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Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

Duppy know who fi frighten

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以前、ジャマイカ人から「Duppy know who fi frighten」という諺を教えてもらったことがある。日本語に訳すと、「幽霊は、誰が恐がりかを知っている」。

意味分かる?と聞かれたので、僕は一生懸命考えた。そして、「幽霊は信じてない人には見えなくて、怖がる人の前にだけ現れる、という意味かな」と返事し、「恐怖心があると、何でもないものが恐ろしいものに見えてくる、という『幽霊の正体見たり、枯れ尾花』って似た諺が日本にもあるよ」と付け加えた。

 

そうしたら「まったく違う」という。どうやら、脅す側は、弱い奴を標的として選んでいる、という意味で、すなわちつけこまれないために「弱みをみせちゃだめだ」という教訓として使われているんだそうだ。

言葉は、それを用いる社会によって発達していく。例えば一人称代名詞は、英語ではすべて「I」だし、なのに、日本語では、僕、俺、私、自分、小生、わし、おいら、など世界的にも特異なのは、そういった自我の使い分けが他者との関係の中で必要とされる社会だからだ。さらに言葉の中でも特に諺は、世代を超えて磨かれた教訓や知識の結晶でもある。諺はその国の文化を映す。

 

欧州でそういうことに気付いたこともあって、いろんな国の人に出会うたびに諺を話題にして聞いていたのだが、ジャマイカとかハイチとか、カリブの国々は陽気そうに見えるけども、この強く生きていくことを言い聞かせるような短いフレーズから、生きるか死ぬか、やるかやられるかの生存競争が厳しいということに気付いて驚いたことを思いだす。諺の意味をよく考えることは、それを語り継ぐ文化の土壌が見えるからこそなんだか興味深い。