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みえないものを、みる視点。

【後編】デザインのために“問いかけつづける”こと:SanseSlottetデザイン幼稚園訪問記

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【前編】から3ヶ月ほど空いてしまったが,デザイン幼稚園の見学記の続き.前編で紹介したように,この幼稚園は大変興味深い取り組みを行っており,まずは引き続き取り組みや施設を紹介したい.

 

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既に紹介した施設の他にもさまざまなアトリエが用意されており,この部屋は自然との関係性を学ぶ部屋になっている.室内のインスタレーションは,こどもたちが森から木や枝をひろってきた材料を元に組み立てたらしい.「自然は複合的にできているものだから,触覚・嗅覚いろんな感覚を含めて理解しなければいけないよね.嗅いでみると部分ごとにいろんな匂いがするでしょ?」とマリアン.

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接近してみる.木の枝でできたオブジェには毛皮が組み込まれていた.部屋には動物の剥製や捕まえるための罠(トップ写真の天井から吊されているもの)もいくつかあったので,「これは生態系とかそんな関係性を表しているのでしょうか?」と聞いてみたら,「うーん,単純に手触りの違いのコラージュじゃないかなぁ」とのこと.

 

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それをスケッチする.フィールドワーク→素材選択→インスタレーション制作→スケッチと,ここでも決して各種ワークを単発のものとして扱っていないことがわかる.そしてさらに,ひとまとまりのアクティビティとして併置することで,意識的に他の人々と共有していることも見落としてはならないだろう.

 

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絵画と工作のアトリエ.左側の棚にはさまざまな素材がズラリ.通常の工作用途に使うものだけでなく,いろんな形の(乾燥した)パスタや木くずなど,かなりよく整理整頓して再利用できるように保管されていることに驚いた.マテリアルのライブラリを整備する試みはデザインスクールやfablabなどの専門機関ではよくあるけど,ほぼそれに近い."手"で材質ごとの特性を知るために,とにかくさまざまなものを準備しているようだ.

 

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イーゼルに向かって絵を描く子,オブジェのようなペンを使って絵を描く子.日本の幼稚園では時間割が綿密に決まっていてみんな同じことをするのが通常だが,ここではみんなめいめい好きな活動をしている.こどもたちが自分の意思で選ぶという,主体的な態度を持つためのベースとして大事なことだな,と思う.

 

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みんな恥ずかしがらないで自分が創っている作品を紹介してくれる.この子達は雑誌をもとにコラージュしているところ.

 

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ミケランジェロにドナテッロにラファエロダヴィンチ・・・.驚くべきことだが,彼らは美術史も学んでいるようだ.作者と作品を関連づけた上で,その下は自分たちで描いてみた,という感じかな?「最後の審判」と対応づけられている(と思われる)絵は,ただの人形の絵じゃない.ちゃんと天使のように飛んでいる!w

 

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こちらはレゴによるどこまで高く積めるかのチャレンジの記録.3m以上の高さを達成している.高く積むためには何が必要なのか,どういう構造を持たせるべきか,自分たちで議論しながらトライアンドエラーを繰り返していく.立派な問題解決学習でもあるね.

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ブロックのプール.なんという量.さすがというか,ここにあるものは,何かをつくることを刺激するおもちゃばかり.

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プール前方には,アーティストを呼んで実施したワークショップのドキュメントが.セロハンテープを用いた不思議な彫刻に挑戦. 作品からすると,アーティストはNumen/For Useかな.

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 ゴミを集めてきて子ども達がなにかをつくっている.本当に泥まみれのプラスチックゴミからでも,そこを出発点に真剣に考え,なにかをつくりだそうとしているから凄い.

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シャワールームも完備.汚れることも多いからね,と説明してくれた.ちょっと思い付いたので「いくつかのノズルを用意して,ヘッドの形状を変えると水の出方も変わるという実験の場にするというのはどう?」と提案してみた.「それは考えたことなかった,面白いね」とは言っていたが,まあ実際には急いで身体洗う必要があることも多いし.長時間遊ばれても困るな.

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ゆっくり滞在していたらいつのまにか昼食の時間に.食べる仕組みにも工夫があるようだがちょっとわからなかった.残念.

 

というわけで,幼稚園の取り組み紹介は終わり.

いくつかのポイントを整理しておきたい.

 

1)スペシャリストの採用

ここの幼稚園の特色の一つに,人事がある. なんとグラフィックデザイナーや建築家を「常勤で」採用し,カリキュラムづくりに関わっているそうだ,上で廃品を用いたワークをやっているのはグラフィックデザイナーで,前回紹介した大きなビニールの上で混色するワークは若い建築家の女性だ.こんな独特の採用ができるのはデンマークの柔軟な雇用形態だからだろうな.この国では転職が当たり前だ.

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それにしてもスタッフ写真に見えるが,市立の一幼稚園だけでスタッフが39人(※パートタイム含む)・・・.

 

グラフィックデザイナーの男性は大変フレンドリーな方で,「こどもたちからいろんなインスピレーションをもらっているよ」と笑顔で話してくれたが,ここを調べたかったので,もうすこし突っ込んで聞いてみると,(例えばこどもたちとビジュアルを共作したりとか,幼稚園の各種ツールをデザインしたりとかの)直接の仕事に展開しているわけではないようだ.最初勘違いしたが,デザイナーを雇用しているというよりは.グラフィックデザインの専門知識や考え方を活かした保育士と説明した方が分かりやすいように思う.

 

2)スタッフみんなでディスカッション

幼稚園の中で行われているワークは多くがオリジナルで,スタッフ間でどんなワークがあるといいか,についてはみんなでアイデアを持ち寄ったり,定期的にブレストしたり,とのこと.どのワークも深みをもっているのは,"プロセス"という自分たちの軸を持っていて,こどもたちが体験し,学ぶこととしてこの幼稚園では何を提供すべきなのか,について合意形成と焦点化ができているのだろうと思う.

 

3)コミュニティをラボとして活かす方向は,まだ検討途中

「この幼稚園では,各種専門家や優れた創造性をもった子ども達を抱えて,大変良質のコミュニティを形成していると思うが.それを外部機関と提携して共創したりする取り組みはあるのでしょうか?例えば近くにあるレゴ社のデザイナーがやってくるなど」と質問してみた.それに対して,一緒に商品開発をしたというようなケースはない,ただ近くにあるデザインスクール・コリングの学生はたまに受け入れていて,子供向けの椅子のテストベッドとして長期間協力したりした.との返答を頂いた.教育機関としては大変素晴らしいアクティビティであるが,1)で述べたように内部にデザイナーを抱えていてもどうやらなにかの実験を展開しているわけではなさそうだ.もうすこし子供達や保護者をインクルーションしていくプロセスに強い専門家が入るとまた違うんだろう. ちょっともったいない気がした.コミュニティ自体は内部だけで閉じられているわけではない(だからこそ僕も見学できた)が,幼稚園自体がまだ歴史が浅いこともあり,オープンにすることで生まれる可能性はまだ探っている段階のようだ.

 

 

4)発達段階のこどもたちに対する長期的な問い掛け

デザインの学びとして.身体感覚を通したマインドセットの変容させていくことの大切さはとてもよく理解できる.だけれども,何かをデザインする行為として対象化するためには,どんなにプリミティブなものであれ,自分が見えている世界と他人が見えている世界が違うことを理解する必要があるはずだ.いわゆる"心の理論"とか"他者へのエンパシー"とかの抽象的な段階だ.それは"自我"が確立することと表裏一体だろうし,ある程度の年齢(発達段階)が不可欠なんじゃな いか,つまり,自分の世界と他の人の世界を分けて考えることや,それを共有する課題として繋いだりするという高度なことがはたして幼稚園児にできるの か・・・というのが個人的に最大の疑問だった.

 

それに対してマリアンは,「私たちは『できる』と信じている.長い長い道のりだけ どね」と答えてくれた.なるほど,できるできないを簡単に二分化したりしない,ということだろうな.そもそも,絶対的な基準があるわけでもないわけだから,これには質問した自分の視野の狭さを恥じた.よく考えてみれば,4歳児(※当時)のうちの子だって,他人を助けることの意味や,なにかを贈ったり/贈られたりすることの意味は理解できている.他人と気持ちを「分かち合う」ことができるということでもある.

 

そして,たしかに幼少時の経験は自信(創造に対する自信)にとてつもなく影響を与えるものであり,子供達自身は大人が思っている以上にいろんなことを吸収しているもの.千里の道も一歩から.だからこそプロセスなのだ.マリアン達の"デザイン"に対する信念を具体化したのがこの幼稚園の取り組みということを理解して,とても勇気づけられた.

 

5)「性差」は生まれている気がする

数時間観察しただけなので正確なことは判断できないが,夢中で絵を描いたりなにかを表現していたのは女の子達が中心だ,という印象は残った.写真見返してみればそれに気付くと思う."なにをやるか"は自分で決めていることなので,素晴らしいアトリエがあってもやっぱり男の子は身体動かしたり乗り物系おもちゃに夢中であったり・・・という実状を見て,これは我が子がここに入った場合でもそうなりそうだよなぁ,と推測してしまう.女の子の方が表現を使いこなして積極的にコミュニケーションしている(気がする)のは,成長の早さ以外にも要因があるんだろうか.

 

以上,長くなったが,最後にまとめ.

 

このデザイン幼稚園は,「リテラシーとしてデザインを教える」という市のミッションを高いレベルで実現している場所であった.パブリックな教育機関がこのような取り組みを率先して行うことは大変大きな意味があるはずだ.子供達だけでなく保護者も.高い税金によって公的資金を負担している市民も,そして公共事業を運営する市役所の職員も,"なぜデザインが我々の市に必要なのか,をふかく知ることに繋がるだろう.地道にコミュニティ全体のデザインマインドを醸成していくことで,住民が主体的に取り組むデザイン駆動型のまちづくりが実現されていくのだと思う.

 

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