Kamihira_log at 10636

みえないものを、みる視点。

デザインと土着性

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2年前にロンドンでRCAの修了展を見に行った時、国境を越えた学生チームでデザインにとりくむことの難しさを知った。プロのように経験値でカバーできない学生の場合は、同じインターナショナルなチームだとしても、みんながアウェーの状態でやるか、どこかにホームを決めて行うかでは、だいぶ条件が違ってくる。

みんながアウェーの中で、文化的な背景や価値観が異なるチームメンバー(例えばほとんどが外国から来た留学生)が協働でデザインする場合、問題対象にただちに入り込めるわけでもなく、それぞれの先入観を早い段階で壊すのは極めてむずかしい。そして解決案もメンバーの価値観の最大公約数的なところに落としてしまいがちである。やっている当人達にとっては母国語や文化差を越えて議論し創造することに多くの学びがあることは否定しないが、残念ながらアウトプットはそうなってしまう例をたびたび見る。

一方で、同じ時期に見たデンマークの学生たちがコソボに行って現地で協働でプロジェクトに取り組んだ事例では、現地のフィールドワークを地元民がサポートしており、外部者の価値観を活かしつつ、当事者の抱える問題の目線で消化されていたように思う。現地民がデザインパートナーとしてホームに招き入れている形式だったからこそ、他者視点を発揮できているということだろう。

この対照的な二つの事例を見比べて、僕は「言語」のなりたちを連想した。大抵の人類はどんな僻地でもコミュニティの中で独自の言語を自然に発達させて文化の継承を行っているが、1世紀ほど前に人為的に作り出されたエスペラント語は、結局一般層まで普及することはなかった。文化という土壌をもたない自然言語は存続しえないということだ。同じようにデザインという営みにも地域固有の文化という土壌が必要であり、土着性のようなものは大きいんじゃないか・・・というのがその時の感想だった。

そして先日、とあるインターナショナルな大学連合のプロジェクト成果の展示を見に行った際に、再び考えさせられることになった。成果物の一つに、避難所向けの救援物資と情報のプラットフォームを提案したものがあった。そのデザイン過程で、イタリア人は宅配ボックスのようなメンタルモデルを元に、ピッピッピと数字を入力して物資を受け取れるという「無人の端末機」のアイデアを提案し、日本人はコンビニのようなメンタルモデルを元に、中に何があるかショーケースのように見えていて「人が受付して物資を渡す」というアイデアを提案したという。基本的にいろんなことを自力でやるヨーロッパと、スタッフが過剰なほど親切に対応する日本というのは、なんというか「あるある」であるが、結局双方譲らず最終的な統合に失敗したようで、成果物はふたつのアイデアを無理矢理組み込んだ折衷案になっていた。成果物には隔てる壁のようなものがつけられ、そこには国境を痛烈に感じさせた。

 

さて、どちらがより妥当な答えなのだろうか?災害はどこでも起こりうる。だからこのプラットフォームは地球上どこでも必要になる可能性がある。とはいえ、日本の被災地で使うなら、コンビニモデルなんだろう。セルフレジすら普及しない日本において無人端末機を災害時に設置しても、シニア層を中心にわからないとクレームが頻発しそうだ。逆にスタッフの親切さが望めないヨーロッパではなんとかしてしまうのかもしれない。

だからこの場合、使う場所と対象者を決めないことには進めようがない。でもこのプロジェクトはイタリアでもなく日本でもなくシリコンバレーでデザインしているから、どっちもアウェーということになり、自分たちの能力の問題というよりも環境的な要因でケンカになりやすい,というわけだ。

もちろん文化差を乗り越えて素晴らしい解に到達している事例もあるから、すべてに言える話というつもりはないが、デザインを行う際には、多様性を組み込めばより幅広い問題に対応した解を導けるというものではなくて、基本として「どこで」「だれが」などのつかう場所の条件については考える必要があるはずだ。そこでメンバー間の意見の差異を文化的なコンテクストとして整理することや、それらを考慮した上で最終的な成果物は特定の地域向けにローカライズしたほうがいいのか、はたまたしないほうがいいのか、という問題は、短時間の集中的な仕事の中で決められることでもないよなぁ、と思った。

 

まとまってないけど、自分のためのメモ。

抜け落ちている視点もたくさんあると思うので、感想など聞かせてもらえると嬉しいです。

35年ぶりのラジオ体操

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こどもたちが夏休みに入り、近所のラジオ体操に行き始めたとのことで、僕もちょっと早起きしていっしょに参加してみた。いつでもどこでも体操の音楽はかけられるようになった現在でも、地域の人達がNHKラジオの時間に合わせてあつまって一斉に体操するという不思議な風習は生き残っているのだ。不便な制約に縛られることでコミュニティが生まれるのが面白いところ。会場は近所の神社で、けっこう親子で参加している人達も多い。

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終わるとみんなスタンプに一列。どうってことない仕組みだけど、スタンプが続くとなんだか嬉しいんだよね。

 

さて、このラジオ体操にわざわざ参加したのは、実は個人的なリサーチである。ここのラジオ体操は、なんと「こども食堂」との併催なのである。他でやっているところはない珍しい企画だそうで、ラジオ体操の後に参加した子ども達は、無料でおにぎりとお味噌汁の朝ご飯を食べることが出来る。

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とても人気のようで、おにぎりは速攻で無くなり、鍋いっぱいの味噌汁もみんなおかわりしているうちにあっという間に空になってしまった。

準備などはとなりの居酒屋が中心になって料理して提供しているそう。長期になるとボランティアベースの活動は経済的にも労働的にもかなりの負担だと思うが、夏休みの7/25-8/5の2週間限定ということで、なんとか持続できるラインを探っているようだ。

 

それもしてもラジオ体操とこども食堂をくっつけるというのは、なかなか思い付きにくい面白いアイデアだと思う。考えてみればこのふたつは結構相性は良い。夏休みはどうしても子ども達の生活は乱れがちだし、学校がないと孤立しがちな子供も多いそうなので、たいへん素晴らしい活動だと思うし、応援したい。

 

僕自身は30数年ぶりにラジオ体操に参加した賀、早起きしてちょっと運動すると、すこぶる午前中の体調がよいことを知った。もっと運動が必要だ。

 

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帰りにみつけたバス停に並ぶ椅子。なんだこれ。これに座って待つのだろうか?

 

講演記録:社会のものさしがかわるとき

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7月16日(日)、横浜市栄区の市民団体である「さかえdeつながるアート」のお招きで講演してきた。これは横浜市の地域文化サポート事業のヨコハマアートサイト(というものがあるそうです、横浜市羨ましい)の支援を受けた市民向け活動の一環で、昨年度に引き続き大人世代が学ぶ場としての「おとなのキャリア教育講座Part2」という位置づけである。

たいへん暑い日、しかも3連休のど真ん中にわざわざ来て下さったオーディエンスは栄区の一般の保護者の方々・・・かと思っていたら、地元PTAの役員や地域コミュニティで重要な役割を担っている方々、専門職の方々が中心で、みなさんとても熱心に聞いてくださって感謝。

 

内容は大きく3つ。

1)デンマーク社会の事例をもとに、自分たちの社会を構成している"ものさし"(価値基準)を再考してみる。

2)AIの発展予測にともなう社会の変化と必要な力の変化を知り、自動化されにくい(人間の強みである)「創造性」「社会的知性」について考える。

3)議論ではなく、「対話」の方法と意味を考える。

 

この講座は午後の2時間。結構長いかもなぁ、と思っていろいろ準備してみたが、途中に対話や共有を取り入れたら意外にあっという間にすぎてしまい、消化不良でもったいなかった。産技大の卒業生でもあるSさんに、「デザインではなくてコミュニケーションに特化した話をされたのがとても新鮮でした」と言われたが、何を隠そう、ぼくは邪道の人間なので、大学でも川崎市との連携講座でも、デザインという言葉をなるべく使わないで勝負する機会は割と多いのだ。

 

講演の中で、割とみなさんが面白がってくれたのが、「象と象使い」の喩え話。

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このメタファーについては、僕は社会心理学者のジョナサン・ハイトの「社会はなぜ右と左に分かれるのか?」で言及されていて知ったが、彼の前著「しあわせ仮説:古代の知恵と現代科学の知恵」の中で詳しく説明されている。

 

ハイトによると、人間の心は、無意識で自動的なプロセスの上に言語でコントロールできる意識的な思考回路が被さっているもので、その仕組みは、[象]の背中に乗る[象使い]のようなものだという。手綱を引くことで、象に指示をだすことはできる。しかし、それはあくまで象が素直に従ってくれたときだけである。象が他の欲望を持っていたら象使いにはなすすべがない。だからハイトは、「誰かの考えを変えたければ、まず[象]に語りかけるべきなのだ」という。

 

人は論理だけでは動かないというのはよく言われることだけど、意識的な思考と自動的な感情が協働することで心を構成している、というこのメタファーは僕自身とても腑に落ちる。これを知ってから、行動をうまく制御できない子供に接した時に「象使いがまだ訓練中なのだ」と理由がちょっと分かるようになった。我々はそれぞれ象に乗りながら対話していると思えば、対話を諦める前に、もうすこし幅広いコミュニケーションの方法を探れる・・・のかもしれない。

 

www.ted.com

上の写真は参加者の方から頂きました。ありがとうございます。

 

■さかえdeつながるアートのブログ

sakaeart.exblog.jp

■昨年度の「おとなのキャリア教育講座Part1」

kmhr.hatenablog.com

コンピュータルームの矛盾

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1年生向けの情報表現演習は例年端末室(コンピュータルーム)で行っているが、一方でうちの学部の学生は全員MacBookAirを配布されているので、そっちで宿題することになるし、使い勝手がよいのでみんな狭いスペースに無理してMacを並べる、という本末転倒なことが起こる。端末室でやる意味ないな・・・・、と思いきや、ウェブサイトつくるときに違うOSでブラウザの動作確認する意味ではこの2層のモニタが役に立つようだ。

 

このたくさんのモニタ眺めてて思い出すのが、4年前のMくんの卒業研究「電脳マルメ」。うちの学部の場合、学部全体がTwitterでゆるいコミュニティができているため、しばしば端末室は「ああ、○○さん(ID名)ですか!フォローさせていただいてます」というような会話が行われる場となる。ネット空間の人格とリアルの人格が接続するオフ会会場となっていることに着目して、彼は積極的に垢バレ(Twitterアカウントが周囲に判明すること)と出会いを誘発するようなデスクトップアプリを開発した。利用頻度が低くなってきた端末機を活用するという設定で、端末機にログインすると座席に応じてTwitterアイコンが表示され、話しかけやすくなるようなステータスを表示する・・・という実にうちの学部らしい(?)アプリであるw 

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このアプリは学生たちの間でもこれはアリか無しか、コンセプトの評価は賛否まっぷたつに分かれたし、いろんな壁があり実際に運用するところまではいかなかった。しかし今わざわざ大学に来て作業するという意味を問い直したという点はなかなか興味深かったと思う。 今はZenlyとか人と位置情報を重ねたアプリがいろいろ出てきたけど、当時ははまだあまり無かった気がするな。

 

コンピュータルームに限らず、コミュニティをよく観察していると時としてユニークな矛盾が発見できる。現に起こっていることを起点にして実験的なサービスを発想するのは面白いと思う。

 

 

 

 

日本デザイン学会でグッドプレゼンテーション賞

7/1,2に拓殖大学で行われた第64回春期研究発表大会で「デザイン実験の場を構想するためのダイアログゲームの試作」というテーマでパネル発表してきた。

発表内容は、欧州や北米で盛んなリビングラボの視点を取り入れて、専門家と参加者がゲーム的に楽しく対話しながら協働のデザインの場作りに必要なことを学習・発想していくことを目的としたツールをつくったよ、というものである。ツール自体は2年前にデンマークにいた時につくったもの。それを昨年度学生に手伝ってもらってキット化して、産技大とACTANTでのワークショップでテストしたことをまとめた。ツールの実物を展示する発表はあまりないので、みなさん割と面白がってくださった。

 

参考:3月にACTANTで開催したワークショップに参加したちゃちゃきさんのブログ

blog.chachaki.net

 発表時には、ブースに来てくれた知り合いの研究者とあれこれ話し込んでいるうちに発表時間終わってしまって、真剣にパネルを読んでくれている方にあまりプレゼンしてなかったのは申し訳なかったが、なんと後日グッドプレゼンテーション賞を頂いた。パネル発表94件の中の8件ということで、審査された方が評価して下さったようだ。ありがとうございます。

jssd.jp

 

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ところで、実はこの研究には発表資料には一行も書いてない裏のねらいが存在する。いわゆる通常のビジュアルコミュニケーションのデザインワークは、クライアントから発注がきてデザインをすることが多いわけだけど、それ以外のかたちでデザインのスキルを活かすことはできないのだろうか、という個人的な挑戦である。

 

僕は普段大学教員として働いていて、目の前にはたくさんの学習者や社会問題の当事者達がいる。それは一般的なビジネスの場とはけっこう違った立場にいるということである。今は仕事を発注頂いたとしても時間とれないので受けることも難しくなってしまったが(注)、それでも僕はデザインをすることが好きだし、何かを創っていたい。逆に、その中立的な立場を活かすことで何ができるだろうか。そこで、デザインのスキルを通常依頼されるような「見るだけ」のグラフィックに変換するのではなく、共にデザインする場で一緒に考え、デザインをより楽しくするための道具を創ることや、今無いものを生み出すことに活かせることを実証してみようと思う。

 

注)大学教員としては仕事受けるのは難しいですが、パートナーのACTANTと共に取り組むプロジェクトとしてできることは色々ありますのでご相談ください。

 

 

当日の写真を取り忘れたので、パネルの画像を掲載。

 

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参加型デザインの明日 in GKデザイングループ

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7月7日、GKデザイングループにて開催された「参加型デザインの明日」というイベントで鼎談してきた。 GKデザインといえば戦後日本のプロダクトデザインを牽引してきたデザイナー集団であり、今も日本を代表するデザインコンサルティング企業である。そんな正統的な場所に、邪道を進み続けている僕が呼ばれたことに驚かされたが、優れたデザイナーである彼らも社会との関わり方を模索して自分たちの役割を変革しようとしていることにはもっと驚かされた。そんなわけで二つ返事で会場に向かった次第である。

 

鼎談は(いつものことではあるが)うまく話せず、あまりGKのみなさんの役に立てた気はしないが、柴田さんのお話しも山崎先生の話もとても勉強になって、いろんなことが自分の中で整理できたことは自分の収穫となった。

 

柴田さんによる問題提起。8枚目のスライドに特に注目。

 

僕はいつもスライドは公開していないけど、CoDesignのあれこれについては、この頃求められている知識でありながらあまり日本語リソース無いと思うので、今回は共有してみる。許諾とってない人の写真だらけなので問題あったら引っ込めます。

 
会場にはGKの社長や相談役など錚々たる方々がいらっしゃって冷や汗をかいたが、個人的にはモーターサイクルにおける伝説のデザイナー、一條厚さん(現・GKダイナミクス相談役)とお会いできたのがとても嬉しかった。僕は大学の頃からバイク乗りで若いときにはYAMAHA VMAXは憧れのバイクで欲しくてたまらなかったことを思い出す。

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ミーハー丸出しで記念撮影をお願いする。
 
その後の懇親会でも勉強になった。
柴田さん貴重な機会を頂き、ありがとうございます。
 
当日のイベント記事:
 
 
 

見つからなかったライター

ここ1ヶ月ほど,とある人から頂いたライターを自宅のあちこちで探していた.決して高価なモノではなく,ある芝居を開催したノベルティとしてつくられた小さな黒いライターだ.そのライターの表面には,その芝居のタイトルでもあった「誰かこの女知りませんか」という手書きの白い文字と女の人のイラストが描かれていた.

 

15年前の2002年の秋のこと.当時よく遊んでいたKさんから電話があり,小さな芝居へのお誘いをいただいた.彼女は当時駆け出しの脚本家で,仕事繋がりで脚本家の桃井章さん(桃井かおりのお兄さん)と親しく,その桃井さんは広尾でバーをやっていて,そこが当時映画業界の人々の集まるサロンになっていた.その店を丸ごと舞台にして,ある女優を再起させるための一人芝居の企画を進めているという.僕は電話でその女優の名前を聞いて驚いた.僕と同郷の割と知られたアイドルだった人で,しかも同じ学年ということでちょっとした親近感もあった.

 

その日の肝心な芝居の内容は忘却してしまったが,至近距離で上手にバーの空間を使いながら展開されていく演技に感動したことと断片的なビジュアルはぼんやりと覚えている.お世辞にも上等とは言えないステージで,少人数の観客を相手に,すべて一人だけでストーリーを演じるその女優さんの姿はとても輝いていた.

 

芝居が終わってからパーティになった.ほとんど映画関係者で,部外者の僕は結構緊張していたが,あるタイミングでその女優さんと二人だけで話することが出来た.彼女は当時30ぐらいか.酒浸りだった影響で凄く痩せてしまっていてアイドル時代の面影はなかったけど,見慣れた南方系の顔立ちには同級生の女の子に会うような懐かしさも感じた.

 

とてもよかったです,と感想を伝えるとともに,僕は嬉しくていろいろ話しかけた.

「僕も鹿児島出身で同い年です.あなたは我々のスターでしたよ」

「ありがとう,あなたはどこ生まれ?」

「阿久根です」

「ああ・・・そっち(薩摩半島)はけっこう栄えているよね.(私の出身の)大根占は何もない」

「そんな・・・似たようなものですよ」

なんて会話をした.まあ彼女の言うとおり,大根占(「だいこんうらない」ではなく,「おおねじめ」とよむ)は大隅半島のはずれで過疎化の進む場所であることはそうなのだけど,いくつか共通点を元に話し振ってみても,全部ネガティブな方向に持って行かれるので話を繋げられず,閉口したことはよく覚えている.

 

その後,その女優さんがときどき映画に出演しているという情報を知るたびにこっそり応援していたが,いつのまにか名前を見ることもなくなった.

 

そうしてすっかり忘れていた矢先のこと,その女優さんは10年ほど前に亡くなっていたことを一ヶ月ほど前にニュースで知った.アイドルとして輝いていた時を知るだけに不遇なその後をとても気の毒に思うが,あの破滅的な様子では長くは生きられなかっただろうな,とも思う.

 

彼女の名前はやがて消え去っていくだろうけど,あのステージで再び輝いた一瞬をみた人の記憶の中には、その姿はきっと生き続ける.僕もその一人のはずだ.だから,おぼろげになってしまった自分の記憶に対して,本当に自分が見たことなんだ,ということを自分自身で再確認するために頑張ってライターを探していた.どこかに埋もれている気がするのだが,結局未だに見つからないままだ.

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http://www.jprime.jp/articles/-/9834?page=2

 

探しあぐねている言葉

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先日クリーニングデイに参加して「アップサイクル」という言葉を遅まきながら知ったわけだが,これは再び素材にする通常のリサイクルにも大きく二つの方向性があるという考え方のようだ.

1)ダウンサイクル=価値を下げて再び使う(例:タオルから雑巾)

2)アップサイクル=元の製品よりも価値の高いものに変化させること(例:廃材から一点物のプロダクト)

「アップサイクル」とは、サスティナブル(持続可能)なものづくりの新たな方法論のひとつである。従来から行なわれてきたリサイクル(再循環)とは異なり、単なる素材の原料化、その再利用ではなく、元の製品よりも次元・価値の高いモノを生み出すことを、最終的な目的とする。換言すると、リサイクルによる製品のアップグレード、としてよいだろう。アップサイクルの領域では、一般ユーザーにも目に見えるかたちでの「デザイン」(色や形)が重要な役割を果たし、とりわけファッションと生活雑貨の領域では、大きな成功を収める事例が増えてきた。その嚆矢のひとつであるスイスのブランド「フライターグ」は、トラックの幌布、自動車のシートベルト、自転車のチューブなどを用いた、実用的でデザイン性が高いバッグで、世界的に知られている。

アップサイクル | 現代美術用語辞典ver.2.0

 

 ふむ.フライターグが代表例なのか.ちなみに僕の愛用バッグがフライターグで,全て一点物ということになるので、どのような図柄をチョイスするかの体験は確かになかなか得難いモノであった.

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フライターグはスイスの会社らしく、マニュアルのグラフィックデザインも凝っていて,ユニークな図で描かれている.このアングル!

 

「一見不要に見えるものに新しい価値を見出す」というのは僕の研究室で取り組んでいるテーマでもある.アップサイクルという言葉は割と近いのだが・・・でもなんだかフィットしない感覚も一部にあってなかなか悩ましい.バズワードっぽい言葉に乗るよりも,古くから我々の文化にある「一石二鳥」や「わらしべ長者」の方が意味が近い気もするし,よい言葉を探し当てることは難しく,ずっと探しあぐねている.

 

クリーニングデイ@横浜に参加

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もう1ヵ月前のことになるが,5/27にフィンランド発のアップサイクル・カルチャー・イベント「クリーニングデイ」に参加してきた.「アップサイクル」とは、モノを再利用するリユースやリサイクルだけでなく、モノに新しい価値や有用性を見出す,ということらしい.ヘルシンキで始まった試みとしては,誰でも料理を振る舞えるレストランデイが有名だけど,同じような市民参加型のクリーニングデイも知られていて以前から興味持っていた.そんなわけで日本で開催されることを知って行ってみようと思い立ったわけである.会場では,加藤先生の新作オカモチも披露され,実際に淹れたてコーヒーが振る舞われた.

 

まずは映画上映.アップサイクルなファッション・ビジネスを展開するクリエイターを追ったドキュメンタリー映画『Take It Slow! : Sustainable Fashion for Local Community in Helsinki』

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ファストな消費カルチャーと闘うデザイナー達の活動はなかなか興味深かった.「完璧である必要はない」というメッセージはついつい考えすぎてしまう我々の背中を押してくれるように思う.

 

この映画はVimeoでフルで見れる(残念ながら日本語字幕はない)

Take It Slow! Sustainable fashion for local community in Helsinki, Finland (2015) from Olga on Vimeo.

 

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本の交換会.自分にはもう必要ないけど思い入れがある、あるいは誰かに贈りたい本を各自1冊持参し、参加者同士で本にまつわるストーリーとともに交換するという試み.

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僕はマリーアントワネットの文庫本をゲット.きっかけはスイス旅行した時に知った瀕死のライオンのエピソードで,それ以来この人のことが記憶の片隅にあった.彼女も悲劇的な人生だ.

kmhr.hatenablog.com

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僕は20年ほど前の書籍を出品.オザケンファンでもあまり知らない本だが,彼の音楽の元ネタがふんだんに分析されていて楽しい.「最近,小沢健二は何者だったのかを考えていた」という,同世代の人が選んでくださった.ありがとうございます.だれも興味なかったらどうしよう,と思っていたけど,この日の会場のBGMは,なんと「流動体について」.シンクロしてて驚いた.

 

なぜここで本の交換会?と思われるかも知れないが,アップサイクルとは「モノを再利用するリユースやリサイクルだけでなく、モノに新しい価値や有用性を見出す」ということだから,自分には不要な本を1冊処分して新しい価値に変える,というのはちゃんとコンセプトに繋がっている.けっして単に掃除する日ではない.

 

クリーニングデイは,なにが自分に必要で,なにが必要でないかを意識化することで,自分の周囲をあらためて捉え直し,気持ちが洗われるきっかけになる,というのが面白い.

 

 

民主主義とデザインのためのプラットフォームが誕生

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5月末に,世界中で行われている民主主義とデザインのための活動を一元化するプラットフォーム「Stand Up for democracy」がオープンした.

発起人はEzio Manzini(ミラノ工科大名誉教授)と,Victor Margolin(シカゴ大イリノイ校のデザイン史の教授)の二人.

二人のオープンレターによれば,アクションを起こすために,

・個人的な声明文を書く(500word未満)。
・あなたのネットワークでその声明を回覧する。
・次の数ヶ月でイベントを開催する

ことを求めているそう.そして二人の呼びかけに応じては徐々に声明やイベントが集まってきている模様.アジアも中国から2件.おそらく香港のYanki Leeかな.

 

混迷する世界の国々の民主政治に対して,誰も見えていない解を探るためになんとかデザインの知見を活かせないか,インターネットがある今,そのような試みを局所的なものではなく世界規模で情報交換しながらみんなで考えていけるんじゃないか・・・という切実さを感じる運動である.

 

個人的にはCoDesignの名著"Design, When Everybody Designs(みんながデザインするときのデザイン)"を書いたEzioのファンでもあるし,デザインの可能性を考える意味でも大きな興味持ってこの運動の成り行きを見守っているが,(自戒を込めてあまり政治活動に活発ではない人が多数の)日本ではどう受けとめられるんだろうな.

 

mitpress.mit.edu

Ezio がスウェーデンのmalmo大学で講演した時にはものすごい熱気だったと友人から聞いた.Youtubeにビデオが残っていてフルで見ることが出来る.Pelle Ehn(参加型デザインの生き字引)がホストして,Ezioが講演なんて胸が熱くなる.

youtu.be