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みえないものを、みる視点。

灼熱のロンドンにて都市の多様性を思う

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先週一週間(6/29-7/3)はロンドンまで出かけてきた。こちらに来てから初の家族同行の旅行でもあり、調査半分・観光半分だったが、予想以上に収穫多かった。

簡単に要約すれば、ロンドンナショナルギャラリーでダヴィンチのデッサンに感動→ロンドンデザインミュージアムでとある若者の行動力を示すプロジェクトに感心→Show RCA 2015 を一日がかりでじっくり見る→書店とデザインショップ巡り。いろいろツールキットの参考資料を買い込む→大英博物館ロゼッタストーンを駆け足で見る→ロンドン芸大・セントマーチンズでAndrea教授とミーティングと学校見学→テート・モダンですばらしい絵画に恍惚とする→水上バス観光でビッグベン→テート・ブリテンターナー見る→New Desiginers(イギリスの美大選抜ショーケース)で若者達と話す→買い物→子供と一緒にサイエンスミュージアム・・・と言う感じでたくさんインプットしつつ、かなり歩き回ってクタクタになった。個別の記事は時間あったら書く予定。

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初のロンドンは30度越えでまるで日本のような暑さ。涼しいところになれた身には急な熱気でしんどい。セントマーチンズの前の噴水ではこどもたちが楽しそうに水浴びしていた。

 

そしてロンドンは想像以上にエネルギッシュな大都会で、他人との距離を保ちつつ気ぜわしく人々が歩く感じはニューヨークにも似ている。そして歩行者は誰も信号を守ってない。むしろ大阪か。

 

僕の中では北欧と他の欧州はそれほど差異化出来てなかったが、北欧はやっぱり人々の意識はだいぶ違う。それはデザイン学生が対象に選んだ自分の作品(?)のテーマ設定からもそれははっきりとわかった。ロンドンのそれは東京とほとんどかわらない気がする。RCAで出会ってしばらく立ち話したとある人との会話で、「大都市になればなるほどデザインはコンサバ化していきますし、本当の意味での新しいデザインは小さな田舎町にあるんじゃないかと思いますよ」という言葉が印象に残ったが、そうなのかもしれないな。

 

デザインとはこういうものだ、というカルチャーが人々に伝播していく力は、それが優れたものであるにせよ、ある意味でパターン化と隣り合わせだ。昔のモダニズム然り、現代のデザイン思考やUXデザイン然り。それは、限られた時間的制約の中で型をつくらざるを得ない教育カリキュラム(と主に教員)の問題なのかも知れないし、デザインに取り組む学生たちが問題探索や設定時に自分のアンテナがピンと立つスコープの狭さもあるかもしれないし、現代の都市生活者がみんな似たようなライフスタイルを送っており、個別の多様性は意識の水面下に隠してしまっている、ということでもあるだろう。要するに複合的な要因で落としどころが似たところに落ち着くということだ。

そういった環境の中ではイノベーティブな問題の再定義にはたどり着きにくい気がするが、それはそれで均衡を保っているわけで、それでよいのだとも言える。つくづくデザインとは社会との相互作用なのだな、と思わされた。