)が大会の会場になったことで、学部経由でデザインに対する協力要請があったという次第です。

 

ロゴデザイン=上平

パネルデザイン=望月君(4年)

パネル制作=小笠原君(4年)

 

看板やネームプレートなど、あちこちで自分のつくった大会ロゴが展開されているのは嬉しいものです。この大会ロゴは、「ネッカーの立方体」の錯視図形のように焦点化する人の側の見方によって違う形が見えるというもの。あっち向いたりこっち向いたりするけど、図自体は何も変わらないことが面白いところです。

対話によって解釈の違いに気付くように、それぞれの視点を共有しあう研究会になることを願った・・・というもっともらしいコンセプトを語りましたが、勿論後付けです。情報だからパキパキしたアルゴリズム的なものがよかろう、というあたりから考えてます。(制作時間は3時間ぐらいかな)

 

大会の前日には、大学が提供する関連イベントとして。「情報」と「デザイン」の動向の講演とカードゲームを用いたワークショップを実施しました。高校の先生方と濃い議論できて楽しい時間でした。

 

 

 

6年前の学生との対談記事を発掘した

とあるきっかけがあって、過去メールを漁っていたところ、2010年に学生達が学部に関する本、通称「ネガク本」を作っていた際の原稿を見つけた。当時4年生だった坂本さん(NE19)と僕の対談を、当時2年生だった沢畠君(NE21)が原稿にまとめたもの。随分昔のようで、とても懐かしい。残念ながら学生が入れ替わってしまってこの本は完成することなくお蔵入りになってしまったが、もったいない気もするのでここで公開してしまうことにする。

 

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社会につながるデザイン


上平先生は、ネットワーク情報学部ができて4 年目に着任され、栗芝先生とともに、コンテンツデザインコースの基礎作りをはじめ、プロジェクト発表会のスタイルの確立など、現在のネットワーク情報学部の姿に大きな影響を与えた。
 坂本さんはコンテンツデザインコースで学び、上平研究室で卒業制作を履修し、図書館司書の資格をとるなど充実した大学生活を送った。授業への取り組みから、現在社会におけるデザインの役割まで、上平先生の信念を存分に語っていただいた。


学生にブログを書かせる意図


坂本: 先生は総合演習の授業内で、ブログをリマインダ代わりにしていましたよね。毎週、作業記録を書かせていた意味からお話をお伺いしたいと思います。

上平: 書かせないと先週のことすら忘れてしまう、という単純な理由によるんですけど、もっと大事なこととして、ブログを書くことで個人の中で内省が起こり、モヤモヤしたことがまとまってくる、という点があります。言語化して外に出すことで、初めて自分が何を考えているかが明確になってくる、ということですね。まあ、その辺はなかなか学生に伝わりません。でも毎週ルールとして書かせることで、その時には嫌々ながらでも、演習が終わった頃に貯まったログを見返して「あ、そうだったのか」と意味が見えてきたりするのが面白いと思います。
 ただ、脅して無理矢理書かすことはあまり効果がないんですよね。だから例えば、僕が面白いと思った個人ブログから数行抜粋して授業の最初にスライドで紹介するようにしたんです。そうすると不思議と名言のように見えてくる。他にも『作業記録』という名前だからつまらないのかも、ということで『活動×思考の記録』という名前に変えたりと、小さな工夫を色々したらみんなちょっとずつ自分の考えを書いてくれるようになりました。


坂本: 人のブログをみて、自分のブログを書く意識を持つようになったところはありますね。

上平: 一手間かけてスクリーンで共有しただけで、だんだんみんなのブログの記述内容が自然に上がっていったのが面白かった。書かせることは強制ではありますが、自然に書きたい気持ちになる仕組みを作るということは常に意識しています。そして、こまめに日常考えていることを書き出すことを繰り返すことによって、後から時間差で意味が繋がってくるんじゃないかなと思っています。

 


課題の再提出を受け入れる理由

坂本: 主にグラフィックデザインの講義などについてなんですが、先生は課題の再提出を受け入れてくれますが、その理由はなんでしょうか。

上平: それはただ点数付けるためだけに課題を出しているわけじゃないからですね。1 回でできる人もいるし、できない人もいます。課題のポイントをうまく見つけられない時は誰でもあります。それでも学生なんだから、失敗しながら結果的にできてくれればいいのです。講評の際に他の学生が出した解と比較して、「ああ、そういうふうにも解釈できるのか」と自分の視点の狭さに気づかされるわけですよ。そこで悔しいと思ったら、もうちょい自分で納得のいくものになるように挑戦する機会は常に開いておきたいと思っています。課題は期限内に出してそこで終わりということじゃなく、自分で考え始めるきっかけなわけですし、失敗を成長に繋げて発想や表現スキルが上がってくれるといいな、と思ってます。

坂本: 小テストを返却してもらえないこともあるので、自分がどこでつまずいたのかとかわからないことがあるんですよね。

上平: 僕はむしろつまずきにこそ重点を置きたい。やっぱり最初からできる人はいないんですよ。学ぶことで変わっていくことができる人、その人達を何とかして加速させたいと思っているんです。

講義中は意識的に、なるべく寝かせないように環境の変化を増やしたりもしているんですよ。時間を有効に使うためにスライドは使わざるを得ないけど、電気をこまめにつけたり消したり、間に映像を見せたり…。集中力を切らさないような仕組みは心がけていますね。


敏感な感覚を培うには

坂本: 上平先生はフォントのわずかな違いなどを敏感に感じ取られるとお聞きしますが、そういった感覚、知識をどういったところで培ったのでしょうか。また、学生はそういった感覚を持っていないと指摘されることがあるのですが、それについてどうお考えでしょうか。

上平: 音楽と同じようなものでしょうね。最初はただ聞くだけだけど、やってみることでだんだん音の違いが聞き分けられるようになっていって、それを通して自分が出せる音の幅広さにつながっていくわけです。細かい判別能力ってのは基本的に全部そうだと思いますよ。
どうやって身に付けたかということは、うーん、こまめに気をつけて勉強したということしか言えないですね。質のいい書体ってやっぱきれいで、見ているうち、使っているうちに、息をのむほど美しいな、という感覚が分かるようになるんですよ。書体の良さが分かったら次は組み方ですね。書体は強いて言えば料理の素材のようなもので、大事なことはそれをグラフィックス全体、要するにどういう料理の中でどんな風に使うかです。ベテランのタイポグラファー達は、グラフィックスの全体とのバランスを調整しながら、0.1 mm以下の単位で大きさや字間を調整したりしています。
 そういうところにも大変デリケートに気を使ってつくられているんだ、と自分で違いを分かったということは、ちょっと観察眼が上がったということでもあります。
 多くの若者達がそういった違いを気にしないということは感じますね。機械が支援してくれることで、わざわざ敏感になる必要がないわけだから。


坂本: やっぱり感覚を鍛えるには勉強しかないんですかね。

上平: 勉強というか細かく見ることですね。グラフィックデザイナーは色も見ただけでRGB やCMYK をだいたい当てられるんですよ。それは才能じゃなく職人的技術で、やれば誰だってできるんです。
 
繊細な感覚を持つ、というのは深い問題です。今年の2年生の演習のオリエンテーションの時に、折り紙を配って鶴を折らせたんです。「丁寧につくってね」と前置きして。そしたら普段必要がないせいか、丁寧という感覚を持ち合わせてない学生が多いんです。これは器用か不器用かという問題ではない気がします。折り紙の角をピシッと揃えることを気にしないということは、呼吸を止めて指先の力の入れ具合を微妙に調整する身体感覚や、揃えることが気持ちいいという大事なことまで意識がいかないということでしょう。折り方さえ分かれば折れるだろうというぐらいの感覚で折っちゃうから、角を合わせるという大事なプロセスに手を抜いてしまう。あくまで鶴はほんの小さな例だけど、そういうことが生活のあらゆるところで積み重なっていくと、何世代か後の人間はどうなっていくんだろうな、と色々と考えさせられます。
 でも、実は彼らも無意識の中では知っているんですよ。人間の感覚は自分で思っている以上に敏感なんです。いい紙を使っている本を持ったら、なんかよく分からないけどドキッと一瞬身体が反応しない?

坂本: わかります!自分の中に眠っている感覚に気づいたとき、それをどう伸ばしていくかがポイントなわけですね。


社会や地域とデザイン


坂本: 研究室で私が取り組んでいる病院の問題もそうですけど、上平先生は最近、医療や農業など、社会や地域の問題に直接関わるような研究テーマに取り組んでおられますよね。こうした社会や地域の問題に対して、デザインが果たすべき役割についてどのように考えておられますか?

上平: 僕自身も最近いろいろと考えることがあって、少しでも社会性がある問題に取り組もうとしています。ちょっと前の自分からからするととても大きな変化です。それは時代の変化が大きいと思います。自分の型だけを信じて同じことを繰り返していると、いつの間にかリアルな問題から取り残されていくんですよ。毎日の生活は変わっているのですから、刻々と問題も変わりますし、そこで必要なデザインも変わっていきます。デザインは本来人の生活をより良くしていく力、人を笑顔にする力があるんです。

ちょっと前の話題なのですが、デザインは富裕層向けのものに成り下がってないか、という問題提起をする展示会がニューヨークでありました。世界の人口のうち、おおよそ10%しかデザインという概念の恩恵を得ていない、残り90%の発展途上国の人々や除外されているような人々に対してデザインがやれることはたくさんあるんじゃないか、という指摘です。そういう動きからも分かるように、問題だらけで疲弊したこの現実の社会をちょっとでもいい方向に変え、人々を勇気づけるために、デザインの役割、そして自分の役割を捉え直そう、というのが今の多くのデザイナーが感じ始めたことです。

そこで普通の人々でもものづくりができるような仕組み、いわばデザインのためのデザインをするような考え方や方法が模索され始めています。学生達は残念ながらあんまり気づいていませんよね。社会が変わるとは思っていないでしょ?

坂本: やっぱり私たちは社会を知らないんですよね。外と関わるのってアルバイト先くらいしか無くて、社会人になるまで距離があるんですよね…。

上平: そこに対して学生の目が向いてないのは仕方ないでしょう。僕も若い頃はまったく分からなかったし。視野の広さは経験を通して少しずつ獲得していくものだと思います。なにかしらの物事が良くなるように変えていくのがデザインの役割のひとつだと考えると、世の中にはいろんな可能性があって、ちょっと立ち位置を変えれば、いろんな問題が見えてくるし、やれることはいくらでもあるはずです。そしてデザインの良し悪しを決めるのは結局専門家でもなくて、一般の社会の人々なんです。
 そんなわけで、この頃デザインとは何かと問い直した結果、社会の中に上平研なり僕なりを位置づけして、僕に出来ることとバランスを取りながら実践的にやって行こうと思ったわけですね。大学の研究室という変わった立ち位置だからこそ出来ることがきっとあるだろうと。自分達だけのコミュニティの中で閉じるのではなく、どんなに弱くてもいいので、社会に働きかけるようなシュートを打ってみようと思っています。


情報学部でデザインを教えることのむずかしさ

坂本: 先生はデザインが専門ですが、あえてネットワーク情報学部のように、美術以外の領域と融合した学部の教育を行っておられます。美術系ではない学部で教えることの難しさや、逆に面白さはどういうところにありますか?

上平: 以前は美術系の大学で教えていたんです。でも、情報デザインという分野は非常に学際的で、プログラミングだって心理学や認知科学の知識だって必要だし、美術という表現の枠組みで捉えることに一種の限界も感じていました。
 僕が情報学部での教育に関心を持ったのは、CM プランナーだった佐藤雅彦さんが2000 年頃から慶応SFC で展開していた教育がきっかけだったように思います。佐藤雅彦研究室が生み出していた表現はそれはもう画期的で、従来の美術という枠組みを取っ払った上でのクリエイティビティがあることを痛感しました。
 情報学部のようないろんな専門が集まる潮目にこそ、今の時代は本当の意味でのデザインが宿るんじゃないかと思って僕はここにいるわけです。時代は流れてきましたけど、だいたい当時の読みは正しかったと思います。

 今はビジネス系大学院でもデザインの教育がすごく行われているんですよ。デザイン的に考えるということは、デザイナーではなくてもイノベーションを生むために大事だというのが世界的に認められるようになってきました。そういう中で、本流じゃないところで一般の学生に分かるように必死に噛み砕いて言語化しながらデザイン教育に取り組んできたということが、意外なことに他の大学の先生から評価してもらったんですよね。そんなわけで分野を先導しているような方々と「情報デザインフォーラム」というコミュニティを作ったりもしましたが、自分がそこに貢献できているかはわかりません (笑)

坂本: わかんないんですか( 笑)

上平: 学部も学生の質もずっと変わり続けているわけですし、常に試行錯誤で悩み通しですね。でも、特にNS(ネットワークシステム)系の人に多いんですよ。最初はプログラマになりたくて入ったけれど、やっているうちにアプリケーションを作るためにはデザインが必要だということが少しずつ分かってくる、というのが。CD(コンテンツデザイン) コースの学生が居ることによって、プロジェクト等を通して学んでいることが大きいと思う。
 逆にCD コースの学生にもシステム設計的な部分から学べることは学んでほしいですよね。そういうところで融合している学部というのはすごく意味があって、分野を越境して知識を学生達が主体的にプロジェクトに活かしているのは、すごくいいことだと思います。

坂本: 2年生の演習『呼吸する文庫』では本を共有するサービスをデザインするために図書館でフィールドワークをしましたよね。あれはすごく面白かったです。

上平: 観察してみれば、いろんなことに気付きますよね。デザインする前には、デザインしようとしている問題をよく理解しなきゃいけない。利用する現場に行って問題や状況をよく理解して抽象化し、ヒントを見つけてコンセプトを構築して具体化していって詳細化していきます。デザインはインスピレーションで進めるものじゃなくて、こういったプロセスがあるんですよ。そういう手間暇をかけないで、ただテーマを与えられても自分の事にしづらいわけです。面倒くさくても色々なところをみて問題を掴み取っていくのがすごく大事なんです。食べた物が消化されて自分の身体になっていくのと同じように、何かをデザインする場合は自分がインプットしたことが源泉です。


 普通の授業みたいに、「はい、じゃあ考えて」って感じでいきなりその場でアイデアだけをひねりださせようとしても、いいものがでるわけがないし、そもそも問題に対してまっすぐ向き合おうというパワーは生まれない。学生達の学んでいる姿に立ち会いながら、僕はそのことにすごく気づかされました。デザインの能力は自分の経験が変換されているにすぎない。出発点としての現場から問題を見つけた経験こそが、課題に立ち向かうモチベーションとしても重要なんだな、ってことを思いましたね。
(2010年11月12日)

 

 


編集後記(担当 澤畠)

 上平先生というとこれまでは、デザインの先生、フォントに詳しい先生、というイメージしかもっていなかった。でも、先生の出す課題はとても面白いものばかりで、やっていて面白いといつも思っていた。しかしそれらの課題には必ず先生の意図があり、その意図が僕たち学生を成長させていることが、今回話をお聞きしてよくわかった。
 デザインという立場から、社会に対して出来ることをやっていこうという先生の考えのように、学生である僕も、自分に出来ることからやっていこうと思う。

 

 

卒業演習の中間発表

デザイン教育

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7/30に学部内で4年生卒業演習の発表会が行われました。上平研究室からも12名が発表しました。

毎年の指導はかなり大変ですが、学生達が自分なりの問いを立てて人前で発表できるようにすることは、学校教育課程の最後の年を担当する教員の使命でもありますので、体力の続く限りは向き合いたいところです。

 

ちなみに本年度の上平研のテーマは以下のような感じです。

 

グラフィックデザイン関連
ペーパーフォールディング技法を用いた立体インフォグラフィックスの試作
文字のフォルムを利用したアブストラクトフォト制作とその撮影装置の試作
星空の詩情性を喚起させるヴィジュアル表現の研究


岡本太郎美術館との連携
住民参加型アートプロジェクトにおけるプロモーション施策の多角的検討
ワークショップのアーカイブ作成のための画面フォーマットシステムの提案


NPO Collableとの連携
視覚障害者と健常者が共に体験できる統計情報コンテンツのデザイン実験

■学習関連
プログラミング的な考え方へ導入するための中学生向けテーブルゲーム制作
協調的な学びあいに着目したグラフィックファシリテーションのサポートツールの開発

■参加型デザイン関連
サポーターのサッカー批評文化醸成のためのデータビジュアリゼーションの活用
高校生と大学生のコミュニケーションを創出するための統合型デザインの研究(1)
高校生と大学生のコミュニケーションを創出するための統合型デザインの研究(2)
高校生と大学生のコミュニケーションを創出するための統合型デザインの研究(3)

 

今年も夏休みには北海道情報大安田ゼミ・千葉工大安藤研究室・専修大上平研究室の三大学合同合宿研究発表会として北海道へ遠征予定です。

"包む"ことの2つの意味を知った

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7/18にかわさきコンフィズリープロジェクトの発表会を開催しました.短い時間にかかわらず,学内外たくさんの方がご来場くださいました.皆様ありがとうございました.改めて感謝申し上げます.

 

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写真は来場者の人気を集めた「夏奏」という作品(星野先生クラス).

川崎大師で毎年夏に行われる風鈴市の限定土産という設定で,ギモーブが入っているガラスの容器は風鈴としてそのまま使うことが出来るというもの.展示のディスプレイも夏らしさをよく演出してて見事です.

 

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さて,2年生前期の授業課題といえば,一般的には基礎的なレベルなので外部公開することは少ないわけですが,今回はそれを承知の上で学生達への"無茶ぶり"としてやってみました.案内文書書いてSNSで拡散したりポスター作って発表会っぽい状況を作り出したりすることで,あまり作品制作に本気になったことのない学生たちでも,"これは適当にすませるわけにはいかなそうだ"と,集中力が高まったようです.使える時間も前期の後半の8週間だけですので,ほとんど余裕のないスケジュールだったのですが,限られた時間でほとんどゼロの段階からここまで駆け上がって成長しちゃうとはやっぱり若さってすごい,と教員4人も改めて驚きました.

 

 

以下は自分用の振り返りです.
この授業では2014-15年度は多摩川サイダーという課題で,飲料品にまつわる体験のデザインを行いましたが,「炭酸が飲めない」という学生や,ボトルだとラベル程度しかデザインの余地がないという声も多くて(本当は制約が大きい中でこそ,逆手にとったデザインが面白いはずなのですが),そういうなら,じゃあ次は容れ物の箱までつくらせてみようじゃないの,と今回の課題に切り替えたという経緯があります.

教員一同「おそらく箱のパッケージは3次元の感覚が必要だし,デザインとしてまとめることができないところも出てくるぞ・・・」と予想していました.うちの2年生はこの授業が初めてのデザインの授業です.また対象となる学生は,デザイン系だけでなく,学部の8つの多様な学習プログラムから参加しています.それまで大学では立体を作ったこともなく,展開図を書いたこともありません.ですので条件は明らかに難しくなったはずです.ところが結果は逆でした.どの学生達にとっても,箱までつくるほうが考えやすかったようです.


演習の設計としては,制限時間のなかでちょうどいいぐらいの粒度の「葛藤」を設定するのが教員の仕事です.人々の創造を産み出すためには,題材に埋め込まれた葛藤こそが最大のファクターであり.それが小さかったり具体的過ぎたりするとアウトプットが大きく広がることもないですし,大きすぎたり抽象的過ぎたりすると,短期間では解けず,人によってはお手上げ状態になってしまいます.

 

ストーリーと対応づけてコントロールできる部分がボトルの表面から「容れ物」という立体にまで制約がややゆるまったことで,初心者の学生達にはちょうどいい粒度になったようで,明らかに発想の幅が広がりました.手で触って仕上がりを確認できることで,取り組むモチベーションもあがり,結果的に全体的なクオリティも上がったように思います.この点は我々教員にとっても興味深いことでした.

とはいえ,全33の展示作品を眺めていてとても気になったのは,ギモーブの付加価値である体験のストーリーをそれぞれのグループが競い合うかたちになること(課題としてそこに焦点を当て,それを評価すること)で,肝心の主役のギモーブの存在が薄まってしまうことです.

 

ビア・ギモーヴはそれだけで十分に素晴らしい魅力を持っているお菓子です.「お菓子を食べること」と「ものがたること」は,歌声を引き立てる楽器の演奏のようなアンサンブルとなる関係を想定していましたが,いくつかのチームの成果物はストーリーを付加することを焦るあまり,中身を覆い隠してしまうかのような成果物の説明になってしまっていたのは,我々の指導不足だったかもしれないな,と反省しています.

「包む」ことで見えるようになる何かがあり,また,それによって同時に見えなくなることがあります.我々は果たして何をデザインしようとしたのか,その両義性を痛感しました.パッケージって難しい.

 

かわさきコンフィズリー2016発表会のお知らせ

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2016年度インタラクションデザイン基礎演習の応用課題(8週)「かわさきコンフィズリー プロジェクト」の発表会を行います。

 

本年度はオリジナルなギモーヴ(フランス風マシュマロ)を題材に、地域性をもった商品企画およびそのプロモーションウェブサイトを制作するという課題を行いました。演習を設計する立場としては、基礎的な演習だからこそ、個別の要素技術を習得するよりも、目に見えにくい因果関係に学生達が気付いていく過程には気を配ったつもりです。学生達は直売所や地域でフィールドワークを行い、そしてギモーヴがどんな材料からどのようにつくられるかを間近に見て、自分の舌で味わい、開発したパティシエさんの想いを理解した上でデザインに取り組んでいます。

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短い時間ですが、外部の方にも公開しますので、もし見学をご希望される方がいらっしゃいましたら、是非キャンパスまでお越し下さい。可能でしたら事前にご連絡を頂けますと対応しやすいです。

 

在学生、OBOGの参加は大歓迎です。後輩達の苦闘に叱咤激励をもらえるとありがたいです。

 

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日時=7月18日(月・祝)16:45~18:30

場所=専修大学生田キャンパス1号館3,4F(DS1,DS2,PS,WS)

発表者=ネットワーク情報学部2年次インタラクションデザイン基礎演習履修者130名

 4クラス計33チーム

演習担当教員=上平崇仁、栗芝正臣、星野好晃、満島弘

協力=株式会社ブールミッシュ / ブールミッシュ製菓アカデミー

   クラフトビア醸造所ムーンライト

ロゴデザイン=満島弘(SHELL COLLECTING

 

※18:30からささやかなパーティを予定しています。

 

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以下、演習教材より転載

 

■ 課題背景

 

日本人の風習として、旅から戻った時や挨拶に行く時など、さまざまなタイミングで、お土産、手土産としての「贈り物(ギフト)」が行われます。そしてその際に、ちょっと上質なお菓子をチョイスすることはとても多いと言えます。

 

ところが,東京土産,横浜土産のお菓子はたくさん作られていても,不思議なことに「川崎」にまつわるお菓子はほとんどありません。川崎市はもともと工業が盛んな地域で、近隣にあるような観光都市ではなかったことはその一因でしょう。ですが,地域発の商品は、観光地そのものが持つ魅力とは本来関係なく、アイデアと腕次第で生み出せるはずです。

 

特定の地域にまつわるお菓子とは、いったいどんな要素や関わり合いの中で成り立っているのでしょうか。我々はいかに贈る側、贈られる側、それぞれの体験の中に「ものがたり」のきっかけやひろがりを埋め込むことができるでしょうか。この課題ではここに焦点を当て「かわさきコンフィズリープロジェクト」を実施してみたいと思います。

 

■ かわさきコンフィズリーVol.1 :ギモーヴ

ブールミッシュという日本における本格的フランス菓子の草分け的存在の洋菓子メーカーがあります。代表の吉田菊次郎さんは日本を代表するパティシエ として広く知られています。この洋菓子メーカーと専修大学IxD演習のコラボ企画として、新しい地域限定ブランドの一つとして、「かわさきコンフィズリー」というプロジェクトを立ち上げました。コンフィズリーとはフランス語で「砂糖菓子」の意味です。

 

今回はかわさきコンフィズリー第一弾として、ブールミッシュ製菓アカデミーのパティシエである村松さんが,新商品「ビア・ギモーヴ+ブルーベリー・ギモーヴ」の二つの味を開発して下さいました.ギモーヴはフランス風マシュマロで不思議な食感が楽しめるお菓子です.

 

ビア・ギモーヴは,隠し味に向ヶ丘遊園のビール醸造所ムーンライトのクラフトビールを使用しています.またブルーベリー・ギモーヴは地元産のブルーベリーを使用して作られます.

 

これは,川崎市に関係のある材料を利用し、地域のイメージアップを目指した川崎市内の特定の場所でしか買えない限定商品です。最近は高品質のデザートはあちこちで買える時代ですので、砂糖菓子の「味」だけではなかなか選ばれません。人々にとって思い入れのある体験にしていくために、ある特定の文脈によって、美味しさが倍増して感じられる、というような、もうひと味違う付加価値が欲しいところです。

 

課題1. ギモーヴのパッケージ制作(グループ課題)

全国いつでもどこでも買える商品ではなく、限定された条件ならではの魅力をよく分析した上で、単なる容れ物としての商品パッケージではなく、このギモーヴを介して、人々が誰かと共有したくなるような特別な"体験"が埋め込まれたパッケージ(ネーミング、箱の仕掛け、売り方、関連する情報、インタラクションを含む)のデザインを制作してください。


課題2. プロモーションWeb制作(個人課題)

グループで企画したギモーヴの魅力を顧客へ届けるためのプロモーション用のwebサイトを制作してください。 どのようなタイミングでアクセスするのか、タッチポイントを考慮してデザインすること。また、マルチデバイスに対応すること。

 

■ この課題のねらい

  1. 顧客の体験を起点にした小ロット製品の企画およびデザインすることを通して,
    情報過多社会における豊かな価値のあり方について考察し,自分なりの解釈を深めること.
  2. 伝達型の授業で教えてもらう知識ではなく,自らの主体的な行動によって社会の中での魅力的な商品のあり方,情報の伝え方を学ぶこと.
  3. 情報のないゼロの段階から,企画立案し具体化していくために必要なプロセスを
    理解すること.
  4. チームによる情報収集,アイデア発想,における共創や役割分担を通した
    コミュニケーションの方法を体得すること.
  5. 体験のデザイン,グラフィックデザイン,ウェブサイト制作に関する
    実践的なスキルを体得すること.

 

 

触れる情報をデザインできるか

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インクルーシブデザインに取り組んでいる友人のNPOが「五感ミュージアム」というのを構想している.障害者でも健常者でも楽しめる五感を組み替えていくようなアトラクションや展示物がつくれないか,という話のようだ.「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」が有名だけど,たしかにいろいろな可能性はあるように思う.

その話を聞かせてもらったときに,僕が喩え話で出した「県ごとの人口が重さに変換されており,触って比較出来るような日本地図」が割と面白がられたので,とりあえず研究室の学生とプロトタイプを作ってみようか,ということになった.まずは日本地図のパーツを用意しなきゃ,と材料を検討していたところ,ネットで売っているのを発見したそっちを購入することにする.菊爺という山口県のおじいさんが,自分の山のヒノキから削りだしてひとつひとつ手作りしている「組み木 日本地図」.

実際に県ごとに分割されたパーツを手で触ってみると,なかなか面白い.それぞれ不思議なかたちをしているものだ.ここに重りを仕込むのはなかなか難しそう(東京都小さすぎ!)だけども,たしかに見ただけでは分からないが,触ってみることで新しく感じれるものがある.

"世の中は怖い"ところなのか

withnews.jp

数日前に大きな話題になった記事.グリーの人が炎上を防止するために講演してまわっているという話.

 

スクリーンに東京・渋谷のスクランブル交差点の写真が映りました。真ん中で制服姿の少女が、学校名と携帯番号を書いたボードを掲げています。

みなさんにお願いがあります。ボードに自分の大切な情報を書いて、渋谷の交差点に30分ほど立っていて欲しい。


子どもたちが「えーっ」と顔をしかめます。

そうですね。僕も、そんなことしたくない。でも実はこれ、毎日世界中で大人もやりまくっていることです。インターネットにものを書くということは、この交差点に掲げることと同じなんです。

 まだこの交差点の方がましなくらいです。通る人は1日たった40万人。しかもボードを下ろすことができる。でも、インターネットは違う。一度あげたら二度と下ろせません。全世界に公開され続けます。

 

こういった導入からインターネットになにか書くと言うことは,自分の家の玄関ドアの表に張り出すようなものだ,だから書いちゃいけないことは絶対に書かないように気を付けよう,と説いている.

 

この記事はかなり反響があったようで,「未然に防ぐためにもこういった啓蒙は重要だ」というコメントをしている人が多い.

 

確かにいわゆるバカッターのように,何か悪さをしたことをネットに気軽に書くことはそれがどれだけ危ないことなのかを知っておくことは重要だと思う.多くの若者は自分の身近な範囲しか見えておらず,人を介して伝播していくスケールを想像できてないわけだ.それを教育でなんとかしようというのは意義あることだし,必要性はよくわかる.でも,そこから派生して,「世の中は怖いところだから,個人情報は絶対に出してはいけない.他人を信用してはいけない.」という話全般にすりかわってしまうとすると,ちょっとなぁ,と思うのである.

 

「悪いことをしない,書かない」ことと「世の中は怖いところ」はけっこう別なので,もうすこし踏み込んで考えたほうがいいではないだろうか.

 

例えば,個人的な情報をネットに公開することをあたりまえに運用している社会もある.デンマークのdbaは市民に根付いている個人売買サービスだが,売りたい人はみんな(※全員というわけではないが)電話番号や住所を公開している.

 

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出品されている商品をクリックすると,googlemap上にプロットされて家も電話番号も丸わかりだ(※なんか気が引けるので一部読めないようにした).これは日本からキャプチャしたから,実際に世界中に公開されているわけだ.でも,売っている場所がわかることで「自宅住所から半径5キロメートル」とかで検索できる機能がつくられている,そしてその場で電話かけて交渉して「まだ売ってる?よかった.もうちょっとまかんない?OK, じゃあその値段で買う.今日の仕事帰りに受け取りに行くわ」とたったの1ステップで必要なものを安く手に入れてしまうのが彼らの日常である.

 

こういったやりとりは日本人の感覚からは異常だし,個人情報を出すことは危なくないのか,と不気味がられると思う.でもデンマーク人には広く愛用されているサービスだし,すくなくともずっと運用されているということは「悪い奴はいてもルールを守らない人が罰されるべきで,たいていの人は悪いことはしない.便利なシステムを変えることはない」というのが社会の中で合意されているからだろう.彼らはリスクをとってそういう「ラクにモノを手に入れられる」判断をしているわけだ.日本のフリマサービスはそれに比べて何ステップかかっているのだろうか,

 

電車のシステムもそんな感じだ.無賃乗車しようと思えばできるシステムだが,不正する人が罰されるという運用だ.

 

kmhr.hatenablog.com

日本だと一人でも悪いことをする人がいないように,システムの側で一括して規制をかけるということ(切符を買わないと乗れないとか)になると思うが,デンマーク社会はそういった判断を人間の側にさせている.つまりルール違反した場合は自分で罰の責任とるのだ,ということを日々自覚させる仕組みになっていると言える.

 

デンマークは小さい国だから.という説明はできるかもしれない.でもコペンハーゲンは都市圏では100万人規模だし,外国人も多くて犯罪率も日本より高いから,小さいことだけが理由じゃないだろう.

 

それよりも,この考え方の違いは,「他人を信頼しているかどうか」が大きく影響しているように思う.

 

デンマークは,OECD諸国で他者への信頼度がもっとも高いようだ.驚きの8.3!

For example, trust in other people is an important component of social capital. In Denmark trust in others is  by  far  the  highest  among  European OECD countries:  on  a  scale  from  0  (“you  do  not  trust  any  other  person’’)  to  10  (‘’most  people  can  be  trusted’’),  the  average  score  given  by  the  Danish  is  8.3,  while  the  European OECD average stands at 5.8.

How’s Life in Denmark? OECD Better Life Initiative

 

一方で,我々日本人は,「他者一般を信頼する率は,他の国の人々と比べてかなり低い」らしい.

 

以下,山岸俊男先生の本より引用

 (日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点 )

 

この調査(日本の統計数理研究所が行っている社会調査)は,日本人2000人とアメリカ人1600人を対象に質問紙調査を行っているのですが,その結果を見ると日本人よりもアメリカ人のほうが他者一般に対する高い信頼感を示しているのです.

 

この調査ではさまざまな質問がなされているのですが,他者一般に関する質問は三つあります.その一つは「たいていの人は信頼できると思いますか,それとも用心するに越したことはないと思いますか?」という質問なのですが,この答えを日米で比較してみるとアメリカ人の47%,つまりほぼ半数の人が「たいていの人は信頼できる」と答えたのに対して「日本人では同じ答えをした人は26%,つまり4人に1人しかいないという結果になっています.

こうした傾向は他の関連する二つの質問でも変わりません.

第2の質問,「他人は隙があればあなたを利用しているとおもいますか,それともそんなことないと思いますか」に対して「そんなことはない」と答えている回答者がアメリカ人では62%もいるのに対して,日本人は53%で,やはりアメリカ人の方が他者への信頼感が強いことをがわかります.

さらに,「大抵の人は他人の役に立とうとしていると思いますか,それとも自分のことだけに気を配っているとおもいますか」という質問に対して,アメリカ人で「他人の役に立とうとしている」と答えた人は47%いたのに対して,日本人回答者は19%に過ぎないという結果がでて,日米差がますます開いています.

 

人種の混ざりあう大国アメリカよりも,日本の他者への信頼率は低い,という非常に悲しいデータ.日本人は組織力が高そうに思っているけど,どうやらそれは幻想らしい,

 

先の記事への反応も,こういった国民性が強く反映されている気がする.信頼しあってないから他人はだましたり攻撃してなんぼという風潮は強まるし,攻撃されないように自分の身は未然に守ろうと,お互い疑心暗鬼になっていくという悪循環があるわけだ.この殺伐とした感じは肌感覚としてよくわかる.(この感覚の差に帰国してから僕は苦しんでいる)

 

なお,山岸先生によると,他者を信頼するということは,決して「単なるお人好し」ではないそうだ,

 

高信頼者は,他人との協力関係を築こうという気持ちは持ちつつも,その協力関係がかならず築けるとは楽観視していないということでもあるからです.「ひょっとして自分は裏切られるかもしれない」ということも知りつつ,それでもなお協力関係を結ぼうとするのが彼ら高信頼者であるわけです.

 

しかしそのような失敗の可能性を知りつつも,なぜ高信頼者は他者との協力関係を気付こうとするのでしょうか.

 

それは例え失敗のリスクがあったとしても,他者と協力関係を築くことにはそのリスク以上の意義があることを知っているからでしょう.分かりやすく言うならば他人と協力し合うことで得られる成果は,裏切られる悔しさよりもずっと大きいことを知っているということになるでしょう.

また,それと同時に人生とはギブアンドテイクなのだから,まずは自分が「ギブ」,つまり協力行動をしない限り,何も始まらないということを彼らは知っているのだと思います

 (前掲書)

 

このくだりは,デンマーク社会が生産性の高い仕組みをつくるのがうまく,また幸福度が高い理由を言い当ててる.デンマークと日本では社会が違う,と言ってしまえばその通りなのかもしれないが,彼らももとからそういう社会だったわけではなく,略奪のバイキングの国であり戦争ばかりしていた国なわけで,信頼度が高いのは.ここ100年ほどそういう国づくりをしてきた教育の成果なのだ,ということは我々はもっと考えなければならないことなんじゃないか,と思う.

 

ネット炎上を防ぐことは大事なことだ.でも「世の中は怖い」と他人を信じない傾向や萎縮する傾向が必要以上に強まっていくとすると,先の統計結果を待つまでもなく,我々日本人がパブリックマインドをなかなか持てないことと深く繋がっている気がして,なんだか切ない気持ちになる.我々ももう少しお互いに信頼しあえる社会になればいいな,と思う.

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 「笑顔はブーメランのようなもの」コペンハーゲンのバスの中の標語より.

 

ACTANTにJoinしました

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友人の南部さんが率いるサービスデザインのコンサルティング会社のパートナーになりました.大学での業務はそのまま続けますので,時間を割くことはなかなか難しいですが,並行して参加していきたいと考えています.

 

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なんでまたいきなり,と僕を知る人には思われるかも知れませんが,ここのところコンサルティングのような形で企業や自治体から依頼を受けることも増えており,仕事として受ける場合の諸問題に困っていました.そういうわけでビジネス面でのパートナーがいることは心強いことです.これで研究として見出したことをビジネス的に展開できる可能性もぐっと高まりました.

 

なにより,ACTANTは南部さんや武山先生はじめ,少数精鋭の優秀なメンバーが揃っており,彼らと仲間として議論出来ることはとても刺激的なことです.社名のACTANTとはラトゥールのアクターネットワーク理論に由来しています.南部さんの熱い文章からも,彼らが何を目指しているのかが見えてくると思います.

 

actant.jp

ANT の特徴は、あらゆるネットワークを常に揺れ動く動的な状態として捉える点にあります。アクター同士は独特の方法でお互いに影響を与えあっていて、社 会的なネットワークそのものはアクターの行為やつながりがもとになって、常に生成されていくものとして分析される。

 

また、同じアクターであっても、異なる プロセスや文脈においては異なる機能を持つこともあり得る。つまり、ネットワークは有機的な存在であり、空間軸と時間軸を同時に持ったダイナミックなモデ ルとして考えることができます。

 

一番の大きな特徴は、その有機的なネットワークを構成する要素として、アクター=人間だけでなく、動物や自然、あるいは人 工物といったモノの世界も対等に扱う点にあるでしょう。

 

西欧的な考え方においては、人(主体)とモノ(客体)は、お互い決して相容れないものであり、人が モノに従属したり、モノが人を従属させたりすることは否定されてきました。人とモノとの協働性や相互浸透性が正面から論じられることはありませんでした。

 

対して、あらゆる境界を柔軟に考えるANTでは、モノは行為主体であり、周囲に影響を与える中心的な存在として論じられます。

 

ACTANTという社名には、ラトゥールが目指したことを敷衍しつつ、近代デザインの枠組みを批判しながら、もう少し妥当なデザインの枠組みを構築できればいいな、という思いが込めてあります。

 

換言すると、近代デザインを乗り越えた先にあるデザイン的なるものの実践を、営利活動として健全に成り立たせながら取り組んでいく、ということが弊社の目標であるともいえます。

 

未だ形になっていない領域の評価軸や型は未だどこにも存在していません。そのため、弊社では、短期的なクライアントワークでは取り組むことが難しい研究開発的な側面も重視しています。

 

 

忙しい日々ですが,長期的な視点を育むためにも,自分自身の毎日の中にデザインの問題を多角的に捉えられる環境を構築していくことは重要です.大学での教育だけでなく彼らとのシナジーも大事にしたいと思います.

 

 

デザインとは,誰がするもの? 

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大学の父母組織向け冊子のコンテンツ「知的好奇心いろいろ」というシリーズで,専門分野についての紹介の依頼があって寄稿しました.冊子だとだれも読まない気もしますので,ここにも転載します.

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デザインとは,誰がするもの? 
CoDesign:もうひとつの北欧デザインの潮流

 

 

みんながデザインに関わる時代
ここ最近,デザインに対する捉え方が変化しているのをご存じでしょうか.10年ほど前までは「デザインはデザイナーがするもの」という見方が支配的でした.美術学校でクリエイティブな訓練を受けた才能ある人が行う特別な仕事として捉えられていたわけです.しかしながら,デザインとは,問題を発見してそれに対する創造的な解を生みだし,それを具体化すること.今ではそんな広義の解釈が拡がり,多くの社会の現場でその有用性が知られるようになりつつあります.その考え方や方法は誰でも使えて身近な問題に適用できます.今や世界中のビジネスコンサルタントや医療関係者もデザインに取り組んでいる時代です.


ゴミ箱をめぐるデザイン
多くの人が関わりはじめたことは喜ばしいことですが,その一方でデザインの問題は複雑化してきました.デザイナーは決して魔法使いではないので,個人では対処することが難しいことも増えています.
身近な例として,オフィスのゴミ箱を題材に考えてみましょう.例えば「ゴミ箱の形をデザインする」というシンプルな問題として捉えれば,デザイナーが低コストで美しいプロダクトを創り出すかもしれません.ところがこれはよく考えれば厄介な問題です.オフィスのゴミは事業系ゴミであり,通常の家庭ゴミのように自治体の収集ではなく民間業者に委託しなくてはなりません.ゴミ箱の大きさはゴミの量だけでなく,回収の頻度と関係してきます.ゴミ箱のサイズを勝手に決めるわけにはいきません.またゴミを集めている人はどうやって回収して掃除しているのでしょうか.中身を取り出すのが難しい仕組みを勝手に取り入れてしまうと,清掃員の方々に気の毒なことです.清掃員のおばちゃん達はゴミ回収という仕組みを持続させるための重要な役割を担っています.また分別の動機付けはどうすればいいのでしょうか.人々が積極的に分別させるためには,めんどくさがり屋の心理も考慮しなくてはなりません.さらに分別すべきと思っていても,みんなが間違えるならば,設置の方法や表示が失敗している可能性があります.間違わないためには,人間の認知の仕組みをよく考慮する必要があります.そもそもゴミ箱の中のゴミをひとつひとつ観察してみると,まだ使えるものがゴミになってしまう状況やゴミが出るようなパッケージそのものにも疑問がでてきます.そう考えていくと,たかが(?)ゴミ箱といえども社会的な問題が絡み合った非常に複雑な仕組みの問題であることが見えてくるかと思います.つまり,よりよい本質的なデザインの解をめざすならば,色や形といった目に見えやすいことからもっと踏み込んで問題を捉え直す必要がありますし.そのためには関係する人々の視点や活動を取り込むことが大きな意味をもってきます.

 

CoDesign:社会の人々と共にデザインする
人々の力を集めながら組織的にデザインのプロセスを進めていこうとするアプローチは、Co-Design(参加型デザイン)と呼ばれています.人々はただ使う「ユーザー」ではなくデザインの「パートナー」であるという考え方です.私はもともとグラフィックデザイナーですが,こういったデザインをとりまく行為者や創造的な環境に関心を持ち,当事者の視点やプロの支援などの役割分担を活かしたもっとよい共同体の仕組みをつくれないか,ということを目指して研究を行っています.
2015年度には在外研究としてデンマークに滞在し,CoDesignの調査研究を行いました.北欧デザインというと,一般的には高品質なインテリアデザインがよく知られていますが,もうひとつ,デンマークは福祉大国ならではのカルチャーを活かしたCoDesignの発祥の地であり,今でも先進的な試みがたくさん行われている拠点です.1年の間,フィールドワークを重ねて沢山の事例を調べましたが,高齢者や障害者,子供たちなど,通常は除外されがちな立場の人々にも耳を傾けてじっくりと対話し,デザインに効果的に巻き込んでいく姿勢や,それぞれが持っている個別の資源を無駄にしないで,軽やかに連携したエレガントな仕組みが街のすみずみに浸透していました.そして社会の人々が協同でデザインする文化的な厚みが,結果的に世界で最も高い幸福度に繋がっていることを痛感しました.

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(写真1)デンマークのある小学校の校舎につけられた滑り台。子供たちが出した遊び心あるアイデアを建築家が実現した。

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(写真2)デンマークの老人ホームにて。高齢者向けのスキルシェアリングサービスのデザインパートナーとして開発に参加している高齢者のチーム


日本における展開?

さて,CoDesignの考え方は日本社会に適しているのでしょうか.日本は伝統的にタテ社会で,それぞれの領域を守り謙譲することが美徳ですから,フラットに対話するのはなかなか難しそうです.そして社会心理学の知見によると,日本人が顔なじみでない他者一般を信頼する割合は,世界の中でも極めて低いそうです.残念ながら,我々の民族特性は,CoDesignに必要なマインドセットとは真逆のようにも思えます.
その一方で,現在のグローバル化が加速する社会においては,既存の枠組みを壊して再構成することが重要になってきています.例えば最近のサービスの成功事例であるアメリカ発のUberAirBnBなどのシェアリングサービスは,他人同士で連携し余っているリソースを共有していくことが特徴のサービスです.また,この先日本では労働人口が縮小する中で外国人の人々と一緒に共同体をつくることも増えてくるでしょう.そういう異なるモノが混ざり合ってイノベーションを生みだしている世界の潮流の中において,我々は無関心のままでいられるでしょうか.

ひとつの期待として考えているのは,「モノやコトは,人の体験や行動を変える」ということです.丸いテーブルはインフォーマルな会話を活性化しますし,いいカメラを買うと散歩することが楽しくなります.同じようにCoDesignのアプローチも,それを実践しながら我々の社会がもっと協力し合える社会になることに貢献できるのではないかと思っています.デザインを身近に感じるためにももっと楽しくデザインに関わる体験が必要です.私が日本でCoDesignのような試みを行っているのは,デザインによって日本人のマインドセットを変えつつ,いい社会をつくっていくことができないか,という自分の小さな挑戦でもあります.