Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

他者が手助けすることでまわる仕組み

 

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最近書いていて面白いのは「オブザベーション」カテゴリである。オブザベーション(観察)はあたりまえのものごとを微細に見てデザインの発想源にするトレーニングとして知られているが、僕の場合は特に現象の背後にある「見えない因果関係」を見いだすことに関心を持っていて、そこにブログコンテンツの独自性を作ろうとしている。そういうわけでこのブログのタグラインは「見えないものを、見る視点」なのだ。

 

というわけで、今回のネタは、昨夏、ロンドンを訪問した際に地下鉄に乗ったときのこと。

kmhr.hatenablog.com

この時に、TUBE MAPを実際に見ることが出来て心からうれしかったのだが(上記の記事)、同時にバリアだらけで旧世代の地下鉄構内の様子に絶句した。エレベータどころかエスカレータがない駅も多く、僕らはたびたびベビーカーを担いで階段を昇った。我々のは日本製の軽くて小さなベビーカーであり、まだマシなほうで、ヨーロッパのベビーカーはかなり大型で重量もあり、女性一人で手で持てるようなものではない。デンマークは街の隅々まで車椅子もベビーカーもアクセス出来るバリアフリーが浸透していたので、欧州といっても整備具合は国によっても随分違うんだなぁ、と思ったことをよく覚えている。

 

あの整備の悪さは問題にならないのか・・・という話をイギリス人に会った時にしてみたところ、「うん、良い質問だ。ちなみにロンドンでは、ベビーカー押して移動する際は、通常はバスを使う。バスも発達しているからね。だからTUBEに乗るのはよっぽどそうしなきゃならない時だけになる。ではそういう時にバリアにどう対処するかというと、"みんなで持ち上げる"と言う方法でカバーしているんだ。イギリスの男はたちは誰もが、それこそ腕に入れ墨入れているガラの悪そうな兄貴まで、階段で困っている人がいたらみんな協力する。それでちゃんと回っているんだから、それほど問題無いだろう?」というようなことを教えてもらった。

 

全ての選択肢をアクセシブルにせず住み分けさせることと、どうしても必要なら他人同士で手助けしあうというソリューション。考えてみれば、人々が協力しあうマインドによってカバー出来るのなら、人工物化するという方法ばかりが最適解というわけではない。

 

じゃあそのマインドはどうつくるんだ、ってのが最大の問題だが。イギリス人の場合は、社会全体で、「Knightship(日本語でいえば騎士精神?)」という、他者に対してふるまうべき規範を作りだしたのだろう。安藤先生が提唱している利他的UXってのも似たところを見通そうとしている気がした。