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みえないものを、みる視点。

発想のためのツールは,捉え方次第.

 ちょっと気になる記事を読んだので,本人に読んでもらうために書いてみます.

東工大エンジニアリングデザインプロジェクトを指導されている方による,ブレストや親和図法(KJ法A型)ではいいアイデアが思い付かない,という記事.

私はいずれに対しても(めちゃくちゃ)懐疑的です。使っていないわけではないのですが、使ってもいまいち感が残るというか、まるでうまくできる感じがしないのです。こんなのでいいアイデアなんか思いつくはずがない。

いいアイデアなんか思いつくはずがない – 東京工業大学エンジニアリングデザインプロジェクト – Medium

 

ブレストのような発散技法も,親和図法のような収束技法も,表面的に見えていること(例えばポストイットやその上の文字)は一部分に過ぎません.解決策として書かれていることは対処としてはアリだと思いますが,その前に,背後にある活動の原理をどのように捉えるかによって,「基本」とされていることの見え方は変ってきます.

以前書いた原稿から「インプロと発想」の部分を切り出して掲載してみます.陳腐に見えるブレストの4つのルールにも,捉え方次第で裏に隠れているとても大事なこと(=コツ)が見つけられるのではないか,というのが僕の考えです.

 

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4. インプロと発想

発言の狙いを外したり,失敗したりして他人から蔑まれることは誰もが避けたいものであり,インプロの開始当初の動きは恐怖心が勝ってしまうため,ぎこちないことが多い.しかし,身体がほぐれてゲームが進んで行くにつれて,失敗を許容する雰囲気が自然発生的にうまれ,参加者達は自分を防衛する必要がないことに心を許しはじめるようになっていく.徐々にゲームの中でのやりとりは速度としなやかさが増し,発話には自然な意外性が多く含まれるようになっていく.

 

インプロのゲームには,集団で発想していく際の本質的なことが豊富に埋め込まれている.グループでの相互作用のダイナミズムの中で,発想が生まれるために必要な条件やセットアップしておくべきことが体験的に学べていく,という点において大変興味深い.

 

例えば,最もポピュラーな発想法であるブレーンストーミングは,簡潔な4つの原則で知られている.いわゆる,「1.自由奔放,2.批判厳禁,3.質より量,4便乗発展」である.誰でも理解できるレベルの言葉であるがゆえに,なぜこの言葉が原則として掲げられているのかピンと来ない人も多い.しかしながら,この4つの原則の意味するところの本当の深さは,インプロ体験を通して初めて理解することができると思われる.このキーワードをひとつずつ解釈してみよう.

 

 初めに,自由奔放について.「自由に発言せよ」と言われたところで意識的にそれが出来る人はほとんどいない.すなわち,自由になるためには他人に対しての遠慮や自尊心,恐怖心など自分の周辺にあるさまざまな束縛からまず自己を解放しなくてはならないわけである.そして自己を解放するためには,どんなものであろうと許され,認められるような心理的に安全な雰囲気が不可欠となる.

 

 そんな条件を揃えた場がお膳立てされることは非常に難しいことであるが,不思議なことにインプロのゲームの場の中では,ごく自然に,ごく当たり前にそれらが形成されていく.仮にジョークが寒くても所詮ゲームの中なのだし,失敗はお互い様,とどんな発言でも受け入れて笑顔で反応することが,相互に許容し合うというメッセージをメンバー全員が身体から発することになり,結果的に自由奔放を支える状況を形成するわけである.

 

 そして次に「批判しない」.そのためには,聞いた瞬間に自分の評価軸だけで良し悪しを判断することを止めなければならない.が,これも即座に出来る人は少ない.評価してしまうことが癖になっていればいるほど,思ったことはついつい言わずにいられないものである.しかし,これも会話の主客が転換する体験を持てば,大きく視点は変わるだろう.

 

 YES&YEAHゲームでは,どんな突拍子もない発言でも,聞いた側が肯定し,それに上乗せしていくことで話はいくらでも繋がっていく.そこから導けることは,言葉を発した人にとって他愛もない言葉からでも,他者の視点からはいくらでも新しい解釈,そしてひらめきを生む可能性がある,ということである.

 

 発想するということは,発言者が責任を取る必要はなく,そこからどのように「返し」を生み出すか,聞いた側の発想こそが実は重要であり,これらのゲームは,その反応の仕方に自分の態度が反映されるということ,その中関係性の中にこそ創造性があるのだということに気付かせてくれる.批判的な視点は何かを止めるためのブレーキとして必要になる場面もあるが,何かの新しいことの起点になるわけではない.発想する際に批判を加えるのは,アクセルとブレーキを同時に踏むようなものである.

 

 つぎに「質より量」.前の段落と関連するが,批判がブレーキだとすると,発散的思考がアクセルである.アイデアを生み出す際には,まずは発散的に量を沢山出す中で思いがけないヒントが生まれるものであり,質は数の中から選別されて育っていくものである.最初から省エネ的に出るものではなく,無駄から生まれていくという意味で,失敗を許容してつぎつぎ進めていこうというポジティブな雰囲気がアイデアの母体となると言える.

 

 最期に,「便乗発展」.サンキューゲームでは他人のポーズを肯定し,そこに便乗しつつも違った解釈を加えることで新しいシーン,新しい接続がつぎつぎと生まれていく.つまり,アイデアは単独で存在しているものではなく,何かと何かの関係として存在しているものだであることを示している.何かに便乗して発展させることは,目の前にあるものの文脈を捉え直すことでもあり,そういう姿勢は,新しい関係性を生み出すエンジンとなる.ブレストとはインプロは,人間の持つ創造性を活かした同根のものであるがゆえに,4つのキーワードは深く繋がったものとなるのである.

 

 また一方で,発想における"態度技法"としての面も欠かすことが出来ない.チームの中の存在として発想していくために,自分はどのように関わるのかの心的な状態を,インプロによって体験的に理解できることは大きい.発想するためには,他者の発言や投げかけに対して即応するという張り詰めた緊張感と,自身の内的な世界にアクセスするリラックス感という,相反するような状態を保つことが必要であることを知ることができるだろうし,そしてチーム内で共鳴し合うような心地よさを発見することが出来るだろう.

 

 こういった身体的な経験を持つことによって,会議のように多くのことに縛られた状態で行うブレストは,発想するという目的において根本的に違うということや,言葉だけを一人歩きさせずに,本当に新しい発想を生み出すためには,よりよい条件の中で行わなければ本来の意義を成さないということにも気づくこともできるのである.

 

 ただし,インプロを通しても,その人自身の中に無いことから新しいことを生み出すことはないことには留意しておきたい.当然であるが,知らない言葉や概念がひとりでに湧き出てくるわけではないのである.インプロは,その人の中にすでにあるもの,眠っているものを掘り起こし,融合させる手伝いをするのみである.

 

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