Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

改めて歴史から学ぶ

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マット・リドレーの「繁栄―明日を切り拓くための人類10万年史という本を読んでいて,興味深かったのでメモ.彼によると,人間がここまで繁栄した理由は,「分業」と「交換」によるという.

 


交換が難しくなれば,人間は専門化を弱めるので人口が増加しなくても人口危機につながる恐れがある.マルサスのいう危機は,人口増加の結果として直接生じるのではなく,専門化の衰退によって起こるのだ.自給自足の高まりは文明が抑圧されている微候であり生活水準低下の尺度である.1800年まですべての経済成長がこうして終わっている.すなわちエリート層による捕食または農業の収穫逓減に起因する部分的な自給自足への回帰である.

 <中略>


1600年代,日本は比較的裕福で高度な文化を持つ国であり,フランスとスペインをあわせたくらいの人口を擁し,紙製品,綿織物,武器を中心とする製造業が強く,製品の大半が輸出用だった.1592年,日本人はポルトガル人が設計したものを複製した国産の火縄銃を何万挺も携えて朝鮮に侵略している.にもかからわず,日本の経済は農業が中心で羊や山羊が群れを成し,たくさんの豚が飼われ,牛もいれば相当数も馬もいた.犂(すき)は牛が引くモノも馬が引くものも一般的に使われていた.


ところが1800年代までに飼い慣らされた家畜は事実上消えてしまった.羊や山羊はほとんどみかけられず,馬と牛も非常に珍しく,豚でさえもその数はわずかだ.1880年に旅行家のイザベラ・バードがこう述べている,「乳を搾るための動物も,荷を引くための動物も食用にするための動物もいないうえ,牧草地もないので,田園地帯も農家の庭も妙に静かで活気がないよう見える」馬車も荷車も(手押し車さえも)ほとんどない.そのかわり輸送に必要な力は人間が提供し,肩に担いだ棒にぶら下げたり,背負子にくくりつけたりして品物を運んでいる.水車の技術は昔から知られていたにもかかわらずほとんど使われていない.米を脱穀したり搗いたりするのは臼と杵とか,石の重りがついた踏み子で動かすはねハンマーが用いられる.江戸のような都市でも米搗き人が衝立のむこうで裸になり,ときには何時間もせっせと米を搗く音が聞こえてきた.水田に必要な灌漑用のポンプは日雇い労働者が足踏みで動かしている.ヨーロッパ人が動物と水と風の力を利用していたのに対し,日本人は人力で仕事していたのだ.


どうやら1700年から1800年のあいだに,日本人は集団で犂(すき)を捨てて鍬を選んだようだ.その理由は役畜よりも人間の方が安く使えたことにある.当時は人口急増の時代であり,それを実現したのは生産性の高い水田だった.水田は窒素を固定できる水中の藍藻のおかげで自然に肥沃になれるので肥料がほとんど必要ない.(ただし人間の糞尿はこつこつ集められ,慎重に保管され念入りに土に施されていた)豊富な食糧と衛生に対する入念な取り組みのおかげで日本の人口は急増し,土地は不足したが労働力は安かったので犂をひく牛馬に食べさせる牧草を育てるための貴重な農地を使うよりも,人間の労働力をつかって土地を耕す方が文字通り経済的である状態に達した.そうして日本人は自給自足を強め,見事なまでに技術と交易から手を引き,商人を必要としなくなってあらゆる技術の市場が衰退した.

(第6章 18世紀 日本の勤勉革命より)

 

日本に起こった勤勉革命の別の見方.最近,自給自足したがる人が増えているのは,この見方からすればあまり良い傾向ではないのかもしれないね.