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みえないものを、みる視点。

今和次郎を考現学に向かわせたこと

先日開催されたデザイン学会の「デザイン研究の記述」研究会で,デザインにおける態度の議論になった際,加藤先生(慶応SFC)が「今和次郎は観察して記録を残す際に,同時に態度のことも詳細に記述しているんだよ」ということを教えてくださった.今和次郎が残したスケッチは素晴らしいが,彼がどんなモチベーションで街や人々の観察に取り組んでいたのかはそういえば知らない.彼の著作をちゃんと読んでないことに気付いて文庫本を読んでみた.

すると,確かに興味深いことが書かれている.

それは大正12年(1923年)の震災の時からであった.しばらく私たちは,かの死の都から逃げ出してしまった芸術家達と同じようにぼんやりしていた.しかし,私たちはその時の東京の土の上にじっと立ってみた.そこに見つめなければならない事柄の多いのを感じた.


<中略>


私が目に見えるいろいろなものを記録することを喜んだのは,このころからである.そこで人々の行動,あらゆる行動を分析的に見ること,そしてそれらの記録のしかたについてくふうすること,そんなことが,あの何もない荒れ地の私を促したのである.


<中略>


現代文化人の生活ぶり,その集団の表面にあらわれる世相風俗,現在のそれを分析考査するのには,その主体と客体との間に,すなわち研究者と非研究者の間に,あたかも未開人に対するそれのように,患者の医者に対するそれのように,あるいは犯罪者に対する裁判官のそれのように,われわれ(調査者)が一般人のもつ慣習的な生活を離れて,常に客観的な立場で生活しているという自覚がなかったならば,あまりに寂しいことのような気がするのだ(つまりかかるたぐいのはっきりした意識がないと,いわゆる役人式の調査になる).それで我々は各自,習俗に対する限りのユートピア的なある観念を各自の精神のうちにもち,そして自分としての生活を築きながら,一方で世間の生活を観察する位置にたちうるのだ,と告白をしたくなるのである.その境地があればこそ,われわれと現代人とは水と油の関係に立ってわれわれは現代人のそれを客観することが可能となる.


<中略>


その我々の研究態度をわかりよく言えば,眼前の対象物を千年前の事物と同様にキューリアスな存在としてみているかのようなのである.実にかかる境地こそ私たちの仕事をして特殊なものたらしめる中心的な基盤であると言っていいだろう.

考現学入門」 ちくま文庫 P364

 ふむ,彼の場合は,よく言われるような「共感」とかじゃないのだな.あくまで対象と距離を保つことで未知なるものに接するような研究態度を生んでいるということのようだ.そのようなマインドセットこそが,当たり前のことを当たり前にしない視点を可能にしているのだと.

 

それにしても今和次郎考現学に向かわせたのは,震災のショックだったとは知らなかった.今眼の前にあるものがどれだけ儚いか,そして破壊された街を急速に再生させていく人々の活動の姿がどれだけ蒸発してしまいやすいか,に彼は気付かされたのだろう.

 

このエピソードを読んで,僕はウルム造形大学のことを思い出した.学内に残されているアーカイブの入り口には,ウルム造形大が開学する前(1950年頃)のウルムの街の様子がこれでもか,と大きく描かれている.

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連合軍によるウルム爆撃によって,市街地の8割以上は破壊されつくされたという.その廃墟からインゲ・ショルらは未来の学校づくりを始めたと書かれていた.今となっては見えにくいことだが,伝説のデザインスクールの出発点は,破壊され尽くした終戦後の瓦礫であり,そこから這い上がる活動だったのだ.

 

街の破壊は人々に大きなショックを与える.でも引き起こされる環境の変化はどこかで誰かのあたらしい視点を生む切っ掛けとなる.絶望の中でも一部の人々は立ち上がり,新しい再生を始めるのだということに気付かされる.