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みえないものを、みる視点。

情報通信学会で登壇してきました

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11月4日、関西大学梅田キャンパスで開催された情報通信学会関西大会 「メディアのエコロジーとデザイン思考―参加型デザインから望ましい情報社会を構想する」に登壇してきた。上の写真は、企画者の岡田先生と基調講演のカリハンス・コモネン氏。

 

ちょうど1年ごろ前に、おふたりにはフィンランドでお会いしたのだが、こんなかたちで再会できたことがとても嬉しい。

kmhr.hatenablog.com

僕の役割は、このワークショップのプリ・レクチャーとして、デンマークのCoDesignとそこから学べることについて解説すること。(時間押しているのにオーバーしてしまい、申し訳なかったです)紹介した事例は、過去にこのブログでも書いた、廃棄食材スーパーマーケットがん治療のデザイン刑務所の親子面会室のデザイン多民族が共生する公園スーパーキレンなど。

 

それと今回は「デザイン思考」がテーマでもあったので、自分なりの論考に基づいた枠組みを解説する。スライドより紹介。

 

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「デザイン思考」は、大まかに言えば、「ノンデザイナ—の人々がデザイナ—の考え方を用いて、いろんな分野の問題解決に適用すること」を指すが、もう少し広い視点で解釈すると、デザインすることの"民主化"と捉えられる。主語が変わったわけだ。

 

そして、それより以前に起こった左側の二つ「政治」と「情報発信」の民主化と並べてみることで、時代の要請の中で、最初は特権的な行為だったものが徐々に「人々へ」と移っていった大きな流れが見える。そして同時に専門家の役割は変わりこそすれ、無くなるわけではないことがわかる。

 

しかしながら、アラブ諸国やイギリス、そして今のアメリカの例が如実に示すように、民主化されたことで政治が決して良い方向に進むわけではないし、インターネットも衆愚化やフィルターバブルが問題になっているのも多くの人が知る通り。そういう先例を見れば、デザイン思考もポジティブな可能性を開くだけでなく、他二つと同じような道をたどる可能性が高いであろうことは容易に想像できる。

 

とはいえ、われわれはもはや受け身のままでもいられないし、それによって起こることも一義的な良い悪いが言えるようなものではなくなっている。我々に出来るのは、その責任と真剣に向き合いつつ、「我々は何を目指すのか」を問い続け、学びを重ねていくことぐらいだろう。

 

(そして巷で聞く「デザイン思考」の言説は、5STEPとかの定番の方法の易しい解説に成り下がっているとしか思えないのが、まことに残念だ)

 

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 岡田先生によるワークショップ。「2025年に大阪万博が開催されたと仮定して、その後に残る望ましいメディアシステムをデザインする」というお題。短い時間ながらとても盛りあがった。「オモロい」が人々にとって生成され、重要な価値になるのは、関西ならでは。

 僕にとっては情報通信学会はアウェーだったけれども、参加者のみなさんとても熱心に聞いてくださって、有り難かった。「越境」はしてみるものだな。

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楽しい一日でした。企画してくださった岡田先生ありがとうございました。