Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

「チーム分け」にはどんな工夫してますか?

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考え方のトレーニングとして,「あたりまえのことを切り替える方法」にはどんなものがあるかを考えていた.ふと頭に浮かんだのが「チーム分け」のことである.学習者を小グループに分ける「組み分け」は,教員にとっては日常的なタスクだ.普通にくじ引きしたり,近くの人でまとめたりと,みんな自分なりの方法でやっている.人力で分けるのは面倒だし不公平になることもあるので,Webサービスを使う人も居るだろう.

でも,教育者側が指示して分けるということは学習者にとっては逆らいようのない権力であるし,コンピュータで機械的に分けられるのも気持ちの良いものではない.そういった結果を従順に受け入れることは結果的に「やらされてる感」に繋がっていく.例えば,自分たちの意思で集まった場合と強制的に分けられた場合は,正直グループに対する帰属意識や責任感も全く違うことになるはずだろう.なので僕自身はチーム分けの際にほんの少しでも「自分で選んだ」という能動性を持たせられないか,ということをよく考えている.

それに加えて,ちょっと変わったやり方にするなどして,組み分けに頭を絞るのは教員やファシリテータにとって結構いい頭のトレーニングになるのかもな・・・と思ったので以下,僕がこれまでやったことをいくつか書いてみる.

 

1)トランプを選ぶ

数字の側を伏せて選ぶ.普通のクジと同じ「運」になってしまうのだけど,どのカードを選ぶかは自分で選ぶことが出来るところにはちょっとだけ自分の意思が入る.数字とマークそれぞれ扱えるので,いろんなケースに使えるので汎用性が高い.そういえば以前,トランプのカードをIllustratorで模写するという実習の際に「引いたカードを責任もって模写する」というミッションにしたことがある.カードの中にはスペードのAとか複雑なものも入っているので,全員同じものをやるよりは盛りあがった.

 

2)レゴのパーツを選ぶ

人数分のレゴのパーツを用意.事前に適当なグループに分かれるように揃えておく.学習者にはパーツを見た上で「自分で」選ばせる.形に着目するか色に着目するかでだいぶ傾向がわかれる.メンバーが集まったら,パーツを合体させる儀式(ほんのちょっとの体験だが,けっこう大事)

 

3)ドリンクを選ぶ

ずっと昔,新入生オリエンテーションの際に実施した.入り口で全員に何十種類かの缶ジュースを選ぶ.何も知らない新入生たちは,これがまたいい感じに全員飲みながら机の上に目立つように置いてくれていて,さあ組み分け,という時に「実はね」と種明かしすると,ただのドリンクが一瞬で別の意味を持つ記号に変化して面白かった.だれも知らない状態で例えばドクターペッパーを選んだ仲間,というのはなんだか運命のような仲間になれそうだ.

 

4)パズルをあわせる

3の次の年の新入生オリエンテーションだったかな.メンバーがちょっとづつ集まっていく過程をもっと「里見八犬伝」みたいな感じで楽しめないか,というコンセプトでやった.120人全員がひとつのピースを事前に渡して,わらわらと周囲と試行錯誤しながらながら手持ちのピースをあわせて行く.そして10のピースが合体して一枚の絵になる.絵にはそれぞれメンターの先生の顔が描かれており,チームによって召喚される.そうして自然に12の班が完成する

 

5) チャートを選ぶ

ワークショップで受付する際に,チャートが書かれた用紙を渡す.

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テーブル事にA〜Dの属性の人が,なるべく均等に配分されるように座席を作っておき誘導するという仕掛け.

 

 とりあえずいくつか事例を示してみた.どこまで時間とれるかは状況によるが,参加者側としてはだれと組むか.それは誰によって決められたことなのかは大きくモチベーションが左右されるものなので,適当に考えないで工夫してみるのは意味のあることだと思う.

 

あなたは,「チーム分け」に,どんな工夫してますか?

 

 

 

異文化の眼を通してこそ,見えてくる価値

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8/31は住んでいるマンションでワールドカップ予選のパブリックビューイング

ハリルホジッチ監督の采配は素晴らしかったが,考えてみれば自国を代表する選手を束ねる役割に外国人の監督が招かれているのは興味深い.彼がやっている仕事は,たぶん日本人同士では見えにくい選手の価値や連携する力を他者の視点で見抜き,それらを引き出した組織を組み立てることなんだろうと思った.

先日書いた「デザインと土着性」のことを思い出す.

一方で、同じ時期に見たデンマークの学生たちがコソボに行って現地で協働でプロジェクトに取り組んだ事例では、現地のフィールドワークを地元民がサポートしており、外部者の価値観を活かしつつ、当事者の抱える問題の目線で消化されていたように思う。現地民がデザインパートナーとしてホームに招き入れている形式だったからこそ、他者視点を発揮できているということだろう。

 

この日までハリルホジッチ監督のことはよく知らなかったけど,彼がユーゴスラビア人だと知って,いまごろになってかなり関心が湧いてきた.

 

 ユーゴスラビアの名作映画「アンダーグラウンド」(僕にとっての永遠のマスターピース

www.eiganokuni.com

研究を再起動する

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風が爽やかになり,季節が急速に秋に向かいつつあるのを感じる.夏休みに書いていた論文を先日投稿して,今日から後期に向けて動き始めた.さっそく後期の計画を立てはじめているところ.

 

さて,我々にとって秋になると言うことは科研費(国が支援する科学研究費助成事業)申請の季節ということでもある.すっかり忘れていたが,昨年度に落ちた基盤研究の申請書の審査結果が開示されていることを思いだして,久しぶりにログインして見てみた.

 

科研費を申請する場合,通常は自分の研究テーマに応じて学術的な分野に分けられた応募領域をえらぶのだが,僕の場合,今はデザイン分野の知というより,学際的な知に対する関心が強いので,「デザイン学」として申請するより越境して闘うことに挑戦したいな,という思いで「特設分野研究」というホットなトピックが扱われるところに申し込んでみた.ちなみに申請書は問題の学術的意義や研究組織,予算計画などA4にギッシリ15ページも書かなくてはならず,相当に骨が折れる仕事である.そして審査委員となる他分野の研究者が納得するレベルの論理構成で書かなくてはならない.

 

というわけで昨秋に書いたものに対して,審査結果開示の通知が8月末.

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審査結果は70件中採択5件で,採択率はわずか7.1%!通常の細目ではほぼ採択率30%が標準的なので,実に狭き門だった・・・.がっくり.

 

その下にはおおよその順位も記されていた.僕の審査の結果は「A」で,どうやらかなり上位,通常の採択率であれば当確だったぐらいには評価して頂いた模様.大学院まであるガチの研究室でもない私大教員にしてはまあ健闘した方かな,とちょっと自信になった.科研費データベースで採択された題目を調べてみると,否の付け所が無く,かつ必要性の高そうな題目(医学とかセキュリティとかロボットとか)ばかりだ.まあ,こんなラインナップの中ではデザインみたいに不確実な知を扱う研究は厳しいよなー.なんで僕はなんでこんな激戦区に挑もうと思ったんだろうかw 変化球の研究は成果に幅を持たせるものではあるけれど,国の予算が厳しく限られているときには当然見送り対象になる.ここでは縁がなかったけど,まあハードな申請書を書くことで自分の問題意識とそれをどうやって実践したいのかはかなり言語化できたし,勉強になったからよしとしよう.

 

 

 

 

 

上書きされていく記憶と,されない記憶

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帰省した折に,実家近くに古民家をリノベーションしたゲストハウスがオープンしたという噂を聞いてちょっと見に行ってみた.目的地に着くと,我々この地域の小学校に通った者は忘れられない思い出の「角のたばこ屋」が,とても上品な家に生まれ変わっているのが見えた.入り口にあるタイルでできた柱が昔のまま残されていることがとても嬉しい.この文字を眺めていると,入り口を入って正面に店主のおばちゃんが鎮座していて,そこから左側に折れると右手の方にアイス売り場が,左手の方に駄菓子がボトル売りされてたっけなぁ・・・と古い記憶が懐かしく蘇ってくる.

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内部の様子.フルにリノベーションされており,ピカピカである.コミュニティのイベントに貸し出したり,地域の寄り合いにつかったり,という使い方を想定されているそうだ.そして団体で宿泊するために借りることも出来るようにする予定とのこと.

どなたが運営されているのか興味があったのだが,向かいのガス屋さんの奥様でもあるKさんを中心に運営されているそうだ.入り口にある「き」を図案化した暖簾のロゴも自分でデザインされたそう.ここの場所にあったタバコ屋は,ずっと昔に閉められて女主人も亡くなり空き家になっていたのだけど,紆余曲折あってそこにコミュニティ向けの場所を作ろうという企画が持ち上がり,いろんな人の協力を得てようやく無事に実現されたという話を聞かせて頂いた.

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庭にはピザ釜やバーベキューできそうな空間がある.これは楽しく使えそう.こういう場所を演出する素材は手に入りやすいのと.いろんなものが寄贈されて集まってくるのは,田舎ならでは.

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運営されているKさんご夫婦とおばあさん.母を運転手にしてここに連れて行ってもらったら,なんとこのおばあさんとは古くから知る友人だったようで,さすが地元.「だいたいが知り合い」という狭さに笑う.

 

母と運営者の方々が昔話や近況交換する様子を見ながら,こういったリノベーションした寄り合い場所は,関わる人々のいろんな記憶がまだらに重なっていく不均質さ具合が面白いと思った.地図上の場所は上書きされても,我々のように古い繋がりを持つ者は,ここにもう一つの意味を重ねることができる.逆にここがコミュニティの中心地となることで,これから新しい活動を行う人達によって蓄積されていく記憶もある.この二つの層が不均質だからこそ,コミュニティが撹拌されるのだ.

 

実際,この「きてん」が出来てから時々イベントが開催されることで,普段訪れないような人もこの地域にやってくるようになり,「より処」としてすこしつづ機能し始めているようだ.まだ始まったばかりとのことでこれからいろんな取り組みを試していくそうで楽しみである.

 

上平は「きてん」を応援しております.

 

 

タイムスリップしたような温泉体験

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帰省した時に実家近くの温泉に行ってみた.旅館併設のキレイなところではなく,いちばん鄙びた地元民向けの「共同湯」を目指す.写真のとおり,ここは昭和の香りがそのまま今でも残っている.

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共同湯の内部は木造だ.こういう本気の昭和感は都会ではもうなかなか味わうことができなくなってしまった.GRのレトロフィルターでさらにノスタルジックさを演出してみる.

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温泉の湯船はこんな感じ.家族風呂ともそんな変わらないようなサイズだが,強烈な硫黄臭は,温泉に来たという高揚感を持たせてくれる.

まだ人が少ない時間だったこともあり,源泉が薄まっておらずもの凄く熱かった.水風呂と熱い湯に交互に何回か入るとトリップするというのを試して見たくて,トライしてみるが・・・イマイチわからなかった.

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しかし実に良い湯だった.母が「小さいとき,手にしもやけが出来ると父にここに連れてきてもらった.ここの湯につかるとすぐ治ったんだよね」と言ってたが,確かに肌がすべすべになった(ような気がする).そういえばここは西郷さん愛好の湯でもあり,「全国名湯百選」に選ばれているという,評価の高い温泉でもあったのだ.

 

温泉はお風呂に入って身体洗ったり温まったりするだけじゃなくて,上がった後に涼む体験がまた良い.この温泉街がいいのは畳の上で扇風機で涼みながらいろんな人に会って会話できるところだ.ジャーニーマップ的に言えば,利用客のイン・サービスの中で2回目の感情の盛り上がりが存在するというか.

決して人為的に手間暇かけて成されているわけじゃないけど,コミュニティに重要な「縁側」的な機能がごく自然に存在しているところが素晴らしいと思う.

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薩摩川内市ボンネットバスが狭い街道を走る.白黒にすると今月の写真だとは思えなくなるね.

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ボロボロに朽ち果てた電車が展示されていた.温泉ついでに写真撮りに来たのだけどなかなか撮れない写真が撮れて満足だ.

onsen.unknownjapan.co.jp

 

 

 

高校生向け1DAY デザインワークショップを実施

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8/6(日)に,高校生を対象にした1DAY デザインワークショップを実施した.実施に至った経緯として,今の日本には高校生が情報デザイン周辺のことを学びたいと志望する以前に,そのようなことに思い至るきっかけすら少ないという事情がある.そこでわれわれの学部でも高校生に対してデザインを学ぶ機会を積極的につくってみようということで,試しに1日がかりのワークショップをやってみることになったというわけだ.

参加者は課程連携の高校生と,公募で集まった高校生達で計16名.高校生向けのデザイン教育については,先日も書いたように今後の必修化に向けて内容を充実させるためにもいろんな方向から検討されるべきだと思うので,まずは自分の事例を公開してみることにする.

 

1.題材について

1日まるまる使って企画して良いという好条件だったので,アイデア提案だけでなくてちゃん"ゴールまで進めた達成感"(目的1)を感じれる内容にすることをめざした.そして高校生がデザインしてみることを楽しめるものは何か・・・・を念入りに検討した結果,研究室の学生達の助けをかりながら「Tシャツ」という題材を探り出した.今の高校生達には,クラスTシャツ文化というのが広く根付いているんだそう.自分たちに馴染みがあり,作り手と使い手の立場を経験しているものだからこそ,改めてそれをフレーミング(違う枠組みで捉え直すこと)してみることに意味がある(目的2).

T シャツは形状から来た名前なので,ここでは会話を生み出す"Cシャツ"という造語をつくってみた.設定としては,無人島で高校生達を集めたプロジェクトのキャンプが開催されるとして(つまりクラスやクラブ活動などの所属コミュニティを外した一期一会の場で),Tシャツを媒介してどんなコミュニケーションを起こすことができるか,が主な課題ということになる.簡単そうに見えてもけっこう奥は深い.

 

2.一日を4つのフェーズに分割する

今回のワークショップは,優秀な個人の発想力や表現力に認定を与えることが目的のひとつでもあった.とは言え固定観念を外すためにはチームで考えることも大事なので,最初はグループワークでリサーチをはじめて,最後は個別ワークで終わるようにした.オーソドックスなデザインプロセスではあるが,僕はデザインのトレーニングにおいては「因果関係をつなげる視点を持つ」(目的3)ことが不可欠な条件だと考えているので,

このワークショップは「モノをリユース(再利用)して新しく価値を作りだすこと」を大きな目的としていますので,可能な限り新しく新品を買うのではなく,自分の家に眠っているもので使えそうなものを見つけるか,もしくは身近な人たちから譲り受けてもらえればとおもいます.(実はデザインは,素材をみつけることからもう始まってます)

という指令を事前に出した.どこからともなく素材が用意されているのはよろしくない.

 

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そういうわけで4つのフェーズに分ける.説明するときに気を付けたのは,4つのフェーズで「抽象的な世界」と「具体的な世界」を往き来することを意識させたこと.しばしばデザイン思考系ワークショップでも「プロセスを学んで、手続きにそって作業していけば答えにたどり着く」ような誤解が生まれるのだけれども,普通に横に進んでいくような図だと,ベルトコンベアみたいに目の前の流れだと思い込んでしまうんじゃないかと思うのだ.

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8ページの冊子をつくった.グラフィックにもこだわりたかったが,それよりも準備することが山ほどあり,間に合わせのレイアウトで何とかした.

冊子データはSlideShareで公開.

 

 

僕のワークショップに参加したことがある人は,ストーリー仕立てのイントロとか最後のページのチームメンバーのサインとか,いろんなところにこれまでの経験を使い回しというかノウハウを投入しているのが分かるかもしれない.どさくさに紛れて観光大使を任命されている阿久根市にある阿久根大島をアピールしておいた.

 

1.「しらべる」フェーズ

集合してグループ分けして題材の説明の後,まず「しらべる」ことに取り組む.

1)自分たちの経験を相互にインタビューする

2)ちょうどオープンキャンパスが開催されているので,学内をフィールドワークして人々が何をどのように着ているかを観察する.

という二つの方法で気づきを集めていく

 

せっかくの他校生と話す機会なので昼食時には楽しく会話して欲しいな,ということでチームで食事しながら学食の中で観察し続けることを指示.なお,これは初対面同士という,今回の題材にある無人島キャンプでのコミュニケーションを疑似的に体験することでもある.題材がリアルな状況の中で重なるはず.

 

2.「ねらいをさだめる」フェーズ

オープンキャンパスが開催されている10号館から移動して,ネットワーク情報学部の演習室が集まる1号館へ.そして午後の部「ねらいをさだめる」フェーズが開始.みんなフィールドワークをやってみたら想像以上に面白かったようで,いろいろと各自で発見したことを報告してくれた.

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気付いたことを単位化しつつ,ホワイトボードで一覧化して考え始める.

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だんだん打ち解けてきて,どのチームも意見を交わすのが楽しくなってきているようだ.

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高校生もいろんな視点だしているのだね.ポストイットがとても面白かった.

ここでの抽象化はやろうと思えばどんどん深くはまってしまうので,手短に整理しつつ個人の中で気になったことをピックアップして題材にするという方法にした.

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準備したワークシートにあわせてコンセプトを絞り込んでいく.リサーチから気付いたことを使って,特定のシーンを決めることがポイントである.

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吹き出しを貼りあわせて,想定される会話のシミュレーションしてみる.

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ダメ出しを受ける.

ねらいをさだめつつ,どんな風につくるかのアイデアスケッチをはじめる.

 

3.「つくりながら考える」フェーズ

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いよいよ本制作.卒業研究で外来植物をつかったデザインワークショップを進めている上平研究室のOさん(4年)が布に関する着色や加工についての説明をする.

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各自,アイデアに従って,プロトタイピングして考えていく.フリーハンドで本制作する場合は,FABRIER(ファブリエ)という樹脂顔料を使って描画する.

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またはIllustratorをつかってアイロンプリントのデータをつくる.Illustratorの使い方も教える必要があるので,受講生16人に対して在学生アシスタント10人を動員,それでも大変だった・・.

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 わっせわっせとアイロンでプリントする.ちゃんと定着させるのは結構難しい.

そしてあっという間にタイムアップ.

4.「みんなで共有」フェーズ

全員でコンセプトと制作物のプレゼンテーションをする.終盤はちょっとバタバタしたけども,ちゃんとリサーチからコンセプトを決めてから表現したことが生きていて,単なる飾りつけではない成果物になった.みんなとても面白い.

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こちらは,何箇所かにプリントされた図柄をつかってゲームのような形式でグループ分けができるというアイデア.この生徒さんは午前中のリサーチの時点からいい視点を持っているな,と思っていたが,やっぱり制作物も面白かった.

 

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 僕がいちばん感心したのはこの生徒さん.背面にもユニークな仕掛けがあるのだが,首元に首飾りのようなビジュアルで,その人が「呼ばれたいニックネーム」がプリントされているというもの.最初はインスタのアカウントで考えていたそうだが,自分でよく考えた結果,キャンプという非日常の場においては,目の前で会って名前を呼ぶ,ということが一番のコミュニケーションの原点ではないか,と思い至ったそう.シンプルなアイデアだけれども見落としがちなことだし,安易にSNSと繋げないで「いま,ここ」にある対面の会話の価値を何より大事にすべきだ,という主張は傾聴に値する.

 

経験値の少ない高校生のデザインでも,ちゃんと思想が込められたものは美しいし,彼らがそういうことに挑戦する機会を社会の中でもっと用意することが大事だろうと改めて思った.

 

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完成したものは,ビニールバッグに入れ,表面にステッカーを貼ってパッケージにして持ち帰る.(中に入っているTシャツはダミーです)

コルクの製品タグにはDesigned by _____と参加した生徒の氏名が刻印されている.ロゴは学生のSさん(3年)がデザインし,タグ作りはY君(2年)が担当してくれた.つくったものをそれっぽいかたちに位置づけることも,けっこう大事.

 

最後にはTシャツ着て屋外でカメラマンによる写真撮影する.そこからポストカードに印刷して持ち帰るというのまで企画してたけども.これはさすがに時間不足で断念.

 

最後に使うはずだったが使わなかったスライドより.

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デザインとは何か,なんてなかなか説明しても伝わらないものだけど,実際にやってみた直後だと,こう言った抽象的な言葉もちょっと腑に落ちたりするもの.デザインとは単に見た目や印象の話しではなく,how it works(どう動作するか)だ,というのはこのワークショップでも全く同じことである.(※how it worksを「どう機能するかだ」と訳してるサイトが多いが,機能という言葉だとだいぶニュアンス変わる気がするのであえて直訳にする)

 

まとめ

もうちょっと制作環境を整えないと,つくりながら考えるところの密度は高くならないが,リサーチを取り入れることで「ただ好きなモノをつくる」にはならず,「状況を考えながらつくる」ことに繋がっているとは言えそうだ.

とりあえず,1)「ゴールまで行く達成感」,2)「リフレーミングする」,3)「因果関係をつなげる視点を持つ」という当初の目的3つについては,わりと達成できたのではないかと思う.材料や制作環境などの準備に必死でアンケートをとりそびれたのが大きな反省点で,ワークショップを通して高校生が何に気づき何を考えたかを把握するためにも次はちゃんとデータ取っておかなければ,と思った.

 

 

 

 

デザインと土着性

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2年前にロンドンでRCAの修了展を見に行った時、国境を越えた学生チームでデザインにとりくむことの難しさを知った。プロのように経験値でカバーできない学生の場合は、同じインターナショナルなチームだとしても、みんながアウェーの状態でやるか、どこかにホームを決めて行うかでは、だいぶ条件が違ってくる。

みんながアウェーの中で、文化的な背景や価値観が異なるチームメンバー(例えばほとんどが外国から来た留学生)が協働でデザインする場合、問題対象にただちに入り込めるわけでもなく、それぞれの先入観を早い段階で壊すのは極めてむずかしい。そして解決案もメンバーの価値観の最大公約数的なところに落としてしまいがちである。やっている当人達にとっては母国語や文化差を越えて議論し創造することに多くの学びがあることは否定しないが、残念ながらアウトプットはそうなってしまう例をたびたび見る。

一方で、同じ時期に見たデンマークの学生たちがコソボに行って現地で協働でプロジェクトに取り組んだ事例では、現地のフィールドワークを地元民がサポートしており、外部者の価値観を活かしつつ、当事者の抱える問題の目線で消化されていたように思う。現地民がデザインパートナーとしてホームに招き入れている形式だったからこそ、他者視点を発揮できているということだろう。

この対照的な二つの事例を見比べて、僕は「言語」のなりたちを連想した。大抵の人類はどんな僻地でもコミュニティの中で独自の言語を自然に発達させて文化の継承を行っているが、1世紀ほど前に人為的に作り出されたエスペラント語は、結局一般層まで普及することはなかった。文化という土壌をもたない自然言語は存続しえないということだ。同じようにデザインという営みにも地域固有の文化という土壌が必要であり、土着性のようなものは大きいんじゃないか・・・というのがその時の感想だった。

そして先日、とあるインターナショナルな大学連合のプロジェクト成果の展示を見に行った際に、再び考えさせられることになった。成果物の一つに、避難所向けの救援物資と情報のプラットフォームを提案したものがあった。そのデザイン過程で、イタリア人は宅配ボックスのようなメンタルモデルを元に、ピッピッピと数字を入力して物資を受け取れるという「無人の端末機」のアイデアを提案し、日本人はコンビニのようなメンタルモデルを元に、中に何があるかショーケースのように見えていて「人が受付して物資を渡す」というアイデアを提案したという。基本的にいろんなことを自力でやるヨーロッパと、スタッフが過剰なほど親切に対応する日本というのは、なんというか「あるある」であるが、結局双方譲らず最終的な統合に失敗したようで、成果物はふたつのアイデアを無理矢理組み込んだ折衷案になっていた。成果物には隔てる壁のようなものがつけられ、そこには国境を痛烈に感じさせた。

 

さて、どちらがより妥当な答えなのだろうか?災害はどこでも起こりうる。だからこのプラットフォームは地球上どこでも必要になる可能性がある。とはいえ、日本の被災地で使うなら、コンビニモデルなんだろう。セルフレジすら普及しない日本において無人端末機を災害時に設置しても、シニア層を中心にわからないとクレームが頻発しそうだ。逆にスタッフの親切さが望めないヨーロッパではなんとかしてしまうのかもしれない。

だからこの場合、使う場所と対象者を決めないことには進めようがない。でもこのプロジェクトはイタリアでもなく日本でもなくシリコンバレーでデザインしているから、どっちもアウェーということになり、自分たちの能力の問題というよりも環境的な要因でケンカになりやすい,というわけだ。

もちろん文化差を乗り越えて素晴らしい解に到達している事例もあるから、すべてに言える話というつもりはないが、デザインを行う際には、多様性を組み込めばより幅広い問題に対応した解を導けるというものではなくて、基本として「どこで」「だれが」などのつかう場所の条件については考える必要があるはずだ。そこでメンバー間の意見の差異を文化的なコンテクストとして整理することや、それらを考慮した上で最終的な成果物は特定の地域向けにローカライズしたほうがいいのか、はたまたしないほうがいいのか、という問題は、短時間の集中的な仕事の中で決められることでもないよなぁ、と思った。

 

まとまってないけど、自分のためのメモ。

抜け落ちている視点もたくさんあると思うので、感想など聞かせてもらえると嬉しいです。

35年ぶりのラジオ体操

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こどもたちが夏休みに入り、近所のラジオ体操に行き始めたとのことで、僕もちょっと早起きしていっしょに参加してみた。いつでもどこでも体操の音楽はかけられるようになった現在でも、地域の人達がNHKラジオの時間に合わせてあつまって一斉に体操するという不思議な風習は生き残っているのだ。不便な制約に縛られることでコミュニティが生まれるのが面白いところ。会場は近所の神社で、けっこう親子で参加している人達も多い。

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終わるとみんなスタンプに一列。どうってことない仕組みだけど、スタンプが続くとなんだか嬉しいんだよね。

 

さて、このラジオ体操にわざわざ参加したのは、実は個人的なリサーチである。ここのラジオ体操は、なんと「こども食堂」との併催なのである。他でやっているところはない珍しい企画だそうで、ラジオ体操の後に参加した子ども達は、無料でおにぎりとお味噌汁の朝ご飯を食べることが出来る。

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とても人気のようで、おにぎりは速攻で無くなり、鍋いっぱいの味噌汁もみんなおかわりしているうちにあっという間に空になってしまった。

準備などはとなりの居酒屋が中心になって料理して提供しているそう。長期になるとボランティアベースの活動は経済的にも労働的にもかなりの負担だと思うが、夏休みの7/25-8/5の2週間限定ということで、なんとか持続できるラインを探っているようだ。

 

それもしてもラジオ体操とこども食堂をくっつけるというのは、なかなか思い付きにくい面白いアイデアだと思う。考えてみればこのふたつは結構相性は良い。夏休みはどうしても子ども達の生活は乱れがちだし、学校がないと孤立しがちな子供も多いそうなので、たいへん素晴らしい活動だと思うし、応援したい。

 

僕自身は30数年ぶりにラジオ体操に参加した賀、早起きしてちょっと運動すると、すこぶる午前中の体調がよいことを知った。もっと運動が必要だ。

 

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帰りにみつけたバス停に並ぶ椅子。なんだこれ。これに座って待つのだろうか?

 

講演記録:社会のものさしがかわるとき

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7月16日(日)、横浜市栄区の市民団体である「さかえdeつながるアート」のお招きで講演してきた。これは横浜市の地域文化サポート事業のヨコハマアートサイト(というものがあるそうです、横浜市羨ましい)の支援を受けた市民向け活動の一環で、昨年度に引き続き大人世代が学ぶ場としての「おとなのキャリア教育講座Part2」という位置づけである。

たいへん暑い日、しかも3連休のど真ん中にわざわざ来て下さったオーディエンスは栄区の一般の保護者の方々・・・かと思っていたら、地元PTAの役員や地域コミュニティで重要な役割を担っている方々、専門職の方々が中心で、みなさんとても熱心に聞いてくださって感謝。

 

内容は大きく3つ。

1)デンマーク社会の事例をもとに、自分たちの社会を構成している"ものさし"(価値基準)を再考してみる。

2)AIの発展予測にともなう社会の変化と必要な力の変化を知り、自動化されにくい(人間の強みである)「創造性」「社会的知性」について考える。

3)議論ではなく、「対話」の方法と意味を考える。

 

この講座は午後の2時間。結構長いかもなぁ、と思っていろいろ準備してみたが、途中に対話や共有を取り入れたら意外にあっという間にすぎてしまい、消化不良でもったいなかった。産技大の卒業生でもあるSさんに、「デザインではなくてコミュニケーションに特化した話をされたのがとても新鮮でした」と言われたが、何を隠そう、ぼくは邪道の人間なので、大学でも川崎市との連携講座でも、デザインという言葉をなるべく使わないで勝負する機会は割と多いのだ。

 

講演の中で、割とみなさんが面白がってくれたのが、「象と象使い」の喩え話。

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このメタファーについては、僕は社会心理学者のジョナサン・ハイトの「社会はなぜ右と左に分かれるのか?」で言及されていて知ったが、彼の前著「しあわせ仮説:古代の知恵と現代科学の知恵」の中で詳しく説明されている。

 

ハイトによると、人間の心は、無意識で自動的なプロセスの上に言語でコントロールできる意識的な思考回路が被さっているもので、その仕組みは、[象]の背中に乗る[象使い]のようなものだという。手綱を引くことで、象に指示をだすことはできる。しかし、それはあくまで象が素直に従ってくれたときだけである。象が他の欲望を持っていたら象使いにはなすすべがない。だからハイトは、「誰かの考えを変えたければ、まず[象]に語りかけるべきなのだ」という。

 

人は論理だけでは動かないというのはよく言われることだけど、意識的な思考と自動的な感情が協働することで心を構成している、というこのメタファーは僕自身とても腑に落ちる。これを知ってから、行動をうまく制御できない子供に接した時に「象使いがまだ訓練中なのだ」と理由がちょっと分かるようになった。我々はそれぞれ象に乗りながら対話していると思えば、対話を諦める前に、もうすこし幅広いコミュニケーションの方法を探れる・・・のかもしれない。

 

www.ted.com

上の写真は参加者の方から頂きました。ありがとうございます。

 

■さかえdeつながるアートのブログ

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■昨年度の「おとなのキャリア教育講座Part1」

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