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みえないものを、みる視点。

書籍「ワークショップをとらえなおす」でワークショップの奥の深さを垣間見る

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 慶応SFCの加藤文俊先生から新著「ワークショップをとらえなおす」をご恵投いただいた。ありがとうございます。隙間時間を利用して読んでみたところ、表題の通りのワークショップのあり方を問いなおすクリティカルな議論が展開されていて、思わず仕事を放り投げて読み続けてしまった。

21世紀に入ってワークショップはずいぶん普及した。が、この手法の体系化・形式化が進むにつれてなんだか失われつつあるものがあるのではないか、というもやもやは多くの人が感じていることだろう。


本書はそのもやもやをクリアに言い当てている。実践と理論を両輪で回して、絶えず試行錯誤を続けられている加藤先生だからこそ書ける省察的な視点で、思わずうなった。問いかけていることはきわめて鋭く、そして同時に言葉づかいはやさしく、ふむふむと読み進めながらもワークショップをやったことがある身にはグサグサとささる。

「あたりまえ」を疑い、「まなびほぐし(アン・ラーニング)」を促すための方法としてワークショップを位置づけていながら、自分の実践そのものを批判的に評価しない(評価出来ない)としたら、じつに皮肉なことである。(P27)

わかりやすくいえば、場数が増えることによって、ファシリテータがワークショップの現場に慣れると言うことだ。その結果、自分のファシリテーションのスタイルを確立して、オリジナルでユニークな方法として主張しようとふるまうのだ。場合によっては、それは他の代替的な可能性を見ようとせず、いささか排他的な態度に結びつくかも知れない。(P178)

重要なのは、ワークショップに関する考え方や方法について、自分が志向する「流派」を唯一のものだと考えないことだ。デザイナーやファシリテータが自らの個性を追求することは大切だが、同時にそれはデザイナーやファシリテータの自身の視野を狭める可能性もある。(P179)

ワークショップにかかわる「同業者」どうしのコミュニケーションは、それぞれの方法の「正統性」をめぐる「闘い」ではなく、お互いの違いを認めつつも、しばし同じステージに立とうとする「ダンス」に見立ててとらえたいものだ。(P180)

 
おおお、これは自分の態度について考えさせられる・・・。視野は放っておくと気付かないうちにどんどん狭くなっていくのだろう。

この本は、どうやらワークショップをやってみたくなる本ではなく、読んだ人に我が身を振り返らせて、ワークショップの奥の深さについて改めて気付かせてくれるような本だ。これぞまさしくアカデミアの仕事。デザイン(思考)もこの段階の捉え直しに踏み込むべきなんだよな。実践知を深めていくための素晴らしいお手本を見させていただいた気がして、大きく励まされた。丁寧に読み返そうと思う。