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みえないものを、みる視点。

デザインスクール・コリングを訪問した(前編)

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先週のメモ。16(火)・17(水)とGive&Takeプロジェクトでヘロヘロになった後に、さらに夜間の英会話学校に行き、そして18(木)は始発で南デンマークにあるコリングに向かった。いやもう、寝る暇もない。コリングの街は小さいが、とても美しい。

f:id:peru:20150620192857j:plain用件は、名門のデザインスクール・コリング(DesignSkolen Kolding)でのミーティングに参加すること。向かった先には、(元)多摩美の須永先生と先方の学科長達。情報デザインのパイオニアがなぜいきなり、と思われるかもしれないが、先生は秋から大学を移られて新しい取り組みを始められるということで、北欧を点々としながら情報収集しておられるところに、僕も(ちゃっかりと)合流したというわけだ。学科長のふたりは自分たちのカリキュラムをどうつくっているかを丁寧に解説してくれた。

彼らは日本をとてもリスペクトしてくれていて、「日本は遊び心があって素晴らしい、それに対してデンマークは真面目すぎる!」われわれは「いや、逆だ」とお互い隣の芝生状態になった。ちょっとリップサービスはあると思うが、自国の魅力はなかなか自分たちには見えにくいものなのだろう。

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午後に学内にあるラボを訪問。コリングでは学内でデザイナーを正式雇用して大学の産学連携プロジェクトを進めているそうだ。ラボ所員のJoanが総合病院と共同研究している「乳がん治療における、医者と患者のインフォームドコンセントのためのデザイン」をプレゼンしてくれた。

 

現状、難しい専門用語の連発で患者はよくわからずただサインするだけになっていることに対して、医者の処置を患者自身が理解できるように、コミュニケーションを改善するための取り組み。アイコンで整理されたシートを共有しながら取り得る処置、薬の副作用の解説が進められていくようにデザインされている。素晴らしい。

 

このデザインスクールは、もともと工芸の学校からはじまって美大的な「色や形」のデザインとして良い教育を行っていたそうだが、近年学長を中心に学校改革に取り組んだという。(デザイン経験者ではないこの学長が実はすごいのだが、とりあえず伏せておく。いつか機会があれば書きます)

 

まず、学校のビジョンを明確に再定義し、その志に共鳴する学生を集める。ラボはその先鋒となって、パートナー(共同研究機関)を獲得して実験を行う。それらの実験を元にデザインの社会的有用性を示し、提携先に理解を得る。同時に得られた知見をもとに、先進的なカリキュラムをつくりあげ、学生達を教育する。そしてその教育成果を元に、さらに実社会に存在している挑戦的な題材に対してデザイン実践を行っていく・・・。彼らは共有したビジョンを元に、そういったサイクルをつくり、地域と共にひとつの実践共同体を創り上げている。玄関にあった手作りの看板、「Design by Kolding」は、たぶんそういう意味だ。

 

彼らの活動は、デザインを学ぶこと、そして学生がその学んだことを活かして自分たちの社会を主体的に変えていこうと活動していくこと、それらの大きな可能性を実証しているものと思う。

 

須永先生は個人的にこの学校の取り組みにとても注目しておられるようで、先生の事後的な解説によって、僕はこの学校の取り組みの組織的な戦略を段々と理解することが出来た。あまりにも自分の経験と違っていて、軽々しく言葉だけで伝えられない重みを感じる。実際のところ、彼らも簡単にやってのけているわけではなくて、組織間の文化摩擦や個人の葛藤など、多くのことと戦い続けているはずだ。僕も(末端ながら)おなじ大学関係者だから思うが、こういったパワフルな共同体を創り上げることは、全員の強い信念と行動力がなければとても実現できないはず。

 

目の当たりにした衝撃的な体験をふりかえりながら、同時に日本への思いをめぐらす。彼らに聞かせてもらった情報をもらいっぱなしにするのではなくて、われわれも日本の社会の状況を解釈した上で、我々なりのデザインのアクティビティで返さなければ。それが礼儀だし我々の責任だね、と二人でビール飲みながら語り合ったのであった。須永先生と深夜まで長時間サシ飲みで議論できるというのもなかなかできない贅沢な経験だが、いま取り組んでいることに対して沢山の有意義なアドバイスも頂いて、ちょっと光が見えてきた気がした。

後編「卒展見学」につづく。※こちらで具体的な取り組み例を紹介しています