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みえないものを、みる視点。

日本社会の独自性について考える

興味深いレポートを読んだ。経産省の次官・若手未来戦略プロジェクトによる「21世紀からの日本への問いかけ」(PDF)というもので、経産省の菅原郁郎事務次官が30歳前後の若手キャリアと議論して作成した非公式の提言書である。未来を描きにくい世の中であるが、若手を積極的に登用して既成概念を壊して活路となるビジョンを見出そうとする姿勢が見えて、素晴らしい活動だ。

 

日経の記事より引用。

 今も英語やプログラミング教育を重視しようという動きがあります。これは短期的には正しい方向性だと思います。ただあまりにそれを重視しすぎると、他国にはない日本の「なくしてはいけないもの」を犠牲にする可能性がある。日本は植民地化されず、固有の言語で独自の文化を育んできた歴史があります。グローバル化が進む世界では、その日本独自の価値観こそ競争力を生み出しうるのではないでしょうか。

www.nikkei.com

 日本という地理的特性が育んだ文化は世界的に独自性が高いことは事実で、それらをふまえた上でどのように展開していくべきなのか、自分も地面を這いまわりながらずっと考えている。

当該資料から一部をキャプチャ。

 

 

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価値観・文化の特異性として

1、自然との調和

2、場の重要性

3、暗黙値の重要性

4、矛盾への寛容性

5、若者発文化

 が挙げられている。このキーワードをみながら、ちょっと考えた。

 

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僕が春に帰国したときに、とても驚いたと同時に日本社会の独自性をつよく表していると思ったのが、日本のコンビニのおにぎりの棚である。

 

多くのニーズに応えるように、定番の具から味付きごはんまで、実に多種多様なおにぎりが並べられている。そして超がつくほど機能的なパッケージ。海苔のパリッとした風合いを損なわないように包装され、手を汚さず巻くことができる。見慣れると当たり前で気がつかなくなるが、棚の中には細部の細部まで徹底的にKAIZENが積み重ねられている。コンビニチェーンは売り上げから詳細なデータを収集し、そのデータを元にして食品メーカーは品質改良に勤しむ。そうして創意工夫を重ねて、逐次改良されていく過程はたぶん世界最高クラスで、アメージングとしか言いようがない。


しかしながら、棚のおそらく結構な割合の食品は、廃棄処分されゴミになる。いろんな事情があるとしても、貴重な食糧を有効に活用するよりは、「何か問題が起きないように問題を未然に防ぐ」の論理の方が優先される。関係者のだれもが勤勉に働いているが、自分の責任を越えることにはみんな目をそらす。他の文化圏ではフードロスの問題にはもっと真剣に取り組んでいるわけで、その意味では日本人の自称する「もったいない」文化というものはけっこう怪しい。

 

改めてこの現象を解釈してみると、上の資料で挙げられている、「持ち場で頑張る」「内と外の感覚」「勤勉性・職人気質」「行間を読む」「矛盾への寛容性」というような文化特性が強く発揮されている結果でもあるのだ。そして棚に並んでいるのは「勤勉性」そのもので、棚から棄てられたものは、他にも使えたかも知れない「生産性」そのものだ。悲しいことだけど。

 

コミケなどのポップカルチャーはもともと自主制作として個人や仲間内の創造性がベースなので、仕事上発生しやすい責任のしがらみが小さく、自由にやれているから日本文化の独自性が良い方向に発揮されているんじゃないだろうか。

 

そう考えていくと、日本の文化の特異性というのは実際に毎日の生活の中にあるのだけど、それを「長所」と捉えて伸ばすべきか、「短所」と考えて修正すべきなのかというのは、実によくわからなくなっていく。

 

コンビニの棚はあくまで一つの喩えであるが、要するには我々は、自分(達)の責任の手の中で収まるプロジェクトは上手だが、責任の所在があやふやになる領域や、誰かの領域を侵犯してしまうような連携が苦手なんだろう。(だからこそ、いろんなシステムはそれぞれの組織の面子を守るために統合されない)

 

制約を逆手に取ることこそが創造性と言い聞かせて、日本社会とデザインの関係を日々考えているが、なかなか難しいものだ。