Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

Xデザイン学校での講演:CoDesignApproachの今日的意味

f:id:peru:20170219123819j:plain

 

2/18(土)、社会人向けデザインスクール、Xデザイン学校 @Yahoo!本社において、本年度担当しているパートのレクチャーをしてきた。山崎先生、浅野先生からのオーダーは、なんと「おまかせ」(!)。それを知った時の僕の気分はたとえて言うなら、ベテランの鮨名人二人が、カウンターで「ふっふっふ」と笑みを浮かべながら待っているのを前にした、場末の職人のそれである。しかしながら、鮨というサービスは、職人の一方的なもてなしではなく客との相互構成的なものだ。山内先生に倣うなら「闘争」だ。せっかく二人が聞いてくださる、しかも最前列で。という機会なのでXデザイン学校の今後の指針にちょっとでも参考になるような話が出来ればな、と思いながら準備してみた。題目は「CoDesignApproachの今日的意味、およびXデザイン学校との関係」。

 

章立ては、

1:CoDesignの概念を整理する
2:成り立つ条件と環境要因
3:人々が協働するために—「信頼」の観点から
4:未来の学校体験の可能性
5:「社会をよくするデザイン」をめぐって

 

スライドをいくつか抜粋して掲載してみる。僕がスライドをslideshareで公開していない理由はいくつかあって、1つ目は、著作権的な意味。引用した画像や写真は、授業での利用は許されても一般公開は許されない(著作権法35条の2)わけで、公開のための許諾取るのが面倒ということ。2つ目は、僕のスライドは図版中心で、あまり文字を書かないで喋るスタイルなので、それだけ見たところで結局あまりわからないだろう、ということ。そして3つ目は「粗隠し」で、4つ目が「出し惜しみ」なのだけど、先日編集者のAさんにお会いした際に、どんどん公開しちゃったほうが得ること多いはずだよ、と助言もらってそれもそうだな、と思うので、101枚のスライドのうち、11枚をとりあえず掲載。

 

 

f:id:peru:20170219124050j:plain

「デザインは問題解決して、円満に終わるか?」という下りより。Wicked Problemについての解説を探していたら、行動観察研究所の松波さんが一番明快に解説していたのでそれを参照した。以下の記事はとても興味深い。

Wicked Problem: 新たな仮説に基づいて動き、成果が出なければすべては無駄なのか? | 行動観察研究所ブログ | 行動観察研究所

 

 

f:id:peru:20170219123839j:plain

ここはいろんな人との議論をベースしつつ、僕がオリジナルで整理したもの。「当事者デザイン」という言葉は、はこだて未来大学の原田先生と岡本先生が2016年度デザイン学会のセッション名として生み出した言葉であり、まだ定着はしてないと思うが、これ以上の適切な言葉を知らない。さまざまな現場において、当事者が、拙くとも自分でなんとかデザイン実践しようとしている場面は実はたくさんある。その活動をエンパワーするためにどのようにその活動自体をデザインできるのか、というのはデザイナーにとっては大変エキサイティングで今日的な問題と言える。

 

当事者デザインの例として、東海大の富田先生は、霞ヶ関の国家公務員の方々が、政策プロジェクトの概念図(通称「ポンチ絵」)を自分でデザインできるようにするためのデザイン(政策×DESIGN Workshop ポンチ絵2.0)に挑戦している。

 

念のために、この分類はデザインする際のアプローチの種類の違いであって,「どれが良くてどれが悪い」という話ではない。ユーザ中心デザインも対象や組織によってはアリだし、当事者デザインも最初からできるものではないので、協働のデザインから徐々に移行していった先の姿と捉えるほうが自然だ。ここはスライド一枚では説明も整理もしきれないので、もうすこし展開する予定。

 

f:id:peru:20170219125510j:plain

何故参加型デザインというタイトルではないのか、の解説。「参加型デザイン」と「協働のデザイン」の違いは明確に分かれるものではないけど、ニュアンスはだいぶ違うことは、以前以下のエントリでも解説した。

 

kmhr.hatenablog.com

 

f:id:peru:20170219125746j:plain浅野先生がXデザイン学校に参加型(協働)デザインを取り入れたい、と語っていたことを知って、Xデザイン学校との関係を説明したくだり。「弱い紐帯の強み」、というのはwikipediaマーク・グラノヴェッターの項目で説明されている。

フィールドについては、この日おふたりと話したところ、すでにいろんな構想があって計画を進めているところだそう。期待。

 

f:id:peru:20170219125310j:plain

 

実験学校といえば、ジョン・デューイ。彼は自分の思想を元にシカゴ大の中に実験的な学校をつくった。このモデルでは、活動を重ね合わせた文脈が学びを生むということを熟知して計画していることがよくわかる。なにかの活動(衣・食・住、そして商売)を起点に知的好奇心が生まれ、そこから知の資産(図書館)に接続し、さらに家庭や自然環境などの外部のネットワークにも有機的に接続していこう、というのは120年経過した今でもまったく古びていない。この頃、日本はまだ明治時代だというのに・・・・実に先駆的な取り組みだ。

 

f:id:peru:20170219125822j:plain

最終章、「『社会をよくするデザイン』をめぐる問い」より。我々はなんとなく「よい」という言葉を使うが、本当はちゃんと共通することを言語化していく必要があって、それがアカデミアの役割でもある。最近考えていたことをまとめたので、このパートは6枚とも公開する。勝手に俺理論だけで言い切らないように、なるべくこれまでの知見の積み上げを参照しながら説明できるように頑張ったつもり。

f:id:peru:20170219141409j:plain

写真は左から

原発(未来に負債を先送りして、イマの問題をしのぐぞソリューション。これは年金もそうだな)

・しゃぼん玉(フィルターバブルがつくりだした自分の「イマココ」の中は心地よいぞソリューション)

・国境の壁(ココの良さを維持するためには、壁の向こうは知ったことかソリューション)

 

f:id:peru:20170219153231j:plain

 

 そもそもこの頃「よい」の問題を再び考えはじめたのは、苫野一徳先生の「どのような教育が『よい』教育か」に刺激をうけたからである。彼の言う「欲望論的アプローチ」は説得力がある。

 

f:id:peru:20170219125550j:plain

いろんな難しい本を調べているうちに、講義の準備から逃避して読んでいた「サピエンス全史」と、ちゃんとつながって驚いた。あの大著は、この文章で終わる。「私たちは何を望みたいのか?」は、英語の原著では"What do we want to want?" となっている。問いかけの主旨であるメタ的な意味は、英語の方がはっきりわかる。もしくは糸井重里の名コピー、「ほしいものが、ほしいわ」(1988)。

 

 

f:id:peru:20170219153306j:plain

数日前に書いたコントロール願望の話。近年はデザインに限らず、様々なジャンルで同時多発的に参加型のスタイルが活発になっているのは、みんな気付いているだろう。その源泉を考えるにあたって「みんな何かをコントロールしたいし、そして自分のすることを他者に認めてもらいたい」という欲求があることを軸に置いて眺めてみると、はっきりとつながってくる。

 

f:id:peru:20170219125558j:plain

"だれも他人を自由にしない。 だれも一人では自由になれない"は、ブラジルの教育者パウロフレイレの伝説の名著「被抑圧者の教育学」から。この本は本当に素晴らしい。当事者デザインのキーワードとしてあげた「エンパワーメント」という概念は、彼の実践を元にして生まれた、とされる。人は一人では自由になれないというの重要な指摘で、自由には他者との認め合いがいるのだ。

 

「良いデザイン」というのは範囲や対象を示さないと答えようがないけれども、「社会をよくするデザイン」ってのはこういうことかな、というのが現時点での僕の考えである。いろんな賢人の言葉を引きながら、「よい」の共通了解をさぐって言葉にしてみた。こういうのは文章にまとめた方がよいのは当たり前だが、こういう喋る機会でもないと(忙しさを言い訳にして)深く考えないからな。

 

近頃は具体的ではない言葉は悪いもののように扱われがちだけども、抽象度の高い言葉は時代が変わっても長持ちするし適用範囲も解釈も拡がる。ということでひきつづき考えていこうと思う。

 

f:id:peru:20170224095650j:plain

(撮影:山崎先生)

 

 ひどい体調だった先月の講演からだいぶ時間たったのでもう回復したかな、と思っていたが、声がれがひどく、舌も回らず、またもや絶望するほどパフォーマンス悪かった・・・。いっぱい準備したのに無念。Xデザイン学校のみなさん、申し訳ないです。でも文章にしておいたことで、履修者以外の人でも参考にできる資料になったかもしれない、と考えることにする。