何年か前に買った「老子」の思想についての解説書を本棚から取り出してみた。そういえばこの本を買ったのは、僕がデザインにおける姿勢/態度を説明するときに時々使う「柔よく剛を制す」という言葉が、日本発祥ではなくて、老子の思想だということを知ったためである。不勉強で知らなかった。老子は実在したかしなかったかもはっきりしないけれども、書籍にまとめられた言葉は2000年経った今の社会でもあちらこちらに現存している。
「老子」のおもしろさは、次には逆説的文法が縦横に駆使されていることである。逆説とは、論理学のパラドックス(Paradox)の訳語である。
<中略>
「柔弱が剛強に勝つ」とすることは世の常識からすれば正反対である。柔と剛についてはともかくとして、弱と強についていうと、この二文字の持つ本来の意義を完全に逆転させるものである。しかしそれでいてなるほどと首肯させる説明が与えられればそこに逆説的論法が成立したことになる。
老子には、こんな言葉がある。
生而不有、為而不恃、功成而弗居(老子 第二章)
うん、漢字の羅列で意味は全くわからない。
書き下しでは、
「生ずるも而も有せず、為すも而も恃(たの)まず、功成るも而も居らず」
となる。
これでも・・・ほとんど意味はわからない。
前後の文脈を含めて現代語に訳すと
世の人々は皆美しいものを美しいと感じるが、これは醜い事なのだ。同様に善い事を善いと思うが、これは善くない事なのだ。何故ならば有と無、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、これらは全て相対的な概念で、音と声も互いに調和し、前と後もお互いがあってはじめて存在できるからだ。
だから「道」を知った聖人は人為的にこれらを区別せず、言葉にできない教えを実行する。この世の出来事をいちいち説明せず、何かを生み出しても自分のものとせず、何かを成してもそれに頼らず、成功してもそこに留まらない。そうやってこだわりを捨てるからこそ、それらが離れる事は無いのだ。
「老子を英訳 第一章~第十章」
となるようだ。(太字が当該部分)
先の解説本にあるように、見事に逆説的な論理によって、簡単に白黒付けずに、常に流れるような柔らかい態度を持つように諭している。
さて、僕はなんでこの言葉を知ったかって?
ブルーノ・ムナーリの名著、「モノからモノが生まれる」の巻頭に、この言葉がエピグラフとして引用されていたからなのだ。イタリア人のムナーリが引用しているのに、同じ東洋人の僕が意味が分からないというのは、なんだか焦らされる。自分の本に銘句として引くとは、相当に彼が大事にしている言葉だったんだろうと思う。たしかにムナーリの仕事のしなやかな態度と、老子の思想は繋がっている気がした。