Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

ドラえもんは実験漫画である

子供が借りてきた藤子・F・不二雄全集「どらえもん」をパラパラ見ていたら、あとがきのページでふと目が止まった。

のび太に起きる困難に対してドラえもんがヒョイと便利な道具を出すのが教育的に好ましくない、という批判に対してF氏が反論したもの。とてもいい指摘だったのでメモがてら一部引用してみる。

 ドラえもんは一種の実験漫画と言えます。常識的に考えられない様な珍道具が、もし日常生活の中に出てきたら・・・と、そこから空想を発展させていく漫画なのです。主題は、その珍道具が日常生活に及ぼすナンセンスな影響にあります。珍道具の入手方法ではありません。だから限られたページ数の中では、極力早く珍道具を登場させることが必要条件なのです。ポケットからヒョイと取り出すのは、この目的に沿った効率的手段です。効率的であることが悪いことであるとは思いません。社会の進歩が有史以来、労働時間の短縮とそれとは一見矛盾する所得の増加という方向に流れているのは周知の事実です。人類はそのために努力してきたと言えるでしょう。

 もし、ほんとにタイムマシンやタケコプターやどこでもドアが手に入るなら、僕はそのためにどんな努力も苦労もいとわないでしょう。親愛なる小さな読者諸君もきっとそうだと思いますよ。

 藤子不二雄自選集4(1981)より

F氏はメディアの制約の中で、道具によって新しく構成される状況こそを描いていたのだ。 なるほど。この反論を読むと、便利道具がすぐ手に入るのが「安直だ」という批判は筋が違うことがよくわかる。