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みえないものを、みる視点。

目をあわさないコミュニケーション

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2/5(日)は用事の合間を縫って横浜まで、慶応SFC加藤研の「フィールドワーク展:たんぽぽ」を見に行ってきた。学生達の研究も大変密度が高くて素晴らしかったのだが、加藤先生自身の活動もいろんな取り組みが僕よりも何歩も早くて、活動を知る度に驚きと悔しさを同時に感じる。例えば、来年学生達と屋台をやってみようって計画を進めていたら、それは「カレーキャラバン(の影響)だね」と同僚の先生に見抜かれてしまうし、その話を加藤先生に話したら、「いや屋台はでかいから、なんだかんだで機動力に難がある。だから屋台じゃなくて僕は今『おかもち』やっている。これならどこでも持って行ける」とあっさり新作を目の前に出されてしまった。

うう。おかもちが「出前」の意味合いをもったままコミュニケーションを生む道具に変化するとは。しかもおしゃれだ。写真はOkamochi ABSINTHE(フランスのリキュール) 。

 

 

vimeo.com

こちらはおかもちコーヒー。(Okamochi Coffee) 素晴らしい。

 

で、「学生達が『自分たちはコミュ障だけど、ワークショップでなら街の人達と喋れる気がする、それを通してコミュニケーションを生む場をつくりたい、なんて健気なこといっているんですよね」という話していたら、加藤先生が「それはとても大事なことで、例えば料理していれば、目をあわさなくても済むじゃないか!」と(カレーの鍋で肉を一生懸命炒めながら)仰っていて、ものすごく納得した。

 

なるほど同じ状況を共有しながらも目をあわさなくても済むから、ドライブ中の運転席と助手席の会話は気楽なのか。逆に言えば目をあわさなければならない状況はコミュニケーションの逃げ道がないから圧力(プレッシャー)が高まるわけだ。バーベキューや料理教室のような、なにか別のものを一緒を見ながら会話が起こる場が最近の男女の出会いのきっかけとして流行しているのも繋がる気がする。

 

帰り道にぼんやりと場を分類するためのマトリックスが浮かんだのだが、そういえば10年前にそんな共同研究をしていたことを思い出した。

皆さんも実感したことがあるかと思いますが、マテリアルがなく「会話自体がコンテンツ」となるコミュニケーションの形態では、お互いの立場がすでに決まっていることが多くて親密なコミュニケーションは生まれにくいでしょう。

 しかし、食事などのリラックスした場に「ごはん」というマテリアルがある場合は、それがコミュニケーションを発生させる要素となり、活発な会話が生まれてお互いの親密度がアップするのです。

 (「テーブルを介したコミュニケーション分布図」。観察調査は、専修大学ネットワーク情報学部の上平崇仁准教授と同学部の学生の協力を得て実施された

テーブルを介したコミュニケーションデザイン − @IT

 

過去の経験をもう一度分解して、アップデートする必要があるな。

 

あと、「継続課題」は以前自分も学生に出したことがあるのだが、自分はやってなかったので挑戦してみよう。春休み期間が終わる(3/31)まで、簡単な記事でも1日1本をブログ書いてみるか。

 

加藤先生、そして加藤研究会のみなさん、大変素晴らしい研究発表で刺激になりました。ありがとうございます。