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みえないものを、みる視点。

習慣を自然につくるには

先日、卒業研究発表会で子供の片付けをテーマにしている学生と話したあとに考えたこと。片付けは一時的に整頓して解決するようなものではなく、日々のルーチンとして「習慣」を作ることの意味が大きい。たとえば、収納する場所をつくること、その対応を覚えること、タスクが切り替わるときに片付けモードを思考に組み込むことなど。経験デザインの対象としては、一時的にハッピーな気持ちになる、というものに比べて地味だし結構難易度が高いものと言えるけれど、たまに感心するような事例に出会うことがある。

 

先日、うちの3歳児が歌っていて知った、「あわあわ手あらいのうた」(ビオレ)は大変良くできていると思った。手洗いの最中に歌を歌いながらあわせてポーズをとっていくと、終わる頃には洗い残しのない手洗いができるというもの。

 

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あわあわ手あらいのうた | ハンドシリーズ | ビオレu | 花王株式会社

どうやら2011年頃につくられた映像のようだが、なにより凄いのがまだちゃんと読み書きも出来ない小さな子供たちが最後までフルコーラスで歌えて、自分から楽しそうに進んでやる、という動機までデザインできていることだ。

歌→ストーリー→ポーズ→手洗い→感染防止 が同時に成り立っているわけだが、本当は逆なんだろう。特に小さな子供にとってはもともと身体経験は一体なのだ。

 

年長組ぐらいになるとクラス全体で30分ほどの演劇ができるようになるが、台本もないのに全員がセリフを完全に覚えられているのも、個別の言葉ではなく一連のストーリーのあるパフォーマンスをステージ全体の位置づけでつかむかららしい。たしかに気を付けて観察すると、ひとつひとつのセリフを発する際にはオーバーなほどのふるまいが同時に行われている。子供に方法をインタビューしてみたら、やはり「個別のシーンじゃなくて、ストーリーの最初から最後までを、遠し稽古としてくりかえしくりかえしやる」とのことだった。

 

考えてみれば学生時代の勉強の工夫だって同じようなポイントがあった気がする。書くなり発話するなり物語にするなり、個別の知識ではなく複合的に捉えることが大事だというのはみんな経験していることだ。そうして全体として捉えることで自然に身体化されて習慣にもなっていく。日々パソコンに向かっていると、たまにそういうあたりまえのことを忘れそうになる。