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みえないものを、みる視点。

〈読書メモ〉良くしようとするのはやめたほうがいい

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横浜コミュニティラボのMさんのfbで知った小冊子。この「良くしようとするのはやめたほうがいい」という、ギクリとさせられるタイトルだけで読みたくなって取り寄せてみた。我々は深く考えることもなく「よくする」という言葉を使いがちだ。内容は横浜寿町の福祉センターで長年相談員として勤められた村田由夫さんの講演録をベースにしたもので、ドヤ街のアルコール依存症患者たちと関わり続けた当事者による経験談として大変興味深かった。

 

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(以下引用)

この良くするってことはね、やっぱりどうあがこうとも、ある側面では、相手を支配したり管理したりっていうことですよ。で、これに対して、パワーレスというか、そういうこと(相手を良くすること)はできないんだ、ということを受け入れる、認めるってのは非常に大事なことのような気がするのです。

<中略>

もう一つ、AA(※アルコホリックアノニマスというアルコール依存症の人達のミーティング)の人達が使っているステップは、12まであるんですが、全部過去形で書かれている。例えばですね、「無力であるということを認めた」とか「自分が回復するんだっていうことを信じるようになった」とか。それから、あるいは「自分自身の間違いを、気がついたならば、直ちに認め改めるようにした」とか「この方法を、苦しんでいるアルコール依存症の人達に伝えるように努力した」とかですね。ぜんぶ過去形で書かれている。

 

なんで過去形なのか、考えてみると、この場合の過去形というのは、個人の気づきですよね。だからこの方法は強制じゃないんです。こうしろとかああしろ、とかの強制ではない。

<中略>

アルコール依存症の人達の状態というのは、薬物依存だとか摂食障害の方々だとかあるいはギャンブル依存なんかの人もそうなんですが、どんな意見でも,他人が自分のために心配してくれるような内容の話は、一切耳に入らないみたいですね。それがどんなに善意からでた言葉でも(善意というのはまあ「カッコ」付きですけどね)耳に入らない。

<中略>

そのかわり、私はこうだったっていうこと、他人のことじゃなくて自分自身がこうだった、っていう風な話、これはね、ふっと耳に入ることがある。

<中略>

ところがその、他人の、正直なその人自身の話だけにはふっと反応するんです。そういう力だけはかろうじて残しているんですね。死の瀬戸際まで。不思議ですね。

<中略>

で、そういう話を聞いた仲間が、同じようなことをしていたとフッと気がついて、段々段々、自分を取り戻してくる、そういう力みたいなものが沸いてくるんですね。これはなんというのかな、人を変えようとか、良くしようとかする中からでてくるんじゃなくて、みんな無心に自分のことを話し、人の話を聞いてくる中から,生まれてくるんですね。

 

(引用ここまで)

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「よくする」ってのは確かにそう言う一面があることには同意する。それにしても、まったく聞く耳を持たない人が、「その人自身の話だけにはふっと反応する」ってのは実に興味深い。当事者による語りがそれぞれの感情を重ね合わせるというのは、数日前に書いたイスラエル人とパレスチナ人の対話ワークショップで起こっていることと、とても似ているように思う。

kmhr.hatenablog.com

 こういう話を読むと、原始的な人間の心は、個人から切り離されてない主観的な言葉に動かされるのだな、と思うし、若者がサーチエンジン検索よりSNS検索や口コミを重視するという傾向とも辻褄が合う。

 

人は見たいものを見るし、自分に都合の悪い情報は遮断してしまう。なにかの情報を客観的に「伝える」ことにはどうやら限界がありそうだが、そんな中でもコミュニケーションの原始的なかたちである、わかちあいが生まれる「対話」にこそヒントがあるのかも知れない。