Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

"買い物する"ということは:タリンで見た風景

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エストニアの首都、タリンのスーパーマーケットのレジにて。

大きな液晶モニタで個別の商品の金額と合計金額がいくらかリアルタイムで表示している。これはわかりやすい!外国のスーパーで買い物した経験がある人は分かると思うが、ローカルな言語で金額を読み上げられてもわからないのだ。

しかしながら、インタフェースだけを取り出して短絡的に面白がるよりも、なんでエストニアではこんなものが発達しているのか、という背景を考えてみる。

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このタリンという街はヘルシンキの向かいにあり、物価が北欧に比べて安いせいで、フィンランドからみんな買いだめに来るという。帰りのフェリーで実際に目撃して驚いた。うお、こんなに買っていくのか。手持ちでこれなら・・・・車できている人達はもっと買い込んでいるんだろう。

 

つまり、この大型スーパーでもエストニア人だけでなくフィンランド人も主要顧客なわけだ。それぞれの国は言葉は違うが、通貨は同じユーロ。数字さえきちっと表示すれば両国の人達は問題無く買い物できる。そういうわけで間違いの無いようにモニタで逐一、かつ大きく見せる、という発想になるのだろう・・・と勝手に推測する。買い物に関わるインタラクションも、その買い物の文脈の全体性を理解することでもう一つ上の視点から見えてくる。

 

#書いていて思い出したけど、日本のコンビニなんかはもっと洗練された筐体に液晶ついているんだったっけ。