Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

6年前の学生との対談記事を発掘した

とあるきっかけがあって、過去メールを漁っていたところ、2010年に学生達が学部に関する本、通称「ネガク本」を作っていた際の原稿を見つけた。当時4年生だった坂本さん(NE19)と僕の対談を、当時2年生だった沢畠君(NE21)が原稿にまとめたもの。随分昔のようで、とても懐かしい。残念ながら学生が入れ替わってしまってこの本は完成することなくお蔵入りになってしまったが、もったいない気もするのでここで公開してしまうことにする。

 

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社会につながるデザイン


上平先生は、ネットワーク情報学部ができて4 年目に着任され、栗芝先生とともに、コンテンツデザインコースの基礎作りをはじめ、プロジェクト発表会のスタイルの確立など、現在のネットワーク情報学部の姿に大きな影響を与えた。
 坂本さんはコンテンツデザインコースで学び、上平研究室で卒業制作を履修し、図書館司書の資格をとるなど充実した大学生活を送った。授業への取り組みから、現在社会におけるデザインの役割まで、上平先生の信念を存分に語っていただいた。


学生にブログを書かせる意図


坂本: 先生は総合演習の授業内で、ブログをリマインダ代わりにしていましたよね。毎週、作業記録を書かせていた意味からお話をお伺いしたいと思います。

上平: 書かせないと先週のことすら忘れてしまう、という単純な理由によるんですけど、もっと大事なこととして、ブログを書くことで個人の中で内省が起こり、モヤモヤしたことがまとまってくる、という点があります。言語化して外に出すことで、初めて自分が何を考えているかが明確になってくる、ということですね。まあ、その辺はなかなか学生に伝わりません。でも毎週ルールとして書かせることで、その時には嫌々ながらでも、演習が終わった頃に貯まったログを見返して「あ、そうだったのか」と意味が見えてきたりするのが面白いと思います。
 ただ、脅して無理矢理書かすことはあまり効果がないんですよね。だから例えば、僕が面白いと思った個人ブログから数行抜粋して授業の最初にスライドで紹介するようにしたんです。そうすると不思議と名言のように見えてくる。他にも『作業記録』という名前だからつまらないのかも、ということで『活動×思考の記録』という名前に変えたりと、小さな工夫を色々したらみんなちょっとずつ自分の考えを書いてくれるようになりました。


坂本: 人のブログをみて、自分のブログを書く意識を持つようになったところはありますね。

上平: 一手間かけてスクリーンで共有しただけで、だんだんみんなのブログの記述内容が自然に上がっていったのが面白かった。書かせることは強制ではありますが、自然に書きたい気持ちになる仕組みを作るということは常に意識しています。そして、こまめに日常考えていることを書き出すことを繰り返すことによって、後から時間差で意味が繋がってくるんじゃないかなと思っています。

 


課題の再提出を受け入れる理由

坂本: 主にグラフィックデザインの講義などについてなんですが、先生は課題の再提出を受け入れてくれますが、その理由はなんでしょうか。

上平: それはただ点数付けるためだけに課題を出しているわけじゃないからですね。1 回でできる人もいるし、できない人もいます。課題のポイントをうまく見つけられない時は誰でもあります。それでも学生なんだから、失敗しながら結果的にできてくれればいいのです。講評の際に他の学生が出した解と比較して、「ああ、そういうふうにも解釈できるのか」と自分の視点の狭さに気づかされるわけですよ。そこで悔しいと思ったら、もうちょい自分で納得のいくものになるように挑戦する機会は常に開いておきたいと思っています。課題は期限内に出してそこで終わりということじゃなく、自分で考え始めるきっかけなわけですし、失敗を成長に繋げて発想や表現スキルが上がってくれるといいな、と思ってます。

坂本: 小テストを返却してもらえないこともあるので、自分がどこでつまずいたのかとかわからないことがあるんですよね。

上平: 僕はむしろつまずきにこそ重点を置きたい。やっぱり最初からできる人はいないんですよ。学ぶことで変わっていくことができる人、その人達を何とかして加速させたいと思っているんです。

講義中は意識的に、なるべく寝かせないように環境の変化を増やしたりもしているんですよ。時間を有効に使うためにスライドは使わざるを得ないけど、電気をこまめにつけたり消したり、間に映像を見せたり…。集中力を切らさないような仕組みは心がけていますね。


敏感な感覚を培うには

坂本: 上平先生はフォントのわずかな違いなどを敏感に感じ取られるとお聞きしますが、そういった感覚、知識をどういったところで培ったのでしょうか。また、学生はそういった感覚を持っていないと指摘されることがあるのですが、それについてどうお考えでしょうか。

上平: 音楽と同じようなものでしょうね。最初はただ聞くだけだけど、やってみることでだんだん音の違いが聞き分けられるようになっていって、それを通して自分が出せる音の幅広さにつながっていくわけです。細かい判別能力ってのは基本的に全部そうだと思いますよ。
どうやって身に付けたかということは、うーん、こまめに気をつけて勉強したということしか言えないですね。質のいい書体ってやっぱきれいで、見ているうち、使っているうちに、息をのむほど美しいな、という感覚が分かるようになるんですよ。書体の良さが分かったら次は組み方ですね。書体は強いて言えば料理の素材のようなもので、大事なことはそれをグラフィックス全体、要するにどういう料理の中でどんな風に使うかです。ベテランのタイポグラファー達は、グラフィックスの全体とのバランスを調整しながら、0.1 mm以下の単位で大きさや字間を調整したりしています。
 そういうところにも大変デリケートに気を使ってつくられているんだ、と自分で違いを分かったということは、ちょっと観察眼が上がったということでもあります。
 多くの若者達がそういった違いを気にしないということは感じますね。機械が支援してくれることで、わざわざ敏感になる必要がないわけだから。


坂本: やっぱり感覚を鍛えるには勉強しかないんですかね。

上平: 勉強というか細かく見ることですね。グラフィックデザイナーは色も見ただけでRGB やCMYK をだいたい当てられるんですよ。それは才能じゃなく職人的技術で、やれば誰だってできるんです。
 
繊細な感覚を持つ、というのは深い問題です。今年の2年生の演習のオリエンテーションの時に、折り紙を配って鶴を折らせたんです。「丁寧につくってね」と前置きして。そしたら普段必要がないせいか、丁寧という感覚を持ち合わせてない学生が多いんです。これは器用か不器用かという問題ではない気がします。折り紙の角をピシッと揃えることを気にしないということは、呼吸を止めて指先の力の入れ具合を微妙に調整する身体感覚や、揃えることが気持ちいいという大事なことまで意識がいかないということでしょう。折り方さえ分かれば折れるだろうというぐらいの感覚で折っちゃうから、角を合わせるという大事なプロセスに手を抜いてしまう。あくまで鶴はほんの小さな例だけど、そういうことが生活のあらゆるところで積み重なっていくと、何世代か後の人間はどうなっていくんだろうな、と色々と考えさせられます。
 でも、実は彼らも無意識の中では知っているんですよ。人間の感覚は自分で思っている以上に敏感なんです。いい紙を使っている本を持ったら、なんかよく分からないけどドキッと一瞬身体が反応しない?

坂本: わかります!自分の中に眠っている感覚に気づいたとき、それをどう伸ばしていくかがポイントなわけですね。


社会や地域とデザイン


坂本: 研究室で私が取り組んでいる病院の問題もそうですけど、上平先生は最近、医療や農業など、社会や地域の問題に直接関わるような研究テーマに取り組んでおられますよね。こうした社会や地域の問題に対して、デザインが果たすべき役割についてどのように考えておられますか?

上平: 僕自身も最近いろいろと考えることがあって、少しでも社会性がある問題に取り組もうとしています。ちょっと前の自分からからするととても大きな変化です。それは時代の変化が大きいと思います。自分の型だけを信じて同じことを繰り返していると、いつの間にかリアルな問題から取り残されていくんですよ。毎日の生活は変わっているのですから、刻々と問題も変わりますし、そこで必要なデザインも変わっていきます。デザインは本来人の生活をより良くしていく力、人を笑顔にする力があるんです。

ちょっと前の話題なのですが、デザインは富裕層向けのものに成り下がってないか、という問題提起をする展示会がニューヨークでありました。世界の人口のうち、おおよそ10%しかデザインという概念の恩恵を得ていない、残り90%の発展途上国の人々や除外されているような人々に対してデザインがやれることはたくさんあるんじゃないか、という指摘です。そういう動きからも分かるように、問題だらけで疲弊したこの現実の社会をちょっとでもいい方向に変え、人々を勇気づけるために、デザインの役割、そして自分の役割を捉え直そう、というのが今の多くのデザイナーが感じ始めたことです。

そこで普通の人々でもものづくりができるような仕組み、いわばデザインのためのデザインをするような考え方や方法が模索され始めています。学生達は残念ながらあんまり気づいていませんよね。社会が変わるとは思っていないでしょ?

坂本: やっぱり私たちは社会を知らないんですよね。外と関わるのってアルバイト先くらいしか無くて、社会人になるまで距離があるんですよね…。

上平: そこに対して学生の目が向いてないのは仕方ないでしょう。僕も若い頃はまったく分からなかったし。視野の広さは経験を通して少しずつ獲得していくものだと思います。なにかしらの物事が良くなるように変えていくのがデザインの役割のひとつだと考えると、世の中にはいろんな可能性があって、ちょっと立ち位置を変えれば、いろんな問題が見えてくるし、やれることはいくらでもあるはずです。そしてデザインの良し悪しを決めるのは結局専門家でもなくて、一般の社会の人々なんです。
 そんなわけで、この頃デザインとは何かと問い直した結果、社会の中に上平研なり僕なりを位置づけして、僕に出来ることとバランスを取りながら実践的にやって行こうと思ったわけですね。大学の研究室という変わった立ち位置だからこそ出来ることがきっとあるだろうと。自分達だけのコミュニティの中で閉じるのではなく、どんなに弱くてもいいので、社会に働きかけるようなシュートを打ってみようと思っています。


情報学部でデザインを教えることのむずかしさ

坂本: 先生はデザインが専門ですが、あえてネットワーク情報学部のように、美術以外の領域と融合した学部の教育を行っておられます。美術系ではない学部で教えることの難しさや、逆に面白さはどういうところにありますか?

上平: 以前は美術系の大学で教えていたんです。でも、情報デザインという分野は非常に学際的で、プログラミングだって心理学や認知科学の知識だって必要だし、美術という表現の枠組みで捉えることに一種の限界も感じていました。
 僕が情報学部での教育に関心を持ったのは、CM プランナーだった佐藤雅彦さんが2000 年頃から慶応SFC で展開していた教育がきっかけだったように思います。佐藤雅彦研究室が生み出していた表現はそれはもう画期的で、従来の美術という枠組みを取っ払った上でのクリエイティビティがあることを痛感しました。
 情報学部のようないろんな専門が集まる潮目にこそ、今の時代は本当の意味でのデザインが宿るんじゃないかと思って僕はここにいるわけです。時代は流れてきましたけど、だいたい当時の読みは正しかったと思います。

 今はビジネス系大学院でもデザインの教育がすごく行われているんですよ。デザイン的に考えるということは、デザイナーではなくてもイノベーションを生むために大事だというのが世界的に認められるようになってきました。そういう中で、本流じゃないところで一般の学生に分かるように必死に噛み砕いて言語化しながらデザイン教育に取り組んできたということが、意外なことに他の大学の先生から評価してもらったんですよね。そんなわけで分野を先導しているような方々と「情報デザインフォーラム」というコミュニティを作ったりもしましたが、自分がそこに貢献できているかはわかりません (笑)

坂本: わかんないんですか( 笑)

上平: 学部も学生の質もずっと変わり続けているわけですし、常に試行錯誤で悩み通しですね。でも、特にNS(ネットワークシステム)系の人に多いんですよ。最初はプログラマになりたくて入ったけれど、やっているうちにアプリケーションを作るためにはデザインが必要だということが少しずつ分かってくる、というのが。CD(コンテンツデザイン) コースの学生が居ることによって、プロジェクト等を通して学んでいることが大きいと思う。
 逆にCD コースの学生にもシステム設計的な部分から学べることは学んでほしいですよね。そういうところで融合している学部というのはすごく意味があって、分野を越境して知識を学生達が主体的にプロジェクトに活かしているのは、すごくいいことだと思います。

坂本: 2年生の演習『呼吸する文庫』では本を共有するサービスをデザインするために図書館でフィールドワークをしましたよね。あれはすごく面白かったです。

上平: 観察してみれば、いろんなことに気付きますよね。デザインする前には、デザインしようとしている問題をよく理解しなきゃいけない。利用する現場に行って問題や状況をよく理解して抽象化し、ヒントを見つけてコンセプトを構築して具体化していって詳細化していきます。デザインはインスピレーションで進めるものじゃなくて、こういったプロセスがあるんですよ。そういう手間暇をかけないで、ただテーマを与えられても自分の事にしづらいわけです。面倒くさくても色々なところをみて問題を掴み取っていくのがすごく大事なんです。食べた物が消化されて自分の身体になっていくのと同じように、何かをデザインする場合は自分がインプットしたことが源泉です。


 普通の授業みたいに、「はい、じゃあ考えて」って感じでいきなりその場でアイデアだけをひねりださせようとしても、いいものがでるわけがないし、そもそも問題に対してまっすぐ向き合おうというパワーは生まれない。学生達の学んでいる姿に立ち会いながら、僕はそのことにすごく気づかされました。デザインの能力は自分の経験が変換されているにすぎない。出発点としての現場から問題を見つけた経験こそが、課題に立ち向かうモチベーションとしても重要なんだな、ってことを思いましたね。
(2010年11月12日)

 

 


編集後記(担当 澤畠)

 上平先生というとこれまでは、デザインの先生、フォントに詳しい先生、というイメージしかもっていなかった。でも、先生の出す課題はとても面白いものばかりで、やっていて面白いといつも思っていた。しかしそれらの課題には必ず先生の意図があり、その意図が僕たち学生を成長させていることが、今回話をお聞きしてよくわかった。
 デザインという立場から、社会に対して出来ることをやっていこうという先生の考えのように、学生である僕も、自分に出来ることからやっていこうと思う。