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みえないものを、みる視点。

共通の敵をつくる増幅装置

Facebookで引用してくださってる先生がいらっしゃったので、東京都高等学校教育研究会での講演(先日作った冊子「すべての人がデザインを学ぶ時代に向けて」に収録)の冒頭の一部を抜き出して掲載します。スライドは以下のエントリ内にあります。

kmhr.hatenablog.com

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便利な時代になって起こったことは
 21 世紀からと言わず、たしか90 年代の半ばぐらいだったと記憶していますが、携帯電話やインターネットは爆発的に普及して行きはじめました。そしてこれからは、「いつでも、どこでも、誰とでも」好きな時間に好きなだけ繋がれる時代になって便利な時代が到来する。それは素晴らしい経験で、そんな便利な機械に囲まれた日々の中でコミュニケーションを取ることができれば、きっと我々は幸せになるに違いない・・・ってことを、当時の人々は結構本気でみんな信じていたわけです。それが2000 年ぐらいの言説です。もちろん今でもコミュニケーションが大事であることは間違いがないのですが、この頃とは様子が変わってきてないでしょうか。


 これは先週(2018 年5 月26 日)の、あるウェブメディアの記事です。 なかなか面白いところを突いていましたので、この場で紹介したいと思います。「スマフォ/SNS 時代の終焉か、シリコンバレーで動き始めた中毒性見直しムーブメント」というタイトルです。

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こちらの記事によると、米国のTween(8歳から12 歳)は1 日平均6 時間、Teen(13 歳から19 歳)は平均9 時間もSNS に時間を費やしているらしいというデータが出てきたんですね[ 図3]。これまではスマフォやSNS というのは、生活を便利にしたり新しいビジネスを生み出したりするだろうということで、基本的にポジティブに捉えられていた。でも、こんなデータを見てしまうと、さすがに如何なものかという悪い印象をぬぐうことはできない。先生方も生徒さん達の様子を見て、日々思ってらっしゃると思います。どうやらSNS はタバコやアルコールよりも中毒性が高いらしく、だんだん無視できない状態になってきている、ってのが世界中で今起こっている議論なんですね。

 

 この運動を起こしているハリス氏によると、この中毒問題は偶然起こったわけじゃなくて、意図的にIT 会社がデザインしているのではないか、とのことです。我々の「心理的脆弱性」、つまり心の弱いところを突くように作られているわけですね。それを毎日繰り返すことで、我々はどんどん中毒になっていきます。我々だって「いいね」ボタンが押されると気持ちよくなるわけです。まして子供達にはもっと影響強くて、「いいね」をお互いに押して押されてどんどん中毒になっていくというわけです。もっと褒めて、もっと認めてと。そういうわけでSNS をつくっている企業は、我々がせっせとコミュニケーションを取るように設計し、相互に中毒状態にさせ、我々はそれを受容して行動を変えていく。「インスタ映え」する場所に積極的に行くなどはそうですね。こういったことは今の時代を生きる我々にとって、非常に身近で大きな問題と言えます。
 

 その一方で、我々の身体自体はずっと昔から基本的に変わっていないわけです。「サピエンス全史」という2 年ぐらい前にベストセラーになった本があります。こちらお読みになった先生方も多いと思いますが、さすがにめっぽう面白いです。ホモ・サピエンスとしての人間の生態を歴史を追いながら説明していますが、特に本日紹介したいところは、この部分です。

 

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我々人間はコミュニケーションを取るときに言葉を使います。 言葉なぜここまで発達したのでしょうか?どうやら「言語は噂話をするために発達した」という説があるんだそうです。集団の中で生き延びるために、誰が誰を憎んでいるか、誰と誰が付き合っているか、誰が正直か、誰がズルをするかっていう自分たちの「敵」を知るために、悪い奴の情報交換するために、人類は言葉を発達させたらしいんですね。それで僕らは言葉を使ってずっと何時間も続けてうわさ話ができるようになった、とユヴァルは書いています。あくまでもそのような一説ですが、とても説得力があるように思います。


 みなさんもご存知のように、噂話というのはたいてい誰かの「悪い行い」を話題にしてますよね。あれはひどい、許せないということを相互に伝え合って不愉快な感情を共有することでお互い納得していくわけです。これがSNS と合体すると、今の社会で何が起こるでしょうか。


 この図をご覧下さい[ 図6]。

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 まず、どこかで誰が一般的に人道に反すること、すなわち悪いことをしたとします。それは本当に悪いことだったかもしれませんし、たまたま誰かがそう思い込んだことかもしれません。悪意をもったでっち上げかもしれません。そこにSNS、つまり意図的にデザインされた増幅装置が合体すると、我々は広範囲で「敵を共有」することができるわけです。この共感は我々の本能的なものなので、それにあらがうのは非常に難しい。

 

 つまり「許せない!」という拳の振り上げをずっと続けてしまうわけです。その結果、私たちは、いつでもどこでもだれとでも、無限に、そう無限に、誰かの噂話を続けるという現象が起こっています。インターネットの中でもワイドショーの中でも毎日のように炎上して、次の炎上が起こって、というかたちでうわさ話が繰り返されていますね。当事者以外の人までが「あれは酷いよなぁ」とか、そういうやりとりを延々と繰り返すはめになっています。共通の敵を持つことで、仲間になって一体感を得られるわけです。本当はむやみにコミュニケーションに浸ってないで自分の目の前の仕事をしたほうがいいに決まってます。でも中毒になっているのでなかなか逃れられない。

 

 どれだけの人が本当は必要もない情報をむさぼってよけいな正義感をかき立てられ時間を無駄にしていることか。そういう現象をよく見てみると、我々の心理的脆弱性が現れているわけですね。これが今起こっていることです。「いつでもどこでも繋がれる社会になって、初めてわかってきたこと」です。多くの人は、生産性を高めるためにコミュニケーションするというよりも、本能的な方向でうわさ話をし続ける方向に時間を費やしてしまうらしい、ということです。

 

 

「いま」を強調する理由
 こちらは藤子・F・不二雄さんのもっとも初期の漫画作品(1953)で、彼らにとっての初めての単行本の1 コマです。中々深いことを彼は18 歳の時点で描いています。「人間は何千年もかかって世の中を進歩させてきた。ところが当の人間自身はほとんど進歩しなかったんだ!」と。たしかに街や住空間はキレイになりましたしいろんな機械が発達してほんの100 年前とも生活環境は様変わりしました。あらゆるものは人間の都合に合わせて作られています。そういう意味では外側は進化しても我々自身の中が進化しないというのはまっとうな指摘だとおもいます。我々の脳は何万年もかかって進化してきたものですから、そんなに簡単には変わらないんですね。我々が理想とした、もっと幸せな時代に生きるってことは人間の都合ということをよく定義しないといけない。表面的な理想だけではなくて、我々の中にあるよくわからない部分も同時に眠っているわけです。コミュニケーション中毒を引き起こすSNS の件では、それが表面化していると言えます。

 

 だからこそ、「いま」ということを、私は強調しています。そこを真剣に考える必要があるということです。一昔前は、誰かに伝えたいことを伝えるコミュニケーションの手段ができれば、もっと社会はよくなるだろうと期待されました。ところが現実を見てみると、そう素直にうなずくことはできない。それはきっとこれからもそうなのでしょう。我々が今の情報環境を受容した結果、何が起こっているか。こういった現状の文脈を無視して、情報をデザインするためのやりかただけを語るべきではないのです。

 

 「情報を伝える」という時には、何かしら作り手側、情報の差し出し側の主観が含まれます。善意から出たことであれ、悪意から出たものであれ、恣意的な「情報のきりとり」とは切り離して考えることはできません。情報をわかりやすく伝えるということは、これまでわれわれが体験してきたように、かならずしもいいことばかりを生むわけではなく、時にダークサイドを作り出すことがあるってことをふまえつつ、我々は情報を扱っていく必要があるだろうと思います。

 

 もちろん一から十まで子供達に教えることはできないにしても、その両義性をよく知ることは不可欠なんじゃないだろうか、自分でいろいろとデザインしてみる中で玉石混淆の情報環境をサバイブするための接し方を考えていくことこそが、すべての高校生が必修として学ぶべきことなのではないだろうか、と思うのです。

 

(転載ここまで)

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ある高校の先生によると、 「誰々先生に〜〜って(ひどいこと)言われた」とクラスのグループLINEに一言発信するだけで、増幅装置が作動してすぐさま共通の敵が作られていくそうで、上に掲載した図はとてもよく当てはまるそうだ。

本当にひどいことなのかもしれないし、中には生徒側の思い込みもあるかもしれない。良い噂より圧倒的に悪い噂が弘まっていくというのは高校だけではなく大学でも社会でもそうである。その悪い噂を信じる前にそれがどんな文脈で発された言葉なのか、そういわれた側に落ち度はなかったのか、そういった多角的に見て本当かどうかの情報を判断できる思考回路が大事だよね、ということを指摘しておられた。

今の高校のクラスでの生活指導は高度になっている。自分の高校時代にはSNS無くて本当によかった。