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みえないものを、みる視点。

"包む"ことの2つの意味を知った

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7/18にかわさきコンフィズリープロジェクトの発表会を開催しました.短い時間にかかわらず,学内外たくさんの方がご来場くださいました.皆様ありがとうございました.改めて感謝申し上げます.

 

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写真は来場者の人気を集めた「夏奏」という作品(星野先生クラス).

川崎大師で毎年夏に行われる風鈴市の限定土産という設定で,ギモーブが入っているガラスの容器は風鈴としてそのまま使うことが出来るというもの.展示のディスプレイも夏らしさをよく演出してて見事です.

 

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さて,2年生前期の授業課題といえば,一般的には基礎的なレベルなので外部公開することは少ないわけですが,今回はそれを承知の上で学生達への"無茶ぶり"としてやってみました.案内文書書いてSNSで拡散したりポスター作って発表会っぽい状況を作り出したりすることで,あまり作品制作に本気になったことのない学生たちでも,"これは適当にすませるわけにはいかなそうだ"と,集中力が高まったようです.使える時間も前期の後半の8週間だけですので,ほとんど余裕のないスケジュールだったのですが,限られた時間でほとんどゼロの段階からここまで駆け上がって成長しちゃうとはやっぱり若さってすごい,と教員4人も改めて驚きました.

 

 

以下は自分用の振り返りです.
この授業では2014-15年度は多摩川サイダーという課題で,飲料品にまつわる体験のデザインを行いましたが,「炭酸が飲めない」という学生や,ボトルだとラベル程度しかデザインの余地がないという声も多くて(本当は制約が大きい中でこそ,逆手にとったデザインが面白いはずなのですが),そういうなら,じゃあ次は容れ物の箱までつくらせてみようじゃないの,と今回の課題に切り替えたという経緯があります.

教員一同「おそらく箱のパッケージは3次元の感覚が必要だし,デザインとしてまとめることができないところも出てくるぞ・・・」と予想していました.うちの2年生はこの授業が初めてのデザインの授業です.また対象となる学生は,デザイン系だけでなく,学部の8つの多様な学習プログラムから参加しています.それまで大学では立体を作ったこともなく,展開図を書いたこともありません.ですので条件は明らかに難しくなったはずです.ところが結果は逆でした.どの学生達にとっても,箱までつくるほうが考えやすかったようです.


演習の設計としては,制限時間のなかでちょうどいいぐらいの粒度の「葛藤」を設定するのが教員の仕事です.人々の創造を産み出すためには,題材に埋め込まれた葛藤こそが最大のファクターであり.それが小さかったり具体的過ぎたりするとアウトプットが大きく広がることもないですし,大きすぎたり抽象的過ぎたりすると,短期間では解けず,人によってはお手上げ状態になってしまいます.

 

ストーリーと対応づけてコントロールできる部分がボトルの表面から「容れ物」という立体にまで制約がややゆるまったことで,初心者の学生達にはちょうどいい粒度になったようで,明らかに発想の幅が広がりました.手で触って仕上がりを確認できることで,取り組むモチベーションもあがり,結果的に全体的なクオリティも上がったように思います.この点は我々教員にとっても興味深いことでした.

とはいえ,全33の展示作品を眺めていてとても気になったのは,ギモーブの付加価値である体験のストーリーをそれぞれのグループが競い合うかたちになること(課題としてそこに焦点を当て,それを評価すること)で,肝心の主役のギモーブの存在が薄まってしまうことです.

 

ビア・ギモーヴはそれだけで十分に素晴らしい魅力を持っているお菓子です.「お菓子を食べること」と「ものがたること」は,歌声を引き立てる楽器の演奏のようなアンサンブルとなる関係を想定していましたが,いくつかのチームの成果物はストーリーを付加することを焦るあまり,中身を覆い隠してしまうかのような成果物の説明になってしまっていたのは,我々の指導不足だったかもしれないな,と反省しています.

「包む」ことで見えるようになる何かがあり,また,それによって同時に見えなくなることがあります.我々は果たして何をデザインしようとしたのか,その両義性を痛感しました.パッケージって難しい.