幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学
ダニエル・ギルバート 早川書房 2007
−−−−−−−−
(引用)
人間は、コントロールへの情熱をもってこの世に生まれ、持ったままこの世から去っていく。生まれてから去るまでのあいだにコントロールする能力を失うと、みじめな気分になり、途方に暮れ、絶望し、陰鬱になることがわかっている。死んでしまうことさえある。
ある研究で、地域の老人ホームの入居者に観葉植物を配った。半数の入居者には自分で植物の手入れと水やりを管理するように伝え(高コントロール群)、あとの半数の入居者には職員が植物を世話すると伝えた(低コントロール群)。6ヶ月後、低コントロール群では30%の入居者が死亡していたのに対して、高コントロール群で死亡したのはわずか15%だった。追試研究によって、コントロールする感覚が老人ホームの福利にいかに重要かが確かめられたが、同時に予期せぬ不幸な結果を招いた。
その研究では、学生志願者を募って、入居者を定期的に訪問させた。高コントロール群の入居者には訪問してほしい日にちと滞在の時間を自分で決めさせ(次の木曜に1時間ばかり来てちょうだい)、低コントロール群の入居者にはそうしなかった(では次の木曜に1時間ばかりおじゃまします)。
2ヶ月後、高コントロール群の入居者は低コントロール群の入居者より幸せで、健康で、活動的で、とる薬の量がすくなかった。この時点で研究を終了し、学生の訪問も終わった。数ヶ月後、高コントロール群だった入居者の死亡率が極端に多い、と聞かされて、研究者達は愕然とした。悲劇が起こってしまってからよく考えれば、原因ははっきりしていた。決定権を与えられ、コントロールすることで良い効果を得ていた入居者達は、意図しなかったこととは言え、研究が終わったとたん、そのコントロールを奪われてしまったのだ。
(p41)
-----------------------
Xデザイン学校のレクチャーの準備のために、一行目の太字の部分を引用するために読み返してみた。随分まえに読んで衝撃を受けたのがこのエピソード。以後、研究室でも何かのフィールドに関わる時には、下手に影響与えると、終わり方次第ではこういう反動が起こりやすそうだということには気をつけている。